第十二章 「復活の大海獣」
8月11日 PM23:40 日本国沖縄県 沖縄本島南西沖 試験艦「とうや」
『――全目標撃破!』
砲雷長 櫻井 詩織 一等海尉の声が艦作戦指揮室に響いた。未だ発射装置を手にしたままの彼女のみならず、艦の運用を与るオペレーターのほぼ全員がSMCの前面を占有する広角ディスプレイを注視し続けている。
ディスプレイの一角、表示された宮古島全土の地形図の中で、重要攻撃目標とされた二基の弾道ミサイル発射装置に「撃破」を示す×印の指標が重なる。そこにさらに、浸透を果たしたSBUの位置、今なお宮古島に在る武装勢力の配置が加わり、最大の脅威を排除し得てもなお予断を許さぬ戦況にあることを、それを目の当たりにする者に感じさせた。
「対地戦闘を継続。再度の攻撃要請に備えよ」
SMC最上階の指揮シートに在り、艦長 黛 吾郎 二等海佐は告げた。この部屋を占有しつつある緊張の弛緩から超然とした、燗とした響きを彼の無感動な声は有していた。戦況表示を与るディスプレイ中の地形図、海上に新たな指標が出現する。石垣島から発進した水陸両用戦部隊。「とうや」の砲撃により彼らは沖縄との連絡線途絶という最悪の事態から脱して反撃に転じ、「とうや」の当面の任務は、友軍の奪回作戦の推移をモニターしつつ、彼らの後背に在って自在な火力支援を提供することにある。
『――那覇よりF‐15J戦闘機発進しました。数四、目標宮古島の敵残存戦力』
ディスプレイ上の地形図の縮尺が変わり、作戦機の飛行経路を示すラインが沖縄から宮古島に向かって伸びる。それは同時に、先刻までの弾道ミサイルとは別の脅威に対する配慮の必要を黛らに喚起させる。
「電測士、『母なるロシア』は追尾出来ているか?」
『――重要目標K、石垣島南西より二百キロメートル前後の距離を維持しつつ遊弋中』
「本艦との距離は?」
『――約二百五十キロメートルです』
「Kの排除命令はまだ下りて来ないか?」
『――命令まだ。具申いたしますか?』
と、櫻井一尉が応じた。彼女に向かい目を細め、黛は言った。
「では、東京にこう通信を送ってくれ。『我、対艦戦闘の用意あり』と……」
『――わかりました』
櫻井一尉の表情に凛とした笑顔が滲む。彼女が自分の意図を「心得て」くれたこと、彼女もまた「とうや」の力を試したがっていることを、黛は彼女の表情から察したのだった。
8月11日 PM23:45 日本国東京都 総理大臣官邸
『――「とうや」より入電、「我、対艦戦闘の用意あり」』
危機管理センターに「現場」からの報告が入ったとき、その内容を不遜だと思う者は国家安全保障会議メンバーの中には皆無であった。それは現時点より遡ること一時間近くに亘り、彼らがモニタリングという形で「とうや」の威力を目の当たりにしたひとつの結果でもあった。
宮古島の全容とその周辺海域を表示した広角ディスプレイは、戦況がこと宮古島に限り以後の敵拠点の撃破と増援投入に支障ない程の優勢を回復していることを示していた。島南西部において再編を終えた陸自の残存部隊が既に野原岳に進出し奪回を報告している。敵の抵抗は微弱だった。何よりも艦砲射撃の結果としての唐突な指揮系統の破断が、彼らの前線指揮官をして市内への後退を独断せしめたように一同には思われた。
一方、宮古島北部――目標評定の任務を帯びて島内に侵入し、任務を完遂した特殊舟艇部隊は尚も市内に在って遊撃戦を展開している。市内の何処かに軟禁されている残留市民の居所を探るためだ。彼らの行動を容認するか、疲弊の極にある彼らを一度島の南部まで後退させるか、あるいは万難を排し回収するか、再度の決断が必要な局面に差し掛かりつつある。
「――あとひと押しですな。あのキーロフ級を撃破しさえすれば我々の勝利は確実なものとなります」
と、国家安全保障局次長 椙山 充生が言った。
「『とうや』には現海域に留まり地上部隊の支援を継続させたい。現状で『とうや』以外にキーロフに対処し得るオプションはあるかね?」
防衛大臣 渋沢 兵吾が、統合幕僚長 海将 佐々井 忠一に向き直る。佐々井は頷きつつ応じた。
「築城からASM‐2空対艦ミサイル搭載のF‐2が八機発進、現在宮古島に向かい東シナ海上を飛行中です。キーロフを攻撃した後那覇に帰投し、再度の出撃に備える予定であります」
「戦闘空域到着までどれくらいかかる?」
「四十分は見て頂けませんと……それ以外には申し上げ様がございません」
二人は意見を交わし、共に同じ方向へと向き直った。彼らが正対した先――会議室の上座――で、内閣総理大臣 眉村 浩香は先ず佐々井に白皙の頬を向ける。
「統合幕僚長、『とうや』の火力を以てキーロフを制圧することは可能か?」
一礼し、佐々井統幕長は応じた。
「現段階では、『とうや』の有する火力が対地支援及び中小艦艇を目標とした対艦戦闘に有効なることは既に実証されております。ただし、『とうや』と同規模の艦体を有し、兵装も拮抗する大型艦艇に対する限りでは全く不明確としか申し上げられません」
「……では、『とうや』を一時キーロフの攻撃圏外まで退避させるか?」
「ですが、中国の出方が読めない以上早めに片を付けませんと……」と、 官房副長官 奥田 智宏が表情を曇らせる。
「ただ……現場からすれば敵の排除に自信があるようだ」
「そのようです。しかし二隻の護衛艦を撃沈した相手です。安易な接敵は危険ではないかと」と、渋沢防衛大臣が言った。眉村総理はそれに頷いて応じる。防衛大臣の意見に聞くべきものを見出したがゆえの挙作だが、この時の彼女には別の思考が過ぎった様にも見えた。
「佐々井統幕長、『とうや』の指揮官は誰か?」
「はっ……黛 吾郎 二等海佐であります」
「優秀な男だな」
「…………!」
佐々井海将補は軽い驚愕と共に彼の指揮官を凝視した。「とうや」の艦長について、総理が即座にそこまで言い切るのが彼には意外であり、奇異でもあったのだ。
「幕僚長、『とうや』宛に打電して欲しい。キーロフとの交戦を許可する、と……」
「おやりになりますか? 総理」
「艦長が脅威の排除に自信があるというのなら、私としては彼に自由な裁量を与えたい」
「はっ……!」
佐々井統幕長は頷く。今や実質的な脅威がもはやひとつに絞られ、それに対する手段が幾つも用意できる……であれば、試行の余裕もまた生じるであろう。
