3.一夜明けて2
可能性は限りなく無に等しいのに、死んだとはどうしても思えなかった。
あんなに鮮やかで烈しい眼差しを宿すやつが簡単に死ぬわけない。
きっと何処かで生きている筈だと信じていた。
太陽が燦々と輝く朝。一人の黒髪の男が町を歩いている。
「ふわぁぁ……光が目に染みる。徹夜なんてするもんじゃないなぁ……」
男――レイディス・フリーデンは忙しなく人が行き交う道の真ん中で、ふと立ち止まり大きな欠伸をした。丁度よくぶつかった通行人が「痛ッ」と小さな声を上げて非難の目を向けるが、当の本人は気付かない。ぶつかった者は嘆息一つ吐くとそのまま去って行った。
「俺の見間違い……ではないよな? やっぱり生きていたんだ」
昨日の夜偶然見かけたのはずっと探していた少女だった。
ほんの数秒、驚愕のあまり固まっていたその間に姿が見えなくなった。慌ててその場を探し回るが、見付ける事は出来ずに朝日を拝む事となる。そこで一旦諦めて宿に戻り、小一時間程仮眠をとると再び彼女を探す為に町に出た。
「まだ遠くに行っていない筈なのに、何で見付からないんだよ……」
更に呟いた所で背後から聞き覚えのある男の声が響く。
「久し振りに見掛けたと思ったら何をぶつぶつ言ってるんだ」
「えっ! ベルクさん!?」
レイディスは驚いて振り向いた。
話し掛けてきた男の名はベルク・ヴィーラント。王都グロッケンハイム、即ち王直属の騎士団の地方監査隊長という肩書を持つ。歳は二十後半。短く少し癖のある髪は焦げ茶色。赤みがかった橙色の鋭い瞳は、獲物を探す獰猛な肉食獣を彷彿させる。身軽さを重視した黒い金属の胸当てと腰当てという軽装備。性格に難はあるが国王の信任厚い切れ者だ。彼はレイディスの兄の友人で幼い頃から交流があった。
「最後に会ったのは俺が旅に出る前だから、四年ぶりですか?」
「そうなるな」
「どうしてこの町に?」
「カッセルの冒険者組合が手に入れた、ここの領主の不正の証拠を引き取る為だ。偶々近くにいたせいで押しつけられてな。本来の仕事じゃねえけど、前に出していた魔獣の調査依頼の報告を受け取る用事もあったから引き受けたんだ」
「そういう事でしたか。魔獣、やっぱり増えているんですね。最近組合にある依頼は討伐ばかりですよ」
魔獣とは、強い悲しみや深い嘆き、激しい憎悪の念が寄り集まって実体を持ったもの、また憎悪の念を浴び続けて突然変異を起こした動植物を指す。
その性質は非常に獰猛かつ残忍で人に害をなし、核という人間で言う心臓を破壊しない限り何度でも再生する厄介な存在だ。
魔獣は下級、中級、上級と強さ別に等級が付けられている。下級は普通の獣より身体能力がやや優れている程度だが、中級になると更に能力が上がり、自然治癒や身体強化といった補助、麻痺や毒、幻惑等、厄介な特殊攻撃をしてくる。上級はこうした特殊能力に加え、下位二種とは比べ物にならない高度な知能を併せ持ち、魔術まで使いこなす。
「不謹慎だが腕を磨けるから有り難いな。ところでレイディス」
「何ですか?」
ベルクは急に真面目くさった顔になった。レイディスは無意識に身構えた。この男がこういう顔をする時は大抵碌な事がない。
「お前の大事なオヒメサマは見付かったのか?」
「ひっ……ひめ?!」
レイディスの声がひっくり返る。
「あれ? 違ったか?」
「違います! セフィーアは昔ちょっと仲良くなった友達ですよ」
「必死に否定してるようだが顔真っ赤だぞ。惚れた女だろ? でなきゃ殆ど手掛かりが無いのに何年間も探し続けられるわけがねえ」
ベルクがニヤニヤ笑いながらレイディスの脇腹を肘で小突いた。レイディスのこめかみに青筋が一本浮き上がり、右手が腰に佩いた剣の柄に伸びる。それを見てベルクは慌てて両手を上げた。
「あー悪かった。物騒な殺気をしまえ。これ位でキレるなよ」
「この場はもうからかわないと約束して下さるなら」
「今だけでいいのか?」
「止めてくれと言っても聞かないでしょう」
「おうともさ! 真面目なやつで遊ぶのって面白いよな」
「威張って言う事じゃないだろ。あんた何時かぶっ飛ばす」
「熱烈な愛の言葉をありがとう」
ベルクの軽口にレイディスは盛大に眉を顰めた。
