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今日からとなりのえるふさん  作者: 絹谷田貫
8/15

1-8


「なるほど。なるほど。お主の言うことあいわかった」


 夕暮れ。西日の差す俺の部屋。


 胡坐をかきつつ片膝を立て、行儀悪く腕を引っかけながら、にやりと笑んだえるふが繰り返し頷いた。ぱんつはもうしまわせた。


 自分で言うのもなんだが、混乱を極めていた俺の要領を得ない説明でよくわかったもんだと思う。自分でもおかしくなるくらい慌てふためき、たびたび話を脱線させては同じところに逆戻りし、結局伝えたかったことといえば「眼鏡越しに見た脇坂と向井が、まるで見知った姿と違っていた」というそれだけのことだ。


 そう。二人の姿が、俺には全く違って見えた。


 俺の肩ほどの身長の、ちっちゃいオッサン脇坂一樹は、俺の胸辺りまでしか背の無いちっちゃい女児になっていたし。


 俺より少し背がでかい、サークルの後輩向井このみは、目算で2メートルはあろうかという長身で、額から角が伸びていた。


「で?」


 と、えるふはニヤニヤした笑みを隠さないまま、俺に問いかける。


「お主はどう思っとるんじゃ?」

「どうってのは」

「要するにじゃな。『入れ替わった』とか素っ頓狂考えとりゃせんか、ということじゃ」

「それは」


『えるふみたいなの』は正直ここまでのえるふとの生活でもたびたび目撃している。道行く女子高生の集団にしれっと混ざりこんでいたり、汗を拭いながら歩いていくサラリーマンだったり、あいかわらず雲をこねこねする魔人だったり。目撃しても前ほどは驚かなくなっている自分がいる。


 そして、彼らの在り方は大きく二つに分けられる。全く社会と関係ない存在として気ままにふるまっているか、あるいは、人に紛れて人と同じ生活を送っているか、だ。


 考えてもみなかった。


 あの女子高生や、あのサラリーマンに、『元の人間』がいた可能性なんて。


「……逆に聞くけど。入れ替わったり、すんの。お前ら」

「やろうと思えばできるがのう。というか、やろうと思ってできないことのほうが圧倒的に少ないが。しかしのー、入れ替わるとかそもそもやる意味合いがのー。人間社会に無理に溶け込んだところで制約しか増えんしのー」

「そもそもとか意味合いとか言い出したらさ。そもそもお前らがこっちに来る意味合いって何なんだよ」

「ほ?」

「やろうと思ったら何でもできる――うすうすわかってるけど、なんなら、お前らなら『やろうと思ってない事でも』できるんだろ……?」


 何一つ不自由している様子もなく。思うが儘にふるまい。欲するがままに手に入れられる。


 そういう存在なんだろう。お前たちは。


「お前たちのナイショ道具で満ち溢れてるんだろ、そのなんとか王国って奴は。なんで、そんなとこからわざわざ、こんな狭苦しい安アパートなんかに来るんだよ」

「じゃからバカンスじゃと言っておろうに」

「それが理解できないから言ってるんだよ」


 こいつらにとって魔法が存在しないこの国がどれほど不便なものかはわからないが。それが例えば、俺にとっての電気も水道もないというような不便さのレベルだったとして、だ。


 それがその国の文化風俗の、多少の物珍しさで補えるものかというと、そうじゃない。


 百歩譲って、こいつのように、部屋まで借りたとはいえいつか帰るつもりならそれでもいいが。


 こちらで学校に通い、会社勤めまでしている姿を見てしまえば、どうしても、疑問が残る。


「理解するもなにもほんとにバカンスじゃし……。ふははは! ほんとは惰弱な人類を滅ぼす遠大な計画があるのじゃぁ! とかそういうのが欲しいわけでもなさそうじゃのう」

「滅ぼされる心当たりもない」

「それに実際何でもできる以上。あえて滅ぼす必要性もまた存在せんしのう。ふむ。その辺の話をするとなると長くなるから嫌なんじゃがのう……。件の二人というのに直接かかわるでもなし」

「え? 関係ねぇの?」

「確実に、とはいえんが、まぁ恐らくほぼほぼ十中八九間違いないじゃろうなぁ、という予想が儂にはある。――とはいえその辺説明するとなると、えーっと、どこからどこまで説明すればええんじゃろうな?」