8月11日 PM23:50 日本国沖縄県 沖縄本島南西沖 「母なるロシア」
『――「ユグドラシル」、発射位置を特定。画像出します』
「遅ぇんだよ。馬鹿!」
オペレーターの報告に、セルゲイ‐ククシュキンは露骨に不機嫌な表情を隠さなかった。オペレーターの背凭れを背後から蹴飛ばしそうな、乱暴な口調だった。平坦な広角スクリーンの一端が切替り、宮古島の南西に反応があることを報せる。次にはユグドラシルシステムの端末を為す画像監視衛星が拡大像を表示した。波間を割り洋上を進む巨艦の影が独つ――
『――艦影、データベースと照合します』
オペレーターがコンソールに指を走らせる。艦船データベースに記録された情報と画像の艦影が自動的に照合され、それは彼らにとって意外な結論をもたらした。
『――艦種、海上自衛隊「ましゅう」型補給艦と思われる。しかし……』
「しかしとは何だ。しかしとは……!」
『――艦上構造物に少なからぬ相違を視認……これは……!』
「――――!?」
画像処理を進める内により鮮明さを増した画像に、セルゲイは思わず指揮シートから身を乗り出した。艦上で蠢く砲塔がふたつ。それは宮古島の所在する方位に砲身を向けたまま微動だにしていない。期せずして言葉もなく、眼前の光景を驚愕に顔を歪めて注視するセルゲイの姿があった。
「戦艦かよ……!」
辛うじて振り絞った自分の言葉ですら、今のセルゲイには信じることが出来ずにいる。巨砲を振りかざし洋上を驀進し続ける巨艦――その組み合わせに、今では洋上から絶滅した筈の「大海獣」の姿を重ねたのは、実のところセルゲイだけでは無かった。同時に、名状し難い憤怒が込み上げて来るのを彼は抑え難くもある。
宮古島に攻め入った仲間たちは、あいつに殺られたのか!――遡ること一時間前に一切の連絡を絶った同志たちの末路を、セルゲイは今更のように察した。「UAVを向かわせろ! あいつも沈めてやる!」
前方監視用UAVを示す指標が、戦術情報表示端末内の地形図上で移動し、目標と接触する態勢を取るのが判る。専用UAVはユグドラシル衛星群を介した電波通信の恩恵により、従来型のUAVに比べ長距離を飛行でき、かつ高い耐妨害性をも有する。今回の仕事ですでにこいつの高性能は証明されているが、いま一度、日本人にこいつと「母なるロシア」の威力を見せ付ける必要がありそうだ。
「ユグドラシル。やつを追尾しろ。発射筒AからEに目標情報入力」
『――ユグドラシル、目標補足。目標情報入力!』
衛星画像、その中で航行中の目標に円形のシーカーが重なり、同時に目標の座標、針路、そして速力が表示される。自動追尾モードに入った衛星は「母なるロシア」に目標情報を送信し、情報を受信し発射可能状態に達した対艦ミサイルが、火器管制表示の中で赤い指標を為して浮かび上がった。その数五発。
『――目標、転針しました。こちらに向かって来ます! 距離二百!』
「此方に気付いたか……!」
心の底から悔しそうに、セルゲイは歯を食いしばった。ただし此方の存在を察知されたところで倒される気がしなかった。単に砲を担いでいるだけの敵に、重武装ミサイル艦たるこちらをどうこうできるとは思えなかったのだ。相手の真価を知り様がない以上、これは当然の判断と言えるのかもしれない。
『――目標依然移動中! ミサイル何時でも撃てます』
「全弾発射! 捻り潰せ……!」
上げた手を躊躇なく振り下す。そこからの先の手順に、一切の手心も躊躇も無い。
『――目標Kより誘導弾発射を確認!』
緋い戦闘照明の満ちる中、ASEG‐001「とうや」艦作戦指揮室に電測士の声が響く。メインディスプレイの一枚を占める目標追尾画面、目標Kと呼称される敵性指標から延びるミサイル軌道は加速と上昇を続け、その数は時間差を置いて5に増えた。
『――誘導弾発射基点、本艦より百八十七キロメートル北東。現在毎時三十ノットで南へ移動中』
『――誘導弾AよりE、高度一万突破、尚上昇中!……機種判明しました。P‐800ヤホントと思われます!』
戦術コンピューターに付属するデータベースによりその素性を割り出されたP‐800の場合、毎時マッハ2の高速を以て比高二万メートル以上の高高度を巡航し、終末誘導段階では目標上空より降下しつつ加速し突入する。先刻の対地戦闘で、目標Kこと「母なるロシア」にこちらの所在を察知された可能性は既に高くなっていたが、先方に容易に攻撃を決断させる程正確な位置を掴まれていたのは、指揮シートに在る黛からしても予想外ではあった。目標Kをして攻撃用のレーダー波を照射せず、速やかな対艦ミサイル発射を可能にした技術的要因は――
「――――!」
地上位置把握システムか!――彼自身指揮を執る「とうや」にもそれが組み込まれているが故に、黛が結論を導き出すのは速く、同時に気が急く。衛星軌道上からの誘導であれば、一切の防護手段も欺瞞手段も無に帰すことなど造作も無いことだ。先刻まで「母なるロシア」を追尾していた二隻が易々と撃ち沈められた理由も判ろうというものであった……それでも固まった撃破への意思は、部下への新たな指示となって表れる。
「左対空戦闘用意。主砲弾頭近接信管。電測士、ヤホントの予想経路出せるか?」
『――すぐに出ます』
応答と同時に、戦術情報表示ディスプレイが切替り、対艦ミサイルの予想軌道が表示される。ヤホントは時差を付けて五発発射されたが、戦術コンピューターの弾き出した予想軌道はそれらが目標への同時着弾を指向していることを示していた。黛の指揮シートの下層、砲雷長たる櫻井一尉が指示を待ち此方を見上げていることに気付き、黛は彼女に向き直る。
「砲雷長、狙えるか?」
「お任せ下さい艦長。『とうや』ならばできます」
一瞬に近い沈黙を、ふたりは互いの眼差しを確かめ合う様に費やした。ふたりは同時に頷き、決断がその後に続いた。
「直撃を狙うことはない。目標と交差する弾道を取ればよい。諸元が出次第射撃せよ」
『了解! 弾道、目標交差コース。諸元出ました!』
戦術情報表示ディスプレイの上、「とうや」を示す指標から黄色いラインが延びる。主砲弾の予想軌道だ。延びたラインがヤホント群の予想軌道と克ち合い、やがて高高度の一点で重なった。文字通りの「目標捕捉」の瞬間――
「砲塔アルファ連続発射、撃ち方始め!」
『――アルファフルオート! オープンファイア!』
