デッサン
企画小説「場所小説」参加作品です。テーマは「授業中の教室」です。「場所小説」で検索すると他の先生方の作品を読むことが出来ます!
今日の六時間目の授業は美術。後一時間でやっと学校から解放される。長い一日だったなぁ。いつもなら最後の授業ってだらけきってるけど、今日は違うんだ。何と言っても今日のデッサンは『友人の顔』。二人向かい合って、彼奴の顔をじっと観察出来るんだから!
それに、今日のデッサンは私の大切な宝物になると思う。思いを込めて描き上げなきゃ。
私は浮かれ気分で、チャイムの最後の音と同時に美術室に飛び込んだ。
美術の隅田先生が黒板に大きく『友人の顔』と書く。
「先週言ったように、今日は人物の顔のデッサンをします。皆さん、スケッチブックと4Bの鉛筆は持って来ましたか?」
隅田先生は美大を出たばかりの女の先生。長いストレートの髪を一つにくくった清楚な雰囲気のする美人の先生。男子達の間で、結構人気の先生だ。美術の時間だけは真面目に 起きてるって子も多い。
「では、机を教室の後ろに移動させて下さい」
ガタガタガタッと一斉にみんな席を立ち、机の移動を始める。私も手早く机を移動させて、スケッチブックと椅子を抱えて前に行く。
「はい、では、二人組になって向かい合って座ってください。同性同士でも異性でも構いません。クラスの人数は偶数だから、あぶれる人はいませんね?」
先生が笑いながら言う。
「俺、先生描きたいなぁ〜」
「あっ、俺も!」
クラスの男子の何人かが、本音の発言をする。そんな声にも先生はパンパンと手を打ち、
「申し出はありがたいですが、今回は『友人の顔』であって『教師の顔』じゃないですからね」
と、軽くかわす。
皆は、大抵同性の仲良し同士ペアを作り、空いたスペースに座っていく。同じクラスでカップルになってる子達は、もちろん異性同士のペア。
私は……。
「蓮!」
突っ立ったまま、キョロキョロと辺りを見回していた蓮の肩を、私は思いっきりバシッと叩く。
「イテッ!」
ややオーバーアクション気味に、蓮がふり返る。
「ペアになろ。あたしが蓮の顔描いてやる」
「はぁ?」
「ありがたく思いなさい」
蓮を捕まえた。私は強引に蓮の腕を引っ張る。
「亜絵里の顔なんか見慣れすぎて描く気になんねぇ」
蓮は口を尖らせる。
「そのセリフそのまま蓮に返す」
「じゃ、ペア交替──」
逃げようとする蓮の腕をもう一度グイッと掴む。
「見慣れてるから描きやすいんじゃないの! あたしは蓮と違って描くの苦手なんだから」
出来るだけかわいくおねだりするように蓮を見上げる。
「チェ、そういう魂胆かよ」
幼なじみの蓮と私の力関係は一目瞭然。幼稚園時代から蓮は私の支配下にあるんだから。いじめっ子からいつも守ってあげたのは、どこの誰?
今じゃ蓮の背は私より頭一つ分デカくなったけれど……。蓮の視線の先を気にしつつも私は蓮の手を放さない。
ざわついていた美術室が、やがて静かになる。あぶれる子もなく、クラスの皆はペアを作り、スケッチブックに『友人の顔』を描き始める。
スケッチブックに鉛筆を走らせる音。時々、ゴシゴシと消しゴムでこする音もする。クスクス笑う声。ヒソヒソ話す声。誰もが画家にでもなった気分でデッサンしてる。美術の時間は時がゆっくりと流れて、少しだけ優雅な気分になれる。
開けられた窓からサワサワと涼しい風が吹いてきた。運動場の土と樹木の香りを、ほんのりと運んでくる。もう、初夏なんだ。夏休みももうすぐ。そしたら私は……。
「あっ、ちょっと蓮、真っ直ぐ前向いててよ」
真正面に座ってる蓮に、私は小声で文句を言う。
「俺だって、描かなきゃなんねぇだから、ずっと真っ直ぐ向いてられるか」
すかさず反抗して、蓮はスケッチブックに目を走らせる。最近生意気なんだから。同じ中学三年生でも、私は十五、蓮はまだ十四。一つお姉さんなんだからね。女の私が五月五日生まれで、男の蓮が三月三日生まれっていうのは、小さい頃からまわりの大人達によくからかわれた。『反対だったら良かったのにねぇ』って。私は誕生日がいつも休みだってことが好きだったけど、蓮は雛祭りの誕生日っていうのすごく嫌みたいだ。
「何、一人でクスクス笑ってんだよ。気持ち悪ぃ」
思わずにやついてた私を蓮は指摘する。
「何でも。蓮の顔ものすごく美化して描いてやるから、あんたも綺麗に描きなよ」
蓮と違って私は絵を描くの得意じゃない。蓮に唯一負けてるとこといったら絵を描くことかな? でも、今日は頑張るんだ。今までの私の作品のナンバーワンを描いてみせる。私は蓮の顔をじっと見つめる。
多分さっきの数学の授業でついたんだと思う左横の寝癖が、ツンツンとはねてる。蓮はちょっとくせ毛だから、髪が自由自在に動いてしまうんだよね。私は蓮のはねた寝癖もしっかりと描いた。
割とキリッとした眉毛。あ、よく見たら眉と眉の間にも小さな毛が。薄く繋がってるみたい。睫は結構長くて濃いんだよね。小さい時から私より長くて、ちょっと羨ましかった。鼻筋も割りにとおってる。唇は分厚くもなく薄くもなくちょうど良いくらいかな?
