01
はじめまして。
よろしくお願いします。
書き切れたらいいな。
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彼のことを始めて意識したのはいつだっただろう。
彼を知ったという意味なら、それはもちろん小学生の時だ。
山に囲まれた小さな町。そのせいもあってか、町のみんなとは顔見知りといったような関係で、知らない人はいなかった。大きな田んぼに細い畦道。この時期は、夕方になると蛙が煩い。虫の声は割と好き。風が強い日には森が鳴いて少し怖い。空は広くて星がたくさん。町の灯りは少ないし、学校より高い建物はこの町にはない。
そんな田舎だった。
そんな田舎で育った。
小学校に入っても知らない子はあまりいなかった。あまりいなかったけれど、その僅かな知らない子の中に、彼がいた。ご両親の都合で、実家があるこの町に越してきたらしい。元気で活発で、走り回っては転げ回って。天真爛漫という言葉がよく似合う、悪戯好きの子供だった。他の子の例に漏れず、私も彼にスカートをめくられたことがあった。
私は、そんな彼のことが少し苦手だった。
悪びれもせずに得意気に笑う所や、給食の時間にはデザートを取られたりしたし、ドッジボールの時には思いっきりボールを投げてくるような子だったし、修学旅行の時には私たちの部屋に勝手に入ってきて先生に怒られていたし。
彼にはいい思い出がない。
だから、あまり印象にも残っていない。
そんな彼とも、中学に上がってからはめっきり会話がなくなった。
思春期ってヤツなんだろう。彼も私も。
別に、互いに互いを意識していた……なんて事はない。
全く。
互いに、小学時代を共に過ごした友人の一人という認識だった。
これといって悪戯をされることはなくなった。給食の時間では席が離れた。修学旅行では、クラスの男子とよく一緒にいたように思う。
こうして今になって思い返すと、小学校の六年間、中学の三年間は彼とクラスが一緒だった。約九年の間、同じ教室で筆を共にした。同じ釜の飯を食った関係というやつなのだろう。
かといって、これが運命的だとは全く思わない。
総人口がそもそも少ない町であり、小学校、中学校、高校はこの町に一つづつしかない。小学校から中学には選択の余地なく繰り上がるし、この町にある唯一の高校には、家からの距離が近いからという理由で入る友人がたくさんいた。他にも町の外の中学校から入った子もいるけれど、地元の子たちに比べると、圧倒的に少なかった。そのため、二度目の進学である高校生活にも関わらず、目新しさはなかった。
私の幼稚園からの友人であり親友の彼女は、
「いつかどうにかしてこの町を出て行ってやるわ!」
と鼻息荒く息まいていたけれど、彼女の家庭事情を考えると、それは少し難しいのではないかと思う。なんでも彼女の家は、この町の土地を多く所有する家系らしく、純日本家屋の家はとても広い。門がある日本家屋を見たときは、映画やドラマの中に迷い込んだような気がして、とても気分が高揚したのを覚えている。
しかし。
彼女でなくとも、この町に住む人間であれば、『いつかこの町から出て行く』という考えは誰もが持っていた。私たちのような若い世代ならなおさらだった。最近では高校卒業後の進路の話題も珍しくなくなり、進学か就職かで議論が熱く繰り広げられている。傾向としては四割ほどは都会への就職、三割は進学、地元での就職を選ぶ生徒は一割程だった。
「もすらが出て行くなら僕も出て行くけど、どちらかといえば、僕はこの町に残りたいな!」
と胸を張るようにして宣言をしたのは、薪恋豆くん。私の親友である火野湖もすらの許嫁だった。彼女の名前については思うところがあるだろうけど、小学校から散々弄られてきているのであまり気にしないでやって欲しい。気にしたところで彼女は気にしないのでするだけ無駄でもある。
とにかく、許嫁関係について詳しいことはよく聞いていないけど、もすらの家には男の兄弟がいない。というか一人っ子だ。なので、家系を存続させるためにそういったことも必要なんだとか。かといって、漫画やドラマなんかでよくある、『不仲な許嫁』というテンプレートからは遠く離れた二人だった。
ラブラブである。
四六時中、といってもいいくらいに一緒にいる。この時クラスが違う彼女たちは、授業の合間の休み時間に逢瀬を繰り返していた。頻度は薪くんがうちのクラスにやってくる割合が大目。その代わり、もすらは花嫁修業も兼ねて、毎日薪くんへお弁当を作って来ていた。これは今も変わらず。これも一つの愛妻弁当という事になるのだろうか。しかも、かなり美味しそうで、偏りがちな高校生男子の栄養面をサポートするようなメニューになっている。
親友のもすらの許嫁という事で、薪くんともそこそこ仲がいい。
恐らく、校内の男子で一番か二番かによく話すし、よく一緒にいる。