櫻井一尉がトリガースイッチに指を掛ける。トリガーを押し込むのと同時に前部砲塔「アルファ」の三連装四十センチ主砲が咆哮する。一発々々が重厚な単射では無く、まるで汎用護衛艦が搭載する速射砲のそれを思わせる短間隔の射撃だった。一門々々の射撃速度も尋常では無い上に、三連装という形態がそれを可能にしている。射撃の度に噴き出る発砲炎が易々と夜の帳を破る。一帯の海原が照らし出され、鮮烈な艦砲射撃の光景が海原に浮かび上がる。
『――本艦への突入軌道到達まで後五秒――!』
皆の注視する前で飛び上がる主砲弾、未だ限界到達点に達しないそれは、なおも加速しつつ上昇を続けている。その数十――
『――ヤホントAからE、本艦への突入軌道に入ります』
高高度巡航から急激に高度を下げゆくミサイルの一群。ディスプレイの中で、ミサイル群の中心に突っ込むように初弾の軌道が重なる――
『――――初弾及び第二弾!……ヤホントAからCを撃破!』
砲雷士の報告が弾んだ。弾頭部から発振する電波を以て正対するミサイルの質量を捉えた近接信管が起動し、炸裂時の衝撃波と破片効果を以てヤホントを破壊したのだ。
『――第四弾、ヤホントDを撃破!』
戦術情報表示ディスプレイ上の高度二千メートルの位置に、「撃破」のシグナルが踊る。
『――ヤホントE! 最終突入コースに入ります!』
「砲塔ベータ連続発射、撃ち方始め!」
『――ベータフルオート! オープンファイア!』
号令一下、後部砲塔「ベータ」が咆哮する。砲弾は放たれた途端、突入態勢に入ったヤホントと相互の正面から激突した。内蔵する近接信管に、起動する暇さえ与えなかった高速で生じた弾体の擦過――だが速度により生まれた運動エネルギーは相互をあらぬ方向に弾き飛ばし夜の海、それも「とうや」の至近にふたつの炎の花を咲かせた。
「――――!?」
異なる方向で生じた烈しい光が「とうや」の艦体を禍々しく照らし出し、そして衝突の余韻が彼女を烈しく揺さぶる。ただし衝撃は「とうや」の巨体に時間を掛けて吸収され、その後には今まで何事も無かったかのような静謐さが残されていた。
『――ヤホントAからE、全て撃破!』
「――艦長より各区画へ、損害を報告せよ」
戦術情報表示ディスプレイを注視しつつ、淡々とした口調で黛は艦内回線に呼び掛ける。損傷軽微、あるいは皆無――判で押した様な各部署からの報告の中に、「――艦橋、転倒により軽傷二名」という副長直々の報告を聞いたとき、黛もさすがに愁眉を曇らさざるを得なかった。だがそれも一瞬の表情だ。
「火器管制、目標Kを追尾しているか?」
『――目標K、依然追尾中……今転針しました。本艦との距離、さらに近付きます!』
黛は頷いた。
「砲雷長、誘導弾頭の残弾を報告せよ」
『――誘導弾頭、残弾一五発』
「火器管制を対艦戦闘に切換える。射撃形態単射。使用弾頭誘導。弾種徹甲。第一斉射五発」
『――対艦戦闘。射撃形態単射。使用弾頭誘導。弾種徹甲。第一斉射五発!』
櫻井砲雷長の復唱と同時に、戦術情報表示端末が砲の状態、目標の状態、周辺海域の状況など、様々な情報を更新し表示していくのが手に取る様に判る。地上位置測定を与る準天頂衛星と、情報収集及び洋上目標捜索を与るレーダー衛星と「とうや」との間にリンクが形成され、それは「とうや」自体の火器管制にも反映されていく――
『――火器管制、衛星と接続!』
『――全目標、捕捉』
「用意!――」
「第一斉射、撃ち方始め!」
対空戦闘より射角を下げ、四百ミリ砲身が再度破壊の炎を吐く。その数五発――
『――敵艦よりミサイル!……いや艦砲の発射を確認!……数三!……いや五!』
「母なるロシア」の正レーダーたるロシア製MR‐600、副レーダーたるMR‐310がほぼ同時に不遜な反撃を察知した時、艦長ククシュキンを始め艦指揮室に詰める全員が眼前の光景を理解しかねていた。何しろ指揮室の中心を占める広角ディスプレイの表示する戦闘海域の中で、かつて自衛官の所在したポイントには未だに「撃破」のシグナルが踊っている。しかし三次元レーダーの示す砲弾の飛来は、先刻「撃破」した筈の自衛艦からの反撃を意味していた。そんなことがあり得るのだろうか?……だいいち――
『――やつらは、こちらの所在を把握しているのか?』
という迷いにも似た感触がククシュキンにはある。攻撃の前兆としての射撃レーダー照射の無いことを、彼は何よりも訝しんだ。何らかの手段を以てこちらの位置を特定し、すでに捕捉しているというのか?
『――砲弾群、此方へ向かい直進中! 速度マッハ二.〇!……いま三になりました!』
「迎撃しろ!」
『対空ミサイル間に合いません! 近接防御に切換えます!』
レストアに当たり管制機材を一新したところで、レーダーと火器管制装置それ自体の性能は誤魔化すことが出来なかった。しかもこれ程の音速で飛来する「物体」の多数飛来を、「母なるロシア」の個艦防空システムは想定していない。未知の敵と対するに当たり、冷酷な現実が顕著となってしまった形だった……であるにしてもこれは――
『――艦砲射撃だと!?』内心の抑え難い驚愕と共に、ククシュキンは歯を食いしばる様にした。俺たちの艦は、あの戦艦ヤマトと撃ち合いをやっているとでもいうのか? 「母なるロシア」もその系譜に連なるキーロフ級巡洋艦は、現存する如何なる水上戦闘艦を越えて巨大で、かつ頑強な艦だが、半世紀以上前の超弩級戦艦がやったような「殴り合い」など、その初めから想定していない。やつにミサイルは通じず、逆に艦砲を撃ち返される始末。現時点では攻撃を凌げるだろうが、攻撃力の絶対数において此方は明らかに彼らに対し劣位にあるかもしれない……その彼の眼前、ディスプレイの中で直線を以て迫り来る輝点を円形のシーカーが囲み、そして重なる。
『――個艦防空ミサイル起動! 全目標迎撃! 近接防御システムも起動します!』
3K95「キンジャール」短SAM、そして「コールチク」複合近接防御システム――「母なるロシア」の個艦防御を与る全ての兵装が覚醒し、不遜な刺客を叩き落とさんと破壊の間奏曲を奏ではじめる。対空レーダーの統制下、全自動で機能するこれらは鋼鉄の槍襖となって夜空を裂き、鮮やかなまでに赤緑に煌めく濃密な弾幕を張る。だが――刺客たちはレーダーが敵として対処するには余りに探知面積が小さく、そして速すぎた。捕捉も出来なければ追尾も覚束ない……!