「一から十まで」

「そうか、それじゃあこれはまだ地球上で恐竜がのしのし歩いとった頃の話じゃが……」

「ごめんなさい。ナマ言いました。適度な範囲でお願いします」

「じゃあもっと狭い話から話すかの。とはいえこないだ話したような、エルフは長生きしとると無気力になるっちゅう話の続きなんじゃが」


 あれか、あの謎飴で偉い目にあわされたときの。


 思考が全部ひらがなになって、どうでもいいや、で全身が構築されてるような、あの無気力感。


「なんせ儂らエルフときたら、全く神に愛された高等種族じゃから? 下賤な多種族と違って魔法の力で何でもできるのじゃ。メラではない、メラゾーマでもない、『ちちんぷいぷい』で願いがかなう、そういう類の本物の『魔法』を、儂らは使うことができる」

「なんだそりゃ」


 なんでもありじゃねぇか。


「そうじゃ。なんでもありじゃ」

「……」

「わかるかの? なんでもありなんじゃ。望めば望むまま。欲すれば欲するまま。願えば願うままに。食うにも寝るにも困らぬ。雨風さえ止めえるし、星の瞬きさえ思うさまに操れる。ほんとのところを言うと、『ナイショ道具』なんぞ必要ないんじゃ。あれは些か魔法に不自由な種族のために手遊びに作られたものに過ぎんし、なんならジョークグッズ程度の使われ方を想定して作られた節もある」

「……悪い冗談だ」

「まったくその通りじゃ。――儂らはの、もう悪い冗談をこねくるくらいしかやることがないんじゃよ」


 えるふの笑みがどこか影を含んだ、自嘲じみたものに変わった。


 目線が、俺と目を合わせながら、どこか遠くを見つめる。


「魔法の力で、儂らは全てを手に入れた。あらゆる生存欲求は思うまま満たされる。あらゆる好奇心は思うまでもなく解き明かされる。したくない事はしなくてよいし、しなくてはならない事も、しなくてもよい。儂らは、もしそれを望むのなら、時の流れにさえ逆らって振る舞う事さえできる、永遠を生きることもできる。なんなら、なにも食わず、眠らず、求めず、欲さない存在に己を作り替えることすらできるのじゃ。――何もかもを手にした儂らは、何一つとして必要としないモノとなった」


「それを」とえるふは繋いだ。「そうなり果てた儂らのようなモノを、儂らは『全き者』と呼ぶ」


「なり果てた、って」

「魔法は、技術ではない。そして異能でもない。エルフだけの権能ではないのじゃ。あまねく全てはいずれ魔法にたどり着く。存在を紡ぎ、進み続けるならば全てのものが。たとえ虫けらであろうと、草木であろうと、石くれであろうと。人間であろうとな」


 ただ、他と比べて、エルフが少しばかり早くそこに行きついただけの話。


「そして魔法を用いればいまだ『全き者』たる階梯に至らぬ者どもであったとて、たやすくそれを引き上げることができる。魔法じゃからな。魔法は、万能なんじゃ。理屈ではない。――理屈など平気に捻じ曲がる。同時に存在する相反する願いであっても魔法は叶えるほどじゃ」

「いや、でも、無理だろ。例えばあらゆる盾を貫く矛とだな……」

「可能じゃ。可能になる。『もし願われたなら、それが可能な世界になる』それも、おとぎ話じみたけち臭い叶い方はせんぞ? それを理解するのは、三次元世界に存在する人間の思考能力では不可能じゃがの」


 なんだよ。


 なんだよそれは。


「そんなの滅茶苦茶じゃねぇか。何もしなくていいじゃねぇかよ」

「そうじゃ。そうなんじゃ。だから、なり果てた、と言った」


 エルフは。エルフも含めた、魔法を手に入れた『全き者』たちは。


「儂らはなり果ててしまった。何もかもの果て。全き命の地平。何もしなくていい、何もかもが無価値になった白紙の世界の住人に」

「………………」


 俺は絶句する。


 そうすることしか、できなかった。


 言っていることはわかる。理解はできる。そりゃそうだろう。本当に何もかも、制限なく叶えられる力があるのなら、それが行きつくのはそういう世界だろう。すべてにすぐさま手が届くからこそ、すべてが価値を失った世界。


