いざ、戦いの日々へ!④
さっきまで『鬼』達と戦っていた大学病院の中庭で、小型化したままの俺とフィギュアサイズに戻ったローズ達は、早弥子ちゃんが座っていたベンチの下に隠れていた。
「お待たせ!」
ミワ坊がビニール袋を抱えて帰って来たので、俺達にベンチの下から出る。
「どうぞ~!」
ビニール袋の中身は、病院の売店で買ってきた菓子パンと紙皿だった。ミワ坊は俺達をベンチの上にあげると、菓子パンを割って紙皿の上に広げた。俺の体のサイズが戻るのを待つついでに、休憩タイムを取ることにしたのだった。
「おいしいです、三和様!」
「うん、うまいねえ」
ローズも梔子も、さっきの戦闘時とは打って変わった緩んだ表情でクッキーの欠片を頬張っている。しかし、なぜかマーガレットは二人から離れてもじもじしていた。
「どうしたんだ、マーガレット?」
俺の問いかけに、マーガレットは暗い表情で俯いた。
「マギーは……食べちゃダメなのだです……」
その頑なな様子に俺達は首を捻る。さっきまでは『鬼』に勝てたと、飛び跳ねて喜んでいたのに。
「どうしたのです、マーガレット。クッキーは大好きでしょう?」
「いつもはあたしら以上に食べるくせに、何やってんだい」
「だって!」
マーガレットは顔を上げると、涙の溜まった緑色の瞳で梔子を見つめた。
「梔子の怪我はマギーのせいなのだです!」
梔子は今回の戦闘で負傷した左腕と右足に、三和が裂いたハンカチを巻いていた。だが、梔子は吹き出して笑う。
「こんなのたいしたことないよ。血だってすぐに止まったし、気にする必要ないさ」
「で、でも……。マギーがローズの言いつけを守らなかったせいで魔法弾を撃つのが遅くなったなのだです……そのせいでローズもあの大きい奴に殴られたなのだです……」
「そうですね。それは反省しないといけません。でも、マーガレットは最後にはしっかり撃てましたし、我々が勝てたのはマーガレットが頑張ったおかげですよ」
「だけど『悪い子は食べちゃダメだ』って言われてるなのだです……」
「そんなこと誰が言ったの?」
ミワ坊が尋ねると、マーガレットは再び下を向いて小さく呟いた。
「ママが……」
俺と三和は思わず視線を交わし合った。
この場合の「ママ」は、マーガレットが「顔だけは覚えている」と言っていた生前の母親のことだろう。
「わたし達はそんなこと言わないよ。マーガレットの好きなだけ食べていいんだよ」
三和が柔らかい声音で言うと、俺もローズも梔子も大きく頷いてみせる。
「さあさあ、アンタも早くこっち来て食べな。じゃないと無くなっちまうよ」
「マーガレット、食べられるときに食べることもまた、戦士としての務めなのですよ」
マーガレットは少し顔を上げると、指をくわえてじっとこちらを見つめる。三和が優しく微笑みながら、指先でマーガレットの頭を撫でた。
「ねえマーガレット。ナオが抱っこしながら食べさせてくれるってさ。どうする?」
「え! 本当なのだです、パパ?」
「え? あ、お、おう!」
俺はいきなりのミワ坊の提案に内心狼狽しつつ、頷く。すると、マーガレットがパッと笑顔に変わった。
「やったなのだです~!」
全速力で突っこんできたマーガレットに押し倒されそうになるのを何とか堪えると、マーガレットは胡坐をかいた俺の膝の上にちょこんと座り直した。にひひと嬉しそうに笑っている。
「ほらマーガレット、これをお食べよ」
「こっちのチョコ味も美味しいですよ」
梔子とローズが差し出す菓子パンの欠片を、マーガレットは次々に口の中へと放り込む。
「あんまり急いで食べると喉に詰まるぞ」
「だ……もぐもぐ……大丈夫……なのだです……もぐもぐ」
頬袋にたくさんのお菓子を詰め込んだマーガレットはリスみたいだった。俺は頬を緩ませながら、マーガレットの短い金色の髪を撫でる。
と、俺の頭が誰かにつつかれた。見上げると、少し引き気味の薄笑いを浮かべたミワ坊の姿。梔子もニヤニヤしながらこっちを見ている。
あのね。俺の顔がだらしなくゆるんでいるのは、あくまで父性愛によるものだから! 間違いなく父性愛なんだから! 俺は断じてロリのコンではないので、そこのところ、あしからず!
