0.序章
木々はおろか、草一本生えていない荒涼とした大地の上に女が一人立っている。
唇を固く引き結び、長い杖を前に構えたまま微動だにせず、じっと考え込んでいた。
静寂に包まれる中、さわり、と風が揺らいだ。
それを受けて女はゆるゆると顔を上げて自嘲の笑みを浮かべた。
「……長く躊躇い過ぎたか。追い付かれる前に終わらせなければ」
女は漸く腹を据えた。
「どんなにあなたが怒り狂おうと、止めるわけにはいかない。だって、守りたいから」
世界の消滅はそこに生きる者達の消滅でもある。
大切な彼等が存在るこの世界を終わらせはしない。
女は手に持っていた長い杖を掲げて一歩踏み出した。
「始まりは終焉、終焉は始まりへ続く螺旋の運命――――」
朗々と響く厳かな声。
「万物を育み守り支える地、穏やかに激しく揺れる火、時と空間を超えて流れ続ける風、天地を行き交い生命の糧となる水、穢れを浄化し道を照らす光、忘却と安らかな眠りを助ける闇よ、創世の神の名の下に、その意思と力を貸し与えたまえ――――」
火気の赤。水気の青。風気の緑。土気の黄。光気の金。闇気の黒。
請願に応じ、万象を成す根元の意志が集う。
「世界に散らばる未来を生きようとする意志よ、ここに来たりて一つにならん」
ありとあらゆる生物の心が女の元に集まり、融合し一つの巨大な意志となる。
「我希う。我が意志と生命の力全てを糧として、この地に輝く命達が救われん事を、ヴェルト・ヴィーダーゲブーアト」
詠唱が終わると同時に集まった世界中の意志の力が解き放たれる。
言の葉に込められた想いは闇を祓う風となって世界に広がった。
凝っていた暗く深い負の念は解きほぐされ、温かい光となって天地に降り注ぐ。
はらり、はらり。
力の残滓が銀色の花びらとなって舞い踊る。
それを視界の隅に留めながら、女はゆっくりと後ろに倒れていく。
意識が途切れる寸前、傾いだ体を抱き止める腕が伸びた。
「……か……で。……、…………から……」
急速に体は実体を失っていく。
最後は『彼』の胸の中で光に溶け込む様に消えた。
たった一つの言葉と笑顔を残して。