8.ド根性対決
「あいつの性根、厄介な方向に捻曲がってないか?」
レイディスは眉間に深い皺を寄せてぼやくが、すぐに思考を切り替える。焦っては駄目だ。一旦動きを止めて大きく深呼吸をする。二度、三度と繰り返し、漸く心が落ち着いた。
「魔術の解除は苦手なんだよなぁ。でも早く解いてセフィを追い掛けないと。解除する為には、まず構成を読み取る、だったか?」
目を閉じてヴィレスクラフトを集め、拘束部分を探る。
脳裏に浮かんだのは縄。足元から伸びた地の気とレイディスの気が糸の様に縒り合わさり、足首に巻き付いている図だ。
レイディスは目を開けた。視線を落とすと両足を縛る縄が具現化している。解除の第一段階、「読み取り」に成功した証だ。
「まずは成功、と。次はこの縄をどうにかしないとな。普通に切れるか?」
懐から短剣を取り出して当てて押す。切れない。次は引いてみる。切れない。
刃にヴィレスクラフトを込めて再度当てる。同じだ。切れない。ならば縄を手で解く方法はどうだろう。身を屈めて見ると、異様に固く複雑な結び目があった。
「…………あいつ」
地を這う声が漏れた。余程追いかけて欲しくないのかと思ったが即座に否定する。
「鉄の鎖、ではなく縄、か。魔術ってやつは時に言葉よりも正直だな」
――――魔術は意志の具現化。
奇しくも先程のセフィーアの言葉が蘇る。
それは魔術の基本概念であり、一般的な常識だ。
この世界における絶対の摂理であり、不変の真理でもある。
「本当に追い掛けて欲しくないのなら、時間を掛ければ解けるという中途半端な拘束はしないだろ。自覚無いみたいだけど。……もしかして、あの夢はこれを暗示していた? だとしたら……間に合わなくなる前にどうにかしないと。ここは力ずくで行かせてもらおうか――解除」
強いヴィレスクラフトを込めて無理矢理断ち切る。パキン、と薄い硝子が割れる様な澄んだ音を立てて術は完全に消えた。
「縄なのに金属音?」
いささか場違いな感想を抱きながら、レイディスは左足を上げ下げし、次に右足も同じ様に地面から離したりくっ付けたりして状態を確かめた。
「ちゃんと動かせるな。森の中じゃ目印が無いから空間転移の術は使えない。まだ近くにいる筈だ」
身体強化の術を施し、セフィーアが去った方角へ向けて走り出した。
* * *
レイディスが解除に励んでいる頃、セフィーアも足止めを受けていた。
「周囲を警戒せず、彼から離れる事に専念していたのが仇となりましたね」
彼女の前には十数匹の兎型魔獣がぴょんこぴょんこと跳ねている。可愛らしい見た目だが仮にも魔獣。小さく身軽な体はこちらの攻撃を容易く避け、飛び蹴りは細い木なら容易くへし折る程の威力があるので下級に属するとはいえ侮れない。
「氷よ射抜け、アイスプファイル」
トストストスッ。
セフィーアが放った氷の矢が正面にいた三匹それぞれの核を正確に貫く。
「全滅まで数分でしょうか。どんなに急いでいても【索敵】の術を疎かにしてはいけませんね。っと、危ない」
魔獣の一体がセフィーアに飛び掛かる。半身をずらして避けると術を叩き込む。
「ブリッツシュネール」
バチッ。
吸い込まれる様に電撃が核を打ち抜く。壊された核を残して魔獣は黒い靄となって消えていく。
「こちらから当てにいくより、攻撃後の隙を狙った方が効率的か」
コツを掴んだら後は早い。飛び掛かって来たら避けて術を叩き込む、という流れで瞬く間に魔獣の群れは数を減らしていき、彼女の予想通り数分で全滅した。
「余計な時間を取られました。新手が来ない内に早く離れましょう」
セフィーアは辺りを一瞥し、取りこぼしが無い事を確認すると身体強化の術を掛け、更に追い風を吹かせて走り出そうとして、ふと眉を曇らせる。【索敵】の術に十数の影が引っ掛かったのだ。
「これは人間の気配? 隠れるよりは正面突破の方が時間は掛からない、か」
気だるげに髪を後ろに払うと漂う気配へ足を向ける。
ものの五分としない内に行く手を阻む集団が彼女の目に入った。
「どう見てもただの追剥ですね。面倒な」
雑魚に関わっている暇は無いのに、と溜息を吐くセフィーアとは対照的に、盗賊の一人が獣じみた笑みで定番の口上を述べ始めた。
「ようよう、ねーちゃん。怪我したくなかったら有り金と荷物置いてきな」
「今着てる服も全部ま……「ヴィントシュナイデ」ギャア!!」
言葉の途中でセフィーアは風の刃を放つ。
ブシュッ!
