表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/19

第11話 修繕と真実

シクスト副官は、三十代前半の、引き締まった体格の男だった。目が鋭く、どこか苦労人めいた雰囲気がある。ルカスから話を通されたと聞いた瞬間、彼の表情は明らかに変わった。


「ようやく、動けます」


その言葉に、セリーヌは察した。彼もずっと、ドーネへの疑念を抱えていたのだ。


「協力してください」


「もちろんです。奥様が来てくださって——正直、助かっています」


ふたりは、屋敷の修繕記録を丹念に調べ始めた。


記録上は「外壁修繕」「窓枠交換」「屋根補修」などの項目が毎月計上されている。しかしシクストが実際に建物を確認して回ると、その多くが修繕された形跡すらない。


「この窓枠」とシクストが言った。「三ヶ月前に交換費用が出ていますが、見てください」


木枠は腐食が進み、隙間風が入り込んでいた。交換など、されていない。


「修繕費の名目で、月に金貨二十枚ほどが出ています」とセリーヌは言った。「年間で二百四十枚以上。それが数年続いているとすれば――」


「相当な額です」


「グラウ商会に流れているとして、そこからさらにどこかへ」


「旦那様のお母上に、ではないかと」


シクストは淡々と言った。セリーヌは頷いた。その名前は、ふたりの間に既にあった。


「証拠が必要です」


「グラウ商会の取引記録を手に入れられれば——でも、向こうが素直に出すわけもない」


「ひとつ、思い当たることがあります」とセリーヌは言った。「イーダさん——街の宿屋の女主人が、グラウ商会の評判について話してくれました。品質と価格が合わないと。ならば、被害を受けた商人が他にもいるはずです」


「商会の取引相手ですか」


「グラウ商会が屋敷に過剰請求をしていたなら、その証拠は屋敷の支払記録と、実際の仕入れ量の差異にあります。倉庫の在庫記録と、帳簿の仕入れ数量を突き合わせれば——」


シクストは目を輝かせた。


「倉庫の実地棚卸しをしましょう。私が兵士を連れて行います」


---


棚卸しには二日かかった。


結果は、予想以上だった。


帳簿に記載された仕入れ量と、実際の在庫量の差——小麦粉だけで二十袋分。塩漬け肉は十樽分。その他の食料品でも、軒並み数量が合わない。


「これは……」とシクストが言った。


「仕入れたことにして、実際には仕入れていない。あるいは、格安品を定価で買ったことにしている。どちらにせよ、差額がどこかへ消えています」


証拠は揃いつつあった。


あとは、グラウ商会とドーネを直接結びつける記録だ。


その夜、セリーヌは書き物机に向かいながら、頭を整理していた。


(急いではいけない。完全に証拠を揃えてから動くべきだ。でも、時間をかけすぎてもドーネが証拠を隠滅する可能性がある)


判断が難しい。帳簿の数字を精査するのは得意でも、人を追い詰める経験は少ない。


ノックの音がした。


「どうぞ」


入ってきたのは、意外な人物だった。


ルカスだった。


「……夜分に失礼する」


「いいえ。どうぞ」


ルカスは部屋に入り、セリーヌが広げた資料を見た。


「進捗を聞きに来た」


セリーヌは整理した内容を説明した。在庫との差異、修繕費の不整合、グラウ商会の関与。


ルカスは黙って聞いていた。その表情は変わらなかったが、目が徐々に険しくなっていくのがわかった。


「……グラウ商会の主人の名前は」


「帳簿にはオルト・グラウとあります」


「知っている」とルカスは言った。「以前、一度クレームをつけたことがある。品質の悪い食料を納品されて。そのとき、ドーネが間に入って『誤解だった』と処理した」


「ドーネが庇ったわけですね」


「……気づいていなかった」


その声に、珍しく自責の色があった。


「旦那様が気づけなかったのは、情報が届いていなかったからです。それはドーネが意図的にそうしていたということでもあります」


「……慰めているのか」


「事実を申し上げています」


ルカスはセリーヌを見た。しばらくの間、何かを測るような目をしていた。


「あなたは、なぜそこまで……」


「私は会計管理が仕事ですから。これは仕事です」


「仕事、か」


「はい」


それは嘘ではなかった。でも全てでもなかった。


セリーヌは、不当に搾取されている人々が許せなかった。薄い麦粥しか食べられない兵士たちが。節約を強いられている使用人たちが。そして、そのことに気づいてさえもらえなかった、この屋敷の全ての人々が。


でも、そこまでを言う必要はなかった。


「もう少し待ってください。もう一押し、証拠が必要です」


「わかった」とルカスは言った。「私にできることがあれば言え」


そして彼は、静かに部屋を出て行った。


廊下に消えていくその背中を見ながら、セリーヌはふと思った。


——この人は、ここにいる。


三年間、顔も見せなかったのに。今は、こうして来てくれる。


それが何を意味するのかは、まだわからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