あれ? 小鼻の横に小さなホクロ。こんなホクロあったっけ? 毎日見飽きるほど見てる顔なのに、じっと見つめていると色んな発見がある。
私はまた笑いを堪え、クククッと肩を揺らして蓮に気持ち悪がられる。
蓮はちゃんと描いてくれてるのかな? ほとんどスケッチブックを見たままだし、時々顔を上げて見る視線の先は私の顔を通り越してる……。誰を描いてんの?
私はチラッと後ろを振り向き、ははぁと納得する。蓮の視線はあの子を追っているんだよね。でも、ちょっと失礼じゃない。私は蓮の小さなホクロを一回り大きく描いてやる。蓮が描きたかったのはあの子で、その邪魔をしたのは私。私って嫌な女。
けど、あの子はこの春同じクラスになったばかりで、十四年間付き合ってる幼なじみの私の方がずっと蓮のこと知ってるよ。蓮の良いとこ悪いとこ。好きな食べ物、好きな歌手、何だって。だから、私のことは絶対忘れちゃダメ……。
父さんの転勤の話を聞かされたのは、昨日の晩だった。この中学は転校しなきゃならないし、週末にちょっと遊びに帰れるほど近い所じゃない。引っ越しの話しは家族以外まだ誰も知らない。友達も先生も蓮も……。私だってまだ実感ないし、何か他人事みたいに思えてくる。
でも、一学期が終わって夏休みが終わって、二学期が始まったら、私は遠い場所の中学に通っている。『空は世界中と繋がっている』っていうから、新しい中学校の窓から見える空も、この美術室の窓から見える空と同じなんだよね。私は心まで芸術家になったかのように、しみじみと青空を見た。優しく微笑む隅田先生のストレートの黒髪や、クラスメイトの顔は、もうそこにはないけれど……もちろん蓮も。
蓮のホクロを描きながら、私は急にセンチメンタルな気分になってくる。じわじわっと涙まで溢れそうになってしまった。
「亜絵里、ちゃんと描いてるか?」
俯いてホクロばかりを鉛筆でなぞっていると、蓮が低い声で言った。
「……え?」
慌てて顔を上げ蓮と目が合う。あ、やばい、本当に泣きそう。
「フェ、フェ……ブェックション!」
私はこぼれ落ちそうな涙を隠そうとして、思いっきりくしゃみをした。静かな教室に大きな私のくしゃみが轟く。
「お前はオッサンか!」
私の唾が蓮の顔にもかかったみたい。蓮が手で顔をこすってる。
「わ、悪い悪い。なんか涙まで出ちゃったよ」
笑いながら目をこする。本当にポタッと涙が流れ出て、スケッチブックに丸い染みをつくって落ちた。蓮の顔の鼻の下。鼻水みたい……。今度はおかしくなって小さく笑った。
「変な奴」
蓮は白い目をして私を見てた。
静かで平和な時間は過ぎていく。やがて、間延びしたようなチャイムの音が響いてきた。
「はい、描けた人は提出してください。まだ描けてない人は明日までに提出してくださいね」
隅田先生の綺麗な声が聞こえる。私は涙の染みと少し大きくなりすぎた蓮のホクロを訂正し、スケッチブックを提出する。蓮はまだ座って描いていた。
「ほらほら、授業は終わったよ」
私は蓮の後ろにまわってスケッチブックを覗き見る。さすがに絵が上手い。繊細なタッチで美少女が描けてる……。でも、これ私? 確かに髪型はショートで、私なんだけどね。
私は蓮のスケッチブックをサッと奪い取った。
「あっ、何すんだ!」
「蓮、何描いてんのよ。これ、あたしじゃないでしょ?」
私はデッサンの余白に鉛筆でサラサラと名前を書き込む。
「あんたね、すっごく失礼! これは、栗本あゆみちゃんよね?」
「何!」
私は悪戯っぽく笑うと、デッサンのページをビリビリと破る。
「ちゃんと本人に渡さなきゃ」
「ちょっと!」
スケッチブックを取り返そうと伸ばした蓮の手をスルリとよけて、美術室を出ていこうとしてる栗本さんの元まで私は走る。自分でも何やってるんだろう? って思う。これじゃ世話好きのおばさんみたいじゃない。それに、私の気持ちは……?