俺は話題を変えることにした。
「そういえばさ、早弥子ちゃん、悪霊を纏っていたみたいだったけど、あれが悪霊?」
「はい。自我を失った霊魂――悪霊の群れです。奴らは人間の負の感情に引き寄せられて集まることがあるのです。その結果、やがて『鬼』を生み出すことになってしまう……」
「負の感情……?」
戸惑い気味のミワ坊の問いに、ローズが硬い表情で答える。
「怨みや絶望、嫉妬、ストレスなどが悪霊を呼び寄せてしまうことが多いです」
「けどね、誰でもがアレを纏えるわけじゃないんだよ」
梔子が厳しい表情で言った。
「生まれつきああいうのを引き寄せやすい体質の人もいるし、何かのきっかけで突然そういう体質になっちまう場合もある。どちらにしろ、負の感情を大きく溜め込んだ人間にあれは憑りつくんだ」
ミワ坊のショートパンツから覗く脚には、満腹と戦いの疲れのせいか、マーガレットがぐーすか眠りこけている。その頭を指先で優しく撫でながら、三和は梔子に問い返す。
「じゃあ、早弥子ちゃんは何かマイナスな感情を抱え込んでるってこと……?」
その言葉にローズは神妙な面持ちで頷き、梔子は視線を逸らした。
「でもさ、ナオ、早弥子ちゃんが花ヶ塚に来る前から『鬼』のせいで人が倒れるって噂はあったよね?」
「そういえばそうだったな。じゃあ、この街には早弥子ちゃん以外にも、『鬼』を生む人がいるってことかもしれないな」
夏にしては涼しすぎる風が病院の中庭を通り抜けた。俺は嫌な寒気を感じる。
今回は武装解除から三十分以内に俺は元のサイズに戻ることができた。ローズによると、一回『鬼』として吐き出してしまえば、しばらくは悪霊を溜め込むことはないはずだということだったので、俺達は心配な気持ちを抱えつつ、花ヶ塚大学附属病院を後にした。
※
それから俺の家に帰りついた俺とミワ坊は眠り続けるマーガレットはドールハウスの中に寝かせ、ローズと梔子の治療を行うことにした。
梔子の左腕と右足に巻いたハンカチを取ると血は完全に乾いていたが、パックリと開いた傷口からは内部の樹脂材が覗いていた。ローズの体をチェックしたミワ坊も顔を顰めている。
「いくつか痣ができてるね……」
梔子のために、俺は通常はガレージキットの気泡を埋めるために使うパテを傷口に盛り、乾燥したところでやすりで凹凸を均す。それから、患部のパーツ以外をマスキングテープでカバーし、元の肌の色にできるだけ合わせた塗料をエアブラシで吹き付けた。
三和は白系の塗料でローズの痣をできるだけ薄くしてから、やはり肌の色を真似た色を四苦八苦しながら作って塗った。
俺達にとってガレージキットの修復は経験のない作業だ。元のとおりに患部を均して同じ色味に調整することはどうやっても難しい。
「こうやって補修して頂くことで我々の治りが早くなるのです」
「色ムラとか多少のデコボコとかもそのうちなくなるよ。人間の自己治癒力と一緒さ」
そうだとしても、マニアとして、俺もミワ坊も自分の技量に納得するには至らない。
「やっぱりガレージキット愛好者としての『こだわり』っていうのかな。俺みたいな奴は自分の理想の形とちょっとでもズレがあると気持ち悪いみたいなとこがあるからさ……」
「ナオってばカッコつけてるけど、すごくお腹の虫が鳴ってるよ?」
「ミワ坊うるさい」
時刻は昼をかなり回った時間だった。作業中は集中していたから気付かなかったが、そういえばどうしようもないくらい腹が減っていた。
俺もミワ坊も、早弥子ちゃんのお見舞いにもっと時間がかかると想定していたから、保護者には「今日はお昼はいらない」と通達済み。残念ながら今日はうちの両親とも出掛けていてご飯の残りがある見込みもなかった。
そんなわけで、俺達はコンビニ弁当でお昼を済ますことにした。起きたマーガレットが「行きたいなのだです!」と主張したので、ローズ達をカバンに忍ばせつつ、俺とミワ坊は最近近くにできたコンビニでオニギリやサンドイッチを買い込んだ。
「近所にコンビニできると便利だね」
「俺らがガキの頃は歩いていける距離になかったもんな」