『――キンジャール迎撃失敗! ミサイル二基、突っ込んで来る!』
ハードウェアとしての機能不全は、直上から「母なるロシア」の上甲板を抉り、そして過剰なまでの運動エネルギーを以てバイタルパートすら食い破る徹甲弾という展開へと直結した。二発の徹甲弾は「母なるロシア」の心臓、二基存在するガスタービンエンジンのうち一基を完全破壊し、それは隣接する高出力ディーゼルエンジンにまで破壊の連鎖を生ぜせしめた。その瞬間、近接防御に要する電力供給の半分が絶たれ、後を追うように直進のみで近接防御を掻い潜って来た二発が艦前部甲板に達した――対艦巡航ミサイルの収まった、垂直発射装置の位置。
『――――VLSに被弾! 全壊!……全て使用不能です!』
「…………!?」
悲鳴にも似た報告の間も、不快かつ不吉な振動は続いていた。全自動式の排廃水区画制御は今のところ機能しているが、一方でディスプレイ内のウインドウ中幾つかが、すでに映すべきものを映せない状態に陥っている。超水平線上に睨みを利かせるべきMR‐600三次元レーダーに至っても、それを機能させるべき電力の供給を絶たれていた。敵を見定めるべき眼を、「母なるロシア」は喪った。
そして敵に向けるべき必殺の槍もまた――特にVLSへの被弾は致命的だった。キーロフ級の巡航ミサイル用VLSは、原子力潜水艦用に開発されたものを流用したものであったが、それ故に発射の前段階として発射管内に海水を注入する必要が生じる。海水注入によりミサイル本体への誘爆は回避し得たものの、今度は被弾により注排水装置が故障し排水が不可能になった。つまりは、艦は浸水を止める術を失ってしまった。浸水と機関部への被弾は「母なるロシア」から俊足を奪い、そのまま緩慢な死に至らしめるのに十分な損害であった。
キーロフ級程の巨艦を、一撃で半身不随にし得る程の怪物――そう、俺たちはその怪物に捕捉されたのだとククシュキンは思った。やつは怪物で俺たちは獲物だ。俺の艦はこの南の海で、復活した怪物に今まさに喰われようとしている!……そこまで考え、ククシュキンは自身の戦慄を訝しむ。
復活した……怪物?
復活?――そうだ、俺が今戦っているのは、復活した大海獣だ!
『――砲弾第二波接近! 数5!』
未だ健在な近接防御用対空レーダーのスクリーンを睨み、オペレーターが絶叫する。副レーダーの有効探知距離と「とうや」主砲弾の性能からして、レーダー画面上にその影を見出した時には全てが終わっている。碌な回避機動も取れないまま、そして碌な近接防御も展開できぬまま洋上をのたうち回る「母なるロシア」。その直上から図った様に砲弾が次々と落下し、上甲板と装甲板に紅蓮の炎を生んだ――艦上構造物にまで及ぶ衝撃。着弾の直撃は戦艦の艦橋を思わせるレーダーマストと煙突を倒壊させ、そして炎の奔流が艦上を荒れ狂う。まるでソドムとゴモラを焼き尽くした神の雷を思わせる、容赦ない攻撃だった。
「くそっ! 焼夷弾か!?」
健在な外部監視ディスプレイ上に広がる炎の海を凝視し、我に還ったククシュキンは苦痛に顔を歪めた。連絡の取れなくなった部署は全体の過半に達し、さらに残余の半分が戦闘単位として秩序を失いつつある。未だ生きている艦内回線からは、ククシュキンに断りなく救命筏の展開を指示する声すら聞こえ始めていた。勝ち続けることにより糊塗され、隠蔽され得る筈だった寄せ集めの「傭兵艦」の弱点が、今になって噴出した形だった。
「チキショー! 契約金はどうなるんだ!?」
悲鳴にも似た奇声が指揮室から上がる。癇に障る声だ!――激発に任せ空のコーヒーカップを投げ付けようと、ククシュキンが腕を振り上げた瞬間――
「――――?」
不意に視界だけではなく、身体全体が漂白されるのをククシュキンは感じた。同時にディスプレイ全体が白く眩い光に溢れるのが目に入る。その後には身体の芯を解す様な暖かさと、微笑ましいまでの浮遊感が込み上げて来た。
何が起こった?