でも、いいんだ! ずーっと蓮を見てる私には、蓮の気持ちは手に取るように分かる。
「栗本さん!」
私の声に、お下げ髪の美少女が振り返る。彼女はもろ蓮の好みだものね。デッサンしたくなる気持ちも分かるよ。
「こいつバカだから、間違えて栗本さんの顔描いちゃったのよ」
ワーッ! と叫びながら走って来た蓮を制して、私は彼女に蓮画伯の描いたデッサンを突き出す。親切に『栗本あゆみさんへ』と 手書きで書き込んであげたデッサン。栗本さんはキョトンとした顔で蓮の絵を見つめてる。
「これ、私?」
「みたい。髪型は違うけどね」
「すごく上手。蓮君って絵の才能あるね」
笑顔で蓮を見つめる彼女。悔しいけど、かなりかわいい。蓮は顔から湯気が出そうなくらい真っ赤になっている。
「ありがと」
栗本さんは蓮のデッサンを受け取ると、女友達と美術室を出ていった。蓮はというと、すっかり固まって彼女の後ろ姿を目で追っていた。私は後ろから蓮の背を小突いて、こちんこちんの体を解凍してやる。
「な、な、何やったんだよ! お、お前な──」
「蓮! あんた明日までにデッサン描かなきゃダメだよ」
口をパクパクさせながら抗議する蓮を、私は黙らせる。
「あー! だから、お前が余計なことを!」
「もう一回モデルになってあげるから、ありがたく思いなさい」
私はニンマリと笑うと、グイッと蓮の腕を引っ張る。
「今日、部活休みでしょ? 久しぶりに一緒に帰ろうよ。お隣さんなんだし」
「あー、ウザイ。お前いつも強引過ぎなんだよな」
「そこがあたしの良いとこじゃん。押して押して押して!」
でも、蓮のことは引いちゃった……。
「晩ご飯済んだら、蓮ちに行くから。あ、今日はあたしも蓮ちでご飯食べさせてもらおうかなぁ」
「お前な──」
「今夜はゆっくりデッサンしながら恋の悩みも聞いてあげるし……ね」
蓮はムッとした表情をしながらも、ほんのりと頬を染めている。全く、分かりやすいんだから。蓮が描いてくれたデッサンも、提出が終わったら記念にもらおう。私の一生の宝物にするんだ。
蓮と腕を組んで、私達は美術室を出る。私の転校のことを知ったら、蓮はどんな反応するだろう? ちょっと楽しみでちょっと不安。蓮に泣かれても困るし、無反応でも困る。私は冗談交じりに笑ってさよなら出来るかな? 私もどんなリアクション返せるか、本当はよく分からない……。だから、今日だけは、今だけは何事もない仲の良い幼なじみでいさせて。そしたら、蓮を解放してあげるよ。
今日の蓮は、私だけのもの……。 了
ようやく投稿出来ました! 「授業中の教室」という場所を提案したにも関わらず、今回かなり苦しみました…^^; 途中まで書きかけていた作品が行き詰まり、急きょ全く別の作品に変更。美術室も教室のうちに数えてくださいね〜
場所を特定する物語、というのは初めてで良い勉強になりました。機会があれば、また参加したいです。