表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

蓮井 遼 掌編小説集「ラベンダー」収録例 (詩集は除く)

掌編「先祖」

作者: 蓮井 遼


お読みいただきありがとうございます。



 成す術はなかった。彼らを遠ざけることで他の人にまで被害が及ぶことを防ぐ、それくらいしかすることはなかった。一年前には特に変わらず一緒に仕事をしていた。海外のNGOから送られてくる支援物資を他の地域に送るにあたっての手続きとして事務作業をしていた。アフリカのなかとはいってもここは都市部で、農村地帯とは違って都会の機能は十分に生きていた。

「下の子供をもうすぐ学校に行かせようと思うのだが、今の家から学校に通わせるには歩いて随分時間かかってしまう。こちらに来させた方がいいだろうか」

  と彼は質問をしたのを覚えている。そのときの私は、都市部は人でごった返していて、子供にとっては息苦しいかもしれないから村から一緒に通う友達がいるなら遠くても今の家から通った方がいいだろうと答えたと思う。

 「それもそうだ。一緒に遊ぶ友達はいるみたいだから、向こうから通わせるか」

  なんて彼は私の意見に同意をしていた。

 「ここの仕事に追われ、家には月に一度くらいしか帰っていないのだろう。家族ともこちらに来させるのはそれはそれで気が休まると思うが」

 「いや、確かに一緒に暮らせるのは有難いが、あの家には先祖代々から受け継がれてきた家で家族を災厄から守って下さる精霊やなにか起きた時に村町様が村人集めて協力して下さる。都市には猛獣がいないが、それでも農村の方が快適だろう。あちらから通わせるよ」

 恐らく彼は他に都市部と村での教育の格差を意識して迷っていたのだと思う。そのことを彼の口からは聞かなかったが、途上国で不自由なく快適な暮らしをしたいと願うならば、十分な教育は重要視されるだろう。彼も私も高等な教育を受けてはいなかったが、だからこそ苦しい思いを子にさせたくないあまりに自分の願望を押しつけるのは親の当然の行為なのだと思う。アフリカには犯罪も横行してはいるが、それでも大事にいたらぬ限りは、命を永らえることができると人々は信じていた。

 しかし、一年経って状況は変わった。この仕事に就いたために最新の死が忍び寄るような知らせは早く私達の耳に届いた。隣国にエボラ感染が発生したという情報が入り、私達の仕事にも影響がでてきた。隣国への配送ルートは変更せざるをえず、この頃から事務所に外国の医師を良く見かけるようになった。

 「まるで悪夢の再来だ。いったいなぜアフリカばかりがこのウイルスと闘いを余儀なくされるのだ」

 「それを言っても始まらない。未だ私達の国も向こうの国も不衛生だから致し方ないのだ」

 「こちらに来なければいいが」

  私の不安を彼は宥めもせず、むしろこれから来ることを諦めている境地にいるようだった。

 「それは悠久の時間を測る者だけが知ることだろう」

  普段通りに隣の国から行商や移民など人が行き交うなかで誰が潜伏している宿主をこの国から遠ざけることができようか。こちらに病気が蔓延したのも三月経たない内であった。


 しばらく月日が過ぎたある日、私は勤めていた事務所の管轄者から労働者のなかに感染者が出たので、事務所を移すという知らせを聞いた。私は離れていても一人で不自由はなかったので、必要とされた仕事に精を出すことに努めていた。ただ、新しい場で一週間経ってから一緒に働いていた彼がいないことに気になってきた。もしもという不安が脳裏に浮かび、私は職場の管理部に連絡を取ってみると、彼は病欠していることをきいた。怖れていたことが的中したらしかった。彼は家ではなくて、強制的に都市から離れた病院に隔離されていることを聞いた。私は彼の様子を見に行きたかったが、面会は許されなかった。

 それからも普段の生活は続いた。何気ない日常の変転と同時に新聞から死亡の知らせを見ることが多くなった。彼は大丈夫なのかという心配はずっと抱えていたが、働いている時は他のことは考えないようにつとめることで一日を乗り越えることができた。一日をやり切ったあとに一人で思い耽るととても虚しさをこれまで以上に感じていて、成す術のない自分に悔しさを感じた。全て自然の思うがままと受け止めることは到底私には耐えがたいことだった。