 理解はできる。


 できても、想像が追い付かなかった。


 そんな世界に生きる生き物が一体なにを思うのか。


「じゃから、儂らエルフは長ずるにつれ無気力になるなんじゃ。気力を要することなど、無くなるのじゃから」

「働き盛りのエルフが、とか言ってたのは……」

「若いころは、一通りそういう『遊び』を人生にさしはさむ、というだけじゃ。しなくてもよいことをあれこれ理由付けしてやってみる。やがて飽きる。疲れるまでもなく、の」

「……」

「そう黙り込むでないわ」

「……人間もいつかは、そうなるのか」


 ここまで聞いて疑問が生まれる。


「魔法で引き上げられるって、言ったよな。俺たち人間でも、その、『全き者』に。なんで、お前らはそれをしないんだ? なんか、あるのか? 自分でたどりつかなったら、欲望が暴走するとか、そういう」

「ない」


 きっぱりと、真っすぐに、えるふは言い切る。


「教えたであろうが。ケチくさいことはない。否、例えば「人間が魔法の力を手に入れてそれに飲まれて滅ぶところが見たい」と願えばそうなるやもしれんが、そのようにひねくれた願いを掛けなければ、そうはならぬ」

「じゃあなんで」


 なんで、そうしない。なんでわざわざ『しない』んだ。なにもかも叶うのに。なにもかも手に入るのに。


「つまらんじゃろ。そういうの」


 ……は?


「――よいか? 最初の話に戻る。儂らが、儂ら『全き者』がなにゆえ、こうしてお主らのもとを訪れるのか。なぜ姿を隠し混ざりあって暮らしているのか」


 もちろん、日本のサブカルチャーに耽溺するためではないぞ、とえるふは笑う。


 俺は笑えない。


 なんとなくわかってしまったからだ。


 えるふはさっき言ってたじゃないか。


 しなくていいことを差しはさむ。人生の『遊び』


「――だから、『バカンス』か」


 不便を我慢してきてるんじゃなくて、不便を楽しみに来てるのか。


 全てを手に入れた者の、物見遊山。未開の土地で行う非日常。


 えるふが俺にとってそうであるように。えるふにとっての非日常を、ただ日常にないものを珍しがりに来ただけ、なのか。


「お前らにとって俺たちって、そっか、そういう感じなのか」


 なぜだろう。


 こんなにも、悲しい気持ちになってしまうのは。


「まぁそうだよな。珍しいってのは、近くで見たくもなるわな」

「否定はせんよ」


 立てた膝に肘を乗せ、頬杖をつきながらえるふが言う。むにぃ、と頬がつぶれて相変わらずの口元の笑みが歪む。


 目じりのさがった真っ青な瞳が、なぜか見ていられなくて、俺は目を逸らす。


 しょうがないことだと思う。


 そんな神様みたいな力を持った、地続きでもないだろうどこか遠くから来た生き物からすれば、それは俺たち人間は物珍しいだろう。俺たちの小さな悩みや、苦しみなんて、ちっぽけで滑稽だろう。あるときふと、荷物を運ぶ蟻んこの列を観察するように、その長い長い時間の一握りを、俺たちを見つめるために使うのも、別に、こいつらの勝手だ。


