第八章 「強奪者たち」
8月11日 PM22:00 日本国東京 総理大臣官邸
8月11日の午後8時21分を期して、宮古島市は完全に通信を途絶した。同時に市内に残留した官民合わせて43名に上る男女の消息もその瞬間に絶えた。本当の衝撃はその後に訪れた。最初は在日米軍の高高度無人偵察機による当該地域上空の偵察写真。その次に、NSC管轄下にある情報収集衛星による当該地域上空の衛星写真のもたらした情報として――
「――敵は、宮古島市に装輪戦車及び増援兵力の投入を始めた模様」
NSCの席上で、情報幕僚が上ずった口調で報告する。その背後の情報表示スクリーンには、宮古島市内に侵入を始めた装甲車両が複数台映し出されている。戦車の様な砲塔を有する装輪式戦闘車両と随伴歩兵の一群、それらはホバークラフトを以て近隣の海岸線から宮古島に闖入し、さらには市役所から市中央病院に跨る宮古島市中枢に浸透を果たしていた。さらには先刻の航空戦で猛威を揮った自走式地対空ミサイルシステム パーンツィリS‐3とスパイクATMの、宮古島空港への進出まで始まっている。
さらには――
「――やつら、こんなものまで運んで来たのか……!」
侵攻部隊の輸送車両に混じり、新たに宮古島空港内に侵入をはたした異形の兵器を前に、臨席する幕僚たちは絶句する。まるで巨大なカブトムシを思わせる装輪式の自走榴弾砲が二両。それらは相互をカバーし合う位置、しかも空港から宮古島全域を射程に収め得る位置で展開し、その巨砲を天に擡げる――ズザナ155mm自走榴弾砲という、スロバキア製のその兵器の名を脳裏で諳んじる事の出来た者は、作戦の専門家たる幕僚たちの間にもさすがにいなかった。そしてこれらの事実は、依然正体不明の敵が下地島から宮古島北部に亘る一帯を半恒久的な要塞に変えようとしていることを雄弁なまでに物語っていた。依然南部に在って、住民の保護と並行し戦力の再編を図っている陸自の残存兵力のみでは反攻はもはや不可能に近く、彼我の格差はさらに広がるかもしれない。
「――宮古島守備隊は残存兵力より遊撃部隊を編成し、増援の到着までこれらの脅威排除に努める方針です」
と、陸上幕僚副長 陸将 山城 元樹 が報告した。上席の内閣総理大臣 眉村 浩香は形のいい柳眉を顰めつつ無言。その彼女の意思を代弁するかのように、官房副長官 奥田 智宏が山城陸将に言った。
「それで侵攻軍の戦力を確実に削ぐことはできるのか? 少なくとも地対空ミサイルの排除は必要だと思うが……」
「侵攻軍の排除は困難ですが、遊撃戦の展開により彼らに絶えず消耗を強いることができます。物理的のみならず精神的にも……」
部隊レンジャー有資格者を主とした敵脅威下での遊撃戦展開は、陸上自衛隊の創設以来揺らがぬ防衛戦の際の基本方針のひとつである。その点はこの場の文民たる誰よりも元自衛官たる眉村総理が理解している筈だが、彼女の表情が晴れないのはやはり、前線の兵士に、圧倒的に不利な状況下で尚も戦闘を強いるかの如き決定に内心で抵抗を感じているためかもしれない……陸上幕僚副長から幕僚連に視線を転じ、眉村総理は言った。
「――先刻、攻撃隊の作戦行動を挫折せしめた長距離地対空ミサイルの発射源についてはどうか?」
眉村総理の下問に、通信用ウインドウを通じひとりの制服幹部が向き直る。横須賀の海上幕僚監部より情勢報告を行う海上幕僚長 海将 迫水 彰人。但しその精悍な表情からは一切の感情と顔色が消えているのが画面越しにも判る。
『――発射源に関する詳細及びその所在、いずれとも情報を収集中であります。ただ――』
「ただ?」
『――米国提供の情報及びこれまでの断片的な物証から分析した限りでは、侵攻発起時に猛威を揮った巡航ミサイルの発射母艦たる大型貨物船の類では無く、より戦闘行動に特化したフネではないかと思われます』
「――――!」
閣僚たちの間からどよめきの声が上がる。眉村総理は嘆息し、口を開いた。
「情報とは、先月在日米軍司令部経由で米国国防省より提供のあった、『母なるロシア』に関する情報のことか?」
『――総理の仰るとおりであります。不明船の正体は『母なるロシア』ではないかと……』
「…………」
