第二章 「無機なる船」
8月2日 AM10:00 日本国神奈川県 自衛艦隊司令部
73式小型トラックは暴れ馬を思わせる挙動で自衛艦隊司令部の敷地内に入り、だが空いた駐車スペースに寸分違わぬ精緻さでピッタリと止まった。広い駐車場には、同じ73式小型トラックの他に陸警隊仕様の高機動車が数台、出入口を固める様に並び、それ以外には公用車たる黒塗りのクラウンや業務用バンが並んでいる。車の列を縫うように、真白い半袖の常装姿の男が大股に歩き正面玄関を目指して歩く。
「特殊舟艇隊の堀内です。三須一佐に面会したいのですが」
「堀内一尉ですね。三須一佐より言伝を承っております。こちらへどうぞ」
アポ無し――いや、本人に一言電話を入れるというそれらしいことはしたが――当初難渋を予想した当直室での折衝は、呆気ない程簡単に済んだ。もっと根掘り葉掘りと彼自身の素性と面会目的を聞かれるのではないかという恐れは、自衛艦隊司令部の玄関を潜った先、堀内一尉を案内してくれた中年の女性幹部を前にいとも容易く霧散してしまう。自衛官というよりはスーパーの食品売り場で食品サンプルを手に立っていそうな、愛想のいい女性幹部だった。
正式には幹部常装第三種夏服と称される、半袖の開襟シャツを主とする制服は見た目の清新さとは違い、それに久しぶりで腕を通した堀内には窮屈で、動きにくく感じられた。とっくに着なれた特殊舟艇隊制式のクレイタイプ、スカイブルーを基調にしたデジタル迷彩作業服のまま赴くことも考えたが、一定の格式が重んじられる上級司令部でそのような無作法を冒すわけにはいかず、だいいちクレイタイプのコンバットユニフォームが行き渡っている部隊が全自衛隊でも未だ限られていることを考えれば、防機保持の観点からも賢明とは言えなかった。
当直室が呼んだのか警備隊の腕章を付けた海士が現れ、堀内一尉を先導するようにした。自衛艦隊司令部としての格式に相応しい、真白いセイラー服姿の警務隊員、だが彼の腰に巻かれた特殊警棒と自動拳銃の収まったサスペンダー付きホルスターが、部外者の無思慮な踏み込みを許さない威厳をいち海士の背中にも纏わせている。ただし、エレベーターに乗り、入り組んだ廊下を何度か曲がる間、どうやってこいつを「制圧」してやろうか……などと考えるのは、さすがにこの男の悪い癖であったが。
司令部庁舎の奥を歩くにつれ、何時しか床には赤絨毯が敷かれていた。そのさらに奥へと進む内、内壁の調度が一気に半世紀の年月を遡ったかのように古くなり、マボガニー材の扉が居並ぶ広い廊下に出る。その中で最も奥まった場所に位置する扉の前で止まり、衛兵は扉を開けた。部屋に入るのと同時に調度品の発する樟脳の匂いが鼻に付いた。その大元は応接エリアに肥ったセイウチのような全体を横たえるソファーだと直感した。堀内が部屋に入るのを確かめるように扉が閉まり、一人残された堀内は肩で息を吐いた――迂闊な呼吸すら許さない過酷な異空間にいるような、息が詰まるような気分。堀内は歩を進め、ソファーにどっかと腰を下した。応接エリアに隣接する棚、それを飾る幾つかの艦艇模型に眼が向いたのと同時だった。
「…………」
ガラスケースに収まった一隻……堀内一尉が興味を惹かれたのは、同じく棚に収まっていた如何にも空母然とした「ひゅうが」型ヘリコプター搭載護衛艦ではなく、それに隣り合う様にして収まっていたもう一隻の艦影に対してであった。
「…………?」
長大な艦体に、後部に集中して配された艦橋と煙突、さらにはそれと一体化したヘリコプター格納庫とヘリ甲板……海上自衛隊でも最大クラスの全長と基準排水量とを有する「ましゅう」型補給艦の特徴を兼ね備えたそれを、単に「ましゅう」型の一隻と言いきるには、その外見は余りに奇妙であった。何よりも補給艦に必須の、その上甲板の過半を占めている筈のサイドフォークと補給ステーションがその艦には付いておらず、ただ大地の様な平坦のみがそこに存在を許された形となっている。補給艦とも戦闘用艦艇とも呼べない、まるで出来損ないの貨物船でも見る様な艦容……否、そうではないことは、その平坦な前部甲板と艦尾の一隅を占める各一式の垂直発射装置、艦首部と艦尾ヘリ格納庫上部の専用ステーションに配された20㎜回転銃身式機関砲CIWSからわかる。つまり、この姿こそが就役を果たしたこの艦の完成形なのだ。それに、この艦はほぼ同型の「ましゅう」型より艦尾が延長されていた。漠然と全長を言い表すならば260メートルはあるだろうか? あの戦艦大和も確か、全長だけならばこいつと同じくらいはあっただろうか……それ以上に奇異な部分を見出し、堀内はさらに目を凝らすのだった。
それは艦橋だった。ステルス性を意識した、傾斜の付いた艦橋とマストは「ましゅう」型の特徴の一つであったが、その艦橋の上に載せられた多角形の構造物を、最初は訝しげに、やがては愕然として堀内一尉は見遣ってしまう。艦橋の最上部を占める多角形の構造物、それを構成する面の全てに、すっぽりと嵌め込まれる形で見受けられるフェアリングアンテナを有する艦艇は、海上自衛隊広しと雖も限られてくる筈であった。
「FCS‐3か……」