最近、この辺りは住宅地として開発が進んでいて、昔は畑や空き地だった土地にどんどん一戸建てや集合住宅が建てられている。それに伴い、新しい住人達をターゲットにしたドラッグストアやスーパーも急増していた。
「でも、なんつーかさ、その代りに失うものも多いよなー。俺らの子供時代の名残、きらきらした思い出の場所がなくなるのはなー」
「ナオってば、ジジ臭いよ」
「ジジ臭くて結構」
空き地では野球もどきや戦隊ごっこを随分やったし、雑木林や田んぼでは虫取りやザリガニ採りなんかもよくやった。そんな思い出の場所がなくなっていくのはやはりちょっと寂しいと思ってしまう。
「よし、久々に『迷いの森』に行くか。あそこはまだ残ってるもんな」
「おー、懐かしいね。ナオと秘密基地作って遊んだよね」
「そうそう! よく覚えてんな」
「えへへへ」
ミワ坊は照れたように笑い、短い髪を掻く。俺達の会話を聞きつけたのか、マーガレットとローズが、俺のカバンから顔を出した。
「秘密基地なのだです?」
「迷いの森に秘密基地! なんて素敵な響きでしょう!」
二人とも目をキラキラさせている。
「まったく。マーガレットはともかく、ローズ、あんたまで……」
二人の後ろで梔子が呆れたように言うと、ローズが口を尖らせた。
「いいじゃありませんか。秘密基地は浪漫ですよ、浪漫!」
そんなローズの顔をミワ坊がにこにこと覗き込む。
「珍しいね、ローズが口を尖らせるの。すっごくキュート!」
「ああ、可愛いな!」
俺は単にミワ坊の言葉に同調するために、そう言ったわけなのだが、なぜか、ミワ坊は不機嫌そうな顔で俺を睨んでくる。
「もう! ナオってば、セクシャルハラスメントだよ!」
「はあ? なんで『可愛い』がセクハラになるんだよ」
「言い方がなんかムカつくから」
「なんだよ、それ! 別にセクハラじゃないよな、ローズ?」
俺は同意を求めるためにローズを見る。すると、なぜかローズの顔が真っ赤に染まっていた。
「え……?」
という間の抜けた、溜息みたいな声を俺より先に洩らしたのはミワ坊だった。三和はびっくりしたような顔をしてローズを見つめている。
そんな三和の視線を受けて、ローズが動揺したように大きく首を横に振った。
「ち、違うんです。三和様、わ、私は! 直蔵様のことも、三和様のことも、本当にお慕いしていて……!」
なぜだか慌てた様子のローズを、三和はじっと見つめていた。その後ろでは、マーガレットと梔子が心配そうに様子を覗っている。
「おい、どうした? 何かあったのか?」
ミワ坊は俺の質問には答えようともせず、しばらくして、ローズに向かってにんまりと笑った。
「くくくく! 可愛いぞ! 可愛すぎるぞ、ローズちゃん!」
そう言って、ミワ坊は俺のカバンの中からローズをひょいと掴んで自分の胸元に引き寄せた。そして、あろうことか、チュッとローズの頬のあたりにキスをしやがったのである。
「み、みみみ、三和様っ……!」
さらに赤くなって、困惑しているような、うっとりしているような、なんとも言えない表情になるローズ。
俺は、頭の中でプチーンと血管の切れる音がした。
「き、貴様、ミワ坊、この野郎! セクハラはお前じゃないか!」
怒鳴る俺に全く怯むことなく、ミワ坊はふてぶてしい笑みを浮かべる。
「ぐははははは! ローズが可愛いからいけないのだよ! 可愛すぎるローズが罪なのさ! 大好きだぜ、ローズ! ぐわははははは!」
どこかの悪役のごとくに高笑いを上げながら、ミワ坊はローズを抱えて駆け出していく。
「なんなんだ、アイツは……? いつにも増して、わけがわかんねえ……」
俺が頭を傾げていると、梔子とマーガレットが笑った。
「ふふん。アンタにはわからないかもしれないけどね、三和は本当に男前だねってことだよ」
「男前なのだです!」
力強く宣言する女子二人を見ても俺にはさっぱり事態が飲み込めない。俺は頭を傾げつつ、ミワ坊の後を追って駆けだした。
※
ミワ坊がローズを抱えたまま走り込んだのは、近所の雑木林だった。何の変哲もない雑木林なのだが、俺らの子供時代、ここは『迷いの森』と呼ばれていた。
「懐かしいなー」
「ねー」
