05
お風呂から上がったあと、私たちはもすらの自室に戻って来ていた。
「それで? さっきのはどういうこと?」
お婆様からお風呂上がりに頂いた、キンキンに冷えた杏茶をあおりながら、彼女が口を開いた。
「いや、その前に突っ込ませてよ」
「なあに、いきなり。はしたない子ね。浴場で欲情でもしたのかしら」
「オヤジかよ!」
「いいえ、親友よ」
「知ってるよ! そうじゃなくて、これ!」
言いながら私は。
ビシッと、我が身を包んでいる衣服を指差す。
「これって、私の単衣じゃない。着替えを持っていないあなたに、心優しい私が貸し与えた、愛のこもった衣服が不服なのかしら?」
「違う違う、そうじゃなくて――」
叫びそうになる自分を堪えて。
わなわなとふるえる自分を抑えて。
「サイズがおかしいって言ってんのよ!」
それは。
幼子のような体躯のもすらの衣服であるがための悲劇であった。
単衣とはいえ、和服なのだ。丈はいくらか余計に作られているので、ぎりぎり衣服としての体裁を保っているが、胴周りは、全然足りていなかった。
これでは着物というより羽織りだ。
前が閉じていない。
開いている。全開だ。
それでも無理矢理帯で着物の体裁を保とうとしている所が、余計に悪意を感じる。
悪意を感じると共に、作為的なものも感じていた。
「あんた、これ、わざとなの?」
「わざと、と言うか――狙いどおりね」
「やっぱりかよ!」
「ええ。思っていた通りだわ。サイズの合わない着物を着た女性が、こんなにも欲情を煽るだなんて」
「煽ってないわよ!」
「しかし、なぜあなたは着物の下に下着をつけているのかしら?」
「別に、はずす必要性も感じなかったからだよ。着物の下に下着をつけないのって、ラインを隠すためでしょう?」
「それだけではないのだけれどね。でも、けれど――」
そう言って。
またもマジマジと私の身体を舐めまわすように見ると、
「どエロいわね」
ニヤけていた。
「うるさいよ!」
「いいえ、瑠璃。訊いて頂戴。これはもしかすると、新たな時代を開く革新的なファッションかもしれないのよ」
「そんな時代は来てほしくない!」
「胴周りが足りていない着物を左右から引っ張って帯で締めているものだから、必然的に胸が寄せられるし、地味な単衣から覗く下着が可愛らしいデザインだと言うのもグッとくるわ。その輪郭がすべて見えているわけではなく、かといって見えなすぎなくもない――そう、ちょうど半々。それがポイント高いわ。そして、そこから視線を下に移せば、可愛らしいおへそと、今度は女性の神秘を薄い布一枚で覆う別の下着。ちらリズム的要素も兼ね備えている。これは――」
言って、もすらは。
立ち上がり、大きく足を開いて。
「聳え立つわね!」
グッ! と拳を握った。
「立たないよ……立たなくていいから、他の着替え何かないの?」
そして、詳細に私を描写しないでほしい。
こんな恰好、痴女のそれではないか……。
というか、前に泊った時よりも酷いことになっているのはなんでなんだろう。前は――去年の年末とかだっただろうか。暖かい恰好をしていたので、そのくらいだったように思う。前回は制服の下にTシャツを着ていたのでそれほどサイズの合わない着物も気にならなかったのだが……。
「でも、結局着付けまでしちゃってるあなたもあなたよね」
「ぐっ……」
痛いとこを突く。
確かに?