意識すら溶かす様な、恐怖すら感じさせる浮遊感――死への恐怖
直撃弾により生じた強烈な熱風と火焔の奔流が、ククシュキンと彼の部下たちごと指揮室を押し流し、そして全壊した艦構造物ごと天に還していく。
『――第三斉射命中。全弾撃ち終わり。迎撃されたもの2、他は全て指定座標近傍に着弾しました』
ディスプレイ上の衛星画像が、炎上する敵艦を捉えている。上甲板一面を占める炎の海の中で、時折爆発が連続し、吹き上げられる破片が海面に墜ちては烈しく水柱を上げる。
烈しく傾斜する艦首はすでに甲板の過半が海面下に没し、次には左舷がそれに続こうとしている。左舷艦腹を狙って放たれた第三斉射五発は文字通りの止めだった。それらは全て海面に着弾するや海中を直進し、艦腹から複殻を貫き内部構造の破壊と併せ甚大な浸水を引き起こしたのだ。回復する術はとうに無かった。
「再度射撃しますか? 艦長……」
と具申しかけて、櫻井一尉は口を噤む。今更ながら愚問だった。もはや「とうや」に、数百キロの空間を越えて目標を撃破し得る砲弾は既に無い。それに敵はもう――
『――やめておこう。距離を詰めての砲戦は得策ではない。それに――』
「…………」語を継ぐ間、櫻井一尉は疲れた様な嘆息を聞いた。
『――これ以上手を下さずとも、あれは自ずと終わる』
黛が言い終えた直度、ディスプレイの衛星画像の中で、敵艦の傾斜が急激に増すのを彼女は見る。折れたマストが外れて先ず海に落ち、次には烈しい爆発が続いた。爆発は艦体を前後に割り、そして海は、砕けた巨艦を無情にもその貪欲なる胃袋に取り込まんとする――
『――重要目標K、撃破!』
「総員、敵艦に敬礼!」
部下にそれを促し、黛は指揮シートから立ち上がり敬礼を送る。皆が彼に続くのに躊躇も、そして異存も無かった。平穏に傾き掛けた艦作戦指揮室で、最初に通信士が声を上げる。
『――艦長、東京から報告を求めて来ています』
「報告か……そうだな……」
険しい眼差しを消しつつ、黛は沈思した。
「東京にはこう報告してくれ。本艦は海上の脅威を排除、以後引き続き宮古島近海に留まり奪回作戦の支援に当たる。と……」
8月12日 AM04:00 日本国沖縄県 宮古島
半壊した集合住宅の崩れた壁からは、尚も生じ続ける黒煙に取巻かれた宮古島の街と港の様子を伺うことが出来る。
堀内一尉はそこで、変わり果てた部下の姿を見出した。爆弾の破裂により崩壊しかけた部屋で二人、そしてかつては階段があったであろう瓦礫の山に斃れていたひとり――彼に至っては鋭利な刃物で手首を切られ、複数の急所を的確に突かれた末に息絶えていた。格闘戦技量に――それも、危険なまでに――優れた相手との戦いの結果だと、堀内は戦慄と共に直感した。
「――――」
遠雷のような轟音が白み始めた空、薄い雲を縫って伝わるのを聞く。空自の戦闘機だと直感する……ジェットエンジンの爆音が市上空を過ぎり、そして海を跨いだ向こうで断続的に何かが落ち、弾ける音が次に聞こえる。下地島を制圧した敵武装勢力の断末魔の音だ……そして爆音は、再びこちらに近付いて来る。
「…………」
既に無くなった天井を通じ見上げる空、灰色の雲海を過ぎる機影が眩い火球をばら撒きつつ急上昇するのが見える。間違いない、航空自衛隊のF‐2だ。
「隊長、守備隊と繋がりました。チャンネル17です」
傍らの部下が、無線交信が可能になったことを報告と身振りで示す。教えられるがままタクティカルベストの背中に繋いだ無線通信機のチャンネルを合わせた先、宮古島空港を奪還した守備隊の指揮官の声を、堀内はイヤホンに聞いた。
『――第二中隊指揮班の宇川二等陸曹であります。海上自衛隊の特殊部隊ですか? おくれ』
「こちらは特殊舟艇隊降下小隊の堀内一等海尉だ。隊の責任者は君か? おくれ」
『――はい、現在空港に進出した者は自分以下三五名です。おくれ』
「宇川二曹、そちらの状況はどうか?」
『――何と言っていいか……まるで月世界の様です』
「…………」
『――これは一体……何が起こったんですか? 敵も我々の姿を見出した途端、素早く撤退して行きましたし……』
無線越しでもそうと判る、信じられないと言いたげな口調を前に、堀内の口元にゆるい笑みが宿った。
「……企業秘密だよ。それで、他に敵情は?」
『――逃げ遅れた敵兵の身柄を三……いや五名程確保しております。他は全て市内に逃げたのではないかと……あとそれと……』
「それと?」
『――置き去りにされた敵兵から市民に関する情報を得ております。残留した市民と後方支援部隊は全て市庁舎の地階に閉じ込めて監視してあると』
「本当か……!?」
堀内の眉間が険しさを増した。同時に会話をまた聴きする隊員の表情もまた――「有益な情報提供に感謝する。それで……」
「……君たちはこれからどうするのだ?」
『――沖縄の旅団本部から、増援が来るまで空港を確保するようにと命ぜられました。それと、第一空挺団の第一陣が降下を終えこちらに向かっています。何でも、第二陣もあと三十分で空港近傍に降下するということで……』
「そうか……良かった」
納得し、堀内は交信を打ち切る。ここまでは確かに計画通り。だがこれからは……次に彼が回線を繋いだのは、平良港方面から浸透を続ける斉藤一曹の分隊であった。人質がいる市庁舎近傍で合流し、増援の到着と同時に一気に突入する旨を斉藤一曹に告げる。
中国海軍と対峙していた海上自衛隊の機動部隊も、現在一部の艦が宮古島近海まで南下中であるという情報を、堀内は「とうや」を通じ既に得ている。宮古島から本土への直接的な脅威が排除された以上、南西海域情勢に対する不干渉を全世界に宣言した中国の動きは、むしろその宣言こそが彼らのより攻撃的な選択を阻む足枷となっているように思われた。
『――こちら「とうや」。カモメ1へ、感明どうか? おくれ』
唐突とも思えた母艦からの通信に、無線機の周波数を合わせ応じる。
「こちらカモメ1、感明良好、おくれ」
『――現在、「いずも」及び「はるさめ」が宮古島北方海域に向かい全速で南下中。沖縄から発進したチヌーク及びアパッチを収容し、海上に臨時の上陸作戦指揮所を設営する。宮古島への空中機動部隊の展開は0645を予定している。そちらの状況は?』
「我々はこれより残存戦力を以て市内に再度突入し、人質を救出します。その際AH‐64Dの支援だけでも……融通してもらえませんかね?」
わざとらしく声を顰め、堀内は聞いてみる。
『――人質の所在が判明したのか?』
「市庁舎の地階にまとめて監禁されているようです」
『――わかった……沖縄の陸自と協議しよう』
「いい返事を待ってますよ。交信終わり」
先に交信を切った直後、廃墟と化した集合住宅の直上を再び機影と轟音が速く過ぎる。空は、北へ過ぎゆく機影が空自のF‐15Jであると一目で判るほど急速に白み始めていた。宮古島空港に詰める友軍が教えてくれた空挺部隊の再度の降下予定時刻は0430――あと二十分だと、プロトレックの盤面に目を流し脳裏で計算する。
「…………?」
不思議と、周囲が重く静まり返っていることに気付く。浸透を開始したときには近遠を問わず聞こえていた敵車両のエンジン音が、今では一秒たりとも耳には入って来なくなっていた。制空権を完全に握られたことが、彼らの行動を慎重にさせているのか? それとも俄か仕立ても同然の傭兵集団ゆえ、逆境に転じた今になって恐慌に陥っているのか?