喋っていた男の肩口から血飛沫が上がる。切り飛ばされた腕はくるくる回転しながら高く跳ね上がり、トサと軽い音を立てて男達の間に落ちた。
「ヒィッ!」
つい先程まで身体の一部だったものが動かぬ物体に変わった恐怖。腕を避ける様にざっと輪が広がる。
「私は先を急いでいるのです。邪魔するなら全員、腕と言わず首を切り飛ばして差し上げますが?」
「なななな……」
「何だこいつ!!」
「腕切っときながら平然と笑ってやがる!? 」
「ただのガキじゃねえぞ!」
「……」
セフィーアは竦んで動けない男達を一瞥すると無言で右手を上に掲げた。手の中に緑色の光が輝いている。
「う、うわああああああ!!!!!!!」
誰からともなく上がった悲鳴を合図に、追剥集団は蜘蛛の子を散らす様に何処かへ走り去っていった。
「脅かし過ぎましたか」
発動寸前で止めていた術を破棄して苦笑を漏らす。
「狙ったとはいえここまで怯えられると少々心にきますね。短時間で排除出来た事は幸いですが。彼もまだ追い付かない様ですし……」
顧みたセフィーアの笑みが凍る。凄まじい速度で迫りくる怒りの気配。微かに届いた「見付けたーーッ!」という声。心当たりがあり過ぎる。
「まさか、もう解いたのですか?!」
それなりの力を込めた拘束術は、大半の人間は解除出来ない筈。なのに彼は短時間で解いて、しかもここまで追い掛けてきた。俄かには信じ難いが現実は待ってくれない。
「負けない為にも絶対に逃げ切ってみせます!」
何の勝負だとツッコミを入れる者はいない。かくして彼女と彼の追いかけっこは始まった。しかし僅か十分後。抵抗虚しくセフィーアは捕まった。
「……ぜー、はー。ぜー、はー。ど……だ……ぜー、はー。俺の……ぜー、はー、七年分の……ぜー、ぜー、はー。執念舐めるな……ぜー、はー」
「……………………」
地面に大の字になって、息も絶え絶えになりながら勝利を宣言するレイディス。対するセフィーアは彼以上に疲労困憊していて返事をする気力は残っていないが、地面に倒れ込む事はせず、杖と木を支えに姿勢を保っている。せめてもの意地だ。
「…………とんでもない人間ですね。自身に身体強化と追い風の増幅、あなたには向かい風と弱体化の術まで掛けたのに追い付かれるとは」
呼吸が整ったセフィーアが尋ねた。若干掠れた声は全力疾走した疲労が残っているせいばかりではない。
「そんなの気合いでどうにかなる!」
「…………」
ブスブスッ! 氷の視線が突き刺さる。明らかにレイディスは言葉選びに失敗した。
「うっ! 痛い痛い。分かった真面目に答えるから。俺も身体強化と地の魔術――重力操作で体を軽くしてたし、男女の体力差もある。てかセフィ、走りながら――いや、空を飛びながらか。五つの術を同時に行使してたんだな。その制御で余分な体力を消耗していたからじゃないかと思うんだが」
「体力不足が敗因でしたか。しかし解せません。どうしてここまで食い下がるのです?」
苦虫を数匹噛み潰した表情でセフィーアが尋ねると、レイディスは目を逸らし、考え込む素振りをしてからゆっくりと答えた。
「……二度と、後悔したくないから」
「後悔?」
「説明は勘弁してくれ」
「言われずとも聞きません。何となく気持ちは分かります。……あなた、本気で私の側にいるつもりですか?」
「い、いきなり話が飛んだな。いや、戻ったと言うべきか。もちろん冗談なんかじゃない。本気だ」
セフィーアは口元に手を当てて暫く黙したかと思うと、やおら顔を上げて言った。
「……分かりました。王都までと言わず、あなたの気が済むまで同行を許しましょう」
「ええ?! 本当にいいのか? でも何で?」
突如意見を翻され、レイディスが目を白黒させる。セフィーアは不機嫌も露わに答えを返した。
「私がどんなに言葉を尽くしても、あなたは意見を変えないでしょう。無駄な事に費やす労力は持ち合わせていないので。それに……」
ふと言い差して微苦笑う。
「それに……何?」
「いいえ、何でもありません」
風で頬に掛かった髪を些か乱暴に後ろに撥ね退ける。微苦笑は消えていた。
「但し、二つ条件があります。一つは私の目的の邪魔をしない事」
「目的?」
「二つ目。余計な詮索をしない事。今の質問もこれに該当します。条件を言う前でしたから、見逃すのは今回限りです。破ったら即座に行方をくらましますからね」
「分かった。聞かれたくないならもう聞かない」
無表情になって告げるセフィーアにレイディスが降参の意味で両手を上げる。
「感謝します。今から山に向かうと夜になってしまうでしょう。この森で野宿しますから水場を探して下さい」
「……了解」
息を吐くと、レイディスは彼女に従って森を探し始めた。
セフィーアは薄く笑うと、先程内に留めた言葉を呟いた。
(それに……私自身、もう少しだけ、あなたの側にいたいので)
* * *
野営地を見付け、食事を済ませた後。
寝床に入ってもセフィーアはまだ眠らず、先程ザーフィルが見せた記憶を振り返っていた。
「守護宝珠が見せたのは手放せなかった思い出の欠片。ずっと心の奥底に沈めたままにしておきたかったのに、今更どうして……」
火を挟んで反対側に横たわるレイディスを窺う。寝ている事を確かめると、慎重に抜け出した。
「どこへ行くつもりだ?」
突然レイディスの声が上がった。ビクンとセフィーアの肩が大きく揺れる。
「起……こしてしまいました?」
「俺、元々眠りは浅いんだ」
「そうでしたか。すみません」
「で?」
背後から注がれる視線が痛い。セフィーアが黙って姿を消そうとした事に間違いなく気付いている。
「喉が渇いたので水を飲もうかと」
「そうか」
嘘と分かっているだろうに。
セフィーアは観念し、告げた通り水を飲みに行く。戻ると大人しく眠りについた。
一方のレイディスは目を開けたまま考え込む。
「やっと本当に寝たか。妙だと思ったら案の定、逃げようとするし。どうして頑なに人が近付く事を拒むんだ。前は比較的――普通だったよな。俺の知らない七年の間に何があったんだよ、セフィ……」
寂しげな呟きが闇に溶けて消えた。