お昼休みも、四人で弁当を突くのが常になっている。
私と、もすらと、薪くんと……相馬くん。
空蔵相馬くん。
おそらく、きっと。
メイビーたぶん。
私の初恋相手。
その恋がいつからのものだったのか、正確なところは判らない。
けれど、きっかけはあった。
彼のことを意識し始めた瞬間はあった。
高校に上がったばかり、一年生の時。初めての球技大会だった。
バスケットボールのメンバーに選ばれた私は、張り切っていた。
ようやく仲良くなり始めたクラスのみんなにいいところを見せたかったように思う。そんなに背が高くない私だけど、必死にボールを追いかけて、必死に相手に食らいついた。その甲斐あってかどうなのか、私たちのクラスは、一年生ながらも準々決勝にまで勝ち進んだ。だから、余計に勝ちたくなってしまった。今にして思えば、本当に私らしくはないのだけれど。なんにせよ、躍起になって勝ちに執着していた私は、珍しく無茶をしてしまった。
結果、脚を挫いてしまった。
リバウンドの際に着地を誤った。ぐにゃんと、嫌な感じに脚がねじれた感覚の後に、馬鹿みたいな痛みが襲ってきた。右足だった。蹲りながら恐る恐る確認してみると、足首がはれ上がり、みるみる色が変わってきていた。その痛みと恐怖に涙が自然と溢れてきた。このまま脚が駄目になったらどうしようとも考えた。
そんな時、助けてくれたのが彼だった。
私を取り囲むようにして、みんなが口々に「だいじょうぶ?」と口にする中、彼が言った「大丈夫なわけないだろ」という言葉が印象的だった。
私の怪我によって試合が中断され、クラスのみんなや、相手チームの面々も私を心配している中、彼が現れ、手早く私を抱えると保健室まで走ってくれた。
これが私のファーストお姫様だっこだった。
クラスのみんなどころではない、全校生徒の目の前でのお姫様だっこだった。恥ずかしくないわけがない。
けれど、そんな恥ずかしさよりも。
そんな些細なことよりも、彼の優しさに、彼の力強さに、彼の大きな手に、力強い腕に、彼の暖かさに、胸がいっぱいになった。
胸がいっぱいになって、頭がいっぱいになった。
ちょっと汗臭い彼の腕の中、不思議と涙は止まっていた。
保健室に到着してからも、彼は傍にいてくれた。
幸い、怪我の程度は見た目ほど大したことはなく、ちょっとひどい捻挫という事で、足首を固定させるだけで治療は終わった。
先生と一緒に治療を手伝ってくれた彼に目を奪われた。
相変わらず痛む足に顔をしかめながらも、彼のつむじを見つめていた。
どんなことを思っていたのかは覚えていないけれど、酷くぼうっとしていたのは覚えている。何度か先生の声が耳に届かなかった。そのせいで彼や先生に余計な心配をかけてしまった。
「まだ痛むか?」
足元から、そんな声がした。
「え、あ、ああ、うん……」
いつの間にか声変わりをしていたことに驚いて。
その声が、びっくりするくらい優しかったのに、また驚いて。
「そっか」
そう言って彼は、床に腰を下ろすと、天井を見上げ息を吐いた。
「あ、ええと」
なんだか退屈をさせてしまったのかと思って、何か話題をと頭を廻したけれど、これと言った話題が思いつかずに、
「空蔵くん、だよね……?」
そんな事を口にした。
とっさに口にした言葉としては、恐らく下の下だろう。
助けてくれた恩人の名前を確認する――しかもその相手は、小中高と同じクラスの少年だ。幼馴染と言ってもいいくらいの。幼馴染という言葉ほど強い関係性はないにせよ、幼少期を共に過ごした友人の一人ではある。中学の三年間、ほぼ口を利いたことがないにしても、それにしてもあんまりなものであった。
けれど、彼は。
「うん、久しぶり」
と屈託なく笑った。
あの頃の悪ガキの印象は全くなく、とても爽やかな微笑だった。
瞬間と言えば、きっとこの瞬間なんだろう。
小中高とずっと同じクラスで過ごした彼を、初めて一人の男の子と意識して、それからずっと意識し始めたきっかけは。
それまでの私は、そういったものは物語の中にしかないもので、賢者の石や聖剣などと一緒で、選ばれた者にしか与えられないものだと思っていた。
けれど。
突然にして、降って湧いたように目の前に現れたそれは、物語の中と一緒で、見るだけで苦しくて暖かくて、ドキドキしてキラキラして、新しくて懐かしい、切なくて愛しくて、泣きそうで笑いたくなるような、そんなものだった。
息遣い――呼吸が浅くなる。
はあはあと煩い。
心臓が――よくわからない動きをしている。
どくどくと耳元で煩い。
何か言わなきゃと考えようとするけれど、いろいろ煩くて考えがまとまらない。何だこれは。捻挫ってこんな症状が現れる物なのかな。
「だけど」
目の前の少年は。
その優しい笑顔のまま、
「足、そんなに酷くなさそうでよかったよ」
そんな事を言った。
ずきゅーん。
そんな音が聞こえた気がした。