「抵抗なんて諦めて、さっさと降伏してくれればいいんですけどね」
と、菅野 豪 二等海曹が言う。それを鼻で笑うも、堀内とて内心では同意見だった。やつらにはもう、戦うべき理由など無い筈なのに――時を待つ間、複数のジェット音が空を過ぎり、同時に島の何処かで爆発音が連続する。それは堀内たちが破壊した市営球場の跡地でも生じた。先刻の「とうや」による一斉射撃程ではないが地面の揺らぎは烈しく、堀内たちは手近な瓦礫にしがみ付きそれに堪える。
「今だ! これより総員市庁舎に向かう。分隊前へ!」
軽く手を振り、堀内は廃墟から出て前進を先導した。中央公園を北に進み、直接市庁舎を目指す。途上、至近距離の爆撃に巻き込まれたのか、敵の装甲車両が多数横転し、武装した人影が折り重なって倒れているのを横目に見る。瓦礫の山と化した球場スタジアムに潜み、雑居ビル及びホテルの様子を注視する。
「…………」
漂う硝煙の向こう、ビルの屋上に蠢く人影を見る。時折煌めくのは狙撃銃の照準鏡かと邪推する。市中に潜む武装勢力の数は多く、むしろ制空権を失ったことにより、「安全な」市街地への兵力集中を促しているのかもしれない。
オープン状態に復した回線には、周辺情勢に関わる内容が逐次入って来る。
『――石垣島方面より移動中の水陸両用部隊、先遣班発進。0550に宮古島南部に降着予定』
『揚陸第一陣の上陸地点報せ』
『――下地島空港西海岸。先ずは下地島を確保し、前進拠点を設営する』
舌打ちし、堀内は回線に割り込んだ。
「こちらSBU、先遣班のヘリを市上空まで回せないか? 屋上に狙撃兵がいる。排除して欲しい」
『――こちら先遣班ブラックホーク。交信を聞いた。先遣隊を下し次第市内まで急行する。SBU、目標の指示はできるか?』
「指示するまでも無い。屋上に居るのはみんな敵だ。友軍はいない」
『――了解! すぐに向う』
心なしか、操縦士の声が弾んでいるように聞こえる。同時に銃声が聞こえた。友軍のものでは無く、聞こえた先に佇む市庁舎が、それを見上げる堀内の表情を険しいものに変える。
「――――!?」
何が起こっている!?――絶句を他所に、銃声はさらに激しさを増していった。
市庁舎の廊下は多くの銃痕と戦闘員の骸で飾られていたが、それはこの島の元の持主たる日本人の手によるものでは無かった。骸の持つ驚愕に歪んだままの表情と、骸を踏み越え、一切の会話なく廊下を駆ける男達の挙動が、それを如実に物語っていた。
P90 PDWを構えて前進を続ける黒尽くめの男達、庁舎に所在する全ての階段を駆け上り、彼らは目指す処へと進む。抵抗は微弱だった。防衛戦力が市庁舎の外に回されていることもあるが、何よりも混乱が彼らに活路を与えていた。日本の軍隊が迫りつつあることに起因する混乱、そして「彼ら」の不意の反乱に直面したことにより生まれた混乱――混乱の中を咆哮するP90、専用の5.7ミリ弾は傭兵たちのボディアーマーを容易に貫通し、不意を突かれた戦闘員たちを次々に永遠の沈黙へと誘って行く。
市庁舎の最上階、その一部屋のドアを固める二人を斃すのも容易に済んだ。非常階段に通じるドアを爆破し、突入を試みた別動隊に注意を惹かれた彼らの背後を、階段から侵入を果たした本隊が襲撃した形だった。マボガニーのドアに黒い影が迫り、指揮官らしき一人に促され、男がドアノブを回し、やや強引にドアを引き開ける――
「――ノックぐらいしたらどうだ? ファン少校」
デスクから声がする。部屋の見晴らしが良好であることに、侵入者たちは踏み込んで初めて気付く。中央病院を跨ぎ、市営球場から中央公園を占める緑を一望できる位置は、さすがに島の行政を掌る場所たるに相応しい。ただし展望は一帯の低空に垂れこめた黒煙と未だに消えない炎のせいで殺風景なものになり果てている。
侵入者に背を向けたまま、ロベルト‐リープクネヒトは続けた。
「死ぬ前に聞いて置きたい……今の君らの行いは、君自身の判断によるものか? それとも北京の意向か?」
影がひとり進み出る。マスクを拭ったファンの顔は、こちらを顧みないままのロベルトに対する優越を隠しきれないでいた。
「勿論、偉大なる共産党の意思だ。カール‐リープクネヒト」
「……私は事物のひとつという訳だ。君の祖国中国が、始まりから終焉に至るまでこのビジネスを掌っていたことを証明する――」
「――だからこそ、あなたは消去されねばならない」
わかりますね?――最後の一言を冷笑で誤魔化し、ファンは拳銃を背凭れに向けた。
「成程……なかなかの愛国者だな君は」
「お褒め頂き恐縮ですな」
デスク上に当然のように置かれたノートパソコン、そのネットワーク通信ランプが頻繁に点滅していることに、ファンは拳銃を向けながらに気付く――冷笑が引き攣り、全てを悟った次には怒気となった。
「貴様っ……!」
襲撃隊の頭上、天井パネルの隙間からさり気無く黒いものが落ちる。中国人が物音でそれに気付き、その正体に精神を引き攣らせたときには全ては終わっていた。閃光手榴弾の炸裂――強烈な光に漂白された部屋の中で銃の咆哮と悲鳴が暫く続く。その後には血染めの部屋、部屋の外と変わらぬ骸になり果てた中国人の一団と、先刻の優位から一転し両足を撃たれ床で呻吟するファンの姿が残された。
「ロベルト……!」
口元から血の泡を滲ませつつ、ファンはデスクに這い寄ろうと試みる。襲撃時の余裕と、所詮は雇われた身でしか無かった筈の「洋人」に対する蔑視など、とうに敗北感と憤怒にとって代わられていた。椅子がデスクに向き直り、ロベルトはノートパソコンに指を走らせる。
「放送終了……と」
呟き、ロベルトは床のファンに無表情を向ける。裏切り者に対する彼なりの、怒りの発露であった。それがさらにファンの怒りを掻き立て、ファンは床に転がった拳銃に手を延ばそうと――不意に下りたタクティカルブーツがファンの背中を踏んで抑えつけ、それは烈しい心身の衝撃となって瀕死のファンに圧し掛かる。駄目押しの拳銃弾が機械的に、それも至近からファンの躯を幾度も貫く。そしてファンは三白眼を見開いたまま、彼自身が生んだ血の海に沈む。
