第二話
浴室に通されたネフィーゼは、一人湯に浸かり疲れを癒やしていた。湯面を見つめていると、今までの事が思い起こされた。
(叔父様…ケイド)
ネフィーゼは自らの身体を抱き締め、涙を流した。
用意された着替えに身を包んだネフィーゼに、従者はこの屋敷に滞在するようにと告げた。
「ありがとうございます」
ネフィーゼは礼を言った。
「ネフィーゼ様、先程主人から返事が届き明日には戻られるとの事」
従者が伝えたその言葉に、ネフィーゼは唾を飲み込んだ。
(明日…メフィデ様がお戻りになられる)
「ネフィーゼ…だったな。侯爵を殺害したのはおそらくユデストの国の者だろう」
思わずネフィーゼはジルオニアを見た。
「ユデスト?」
ユデストは西にある小さな国で、ネフィーゼの国とは塩などの取引があった。
「何故そのような国が」
「おそらく何者か仕向けたのだろう。ユデストには腕の立つ者が多いと聞く」
「一体誰が…」
ネフィーゼは口を抑えた。まだ誰が叔父を殺したのか分かっていないのだ。
「まぁ、私も両親も疑わしい者の中に入るかもな。とりあえず調査を進めない事には何とも如何しがたいが」
「ジルオニア様、何故そこまで」
ジルオニアがネフィーゼをじっと見た。
「私も両親の無実を信じたいのだ」
ネフィーゼは胸元を抑えた。その時、頭の隅を何かが掠めた。
「ー…?」
その光景には茶色をした髪の毛が、一瞬だが写った。
「どうした」
「あ、いえ。一瞬目眩が」
「無理もない。母が戻るまで少し休むと良い」
ネフィーゼは首を振った。
「いえ、大丈夫です。それより何か私に出来る事は無いでしょうか。じっとして居たくなくて」
「そうだな。爺、菓子を焼く者が欲しいとぼやいていたな」
従者が首を傾げた。
「ネフィーゼに手伝ってもらうと良いだろう」
従者は頭を下げた。
「頼みますネフィーゼどの」
「よろしくお願いします」
そう言うネフィーゼを見たジルオニアの顔が、優しくなった。
「お前はどこか令嬢では無い感じだな」
ネフィーゼがえっ?という顔で、ジルオニアを見た。
「どこか世慣れしているというか」
「私の両親は貧しく、それでも領民の皆様を施しておられたのです」
「そうか…」
ネフィーゼはジルオニアに頭を下げ、部屋を出た。
(あの方もお優しい方ね。ケイドを思い出してしまうわ)
ケイドもとても優しく、ネフィーゼを兄のように守ってくれた。そんなケイドに、ネフィーゼは恋心を抱いていた。
「ネフィーゼ様?」
何時までも来ないネフィーゼに、従者が声をかけてきた。
「ごめんなさい。すぐ行きます」
翌日メフィデが屋敷に帰り、ネフィーゼが呼ばれた。メフィデの部屋の扉の前に来ると、ネフィーゼは唾を飲み込んだ。
「失礼します。ネフィーゼ様が参られました」
中から返事が聞こえ、従者が扉を開けた。
「お久しぶりにございますメフィデ様。この度屋敷に滞在を許していただき、感謝のしようがござい」
「ネフィーゼ!よく無事で」
挨拶も言い終わらないうちにメフィデに抱き着かれた。
「メフィデ様…」
幼い時に見た父の従姉妹はとても美しく、堂々として見えた。その美しさは今も変わっておらず、あの時の人を拒絶させる空気は無くなっていた。幼いネフィーゼにとってメフィデは近寄りがたかったのだ。
「覚えていただけており、光栄です」
「当たり前よ。父の葬儀の時はごめんなさいね」
「いえ、そんな」
両親が亡くなった時、メフィデは駐屯地で亡くなった人達を弔っていた。三日後には戻ってきて、両親の墓参りをしてくれた。
「今回の悲報を聞いてまさかと思ったわ。シアルドに続き、オヘルディまでも」
「……」
涙ぐみそうになったネフィーゼをメフィデは抱き締めてくれた。
(私、この人を信じたい)
「許せないわ。こんな可愛い姪を置いてオヘルディを亡き者にした奴を」
「メフィデ様…」
その時、この屋敷の主人が部屋に入って来た。外行き用の服から楽な格好に着替えたとはいえ、その堂々とした姿はジルオニアとよく似ていた。
「お久しぶりにございます。セフィニオル様」
ネフィーゼは頭を下げた。
「よく無事だったな。此度の事、心から悔しく思うぞ。すまなかった」
ジルオニアと良く似た眼差しを向けられ、ネフィーゼはジルオニアに言われている気になり落ち着かなかった。セフィニオルに言われ、隣の部屋に移動した。
「今兵が身辺を探っているが、今だ黒幕は掴めていないようだ」
近衛兵のシラーザの事が気になった。
「何故、叔父様を狙ったのでしょうか」
「王家から擁護されているとなれば、妬む者などいくらでもいるだろう」
「ユデストの国の者の仕業かもしれないと」
セフィニオルの動きが一瞬止まった。
「誰がそんな事を?」
「それは…」
「私です。父上」
ジルオニアが部屋に入って来た。
「無事のご帰還、何よりです」
「留守を任せてすまなかった。今回の事、何も気付けなかった…」
セフィニオルが悔しそうに漏らした。
「何故、リネ二オ家ばかり亡くなるのだ」
「……」
そこでセフィニオルがはっとなった。
「すまないネフィーゼどの」
「いえ」
そう言ったネフィーゼの顔も浮かなかった。
「何故ユデストだと」
ジルオニアがネフィーゼを見た。
「今回の事、オヘルディどのの所まで侵入を許した事と、狙撃した者の数を見ても相当の手練。ユデストの国ではそういった隠密を得意とした生業の者がいるようで」
セフィニオルが眉をしかめた。
「なるほど…となれば怪しいのは交易が深い所だな」
「今は商人とも交わす者もいるようで」
「それは王家から認められた者ばかりでは無いだろう」
ジルオニアが頷くと、セフィニオルが深いため息を吐いた。
「王家だけでは手が回らぬな」
「やがてこちらにも指令が来るやもしれぬな。となれば姪御の御身がばれてしまう」
思わずネフィーゼはびくっとなった。
「それについては父上。ネフィーゼは母が国境から連れて帰って来た孤児だと言う事にしてしまえば良いのです」
「しかし、顔も知られていよう」
「では、こういうのはいかがでしょう」
ジルオニアがネフィーゼの背後に立ち、「失礼」と言って髪を持ち上げ、前髪を半分垂らした。
「なるほど…変装か」
「ええ。なるべく貧しそうに見えるように」
「だが上手く行くものなのか?王家だってネフィーゼどのの行方を必死になって探している筈」
「しばらくの間だけで良いのです。王家の目を逸らす間」
セフィニオルが目線だけで息子の言葉の先を促した。
「ここにもいないとなれば隣国を捜索する筈。隣国にはネフィーゼの母方の実家があります」
思わずセフィニオルが唸った。
「王家からの使者だと言えば、隠し立ては出来ぬからな。賢明な判断だったな。ネフィーゼどの」
「私は…ただ必死で」
すると、セフィニオルが申し分けなさそうな顔になった。
「すまないな。こんな言い方しか出来なくて」
シラーザの判断に、今はただ心から感謝するばかりだった。
「ではさっそく用意いたしましょう。ネフィーゼ、私の部屋に来て欲しい」