眉村総理を始め少なからぬ数の閣僚、そして幕僚が一枚の写真を脳裏に反芻した。場所は南アジア、バングラデシュの首都ダッカ南方海上、打ち捨てられた大型船の犇めく一角に埋もれる様にしてその身を横たえていた「幻のキーロフ級六番艦」。それまで現地政府の財政破綻の煽りを受け、ウクライナの造船所の片隅に在って朽ちるに任されていた彼女を、東欧に本拠を置く実態の知れない貿易会社が買取り、そして中国は重慶に本拠を置くレジャー関連企業に売却されて今に至る。確かその時の名目は「船上博物館への転用」であった筈だが……
迫水海将の報告が続いた。
『――空自機を狙った長距離対空ミサイルは、発射距離及びレーダー波、誘導用信号をデータベースと照合した結果、ロシア製S‐400系列、あるいは中国におけるそのライセンス生産型ではないかと思われます。純正S‐400の有効射程半径は40から120㎞。正常に機能すれば宮古島近海を遊弋しつつ宮古島はおろか近隣の石垣島全島上空を射程に収めることが可能です』
「航空攻撃が困難というのであれば、潜水艦を以て先ず敵の揚陸母船を撃破出来ないのか?」
『――純軍事的な観点から見れば、それは現状では困難です』
迫水が言った。意見を補足するべく、情報表示スクリーンに新たなウインドウが現れる。南西諸島から中国大陸沿岸域に至るまで広域表示された地形図。その中の中国領海域から公海にかけて赤い示標が跨って分布している。示標は有事勃発を機に南西諸島近海に集結を始めた中国海軍の艦艇、情報収集艦、さらには作戦用航空機を表している。それらに対峙する様に分布する青い示標は海上自衛隊の護衛艦と潜水艦、そして空海自の作戦機だが、これら青の示標が赤に対し数的な劣勢にあることは、もはやこの場の誰の眼にも明らかであった。そして赤の示標は時を追う毎にその数を増しつつある――
『――現在、尖閣諸島周辺海域に展開中の我が方戦力はヘリコプター搭載護衛艦二隻、ミサイル護衛艦四隻、汎用護衛艦八隻、潜水艦六隻の計二十隻であります。いずれも北方を遊弋する中国海軍への対処に充てられており、他方面への警戒任務に要する艦及びローテーションを考慮すれば、これ以上当該海域に割くことのできる戦力は我が方にはありません』
「その方面における中国海軍の戦力は?」
『――判明しているだけでも常時展開しているのが航空母艦「遼寧」、071型揚陸艦二隻、072Ⅲ型戦車揚陸艦一隻、051C型駆逐艦二隻、054型フリゲート四隻、補給艦二隻、原子力推進艦二隻を含む潜水艦十隻であります。これらに加え、福建方面より飛来する空海軍の戦闘機及び哨戒機が、常時10機以上艦隊上空を飛行していることが確認されております』
「空母もいるのか……!」
席上の誰かが絶句しつつ言う。2012年になって就役が確認された航空母艦「遼寧」は、ロシアの未成空母の艦体を流用し独自の改修を加えて完成された中国海軍初の航空母艦であり、現状では30機程度の固定翼艦載機運用能力を有するとされる。個艦の性能は別として、今回の「遼寧」展開は、既存の国際秩序に成り替わり得る超大国たるを目指す中国にとって、航空母艦が戦略上も外交上も不可欠の「道具」と認識されていることを雄弁なまでに表していた。要するに「東アジアにおける正義の執行者」としての、介入への強い意志の象徴が「遼寧」というわけだ。
「……平たく言えば、アメリカの『空母外交』の猿真似ですな」
「実は伴っていないのかもしれないが、空母の使い方としては及第点なのだろうな」
防衛大臣 渋沢 兵吾が吐き捨てるように言い、奥田官房副長官が無感動に応じる。その一方、渋沢の口調の苦々しさの中に、ある意味羨望に近い感慨を聞きとった者がこの場に果たしてどれほどいるだろうか……眉村総理が一同に向き直り、口を開いた。
「中国海軍の目的が、護衛艦隊を釘付けにすることで宮古島ひいては南西諸島全域に一種の軍事的な空白部分を形成し、その間彼らの言う介入に足る事実を累積することにあるとは考えられないか?」
『――我々海上幕僚監部としても同意見であります。中国艦隊はそれ自体がいわば『囮』ではないかと……』
恐縮したように迫水海幕長は言う。南西諸島への介入をちらつかせつつ海空自衛隊の対処能力を越える戦力を一度に繰り出し、それにより正体不明の武装勢力による宮古島の制圧、それに伴う日本の当事者能力の欠落という既成事実を進行させる……もし中国側に積極的な攻勢の意思があれば、全面的な対決を避けつつ日本に消耗を強いるという点で、現状は望ましい展開であると言える。
「ふむ……」
眉村総理は頷き、席の近い外務大臣 森下 義郎を顧みた。