着付けをしている最中に、おや? これはもしかしてちょっとおもしろんじゃないか? とは思った。認めよう。
けれど、乗っかってあげたのだ、私は。
親友のボケに乗っかったのだ。だから、救済はあって欲しい。
「まあ、いいじゃない。誰に見られているわけでもないのだし。あなただって、自宅で下着姿で過ごすことだってあるでしょう?」
「……まあ、そうだけどさ」
それはそうだけど、そういう事でもないのだ。
羞恥心は大事にしたい。
最近の女子高生はそういうところがバカになってしまっているように思うし。清く正しくありたいのだ、私は。
「それに、他の服も似たり寄ったりよ。私のTシャツなんてあなた着られないでしょうし」
「そんなあ……」
がっくりとうなだれる。
この世に救いはないのか……。
「なんなら、制服でも着て急場を凌いでみたら?」
「うーん……」
それも、考えなくはないのだけど、皺になりそうだしなあ。
それに、わざわざ着替え直すというのも、なんだか億劫でもある。
「はあ……」
私は一つ息を漏らすと、
「もういいよ。あんたの言うとおり、誰が見てるわけじゃないんだし、これで我慢するよ」
そうすることにした。
一瞬、帯で胸を隠して下は制服のスカートを履こうかとも考えたけれど、なんだか海賊みたいな格好になりそうだったのでやめた。まあ、トイレに行くとか、どうしようもなくなったらそうするか、大人しく制服を着るかするだろうけど。
私は、なんだか重くなった足を引きずってベットへと腰を下ろす。
「それで?」
そこへ。
杏茶を手に持って、もすらが隣に腰掛ける。
「さっきの、どういうこと?」
「さっきのって?」
それを手に取り、一口、二口、三口と、火照った体に冷たい杏茶が染み渡って行く。
「お風呂場での事よ。『彼に惚れてもらう』だったかしら?」
「……ああ」
一気に飲み干してしまったそれを、ベット脇の台に置き、
「そのまんまだよ。私は、一年前のあの時彼に恋をした。だから、今度は彼に、私に恋をしてもらう」
「……あなた、それって何を言っているのかわかっているの?」
なんだか彼女は、引きつったような顔で。
「わかってるよ。私はさ、その――レースはしたくないんだよ。誰かと競いたいわけじゃないし、彼をその景品にしたくない。だから、だったら。彼の方から私に来てもらった方が」
「そうじゃなくて」
割り込むようにもすらは、
「そうじゃなくて、あなた、それ――付き合うよりも大変なことよ?」
そんな事を言った。
「え、なんで?」
「だから、付き合う――ただ付き合うそれだけなら、極端な話、彼があなたの事を」
「だから」
今度は。
今度は私が、彼女の言葉に割り込む。
「それじゃあ意味がないでしょ。付き合うって、恋ってそうじゃないでしょ。それとももすらは、彼が私の事を好きでもないのに付き合って、それで祝福できる?」
「それは――」
口を開くが、すぐに、
「――ごめんなさい。今のは、確かに無神経が過ぎたわ。忘れて頂戴」
自分の言動を恥じるように顔をそむけて。
そう言って口を閉じる。
「でもきっと、今のカップルってそういう関係も多いんだろうね。好きじゃないのに付き合って――でもそれじゃあさ、やっぱり駄目だよ。心が駄目になる。恋をしたんだって、恋愛してるんだって胸を張れなくなる」
心がくすんでしまう。
そんな気がする。
恋は、もっときらきらしていなきゃ駄目なんだ。
「確かに、もすらの言うように難しいことはわかってる。でも、難しいからってそれから逃げたら、いつかきっと後悔するよ。後悔して、大人になって『あの時こうしていたらな』って思う事になる。私はそうはなりたくなんだよ。大人になっても――例えこの恋が失敗しても、『あの時こうしたから』って笑って話せるようになりたい。それが、私の恋なんだよ」
「瑠璃……」
「私らしくない?」
「ええ……あ、いえ。やっぱりそんな事はないのかも」
そう言って彼女は、可笑しそうに小さく笑った。
「? どういうこと?」
「覚えていないの? あなた小学生の時、スカートめくりされて泣いていた私の代わりに、そいつのこと追っかけまわして」
「あ、ああ……」
そんなこともあったかもしれない。
「追っかけまわして、終いにはシバキ倒して」
「え」
そ、そんなことしていたっけ?
私、そんなにやんちゃだったっけ?
当時の記憶を掘り返そうとして思い出してみるけれど、掘り返したそれはなんだか輪郭が朧気で、ぼやけて霞んで消えてしまう。
よく覚えていない。
「それで、私に言ったのよ。『逃げちゃだめだよ、やられたらやり返さなきゃ』って。男の子のズボン持ってきてね」
そう言ってまた、吹き出した。
口元を押さえて。
その仕草はなんだか、大事なものが出て行かないように、それが口から逃げて行かないように、そっと抑えているようにも見えた。
なんだかそれが可笑しくなり、私も笑う。
そんな子だったんだ、私。
「じゃ、私がこうして決心したのは必然というか、なるべくしてなったって感じなんだね」
「かしらね」
トンと肩に重み。
見ると、彼女が頭を預けていた。
それが愛おしく感じて、彼女の頭を撫でつける。
「思えば――」
彼女は、懐かしむような声で、
「思えば、あの時からなのかしらね。あなたが――瑠璃が、私の特別になったのは」