「予防線を張っておいて良かった……中国人は信用できない」嘆息し、ロベルトはファンに引導を渡した仲間を見遣った。蛇と髑髏の刺青に彩られた腕が、中国人の生命を奪ったFNファイブセブン自動拳銃を握っていた。くの字型に歪んだ笑顔が銃口をデスクに向け、そして一発が実況放送を終えたノートパソコンを撃ち砕く。それを関心無げに見遣り、独白に似たロベルトの言葉が続く。
「残ったのは、我々だけになってしまったな……バカンスもお預けだ」
「それで、これからどうするの?」
「自衛隊に投降するさ。一国……それも日本と険悪な関係にある国が糸を引いていたとあれば、日本人の怒りの矛先もそうそう我々には向かぬだろう」
「バカンスなら心配しなくとも大丈夫」
「…………?」
ロベルトが訝しげな顔を向けた先に、銃口が待っていた。引鉄が躊躇なく引かれた。一弾はロベルトの眉間から後頭部を砕きつつ後ろへと抜け、窓ガラスを赤黒く染めた。
「『雇用主』から頼まれたの……バカンスはあの世で過ごさせてやってくれって」
笑顔のままファイブセブンを収め、ヘドヴィカは窓から広がる公園の景色に目を細める。窓越しにあっても人間――――それもかなり多数の人間の迫り来る気配を感じる。味方のものでは無かった。なによりも晴れ渡り掛けた朝空を、低空で縦横に駆け巡るジェット戦闘機の機影が、傭兵たちにとっての終焉の訪れを物語っていた。
そこに微かなヘリコプターのローター音が加わり、急速に高鳴る――
『――ドラゴン1、市庁舎上空に到達。カモメ、指示を請う。おくれ』
「ドラゴン1、こちらカモメ。ビル屋上に人影が見えるか?」
『――ドラゴン1視認した。町中の屋上にいるようだ。友好的ではないな……銃撃を受けている』
「こちらが市庁舎に侵入するまで持てばいい。惹きつけられるか?」
『――カモメ、やってみる』
機体の両脇に増槽を繋いだUH‐60Jの、特徴的な機影が旋回する。空に在って地を圧するローター音に重厚な発砲音が重なる。M2 12.7ミリ機関銃だと察する。一度に投じられる弾量は小口径の機銃に劣るものの、一発あたりの威力の高さがそれを補ってくれる。弾幕の着弾したビルの外壁が砕け、崩れるのさえ判った。分隊を先導し市庁舎に迫るのに十分過ぎる牽制だ。身を屈めて市庁舎まで通じる荒れ野を走る内、平良港の方向から見慣れた影が複数近付いて来るのが判る。拳を上げて分隊の前進を止めて潜伏を命じ、堀内はひとり影の方向まで走った。斉藤一曹率いる別動隊だ。隠蔽に適した瓦礫の影に走り込んだところで、斉藤一曹本人が堀内の身を掴み陰へと引き摺り込んだ。
「市内から来たのか?」と堀内。
「そうです。抵抗は微弱でした。このまま市庁舎まで行けると思います」
斉藤一曹の弾んだ声に、堀内は思考を巡らせる――「とうや」の砲撃と、それに続く制空権の奪回が、武装勢力を浮足立たせているのか? 手信号で分隊に追及を促し、堀内は斉藤一曹と共に前へ出て隊を先導する。
「こちらカモメ、市庁舎裏に到達。ここから地階に入れないか? おくれ」
『――こちらサクラ、市庁舎の構造図を分析中……地階に直通のドアがある……東側だ……東側に向かってくれ』
「了解……!」
上空を飛ぶ無人偵察機を通じた誘導に従って進み、ドアを見出す。ドアノブにドアブリーチング用の爆薬を仕掛け、隊員に退避を促す。爆破!――閃光と衝撃にドアが揺れ、ロックが吹き飛んだ。ドアを蹴破り、HK416を構えて踏み入った地階――
「こちらカモメ、地階に突入……脅威は見受けられない。このまま捜索を続行する」
ミニマイクに囁きつつ歩を進める。敵の中枢という割には、周囲は不気味なまでに静まり返っていた。
『――ドラゴン1、燃料がもたない。宮古島空港に帰投し補給の後再出撃する』
「サクラ了解」
応答し、自分は一階まで前進し偵察を行う旨、斉藤一曹に部下を掌握し人質捜索を続行させる旨を告げる。偵察のパートナーとして、堀内は菅野二曹を指名した。
『――空挺団先遣班、降着完了。本隊降下まであと十分』
「…………」
菅野二曹を連れ、一階に通じる階段を駆け昇る。ここまで何の抵抗も受けていないのが、夢のように感じられた。しかし階段を昇り切った先で堀内は表情を強張らせる。所々に斃れたまま動かない戦闘員の姿を目の当たりにして――
仲間割れか!――凄惨な光景を前に浮んだ感慨は、前方に感じ取った気配の殺到に打ち消された。
「――――!」
窓口の陰に身を屈め応戦の態勢を取る。菅野二曹に至っては気の早いことに堀内に先行し、気配の所在により近い、伏撃に優位な場所に伏せていた。あいつはいい戦士になるだろう……と、皮肉交じりに堀内は考える。
「菅野、やつらをやり過ごせ……背中を見せたところを先ず俺が撃つ。それが合図だ」
『――菅野、了解……!』
通信回線の中に重い、震えた声を聞く。そう言えばこいつは人を撃ったことが無いのだった――この部隊に身を置いた以上、何時かは潜らねばならぬ「関門」とはいえ、多少の同情が湧くのを覚える。窓口のカウンターに身を潜め、耳を欹てて機会を待つ。階段を下りた気配が複数、通路を走り、正面玄関に通じる窓口に向かうのを察する。そこで気配の動きが途切れ、堀内は意を決した。
「――――!」
玄関側の敵に銃口を向けた途端、堀内の背筋を戦慄が悪寒となって走る。階段側から出現した新たな気配!――それが玄関側の敵を囮に、自分たちの伏撃を待ち構えて気配を殺していたことを悟る。
『――隊長!』
菅野の絶叫――背中をバットで、それも何度も烈しく殴られた様な衝撃と共に堀内から意識が飛ぶ。床に倒れ込むのと、進退を閉ざされた菅野の怒声を聞くのと同時だった。銃声の烈しい交差、空薬莢の烈しく床に転がる響き、立ち込める硝煙の臭い――それらをあの世に向かう途上で無意識の内に聞き、あるいは感じ、堀内は意識を振り絞る様に覚醒させる。
「…………!」
黒い影が、すぐ近くに立っていた。しかもそれは菅野二曹の方向に銃を撃っている。烈しく、そして早い連射だ。焦点の定まらない視界の中で呆然と影を見上げる堀内の前で射撃が止み、黒い影は顔を向けた。「制圧完了!」のコールが玄関側から聞こえた。外国人の発音だと聞こえた。