「森下外務大臣、中国側の介入意思に変化はないか?」
「中国外務省は東シナ海の平和維持という名の下、我が国南西諸島に独自に介入を行うという方針を未だに崩しておりません。さらには、我が国の対処能力を見切った上で介入を開始する具体的な期限すら明示しておりません……敵の正体が判明しない以上外務省としては交渉のしようも無く、他関係各部門の尽力を以て早期の事態収拾を切に願うものです」
「バカなことを言うな! 外務省は肝心なところを防衛省に丸投げして逃げを決め込む気か!? 相手が国であれテロリストであれ現地に乗り込んででも交渉ルートを作るのがあんたらの役目だろうが!」
渋沢防衛大臣が声を荒げた。鬼瓦のような角顔が、怒りで紅潮していた。森下外相も黙ってはいない。
「では一刻も早くその事態とやらを収拾して頂きたい。もちろん、南西海域の海上交通と住民の安全を確保した上で」
「――――!」
歯を剥き出した渋沢防衛大臣が再び口を開こうとした時、内線電話が鳴った。電話を取り上げた事務官の表情が変わった。「画像を回せるか……?」「……よし、すぐに手配してくれ」――事務官と電話の向こうとの間で僅かな遣り取りが続いた後。送受話器から顔を上げた事務官は国家安全保障局次長 陣内 庫之助に耳打ちする。引き攣った表情が瞬時に彼にも伝播し、陣内は眉村総理に向き直った。
「総理、宮古島の状況が複数の動画サイトにアップロードされております」
同時に情報表示スクリーンが再び宮古島の衛星画像に切替る。港湾より陸揚げされ宮古島市内を貫く国道を走る巨大な車体、その背負う物体を目の当たりにして、困惑と戦慄を覚えることの出来ない者はこの場にはいない。
「弾道……ミサイル?」
国道をひた走る、円筒形の巨大な物体を前に目を見開いた眉村総理の乾いた呟き――それは、進行を続ける「占領」を前に為す術を知らない人々の、募りゆく無力感を代弁しているかのように聞こえた。
8月11日 AM09:30 日本国沖縄県 宮古島市内
全体的にコンクリート剥き出しの暗灰色、最初にその建物を目にした時、ロベルト‐リープクネヒトはそれに彼の故郷ドイツに点在する防空塔の厳めしさを重ね合わせていた。およそ鮮やかなコバルトブルーが海岸線を包む南の島に相応しくない、武骨な建物だと彼は思った。日本人の考えることはよく判らない。
それを差し引いても、指揮所を置いた宮古島市役所が、その屋上に港湾から市全域をカバーする抜群の展望を有することは男としても認めざるを得ない。屋上に一歩足を踏み入れた途端、そこが狙撃と砲撃の評定に適した場所であることをロベルトは確信していた。砲撃誘導用のレーザーデジグネイターと狙撃兵、そして携帯地対空ミサイルを彼は此処に配置させ、これと同じ措置を市内の複数のビルとホテルの屋上にも講じている……「依頼人」は気前がいい。結果として最高の人材を、それも多数従えて仕事ができる環境にロベルトは在る。
戦闘服の上半身に重ねた防弾板、そのさらに上に纏ったチェストリグ、一見すれば重々しい外見ではあっても、均整の取れた彼の筋肉質の体躯が、身に付けた装備に決して見劣りするものでは無いことを、誰の眼にあってもその外見から察することが出来た。背は決して高い方では無かったが、一方でこれまでの戦闘経験と軍隊生活に裏打ちされた精悍な印象がむしろ、胸中に抱える覇気と殺気を活火山のように常時噴出しているように見える。ロベルト‐リープクネヒトはドイツ生まれだが、二年前までフランスの外人部隊に籍を置いていた。最終的な所属部隊は第2パラシュート連隊。アフリカやポリネシアでの前線勤務、そして本土で新兵訓練所の教官を務めた後、ロベルトは指揮官としての適性を買われ、この仕事に誘われて隊を辞めた。除隊をあっさりと決断させる程、提示された報酬は破格で、かつ仕事の内容も魅力的だったのだ。
しかも「依頼人」は、仕事に必要な装備と資金を広大な中国大陸に用意してくれていた。編成と訓練に丸一年が費やされ、そして仕事は今、8月9日の作戦発動以来順調に推移している。近世以来誰もやったことの無い、傭兵による国土の「切り取り」――いや、契約主から見れば軍事力の「外注」と言った方がより内容は正確かもしれない。
「ボス、全員集合しました」