 しばらくして、私の部屋に彼の奥さんと子供が訪ねてきたことがあった。子供には初めてお会いするが、彼に顔立ちはあまり似ていないものの、佇まいから素直な印象を感じた。奥さんの言うことには彼は病院に移されてから一度も家には帰っていなく、この間手紙が届いただけということだった。そのことを聞いて、私は手紙に書いてある内容が気になった。しかし、手紙には彼から家族にあてたメッセージが書かれていていったい彼がどういう状況にいるのかは書かれていなかった。助かる人もいるし、助からない人もいる。それを誰が決めてくれるのだろうか。息子は家から学校に通っているようで、奥さんは村の人達と一緒に畑仕事をしているようだった。今後のことを考えると厚い雲に覆われているような気分になり、私は「大丈夫」とはいえないものの、「ご先祖様にお願いしましょう」と少し気分を晴らすくらいしかできなかった。

 それから一月の間に私は彼の子供と一緒に時々、彼の村に行って厄祓いの儀式に参加することにした。古典的或いは伝統的な慣習にのっとり、治癒する人がはるか遠くにいることは異例のことであったが、身代わりに置いた草花の束に彼の分身を呼び寄せ、その幻に入り込んでいる悪い精霊を取り払うために私達と村の霊媒師で独特のリズムを取り踊るのだった。このリズムのペースが徐々に早くなり、声が辺りに響き渡るときに悪い精霊が抜け出ると私は聞いた。はたしてそれが本当なのかどうかまではわからない。そして身勝手な思いだとは感じていても、私は彼を生かしたく思った。たくさんの死者で溢れているなかで彼の命だけを優遇しているのかと私は思いつめることはあったが、私にできるのは僅か限りのことで彼の命をウイルスに持っていかれないようにするというそのことだけ私は向かい合っている世界にできる全てのことだと言い聞かせることで都合良くさせていた。事実、私がこの場でやったこともそのことくらいであり、行動するにもすることは僅かであると私は思い知らされた。一緒に彼の無事を願っていた子供は私に会えるのを喜んでくれた。その間、彼の家で家族と一緒に食事をとることはなく、ほぼこの儀式を終えたら私は都市に戻っていた。だからほんの僅かな時間であるから子供も私に飽きることなく喜んだのだとそう思うことにした。

 一か月という期間は過ぎてみればついこの間と思うくらいであったが、そのゆるやかな時間を猛スピードでウイルスはあちこちに駆け巡っていたと新聞に書いてあり、私は怖ろしく感じた。そもそも自分が感染されるかもしれないという不安も胸の底には見えたような気がしたが、すぐにその思いは雑念に掻き消された。というのも、私が私自身の生を望むというのが奇妙に思えたからであった。私自身は一心不乱であることを除けば目的を見失ってしまい、まるで太陽は沈まないかのように変哲のない大地に立ち尽くしているに過ぎないのだった。ましてや、この変哲のないあちこちで炎が燃えており、悲鳴と悲嘆が聞こえているのだから私は人生に恵まれたような人達に災厄が襲い、自分みたいなどうでもいいものが更になんの影響も受けずほったらかしにされる、この事象そのものをとても不快に感じるのだった。事実とすれば、生の色んな幅のなかのどの人であれ命であれ、このウイルスは襲いかかっているのだ。不幸に感じたものでさえ、更にのしかかるように襲っているだろう。まるで自分と他人とはとことん関係ないものだと時の番人が試している様な嘲笑っているように感じるのだった。しかし、もしその印象が実在しているのだとして私を無関心というほどの試練に立たせているのだとすれば、私はその試練を乗り越え、関わりを信じねばならぬと思うようになった。本当に世界で直面する試練がなんのために存在するのか、その現象が試練としてあるのかは私にはわかりはしない。ただ、ある事柄を試練として捉えるのは私が人間であることに他ならないのだと私は確信した。とはいっても、猛威を奮うこの試練はあまりに凶暴でまともには立ち向かえないと思った。

 私と彼の息子の行いがこのウイルスを打ち負かしたのかはわからないが、しばらく日が経ってから、彼が職場に来た。私は椅子から立ち上がったものの、驚きでしばらく彼の顔から固まってしまい、反応できなかった。

 「運よく帰ってこれた」

 「そう」

  短い言葉だけど、それしか言えず、お互いに嬉しさが込み上げ、彼の身体を抱きしめた。

 「よかったなあ」

  彼は泣いていた。自分が生きていることが信じられないからだ。私はただ嬉しかった。

 「病院の周りはとても恐ろしかった。火葬はしない。土に埋めるだけだと聞いている」

 「それを見たのか」

 「見てはいない。自分はそれどころじゃなかったし」

 「いつからまた戻るんだ」

 「上に話してから決めるよ。まだ働けるのかも不安だし」

  私はこの期間の間に彼の立場がどうなっているのかは気にしていなかった。彼が帰ってこれないかもしれないという不安は裸になった私に絶えず押し寄せてくるので、その他は考えられなかった。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