木漏れ日が少し差しているものの、雑木林の中は薄暗い。俺とミワ坊と、ミワ坊の手に抱えられたローズ、俺の斜め掛けバッグに入ったマーガレットと梔子は道なき道を進む。
「なんだか、マギーはここが怖いなのだです……」
マーガレットがカバンの縁を握りながら、恐々と辺りを窺っている。そんな様子を見て、俺は子供時代に聞いたある噂を思い出した。
「そうだ、マーガレット。この『迷いの森』の怪談を教えてあげようか」
「かいだんって、もしかして、怖い話なのだですぅ?」
不安げな表情のマーガレットに俺は神妙な顔で頷く。
「俺とミワ坊が生まれるよりも昔、この雑木林で小さな女の子の死体が見つかったらしんだ」
「え!」
「どうやら、この森で迷って倒れてしまった女の子らしい。その子の魂が成仏できずに、今もこの森の中で迷い続けているのだとか。そんな話から、ここは『迷いの森』って呼ばれるようになったって言われてるんだ……」
「ほ、本当なのだです?」
「俺の友達の従姉の旦那さんの同僚の娘さんが、夜中に青白い何かが『いっしょに遊ぼ……』って言いながら『迷いの森』を横切っていくのを見たらしいんだよね」
「うぅ……」
目を潤ませるマーガレットを見ていると、俺の中でむくむくと悪戯心が湧きあがってくる。
「あれ? マーガレットの後ろに、小さな女の子の影が……」
「うひいぃぃぃぃぃぃ!」
俺の言葉が終わらないうちに、マーガレットは叫びながら俺のカバンの中に猛スピードで戻っていった。
「ハハハ。ウソウソ。嘘だよ。そもそも本当に女の子の死体があったのかすらわからないし……って、あれ……?」
俺がジョークだと笑い飛ばしても、マーガレットがカバンから出てこない。ミワ坊と梔子がキツイ視線で睨みつけてきた。
「ナオってば! マーガレットをあんなに怯えさせてどうするの!」
「アンタの無神経さには呆れるよ」
ミワ坊には頬を思い切り抓られ、梔子には槍で腕をチクチク刺されてしまった。
「痛! 痛い! マジで痛いからやめて!」
三和の腕の中から俺のカバンに飛び移ったローズが、カバンの中に向かって優しく呼びかける。
「大丈夫ですよ、マーガレット。幽霊なんて、ただの噂なんですから」
「……本当なのだですぅ?」
半泣き顔のマーガレットが不安げに顔だけ出すと、ローズは微笑みながら力強く頷く。
「ええ。幽霊なんて非科学的なものいませんよ。大丈夫です」
えっと、あれ? そもそも、ローズ達は成仏できない幽霊ではなかったか?
というツッコミはあったが。
「なーんだ。ただの噂なのだですかー。よかったなのだです!」
マーガレットが元の笑顔に戻ってくれたからよしとするか。
マーガレットはご機嫌な笑顔で、再びカバンから体を出した。
だが――。
「きゃあああああああ!」
マーガレットが悲鳴をあげた。
「な、なんだ……?」
マーガレットは俺の背後を指差し、恐怖の表情を顔に張り付けて固まっていた。
俺は嫌な予感に顔を顰めつつ、導かれるようにゆっくりとマーガレットの指し示す方向に視線をやる。
「な……!」
額から汗が流れ落ち、心臓が鼓動を打つ音がうるさくなった。俺の目は、薄暗い雑木林の細い木々の間に『それ』を見た。
雑木林の、特に木の密集した薄暗い場所に、女の子の姿がぼうっと浮かび上がっていた。やけに青白い顔をした、小さな女の子だ。四、五歳くらいの少女だろうか。物欲しそうな顔でこちらを見つめている。
「お、お、おい……まさか……!」
「ゆ、幽霊……?」
俺とミワ坊は顔を引き攣らせながら呻いた。
「ひぃ! こっち来た!」
青白い少女はゆらりと体を震わせながら一歩、また一歩とこちら側へと近付いてくる。
「ひえ……」
逃げ出したはずなのに、足が棒のように固まって動かない。俺のカバンの上に立つローズ達も目を剥いて固まっている。
その間も女の子はどんどん近付いてくる。
「ど、どうしよう……ナオ……」
三和も俺と同様に動けないらしく、手に握っていたコンビニ袋を地面の上に取り落した。
女の子は尚も近付き、青白い顔がはっきりと見えるようになった。もしかして、俺達取り殺される……?
