第2話 冬を越せない屋敷
辺境まで馬車で五日かかった。
王都を出るころには肌寒かった空気が、ラングレー領に近づくにつれて冷え込みに変わり、最終日の朝には吐く息が白くなった。
十月の辺境は、もう冬の入り口だ。
石造りの屋敷が見えたのは、昼を過ぎた頃だった。
外観は悪くなかった。
軍事的な機能を重視した無骨な造りだが、それはこの地域の様式だ。
だが馬車を降りて、最初の五歩でセリーヌは状況を把握した。
玄関前の石畳に落ち葉が積もっている。
掃除が追いついていない。
出迎えた使用人は三人だけ。
全員、動作がどこか覇気に欠けた。
荷物を運ぶ男性使用人の上着が薄い。
この気温で、その服は寒いはずだ。
「セリーヌ様でいらっしゃいますか」
中年の男が一礼した。
「左様です。家令の方ですか」
「はい、ドーネと申します。辺境伯様は本日、国境の詰所におられます。明日には戻られると」
「承知しました。では屋敷の状況を確認させてください」
「……確認、でございますか」
「妻として初めて参りました。当然のことです」
ドーネは笑みを貼り付けたまま、何かを考えるように目を動かした。
その一瞬がセリーヌには十分だった。
この男は、見られたくないものがある。
そして義母が辺境行きを勧めた理由が、少しだけ見えた気がした。
この男と義母は、繋がっているのかもしれない。
---
屋敷の内部は、外観より状態が悪かった。
暖炉に火は入っているが、薪の量が少ない。
廊下が寒い。石の壁から冷気が染み出てくるような感覚があった。
「薪の備蓄は」
「まだ十分に……」
「倉庫を見せてください」
「それはまだ整理が」
「倉庫を見せてください」
同じ言葉を、同じ声量で繰り返した。
ドーネが黙った。
廊下の奥から、小さな足音がした。
振り返ると、六歳くらいの女の子が柱の陰から覗いていた。
茶色の髪に大きな瞳。頬が赤い。
発熱ではなく、寒さで血が集まっているのだとすぐに分かった。
「こんにちは」
セリーヌが膝をついて目線を合わせると、女の子はびくりとした。
「ラヴィといいます……」
「私はセリーヌよ。ラヴィちゃんは辺境伯様のご親族かしら」
「……おじ様のめいです。おとうさまとおかあさまは、いません」
夫の亡き兄の娘だと、義母から聞いたことがある。
兄は辺境伯位を継ぐ前に病没したため、ルカスが跡を継いだ。ラヴィはその忘れ形見だ。
「寒い?」
「……すこし」
「じゃあ、あとで一緒に温かいものを飲みましょう。倉庫を見てきてからね」
ラヴィが小さくうなずいた。
---
倉庫の状態は、予想より悪かった。
薪は残り三分の一以下。冬前に補充する様子もない。
保存食は数は揃っているが管理が悪く、いくつかはすでに傷んでいた。
寝具の倉庫を開けると、カビの臭いがした。
セリーヌは棚を一通り確認しながら、頭の中で計算した。
薪。保存食。寝具。人手。
帳簿を見れば、お金の流れも分かる。
この屋敷は、このまま冬を迎えたら危ない。
大人の使用人はともかく、体の細い子どもが越冬できるかどうか。
「帳簿を見せてください。今年分、できれば去年分も」
「それは辺境伯様のご許可が」
「私は辺境伯夫人です。家の帳簿を確認する権限があります」
ドーネの顔から笑みが消えた。
「……ご用意いたします」
立ち去る背中を見ながら、セリーヌは倉庫の棚に手を当てた。
冷たかった。
石の冷たさが指先から入ってくる。
王都の帳簿に不自然な送金があった。
この屋敷には物資が足りない。
家令は見られたくないものを持っている。
そして義母は、セリーヌをここへ送ることを計算のうちに入れていた。
点と点は、まだ線になっていない。
でも、線の形はおぼろげに見えてきた。
やっぱり、見届けないわけにはいかない。
離縁のために来た。
けれど離縁の前に、この家には冬越しが必要だった。
そしてセリーヌ自身にも、確かめなければならないことができた。
廊下の向こうで、ラヴィが柱の陰からこちらを見ていた。
セリーヌと目が合うと、また隠れた。
セリーヌは小さく息を吐いた。
白い息が、倉庫の暗い空気に溶けていった。




