第11話 修繕と真実
シクスト副官は、三十代前半の、引き締まった体格の男だった。目が鋭く、どこか苦労人めいた雰囲気がある。ルカスから話を通されたと聞いた瞬間、彼の表情は明らかに変わった。
「ようやく、動けます」
その言葉に、セリーヌは察した。彼もずっと、ドーネへの疑念を抱えていたのだ。
「協力してください」
「もちろんです。奥様が来てくださって——正直、助かっています」
ふたりは、屋敷の修繕記録を丹念に調べ始めた。
記録上は「外壁修繕」「窓枠交換」「屋根補修」などの項目が毎月計上されている。しかしシクストが実際に建物を確認して回ると、その多くが修繕された形跡すらない。
「この窓枠」とシクストが言った。「三ヶ月前に交換費用が出ていますが、見てください」
木枠は腐食が進み、隙間風が入り込んでいた。交換など、されていない。
「修繕費の名目で、月に金貨二十枚ほどが出ています」とセリーヌは言った。「年間で二百四十枚以上。それが数年続いているとすれば――」
「相当な額です」
「グラウ商会に流れているとして、そこからさらにどこかへ」
「旦那様のお母上に、ではないかと」
シクストは淡々と言った。セリーヌは頷いた。その名前は、ふたりの間に既にあった。
「証拠が必要です」
「グラウ商会の取引記録を手に入れられれば——でも、向こうが素直に出すわけもない」
「ひとつ、思い当たることがあります」とセリーヌは言った。「イーダさん——街の宿屋の女主人が、グラウ商会の評判について話してくれました。品質と価格が合わないと。ならば、被害を受けた商人が他にもいるはずです」
「商会の取引相手ですか」
「グラウ商会が屋敷に過剰請求をしていたなら、その証拠は屋敷の支払記録と、実際の仕入れ量の差異にあります。倉庫の在庫記録と、帳簿の仕入れ数量を突き合わせれば——」
シクストは目を輝かせた。
「倉庫の実地棚卸しをしましょう。私が兵士を連れて行います」
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棚卸しには二日かかった。
結果は、予想以上だった。
帳簿に記載された仕入れ量と、実際の在庫量の差——小麦粉だけで二十袋分。塩漬け肉は十樽分。その他の食料品でも、軒並み数量が合わない。
「これは……」とシクストが言った。
「仕入れたことにして、実際には仕入れていない。あるいは、格安品を定価で買ったことにしている。どちらにせよ、差額がどこかへ消えています」
証拠は揃いつつあった。
あとは、グラウ商会とドーネを直接結びつける記録だ。
その夜、セリーヌは書き物机に向かいながら、頭を整理していた。
(急いではいけない。完全に証拠を揃えてから動くべきだ。でも、時間をかけすぎてもドーネが証拠を隠滅する可能性がある)
判断が難しい。帳簿の数字を精査するのは得意でも、人を追い詰める経験は少ない。
ノックの音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは、意外な人物だった。
ルカスだった。
「……夜分に失礼する」
「いいえ。どうぞ」
ルカスは部屋に入り、セリーヌが広げた資料を見た。
「進捗を聞きに来た」
セリーヌは整理した内容を説明した。在庫との差異、修繕費の不整合、グラウ商会の関与。
ルカスは黙って聞いていた。その表情は変わらなかったが、目が徐々に険しくなっていくのがわかった。
「……グラウ商会の主人の名前は」
「帳簿にはオルト・グラウとあります」
「知っている」とルカスは言った。「以前、一度クレームをつけたことがある。品質の悪い食料を納品されて。そのとき、ドーネが間に入って『誤解だった』と処理した」
「ドーネが庇ったわけですね」
「……気づいていなかった」
その声に、珍しく自責の色があった。
「旦那様が気づけなかったのは、情報が届いていなかったからです。それはドーネが意図的にそうしていたということでもあります」
「……慰めているのか」
「事実を申し上げています」
ルカスはセリーヌを見た。しばらくの間、何かを測るような目をしていた。
「あなたは、なぜそこまで……」
「私は会計管理が仕事ですから。これは仕事です」
「仕事、か」
「はい」
それは嘘ではなかった。でも全てでもなかった。
セリーヌは、不当に搾取されている人々が許せなかった。薄い麦粥しか食べられない兵士たちが。節約を強いられている使用人たちが。そして、そのことに気づいてさえもらえなかった、この屋敷の全ての人々が。
でも、そこまでを言う必要はなかった。
「もう少し待ってください。もう一押し、証拠が必要です」
「わかった」とルカスは言った。「私にできることがあれば言え」
そして彼は、静かに部屋を出て行った。
廊下に消えていくその背中を見ながら、セリーヌはふと思った。
——この人は、ここにいる。
三年間、顔も見せなかったのに。今は、こうして来てくれる。
それが何を意味するのかは、まだわからなかった。