報告に来た部下に、ロベルトは目で先に行くよう命じた。一晩明けた今、本来ならば日本の施政権下に在る筈のこの島の王になった様な気分を、快い朝風とともに今少し味わっていたかった。ただしそれも、何気なく顧みた南の方角に燻る黒煙を見出すまでのことだ。元々険しい眼元がさらに歪み、そしてロベルトは遣る方ないという風に足元に唾を吐いた。
「消火、未だ終わってないのか?」
市南部、宮古島空港の位置、黒煙の下には昨夜自衛隊残存部隊の襲撃を受け炎上したパーンツィリS‐3一両の変わり果てた姿が横たわっている筈だ。ロベルトにしても宮古島空港への急襲が成功した時点で、日本人がこのまま引き下がるとは思えなかったが、自衛隊は勇敢さと無謀という意味でこちらの予想を越えた。彼らは少人数の襲撃隊複数を以て夜陰に紛れて宮古島空港の敷地内まで浸透し、搬入が終わったばかりの地対空ミサイルの破壊を企図したのである。但し攻める側たる自衛隊はその数が少なく支援も貧弱、さらには彼らにとって相手が悪過ぎた。
襲撃の初期こそ不意を突かれ混乱を生じたものの、混乱から立ち直るに足る経験と技術に傭兵たちは恵まれていた。彼らの多くがロベルトと同じく外人部隊の出身者、あるいは彼らの故国において精鋭と称される戦闘部隊に所属した経験を有する。まるで古の「カミカゼ」を思わせる彼らの突進を前に地対空ミサイル一両とズザナ155mm自走榴弾砲一両が破壊されたが、自衛隊の奮戦もそこまでであった。要塞と化した宮古島空港ターミナルからの正確な機関銃射撃と迫撃砲による攻撃を前に日本人の攻勢は止まり、そして下地島からの「航空支援」が加わった。反撃に抗しえず撤退に転じた自衛隊。その退路上に――
「――――!」
禍々しい爆音が急激に宮古島市上空に差し掛かり、そして市役所の直上で停止した。無言のまま頭上を見上げるロベルトの眼前で、両翼にロケットとミサイルの束を提げたMi‐28「ハボック」武装ヘリコプターの機影が旋回し、港の方向に向かい再び前進する。侵攻に先立ち事前に情報収集した限りでは日本の軍隊は精強を謳っていたようだが、結局こいつの火力には勝てなかった。今頃インターネットの動画投稿サイトは、先夜こいつの暗視照準システムに捉えられた日本の兵隊どもの、断末魔の姿で溢れかえっていることだろう。
ロベルト個人の主義からしてみればあまりに悪趣味極まりない行為だが、「依頼人」を通じ現在共闘関係にある中国人どもの要求とあっては、これに意見する論拠を彼は持たなかった。「日本の人民ひいては世界中の人民に、日本政府の主張する領土をたったひとつの島ですら独力で守る能力を持たないという現実を知らしめてやるのだ」――イリジウム携帯電話の向こう側で、本土に在ってロベルトたちの支援を担当した中国政府の役人は傲然とそう言い放ったものだった。
「揚陸船に異状は無いか?」
「その兆候すらありませんね。中国海軍は海上自衛隊を引き付けてくれているようです。これで中南海がうまく国連を足止めしてくれれば後は言うこと無しですな」
「…………」
屋上から降りつつ、ロベルトは口元が笑みを歪むのを抑えることが出来ないでいる。我々は駒だが、歴史に残る大戦略の駒だ。それがロベルトにはひとりの戦士として嬉しく、誇らしく感じられた。この状態を維持しつつ中国が乗り出すまで待ち、後から来る彼らの軍に全てを任せてカリブでバカンスとしゃれ込めればあとは言うことは無い。そして中国人はこの狭い島の外で、彼らの立てた大戦略のパズルを完成させるために立ち回っている。
「おまいら、やってるかー」
屋上での精悍な表情を一変して蕩けさせつつ、ロベルトは会議室のドアを開ける。優に100人は収容できるように思われる会議室では、彼の召集に応じる形で集まって来た部隊の幹部6人が長テーブルを囲み、思い思いの席に腰を下して待っていた。いずれもこの作戦に参加する前は、彼ら個々の故国に於いて歴戦の特殊部隊員として鳴らした猛者である。握り潰されたビール缶が床に転がり、中身を空けられたウイスキーやワインの瓶がテーブルの各所で林を形成している。同じくテーブルにぶちまけられたスナック菓子の中身と乱雑に積み上げられた缶詰の殻をも合わせ、本来は謹厳実直な行政の場である筈の役所を、即製のダイニングバーへと変えていた。これらを何処から調達して来たのか……については、もはや他言を要することではないであろう。祝勝祝いにしては気の早いことだとロベルトは思う。
「失敬してるよ。代金を払おうにも誰もいなかったもんでなぁ」