そう言った。
気持ちよさそうに目を閉じて。
「でも、今の一番は薪くんでしょ?」
「くやしい?」
悪戯っぽい顔だった。
「そりゃあ、ね」
肩に乗る小さな頭に、頬を寄せる。
「くやしいけど、それでいいんだよ。いつまでも一緒にいたいけど、いつまでも一緒にいれるとは限らないから。だから、私がモスラ離れをするように、あんたも瑠璃離れ、しなきゃ」
「……さみしいわね」
もぞもぞと頭を動かして、上目遣い。
「そうだね」
「私、男に生まれてきたらよかったわ」
甘い声。
「あはは、それじゃあ、私が男だったら」
「もちろん親友になれてるわ。今みたいに」
「でも、それじゃあ薪くんとは一緒になれないね」
「大丈夫よ。恋豆ったら、男か女かたまに分からなくなることがあるから」
「それはどうなんだ……」
ははは、と乾いた笑いが漏れる。
「でも」
もすらは立ちあがり、私の正面に立つと、
「でもあなたは、女の子だものね」
そっと、わたしの頭を抱いた。
「うん、そうだよ」
とくん、とくん、とくん、とくん、と小さな鼓動が聞こえる。
耳元で、彼女の息遣いが聞こえる。
「こんなに可愛いんだもの。彼にもすぐに、あなたの魅力が伝わるわ」
「可愛くないよ」
「可愛いわよ、私が保証する」
「じゃあ、しょうがないか」
彼女が言うのなら。
保障されては認めるしかない。
「伝わるといいな」
「むしろ遅すぎるくらいよ」
ちょっといじけた様な声だった。
なんであんたがいじけるんだ、そう思ってちょっと笑った。
「伝わるといいな、この気持ち」
「大丈夫よ。絶対うまくいく」
「それも保障してくれる?」
「もちろん」
「えっへへへ」
彼女を抱きよせる。
自然、膝の上に乗るような形となる。
彼女の、あまりに軽い重みを感じる。
小さなお尻を太ももで感じて、彼女の体温を全身で感じる。
お風呂上がりのせいなのか、少し熱い彼女の体温を、全身で感じる。
「なあに、これ?」
彼女は、不思議そうな顔でつぶやく。
「なにって?」
「この体勢よ」
「普通でしょ。女の子同士が会話する時の姿勢だよ」
「そうだったかしら?」
「そうだよ」
「そうだったかもね」
甘く微笑んだ彼女は、抱きつくようにして。
頬と頬が触れ合う。
温かい。暖かい。
触れ合った頬がちょっと熱いくらいに。
「まずは明日ね。頑張るのよ、瑠璃」
首に回した腕に力が入る。
ぎゅうっと、ぎゅうっと。
彼女の細腕ではたかが知れているけれど。
それでも、力強く抱きしめてくる。
それに合わせて、触れ合った頬が擦れて、擦れて。
「うん、頑張る」
擦れた頬がこそばゆくて。
だから、それから逃げようと動いたけれど、なんだかそれも頬ずりをしたようにまた、さらに擦れあう。
二度、三度と。
触れ合う度に、もすらが揺れる。
彼女の小さな体が揺れて、それにつられるように私の身体も揺れる。
身体が揺れるのに合わせて、ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、とベットが軋む。
「あら」
だから。
こうなってしまったのはしょうがないんだろう。
バランスを崩したもすらが、私を押し倒すような形で、ベットに倒れ込んだ。大の字にベットに倒れ込んだ私の上に、もすらが覆いかぶさるようにして。
「もすら、これはなに?」
「なにって?」
私の上の彼女から、ぱさり、ぱさりと幾つかの髪の束が頬に落ちて。けれど私はそれを払おうとはせずに。
「この体勢だよ」
「なにか変かしら?」
彼女も、気にするそぶりを見せなかった。
「変だよ」
「そう?」
「女の子同士は押し倒したりしないよ」
「膝の上に抱き寄せるのに?」
「うん」
「瑠璃、私少し暑いわ」
「私の上にいるからだよ」
私の熱が、彼女に伝わっているんだ。
そしてそれは、もすらの熱も同様に。
「瑠璃、私、身体が熱いわ」
「熱いなら脱いだらいいよ」
私みたいに。
ベットに押し倒された私は、それまでの恰好もさることながら。
もはや服を着ているのかどうかが定かではない程に、乱れに乱れていた。帯はぐずぐずに緩んで、単衣は大きく肌けていた。もはや、半々どころではなくなっていた。
「なんだかジンとするの」
「それはどうしようもないね」
「確かめてみる?」
艶やかに、妖艶に。
背筋に来る笑みだった。
「確かめてほしいの?」
彼女の頬に手を伸ばす。
触れた頬は、火傷しそうなほどだった。
「どうかしらね」
ふふふ、と。
こぼした息が頬にかかって。
かかった息が、あまりに熱くて。
「熱いよ、もすら」
「堅くなっているわよ、瑠璃」
「緊張しているのかも」
きっと、そうなんだろう。
初めてなのだ。
緊張しない方がおかしい。
「私もよ」
「え?」
「私、初めては好きな人のためにとっておいているの」
「そうだったんだ」
以外だ。
なんだか可笑しくなって笑ってしまった。
「熱いわ、瑠璃」
「私もだよ、もすら」
「瑠璃、私これでもお嬢様なの」
「だから?」
「一人じゃあ――脱げないわ」
手伝って……。
そう、小さくつぶやいて。
彼女の小さくて、可愛らしい顔が。
徐々に、徐々に。
私の顔との距離を縮めて――
ぎしっ、
ベットが大きく音を起て、軋んだ。
いったんここまで