「ひいいいいいい!」
俺は思わず、顔を手で覆った。
だが、その後は何のアクションもない。何か、ガサガサいう音が聞こえてくるだけだった。
「あれ……?」
顔を覆った手を退けてみると、女の子は地面にしゃがみ込み、ミワ坊が落としたコンビニ袋を漁っていた。
「お姉ちゃん、これ、もらってもいーい?」
マギー以上にあどけない顔でミワ坊を見上げた女の子が言った。
「あ、あれ? もしかして幽霊じゃない?」
「ゆーれい? なにそれ?」
女の子は可愛らしく首を傾げた。よく見れば、痩せて少し顔色が悪いけれども、普通の女の子だ。話を聞いてみれば、女の子は樹利亜ちゃんという名前の、この辺に住んでいる小学一年生らしい。
俺は慌ててローズ達をカバンの中に押し込んで隠した。
「念のためもう一度聞くけど、樹利亜ちゃんは、ゆ、幽霊じゃないんだよね……?」
「じゅりあは幽霊じゃないよ」
俺達が買ってきたコンビニのおにぎりをパクつく樹利亜ちゃんは、確かに青白くて細いが、みずみずしく血の通った手足を持っていた。怪談をしていた時にこんな小さな子がたった一人で出てきたものだから、どうやら俺達はとんでもない勘違いをしていたようだ。
それにしても、すごい勢いで口に物を詰め込んでいく子だった。
「樹利亜ちゃん、よく噛んでゆっくり食べないと、喉に詰まっちゃうよ」
「うー! だってだって、今日もママがご飯くれなかったんだもん!」
ミワ坊の注意を振りきって、お次はサンドイッチにかぶりつく。
俺と三和は顔を見合わせた。
「なあ、この子……もしかして……」
「うん……」
樹利亜ちゃんは同年代の子に比べても小柄なような気がする。見える場所に痣や怪我は見られないが、身に付けている半袖Tシャツやハーフパンツはヨレヨレで少し汚れているし、髪は伸び放題で梳かした様子もなく、目ヤニや垢も目立った。
この子、もしかして……。
「樹利亜ちゃんはこの辺に住んでるんだよね?」
「うん」
「一人でこんなところで遊んでるの?」
「だって、じゅりあ、友達いないもん」
「学校は?」
「あんまり行ってない」
「そっか。パパとママは?」
「パパは知らない。ママと二人で暮らしてるの」
「ママは優しい……?」
恐る恐る訊いてみると、樹利亜ちゃんはサンドイッチから口を外し、俺達をじっと見つめ返す。それから、にっこりと笑った。
「じゅりあ、ママ大好き!」
「そっか……」
どこかほっとしつつ、何ともいたたまれない気持ちになって三和に視線をやると、三和も難しい表情を浮かべていた。
「どうする?」
「どうするって……」
俺達は言葉に詰まった。
「ねえ、このアンパンも食べていーい?」
樹利亜ちゃんが俺達を窺うように上目づかいで見つめてくるので、ミワ坊がにっこりと笑った。
「全部食べていいよ」
「やったー!」
俺達も腹減りだが、きっと樹利亜ちゃんはその比じゃないんじゃないか。アンパンを貪り食らう樹利亜ちゃんの頭を撫でながら、ミワ坊が諭すように言う。
「ねえ、樹利亜ちゃん。こんな暗い場所で一人で遊んでいたら危ないよ。最近は、普通のフィギュア好き男子高校生に見えて実はロリコンって奴もいるくらいだから」
「お前、それ誰のことだよ!」
「別に。一般論ですけど?」
俺に向かってあっかんべーをしつつ、三和は樹利亜ちゃんへの話を続ける。
「だからね、樹利亜ちゃん、今日はもうおうちに帰ろうよ。お姉ちゃん達が送ってあげるから」
なるほど。電撃家庭訪問をかまして、母親の様子を見てみようって魂胆だな。その結果いかんによっては通報もありえるかも。
さすがはミワ坊、やりおる。
だが、肝心の樹利亜ちゃんがおかんむりだった。
「えー、やだやだやだやだ! じゅりあはもっと遊ぶのー!」
手足をバタバタさせて大騒ぎだ。俺とミワ坊は困って顔を見合わせる。だが、暴れていたはずの樹利亜ちゃんは急におとなしくなったかと思うと、ニヤリと子供らしからぬ不敵な笑みを浮かべた。
「そっちのお兄ちゃんのおもちゃをくれるなら帰ってもいいよー」