と、マルコ‐アルビノットが缶ビールを手に陽気な声を上げた。元イタリア海軍特殊部隊。先夜の空港防衛戦を指揮したという実績を慮れば優秀な兵士だが、祖国でマフィアの女に手を出して此処まで逃げて来たという経緯を勘案するに、人間として理想的な同志と見做すのには疑問符が付く……そのマルコが放った缶ビールを受け取り、ロベルトは上席に腰を下した。予想に反し、ビールは冷たかった。
「よかった……予備電源が生きてる間は、美味いビールが飲める」
ロベルトの言葉に一同は笑った。彼らの傍らに銃が無く、彼らがチェストリグやタクティカルベストを着けていなければ、身内のごくありふれた懇談会にしか見えなかったろう。缶ビールを空け、ロベルトはそれを天に掲げる。
「ここまで、心ならずも斃れた同志に」
「同志に!」
全員が唱和し、手にした飲み物を掲げる。そこから、彼らの会議は始まった。「占領」は今のところここまでは順調に進んでいるが、犠牲は皆無だったわけではない。防衛戦力の少なさの割には、敵の抵抗は意外と頑強だった。席上の一人にロベルトは報告を促す。褐色の肌に黒い口髭を蓄えた中肉の男――
「――モハメド、準中距離弾道ミサイルの配備状況を」
「DF‐21発射装置二基、予備弾六発の搬入はこれをすべて完了。一基を下地島、もう一基を宮古島市内に配置。本日正午までには二基全て発射可能状態になる。そうなれば――」
モハメドと呼ばれた男は、一瞬口を噤むようにした。
「――日本の沖縄は言うに及ばず九州から関東、台湾全土さらにはフィリピンのマニラ以北までがDF‐21の射程圏内だ。占領を許した日本にとって、これ以上ない痛手となるだろう」
モハメド‐ヘイシャム‐ハックは元パキスタン軍統合情報局、それ以前には陸軍にあって弾道ミサイル部隊の技術将校として勤務していた。中国への軍事留学経験もあり、パキスタン製の弾道ミサイルがサウジアラビアに輸出された際、運用を教育補佐する軍事顧問として現地に派遣されたこともある。宮古島に搬入された弾道ミサイル本体及び発射装置一式の調達にも初めから関与しており、この局面では尤も重要な人材と言えよう。
「……じゃあ、声明を出すのは昼頃でいいな。日本の首相はさぞかし不味いランチを食うことになるだろう」
一座が再び笑うのを見届け、ロベルトは末席の一人に向き直った。この場で唯一のアジア系の男――
「――ファン少校、いいか?」
「問題無い」
ロベルトに問われ、ファン少校と呼ばれた男は眉一つ動かさずに頷いた。名はファン‐ミン。元中国空軍空挺軍。今回の作戦に当たり少数中国本土から派遣されてきた連絡係――否、お目付け役の棟梁といったところか。それでも「元」と肩書の付く辺り、作戦に参加するに当たって一度軍籍より抹消された身である……という点が現在のファンらの不安定な立ち位置を象徴しており、かつ彼がその位置に敢えて飛び込んだという点からも、ファン自身の今回の作戦に掛ける強い意志を無言の内に物語っていた。「なかなかの愛国者だ」とはこの場の皆の一致したファンに対する感情である。
一同に注目するよう無言の内に促し、ファンは言った。
「海空より攻める術を閉ざされ、あまつさえ喉元にミサイルを突き付けられた以上、日本に取ることの出来る選択肢は無い。かといって我々が優勢でいられるのも僅かな間だ。その僅かな間に我々は決着を付ける。具体的には、第一弾発射後中国政府は在中日本大使を通じ日本政府に警告を発する……事態がこれ以上に危険な段階まで進行した場合、我が国政府は日本に当事者能力なしと見做し、東アジアの平和維持のためその持てる手段を投じて南西諸島に於いて独自行動を取る……と」
「……かくして魚釣島と宮古島に正義の中国人民軍が上陸し、俺たちは『テロリスト』としてあんたらの軍門に下るってわけだ」と、テオ‐ピータースが笑みを浮かべながらに言った。元南アフリカ共和国陸軍の機甲部隊にいた彼の采配で、宮古島に上陸した装輪自走砲群は動いている。テオの言葉に、ファンは涼しい微笑で応じる。
「中国人民は君たちを友人として歓迎するだろう。私が請け合うよ」
「……それで、宮古島占領から先はどうする?」と、ロベルトが発言を促した。
「魚釣諸島及び宮古島の自国領編入。それに続く南西諸島間の遮断……これらの完遂を以て琉球人民に日本からの独立志向を惹起させ、本国からの分離独立を志操せしめる」
「オキナワから切り離されたイシガキやヨナグニは放っといても中国の懐に堕ち、日本政府の権威は失墜……ってところか?」