「ゴメンネ、ミスター」
場違いとも思える女の声、声を掛けた眼が笑っていた。死にゆくものを憐れむ目だと思った。くの字に笑った口が大きく開き、次には慈悲を与える刃の様な笑みになった。悪寒と諦観が堀内の胸中で点滅し、向けられるPDWの銃口を前に、彼は今度こそ死を覚悟する――
「――――!?」
銃撃――女の向ける銃とは別方向から生起したそれは、窓口の向こう側で複数の悲鳴を生んだ。使い慣れたHK416の発砲音だと察したのはその直度のことだ。急変は女から一瞬死にゆく堀内に対する関心を奪い、堀内にとっては一瞬だけでも十分な時間となった。
「――――!」
裂帛の気合と共に腿から引き抜かれたSIG P226自動拳銃が咆哮する。連続して放たれた弾丸が命中して初めて、女もまたボディーアーマーを纏っていることに堀内は気付く。弾丸の多くがボディーアーマーに吸収されるも、肉体が衝撃を受け止めるには拳銃弾の威力は大きく、それは女を怯ませるのに十分であった。
が――
正気を失した眼がPDWの銃口を堀内に向ける。あれほどの銃弾を受けてもなお動いていられる女に、堀内は心から戦慄を覚える。死に至るまで静止しかけた刻の中で、引鉄を掌る人差し指に力が籠る瞬間までもが見出すことが出来た。女の人差し指が遊びを引き――血飛沫が空を舞う――女が斃れた。
「…………!?」
唖然とし、次には弾かれたように身を起こす。背骨が軋み、苦渋に顔を歪めつつも堀内は身体を絶たせようと試みる。「制圧!」と威勢のいい声が背後から聞こえる。日本人の発音だった。立ち上がろうとして身を崩す。喉の奥から血の臭いを感じる。それでもデスクを支えに立ち上がろうとした堀内の躯を背後から延びた腕が支えた。正面玄関ホール、変わり果てた敵戦闘員の骸の上を、特殊舟艇隊の一団が小銃を構え雪崩れ込んでくる。
「斉藤……!」
「御命令に背き申し訳ありません。応援が必要ではないかと思いまして……」
「ハハハ……!」
苦笑に気が抜け、それがさらなる痛みを誘う。足許の崩れかけるのを、斉藤一曹がしっかと支えてくれているのがわかる。
「斉藤……すまんが背中のプレートを外してくれ」
「はっ……!」
海中に入ったとき、重みで難渋する危険を冒しても追加防弾プレートを持参しておいたのは正解だった。堀内に促されるまま斉藤一曹がアタッチメントを外し、固定を解かれたセラミックプレートが足下に滑り落ちて派手な音を立てる。背後からの弾丸がボディーアーマーを貫き、プレートにまで達しているがわかった。そのプレートもまた被弾の数だけ丸い凹みが生じている。もしこいつが無かったら今頃おれは――
「――この女、P90を持ってやがった……せっかくの防弾服もこのザマさ」
堀内が視線を投げた先で、彼を撃った女はうつ伏せたまま微動だにしていなかった。ただ彼女の身体の下で止め処なく拡がり続ける血溜まりが、彼女の命の灯が尽きようとしていることを静寂の内に物語っていた。再び眼差しを投げた先、血に汚れた壁にもたれ座り込んだ菅野二曹が、頭からの流血も痛々しい微笑と共に親指を立てて見せた。床に投げ置かれたHK416と同じく凹んだアーマープレートが、彼の身に降り掛かったこと、そして彼が成し遂げたことを、堀内にやはり無言の内に教えてくれる。
「俺はいい。菅野を見てやれ」
斉藤一曹の身体を叩き、堀内は離れるよう促した。込み上げてくるムカムカした感覚に、何度か咳をしつつ耐える。痛みを訴える腎臓の位置を庇いつつ、それでも歩こうと試みる。背骨から肋骨の何処かが折れていないまでも、罅を入らしているのを自覚する。制圧を完遂した隊員が堀内に近付き、声を弾ませた。
「捕虜及び人質の身柄を確保しました。全員の無事を確認しましたが、うち重症者が五名。優先的に病院への搬送が必要かもしれません」
「……たしか、医官がいたと思うが」
「はい、楢橋二等陸佐も健在です。あと民間人の医師がひとり……」
この場に不似合いな、ヒールが床を蹴る音が聞こえた。窓口を飛び越える様にして跨いでまでも、斃れた女に駆け寄る白衣がひとり――
「彼女です……名前は確か……」
二人の注視する先で、白衣の女性は戦闘服の女を抱え起こすようにした。
「この女は未だ生きているわ! 病院に運んで!」
「出水……出水 真弓です。地元の病院の医師です」
色を為して声を上げる女医と目が合った瞬間、堀内は部下の肩を叩いた。
「衛生兵資格のある者に手伝わせろ。それと……」
「はっ……?」
「輸送ヘリの支援を要請。人質と負傷者を退避させる。着陸地点は市庁舎の裏手だ」
「了解しました!」
人質保護に人数を割き、周辺の偵察のために残余の数名で外へと出る……否、出ようと試みた瞬間に正面玄関の強化ガラスが割れた。跳弾が内壁を抉り、堀内らは反射的に陰に逃れる。
「くそっ! 未だ抵抗する気か!」
HK416の銃身を外に向けつつ射点を探る。隣接する雑居ビルと言わず、ホテルと言わず一帯の建物の屋上から銃を撃ち掛けているのが見える。敵には未だ戦意があり、ヘリからの銃撃では牽制にもならなかったようだと察する。だが――
『――こちらウォーリア1、市庁舎上空。我に航空支援の用意あり。おくれ』
「屋上だ。屋上に未だ抵抗している敵がいる。輸送ヘリの到着まで持たせて欲しい」
『――ウォーリア了解、これより攻撃』
言うが早いが、機銃のそれよりも太く、烈しい光弾の束がホテルの屋上を打ち砕く。破片が散り、同時に重々しいローター音が周囲を圧する。正面玄関から頭上を仰ぎ見た隊員が声を弾ませた。
「アパッチだ!……アパッチの航空支援です!」
上空からの圧倒的な火力の投射は、この段階に於いてはそのまま戦闘の終息を意味していた。AH‐64Dロングボウ‐アパッチ武装ヘリコプターの鋭角的な機影が、すでに蒼みを取り戻した空を鮮やかに過ぎる。先夜より今に至るまで烈しきに終始した戦闘。その終わりと同時に新たな戦いの生起を堀内は思う。それはこれまで自分たちの潜り抜けた戦い以上に、祖国の行く末を左右する筈であった。