言うが早いか、樹利亜ちゃんはいきなり俺のカバンに手を突っ込み始める。
「え、ちょ、じゅ、樹利亜ちゃん!」
「じゅりあ、さっき見たんだから。お兄ちゃんがお人形さんをカバンに入れるの」
「気のせいだって! っていうか、やめてよ、樹利亜ちゃん!」
樹利亜ちゃんは俺の制止を聞かず、カバンからマーガレットを乱暴に掴み出す。
「きゃあああなのだですー!」
マーガレットは叫んだが、俺とミワ坊の引き攣った顔に気付いたのだろう。慌てて口を閉じ、俺とミワ坊が作り上げた時のポーズになって固まった。
樹利亜ちゃんは訝しげに首を傾げる。
「あれ? 今、このお人形さん、しゃべらなかった? 動いたように見えたけどー?」
「え、えぇえええ? ま、まさかぁ……ねえ、ナオ?」
「あ、ああ、ミワ坊。に、人形が、う、動くわけないって、なあ?」
俺達がぎこちなく否定する姿に疑惑の目を向けつつ、樹利亜ちゃんはマーガレットをためすがめつ、表にしたり裏にしたりする。手足を引っ張られ、髪を弄られながらも、マーガレットは必死に我慢していた。
「樹利亜ちゃん、それ、お兄ちゃんとお姉ちゃんの大事なお人形さんだから返して! お願い!」
俺が手を合わせて頭を下げると、樹利亜ちゃんは不満げに口を尖らせる。
「えー。お兄ちゃんおっきいのに、まだ人形遊びしてるのー? 変だよ」
うう……。そう言われてしまうとアレなんだけど、どうすればいいの……。
チラリとミワ坊を覗くと、我が同志も困った顔をしている。
「だから、じゅりあがこの子をもらってあげるね」
「え?」
気が付くと、樹利亜ちゃんはマーガレットを抱えて踵を返し、雑木林を走り出していた。
「わわわ! 待ってよ、樹利亜ちゃーん!」
俺とミワ坊は慌てて樹利亜ちゃんの後を追いかけた。
※
樹利亜ちゃんは近所の小さな木造アパートの一階の部屋に入っていった。どうやらそこが樹利亜ちゃん自宅らしい。
「どうする、ナオ?」
「どうするって、行くしかないだろ」
考えようによっては電撃家庭訪問の正当な理由ができたとも言える。
俺達は樹利亜ちゃんの部屋の呼び鈴を鳴らした。しばらく何の反応もなかったが、二度目の呼び鈴で、不機嫌な表情をした女性が出てきた。樹利亜ちゃんのお母さんだろうか。
だが、俺と三和はその女性を見て、思わず顔を見合わせた。
「な……!」
女性の周りに、早弥子ちゃんと同じような暗い靄が纏わりついていたからだ。それはぐるぐると渦を巻きながら、女性の全身を覆い尽くしている。
女性は二十代半ばくらいだろう。ブラシを通してなさそうな茶色の髪にジャージ姿で、どこか疲れた印象の女の人だった。
「誰?」
女性はその一言と共に、威嚇するように俺達を睨みつける。
「用がないなら帰ってくれない?」
「いやいや! あの、ここって樹利亜ちゃんのお宅ですよね。あなたはお母さんですか?」
「そうだけど」
樹利亜ちゃんのお母さんは、面倒臭そうに顔を顰めた。
「あの、俺達、北王子直蔵と河津屋三和っていって、近所に住んでいる高校生です。さっき樹利亜ちゃんと遊んでいて――えっと、樹利亜ちゃんが間違って俺達のおもちゃを持って行ってしまったようなので、樹利亜ちゃんを呼んでもらってもいいですか?」
「知らないよ」
「え?」
「知らないって言ってるの!」
樹利亜ちゃんのお母さんは俺達から顔を背け、ドアを閉めようとした。
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
俺が扉に取り縋ると、ものすごい目付きで睨まれた。
「あんまりしつこいと警察を呼ぶよ!」
「え!」
びっくりして扉から手を放すと、その瞬間にバタンとドアを閉められてしまった。
よく考えれば、物を盗られたのは俺達の方なのだから警察を呼ばれるなら呼ばれるでも良かったのかもしれない。でも、瞬間的にそこまで頭が回らなかった。
「ナオ、どうする……?」
三和が困った顔で俺を見る。俺も途方に暮れていたが、黒縁メガネの位置をクイッと直して気を取り直す。
「ちょっと作戦を考えよう」