と、席上の一人がファンに言い、ファンは彼に頷いて見せた。銀色の短髪をした長身の男。名はヨゼフ‐グスタフ‐アブレツキ。この作戦に参加するまでポーランド陸軍特殊部隊「GROM」の一員で、アフガニスタンにも従軍経験のある彼の戦闘経験と能力は、恐らくロベルトをも凌駕するであろう……ただし、一同の中で最も豊富な戦歴を誇る人間は、今回の作戦では下地島の防御を担当しているこの男では無かった。
「ヘドヴィカはどう思う?」
とロベルトに問われ、末席を占める影が煙草を吸うのを止めた。床に落とした吸殻を、タクティカルブーツの分厚い底がにじり潰す。そしてチェストリグを纏った茶色い眼が、まるで子供でも愛でるような光と共にロベルトに向けられた。女の視線とはいえ、この場の男達にとっては悪寒こそ感じても、親愛の情など微塵も感じられない眼光だ。
ヘドヴィカは言った。
「その独自行動とやらをとる具体的な時期は?」
ファンが身を乗り出して言った。
「具体的な時期は北京からあらためて伝えられる手筈になっている。ただ……8月15日までには全ては終わっているだろう」
「8月15日……」
日付を反芻し、ヘドヴィカの眼が僅かに細まった。
「……その日に、日本はアメリカ合衆国に敗けたのみならず中華人民共和国にも敗けたってことになるわけね」
「そういうことだ。ミス‐ヘドヴィカ」
応じるファンの言葉には、純粋な敬意が込められている。元アメリカ合衆国特殊作戦海軍爆発物処理隊というのが、部隊に参加するに当たって公になっている彼女の前歴だが、その前歴と現在の間には少なからぬ空白期間がある。その内実を知っている者が部隊には少数いた。アメリカ陸軍情報支援隊、そしてアメリカ合衆国中央情報局特殊活動課という、決して公にはできない前歴が――前述のアブレツキに至っては、CIA時代のヘドヴィカとアフガニスタンで何度か作戦行動を共にした経験があるほどで……
「……昨夜の伏撃、見事なもんだったなヘドヴィカ」と、何本目かの缶ビールを空けつつマルコが言った。
「アフガニスタンを思い出したよ。あの時も……たくさん殺したよな」と、ヘドヴィカを見遣りつつアブレツキが言う。マルコの口調には含まれていた陽性の雰囲気が、このポーランド人の言葉には感じられなかった。空港防衛戦、それに先立つ下地島制圧で発揮された彼女個人の戦闘力と敵に対する容赦の無さが、この場の男達に改めて畏怖を喚起させているかのようだ。だが当のヘドヴィカは呆れたように嘆息し、缶ビールを手に席を発つ。
「感傷に浸っている暇があったら、パトロールにでも出たらどう? あともう少しなんだから」
会議室を去る彼女を止めるに足る話題は、すでに無かった。
出水 真弓の眼前で亡骸は容赦なく積み上げられ、それは昼近くになっても尚途切れることはなかった。
最初はご丁寧にも専用の死体袋に詰められて病院の待合室に集め置かれたそれらが、やがてはカーテンやシーツに包まれて荷物のように持ち込まれて積まれるにつれ、滲み出た血がリノニュームの床をどす黒く染め始める。彼らの扱いは乱雑だったが、山野に棄て置かれるよりは良かれと思い真弓が頼んだ遺体の回収だった。待合室を占める死体の山。昨夜、敵中に陥ちた宮古島空港を攻撃した自衛隊員の、変わり果てた姿――
「…………」
同じく変わり果てた自身を、噛締めるように真弓はじっと手元を見る。白衣も、そして両手もすっかりと血で汚れ、肌には人血と死体の臭いが染み付いていた。今に至るまでまる半日を真弓は「彼らの野戦病院」と化した中央病院で過ごしている。彼らとて人的被害は予想外に多く、市内に残っていたただ一人の医師たる真弓は、彼らの問題を解決するに当たって格好の人材と見做された。半ば脅迫混じりの彼らの要求を真弓は容れた。同じく捕えられた住民と医官たちの生命の保証と、奮戦虚しく散った自衛隊員の死体回収を条件に――それが、真弓の為し得た精一杯の「抵抗」だった。
待合室の椅子に坐り込み、呆然と死体の山を凝視する内、熱いものが真弓の汚れた頬を伝い溝を為す。周囲には見張りの兵士がいたが、彼らのことなどもはや真弓の意識の内には入らなかった。肩を震わせ、外聞も無く泣き始めた真弓の背後に歩み寄る気配がひとつ――
「――――!?」
頬に充てられた缶ビールは、悲しみにその半ばを埋めた真弓を覚醒させるのに十分な冷たさを持っていた。飛び上がる様に頭を上げた真弓の、涙に腫れ上がった眼差しの先で、病院で真弓を捕えたあの女が、口をへの字に笑わせて缶ビールを差し出している。確か名は、ヘドヴィカと言ったか……