 だけど。だけれども。


 悲しくなる。


「結局、お前らは『エルフ』で、俺たちとは違う生き物なんだな」


 同じものを見て同じ部屋で過ごしても。


 決定的に、なにかが違う生き物なんだな。


「それも、否定はせんよ」

「……そっか」


 俺は。


 否定して、欲しかったんだろうか。


「じゃけどそれはあんまり関係ないのじゃけどの?」

「は?」

「というかなんか勝手に勘ぐって凹んどるんじゃないわい! 辛気臭い顔の癖に余計冴えなくなるわ!」

「いへぇ!? ふぁひひひゃひゃふははへほは!」  


 突然飛び上がったえるふに取っ組まれて、頬を上下左右に引っ張らっれる。


「うーえうーえしーたしーたまーるかいてぴっぴっ!」

「痛ってぇななにすんだこのクソガキ!」

「うるっさいわ! なんか儂がいじめとるみたいではないかシャキっとせいシャキっと! 凹むなら最後まで話を聞いてからにせい!」


 トン、と胸をつかれて、四畳半の真ん中に寝転がる。


 いつかの様に馬乗りになってくるかと思ったが、えるふはそのまま、俺の横にごろりと転がった。


 肩も手も触れない程度の、それでも不思議と熱を感じる距離を開いて、並んで横たわって、天井を見る。


 えるふを隣に感じる。


「儂らはの? たどり着いた。そして感じる虚無はお主が今想像したであろうそれとさして変わらぬ」

「それで、俺らを観察してるんだろ?」

「そうじゃ。儂らはこうしてお主らを見に訪れる。おぬしらに、憧れて」

「……憧れて?」

「ああ。そうじゃ」


 えるふの顔は見ないまま。――多分、えるふも同じように天井を見上げたまま。


「儂らは行き着いた。成り果てた。全ての可能性が閉じ切った者に、すべての可能性を必要としないモノに。じゃから、憧れる。――未だ何物でもない、何もかもが足りないままの、何もかも手にしえるお主らに」

「未開の下等種族に?」

「そうじゃ……。儂らになりえなかった何かになりえる者。未完成なまま、何かを目指して進むもの。より良くあろうとする意志のあるもの――儂らは、おぬしらのようなものを、こう呼ぶ」


『善き者』、と。


「儂らは、『全き者』はみな、かつて『善き者』でありがら、一様に同じ場所にたどり着いた。それが悪いこととは言わん。悪いこととは言わんが。――つまらん。どうしようもなく」

「…………」

「じゃからこうして訪れるのじゃ。変えてしまわぬよう、その歩みに水を差さぬよう、おっかなびっくり、それでも焦がれて」


 そして、こうして、ただ傍にいる。


「つまりは、じゃ。わしらは恋をしてやってくるわけじゃな」

「はぁ?」

「なんじゃ。自分とはまったく違う相手に憧れ焦がれて何ができるでもないのに傍にいたくてやってくるんじゃ。恋といってよかろうが。つまりその、なんじゃ。エルフにしろなんにしろ、人間という種族に恋してあれするなんかラブいあれということじゃ」

「おまえ自分で言ってて恥ずかしくなってんじゃねぇぞ」

「うるさいわい。お主が勝手にセンチな気分になるからこっちまで引っ張られたではないか」


「じゃからそんなにしょんぼりした顔をするな下郎め寂しいのかエルフと仲良くしたかったのか加藤種族の分際で」だのなんだの早口でと言い捨てて、エルフが立ち上がった。四畳半の埃まみれの蛍光灯が、真っ赤な日に照らされて染まっている。俺の顔も同じだろう。真面目な話の最中に恋とか言われると気恥ずかしい。


 上体を起こして、首を鳴らす。


「まあお前らの動機はわかった」

「うむ」

「で。結局町中にいる『紛れ込んでる』奴らはなんなんだ? お前の言うとおりだったら、別に日本人のふりして社会生活しなくてもいいだろ」

「それはお主、在日二世かなんかじゃの」

「……は?」

「おぬし今日それ多くないか。口開けてすっごく馬鹿っぽい」


 うるせぇ理解を超えるワードをポンポコぶちこんでくるからだ。


「すっごく下郎っぽい」


 なんで言い直した。


「恋してやってきた個人が個人間で愛に発展したらそれはもう、子供の一人二人こさえるじゃろ。恋じゃぞ?」

「ロマンチックな言い方してるとこ悪いけど在日って単語の生々しさですべて台無しだよ」

「じゃけど現実じゃし」

「現実的な単語だけど」

「『的』ではなくて現実じゃ。お主からしたら非日常かもしれんが、非現実ではないんじゃぞ? 当人たちそれぞれの人生を歩んでおるんじゃ。それぞれに日常しながら」


 そして、話がようやく開始点に戻る。


「お主の見た、姿を謀っとった知り合いも、そういうことじゃ。儂にできるのは推測に過ぎん。それぞれの日常と、現実と、事情があって、そういう姿をしておった。それだけのこと」


 窓の向こうで西日が沈む。


 それぞれの事情。それぞれの現実。


 日常、と、非日常。


 えるふは、俺に問いかけた。


「で、どうするのかの?」

「…………そうだな」


 スマホを手に取り、二人の連絡先を確認する。


 多分だけど、今の時間なら二人とも暇してるはずだ。


「なぁ」

「ん?」

「『セブン・リーグ・フープ』……あれ、貸してくれ」

「前後編といったの? あれは嘘じゃ」

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