呆然として、あるいは自分の言葉を信じられないとでも言う風に堀内一尉は呟いた。「あきづき」型護衛艦、「ひゅうが」型ヘリコプター搭載護衛艦に搭載されている射撃管制装置にして、広域目標評定装置である筈のFCS‐3。索敵範囲と目標の追尾能力だけならばイージスシステムに匹敵するとされる索敵能力を有するそれを、補給艦の出来損ない、さらに言えば全く素性の知れない艦が搭載していること自体、堀内一尉の様な部外者にしてからか想像の外であった。ミサイルや機銃も含め、これらの装備を試験するためだけにしてはこの艦は大き過ぎ、容積には無駄があり過ぎる。こいつは一体――
「――『とうや』だよ」
「――――!?」
不意に呼び掛けられ、堀内は反射的に立ち上がった。折り目正しく真白い第一種常装に身を包んだ壮年の幹部。顔も年齢相応に痩せ、皺を刻んでいたが、頭頂部を飾る短髪が銀色に輝き、眼差しも劣らず鋭い光を湛えている。そして均整の取れた背丈を貫く芯は太く、それが相応の鍛錬の末に作り出された、実年齢に不相応な体幹であることを見る者に感じさせた。階級は、一等海佐。
「…………」
唖然としたままの堀内の肩をポンと叩き、幹部は歩き出した。右手で杖を突き、左脚に全体重を預け、右脚をぎこちなく動かして進む……それでも、見る者に危うさを見せない歩調でソファーにより、堀内に対面する位置に腰を下す。二年前、訓練中の事故で右脚を失わなければ、恐らくは今でも古巣の海上自衛隊特殊舟艇隊にあって後進の指導に当たっていたかもしれない。未だ特殊舟艇隊にあって正隊員ではなく候補生扱いであった頃、彼――三須 宗次郎 一等海佐――の薫陶を受けた堀内一尉としてもそれは残念なことであり、負傷が一面では彼に特殊作戦幕僚として中央への参画を促すこととなった点では、複雑な感慨を以て受け止められることであった。
笑顔をそのままに、三須一佐は懐から煙草を取り出した。刻印を巻いたハバマ産の葉巻、それを堀内に見せる。煙草を吸わない堀内は口元を綻ばせた。部下の了解を得て三須一佐は喉を鳴らし、慣れた手つきで吸い口を切り、ジッポーのライターで火を付けた葉巻の煙を、美味そうに吸い込み始める。
「先週、国家安全保障会議に出た。フィリピンの件だ」
「それで?」
「俺の事後報告を、総理は熱心に聞いておられた。技術的な点でも幾つか質問をされてね、同席の幕僚長や自衛艦隊司令官も御満悦だったよ。俺としても古巣の、それも愛弟子の大殊勲は鼻が高い。たとえそれが、決して公には出来ない作戦であっても……お前さんはよくやってくれた。御苦労さんだったな」
平然としているが、三須一佐の言葉は、現下の日本を取巻く安全保障環境のクリティカルさを明瞭なまでに物語っていた。先年に取りきめられた日比間の安全保障協定の中で、政府間で事前の合意があれば、自衛隊がフィリピン国内の基地を拠点に自由な作戦行動を行える事が決まっているが、その際に日本がフィリピンの国防に関し、日比合同参謀部的な機関の裁量内に於いて一定の責任を持つという事項もまた非公開の状態で決まったのだ。堀内ら特殊舟艇部隊の派遣も、これらの文脈の中で正当化されたと言える。自衛隊による特殊作戦は成功し、フィリピンは独力で国内の反政府組織に大打撃を与えることに成功した――それが表向きの情報開示であり、将来に亘る歴史的事実となるであろう。だが――
「――その、フィリピンでの任務のことなのですが……」
語を継ごうとした堀内を、三須一佐は制するようにした。
「わかっている。だから、『とうや』のことだろ?」
「え……?」
三須一佐の言に、堀内は我が耳を疑い、そしてガラスケース中の模型を見遣った……あれが、先月の任務と何の関連があるというのか?
「そうだよな……お前さんらはこう命令されたんだっけ。敵基地付近に浸透し、目標の正確な位置を報告しそれをレーザーで評定する。然る後に離脱せよ、と」
堀内一尉は頷いた。思えばこれ程奇妙な命令もない。一兵の味方も損なわず、一人の敵兵も殺さず、ただ単に「目標を見てくるだけ」の任務――だが、その結果生み出された人智を超えた破壊の光景は、未だに堀内の脳裏を捉えて離さなかった。
「防機なのでしょうが、一体何をやったのか、小耳程度でもよいので挟んで置きたいと思いまして。あれは何なのですか? 誘導爆弾? 巡航ミサイル? それとも……」
「いいよ。教えてやろう」
あっけからんと、三須一佐は言った。杖を支えに億劫そうに立ち上がる。思わず身構えた堀内の眼前を飄々と棚まで歩くと、例のガラスケースの蓋を開ける。まるで親しんだ玩具を見出した子供の様な手付きで「とうや」の模型を抱き、そして彼は再びソファーに腰を下した。
「実は、おれもこいつのことを初めて知ったのは国家安全保障会議の時なんだ……おったまげたよ」
興奮を隠すまでもないと言いたげに声を弾ませ、三須一佐は模型を応接机の上に置く。彼の手が、「とうや」の上甲板に触れ――
「あっ……!」
驚愕するよりまず、感嘆の声が漏れた。まるで子供向けプラモデルのギミックでも弄るかのような模型の変形……次の瞬間には、堀内は眼を何度も瞬かせて模型に起きた変化を注視するしかない。
「三須一佐……これは一体」
「こいつが、怪物の正体だよ」
断言する三須一佐の顔には、会心の笑みが在る。
2014年7月27日 出だしの箇所を多少修正。