「飲みなさい」
「…………」
呆然とし、次の瞬間には缶ビールから顔を逸らす様にする。不条理に対する怒りというより子供っぽい強がりが、真弓にそのような素振りをさせた。それを鼻で笑い、ヘドヴィカは手にした缶ビールを空けた。
「勇敢なるサムライ達に」
凛として語り缶を天に掲げ、一口含む。なおも飲もうとしない真弓の隣に椅子を乗り越える様に跨ぎ、ヘドヴィカは座った。
「泣いてばかりじゃダメ。こういう時は逆に愉しまないと」
「……どうしてこんなことをしたの?」
「頼まれたのよ。この島を夢の国にしろって」
「…………?」
酷い冗談だと思った。まさにその感慨の赴くまま真弓は顔を上げ、ヘドヴィカを睨んだ。自分でも、怒りに顔が引き攣っているのが真弓には判った。
「怒った? ドクター?」
媚を売る様な、おどけた笑顔が真弓を迎える。まるで女子高生が同性の級友をからかう様な笑顔だ。
「……呆れた人ね」
溜息をつき、水滴の浮いたビール缶を取る。プルタヴを捻るや凝縮されていた炭酸が泡と共に勢いよく飛び出した。それには構わず口を付けた注ぎ口から冷たい液体が喉に流れ込むのを感じる。量にして半分近くを一気に飲み干す僅かな間、魔界から人界に戻ったかのような人心地を真弓は覚えた。同時に、不穏な感触が周囲、ひいては病院全体を覆いつつあることに真弓は気付く。何より、地面が小刻みに震え始めていた。
「地震……?」
「もう昼ね……そういえば」
ルミノックスの腕時計を覗き、ヘドヴィカはそれとなく言った。腰を上げ、真弓にもついて来るよう促す。平時と一転して武装した外国人に固められた病院の正面玄関を潜った瞬間、何かが燃える爆音が耳を圧し、ガラスが一斉に震えた。振動は烈しく、真弓はその場に蹲ろうかと身構えた程だ。慌しく外に出、背後を顧みた先で空を仰いだ瞬間、真弓は我が目を疑った。
「そんな……!」
「あら綺麗」
発射源は病院からあまりにも近かった。毒々しい白煙を曳き蒼空に昇る光、それは飛行機の到達し得る高度を遥かに飛び超えて白い軌条を東へ東へと延ばしていく――それが何であるか、詮索する心理的余裕を真弓はもはや持ち合わせていなかった。
『――弾道ミサイル、本土近海に着弾』
凶報は、即座に日本全土を駆け巡った。
発射源は宮古島、そこから延びた放物線は二条、一条は九州、長崎県近海に達したところで止まり、もう一条は関東方面の太平洋上の一点に延びた処で止まっている。それが何を意味するか有事の当事者のみならず、それまで南西諸島情勢に無関心を装っていた人々にもはっきりと判った筈である。
情報封鎖は行わなかった。インターネットが隆盛するこの時代に出来る筈が無かった。何よりも着弾から五分後、武装勢力は海外の複数の有力な動画掲載サイトに発射から着弾に至る全ての経過を公開したためだ。この点、日本側は先手を打たれ通しであった。
『――我らは、海の民である』と、その動画の中で武装勢力は名乗った。発言では無く、テキストの表明という形で彼らの主張は行われた。
『――我らは海より来たりて海に還る。我らは領土を欲せず、しかして陸を侵して生きる糧を得んと欲す。かくして以下に、我らの日本政府に対する要求を明示する』
動画の中で、画面が再び切替った。それが動画の終わりであった。
『――日本政府は南西諸島方面より全ての自衛隊を武装解除し、南西諸島海域の安全保証料及び撤退に要する経費10兆円相当をユーロまたは元建てで支払え。支払いは支払日前日の確定レートで、世界各地に所在する下記の指定口座5つに均等額を送金することを以て行う。送金が確認された後、我々は占領状態を解除し速やかに撤退を開始する。8月15日までに武装解除と要求金額の支払いが為されない場合、我々は弾道ミサイル第二波を日本本土に向け発射する。弾頭は通常のものでは無いことをここに明言しておく。質問の類は掲載したサイトの掲示板上でのみ受け付ける。日本政府以外の人間の書き込みもこれは歓迎する。我らは、日本政府の誠意ある回答を求める』
彼らの「犯行声明」は、そこで終わっていた。
「――東京都内及び周辺の各高速幹線道路では、すでに大規模な渋滞が発生しております」