「不貞腐れんなよ。さっきの話を蒸し返すが、何でそんな必死になって彼女を探してるんだ? そもそも生きているのかどうかも分からないのに」
「何でって……」
言われて暫し考える。
「……色んな理由が絡んでいるから説明し辛いんですけど……まあ一言で言うと、会いたいから、ですかね」
「成程。実に単純明快な理由だ。よっぽどいい子だったんだな」
その言葉にレイディスが「いい子、ですか。ははははは……」と不気味な笑みを浮かべた為、ベルクは首を傾げた。
「何だ何だ?」
「そうですね。ある意味いい性格してましたよ。たった一年だけの付き合いでしたが振り回されなかった日はありませんでした。大人しそうな見た目に反して好奇心旺盛で行動力があって。口を開けば生意気ばかり。上級術をぶっ放して地面に大穴開けるというのは日常茶飯事でした。その程度は軽いものです。一番大変だったのは魔獣の巣に迷い込んじゃって、怒り狂った相手と戦う羽目になった事ですね。何とか倒せたから良かったものの。あー、思い出したら腹が立ってきた!」
「た、大変だったなー……」
ベルクは引き攣った笑みを浮かべた。
「そんなムカつくやつなのに、どうしても放っておけなかった。気付けば後姿を追っていた。昔も今も」
「そう……か」
ベルクは何かを含んだ目でじっと見つめていたかと思うと、おもむろにレイディスの頭をクシャリと撫でる。
「俺もう子供じゃないんですけど」
「まあまあ。じゃ、そろそろ行くぜ。頑張れよ」
「最後が納得いきませんけど、取り敢えず有難うございます?」
ベルクは憮然としたレイディスの抗議をさらりと流し、軽く小突いてから去って行った。
* * *
「セフィ……何処にいるんだよ……」
レイディスは途方に暮れていた。
ベルクと別れた後、露天で買い物をしつつ、店主に銀髪に紫色の瞳を持つ魔術士らしき少女を見たかどうか尋ねるのだが結果は芳しくない。
「冒険者組合も当てに出来ないしな。七年前から依頼を出しているのに一度も引っ掛かった事無いし。結局、手掛かりはこれだけか」
すっと自身の胸元に目を落とす。服の上から握り締める固い感触。何度も何度も確かめた。
「呼んでいるのは分かるのに、どうして辿りつけないんだろう。でも、必ず見付けるから。そして今度は――――」
もう何度目かも分からない誓いを口にし顔を上げる。絶対に諦めないという強い決意を込めて。
「よし、いくぞ!」
パンと両頬を叩いて気合いを入れる。次はどの店に訊ねようかと首をめぐらせると、不意にごろごろごろ~と何とも気の抜けた音が鳴った。
「そういや朝飯食べてなかった……。腹ごしらえが先か」
見ると美味しそうな匂いを漂わせる屋台がある。甘辛いたれを付けた鶏肉と生野菜を挟んだブレートヒェン(小麦粉と水を練って焼いた物)を売っている様だ。これにしよう。レイディスは店の方へ向かった。気持ち早足になって。
「いらっしゃい! うちの肉挟みブレートヒェンは美味いよ」
「へぇ~。なら二つ下さい」
「はいよ。銅貨六枚だ」
「分かった」
レイディスは腰帯に結び付けた財布から小銭を取り出して支払った。
この世界の通貨は銅貨、銀貨、金貨の三種類で、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚分の値になる。
一般的な人々が普段持ち歩くのは銀貨までだ。金貨は盗まれない様、専門の預かり所、又は冒険者組合に登録して保管してもらっている者が多い。
「ところでちょっと聞きたいんですけど、銀髪に紫色の目の、十五歳位の女の子を見ませんでした?」
「女の子? いや、見てないねえ。兄さんの連れかい?」
「知らないならいいんです。有難うございます」
アツアツのブレートヒェンを両手に持って店の前に並べられた椅子に腰を下ろし、一口頬張る。美味い。店主が自慢するだけある。二口三口と続け、あっという間に一個目を食べ終えた。二個目に手を伸ばそうとして、ふと止まる。
「何だ?」
道を歩く人々の雑踏。日常的な風景の筈なのに、何故か違和感を覚えた。周囲を探るが特に異変は見付からない。
「嫌な感じだな。何かが起こりそうだ」
こういう勘が外れた事は殆どない。
「取り敢えず……食べよう」
腹が減っては何とやら。幼い頃に叩き込まれた習慣に従い食事を続けた。