と、国内治安担当の国家安全保障補佐官が冷や汗を隠さず報告する。つまりはパニックが発生していた。かの東日本大震災の時、被災した原子力発電所から漏洩した放射能の拡散を恐れ、一部の都民及び関東圏の住民が西日本への脱出を図るケースが発生したが、今度はそれが逆になった。人々は車を連ねて弾道ミサイルの射程外――かつて彼らが放射能の発生源と忌み嫌った北へ北へと離脱を図り始めたのである。
「バカなことを!……この狭い日本じゃ、何処へ逃げたところで同じだろうに……!」
と、渋沢防衛大臣が吐き捨てる。一部国民の行動が身勝手なものに見えたことに怒りを覚えた一方で、国民一丸となって国土防衛に邁進する意識がなかなか形成されないことに、内心で焦りを感じているのだろう。
「発射された弾道ミサイルは二発、警戒レーダーが捕捉した軌道及び飛翔距離、終末速度から勘案するに、中国製のDF‐21準中距離弾道ミサイルと思われます」
もうひとりの補佐官、軍事技術情報担当の国家安全保障補佐官が報告する。情報表示スクリーンに映し出された宮古島の発射地点では、すでに第二弾の装填作業が始まっていた。高高度無人偵察機から確認し得る手持ちの弾道弾はあと四発だが、武装勢力が実際に何発を保有しているかはこれだけでは判らない上に、最も恐るべき核弾頭保有の是非も判然としない。
「ではやはり中国が……」
「そう判断するのは早計ではないかと思われます。輸入という形でDF‐21を運用している国は他にも存在します」
「何が言いたいのかね?」と、渋沢防衛大臣。
「最も有力な供与元は中国ではありましょうが、それ以外の国から何らかの経緯で武装勢力に渡ったという線も考えられるのではないかと……さらに判明している限りでは、武装勢力は当初我々が想像していた以上に強力な陣容を有するようです」
「どういうことかね?」
補佐官が末席の幕僚たちに目配せする。補佐官の眼を見、情報源たる幕僚たちが同意の眼差しを見せたのを見計らい、補佐官は続けた。
「装備の充実ぶりもそうですが、彼らはいわゆる傭兵です。それもほぼ全員が彼らの故国において、いわゆる特殊部隊あるいはそれに準ずる精鋭部隊に在籍した経験を有するプロであります。つまりはこの世界で最も高度な軍事教育を受け、最先端の戦争を知っている連中です。漏れ聞こえた詳細によりますと、彼らの中にはかの『有志連合』の一員としてイラク及びアフガニスタンでの特殊作戦に長期間従事した者もいるとか……」
「…………」
防衛大臣は言葉に詰まり、入室した秘書官が森下外務大臣に紙片を渡して彼の耳元に囁いた。紙片を凝視する森下の表情が一変し、彼はその表情のまま上席の眉村総理へと向き直る。
「総理、中国政府から通告です。8月13日までに事態打開の兆候が認められず、日本政府がテロリズムに屈したと判断された場合、中国は東アジアの秩序回復のため独自行動を取る……と」
「具体的には何をすると……?」
「明言している範囲では、尖閣諸島及び宮古島に軍を進駐させ、テロリストの掃討を行う……とあります」
「やってみればいい! やつらにそんな力があるのならば!」
「中国の言い分は横暴だが、現状では我々にも分が無いな。何よりも、脅威を排除するハードウェアが圧倒的に不足している」
渋沢防衛大臣の怒声を制するように、眉村総理は言った。「他に変化は?」
「九州近海への弾道ミサイル着弾を受け、近隣の韓国海空軍の動きが活発化しております。現在、済州島沖に海軍駆逐艦3隻、フリゲート艦6隻の遊弋を確認、その他空軍のF‐15K及びKF‐16が常時8機態勢で半島南部の我が国領空域との境界付近で戦闘空中哨戒を開始した模様です。一部は我が国領空に侵入したという報告も入っております」
「火事場泥棒というやつか……!」
誰かが呻く声が聞こえる。それを窘める者は今や日本の中枢にはいない。他者より抜け駆けた欺瞞と蠢動こそが、今更ながらに日本人の鼻先に突き付けられた東アジア世界の現実であった。
「私は中国に南西諸島を委ねる積りは微塵もない。そのためには実行面での裏付けが必要となる。そこでだ……」
眉村総理の言葉が響く。硬質な響きを前に、一同が押し黙る。そこに、新たな意思が示される……
「…………」
「私は自衛隊にかかる事態の打開を命じる。佐々井幕僚長、受けてくれるか?……というより現有の自衛隊の戦力で命令の実行は可能か?」
「問題ありません」佐々井統合幕僚長は席より起ち、上席に向かい深く一礼した。
「自衛隊は万難を排し、宮古島を奪回します」