資料9:見習いトマの未送書簡(抜粋)
【資料ID:C-02】
執筆者: 見習い修道士トマ
推定執筆時期: 1348年12月13日 深夜
形状: 破り取られた聖書の余白。文字は小さく、震えている。
母上、助けてください。 眠れません。誰も眠っていません。
ミシェルさんが地下に落とされてから、もう三日が経ちました。 院長様は「彼には水も食料も与えていない。すぐに悪魔の力が尽きて静かになるだろう」とおっしゃいました。 でも、音は止まないのです。
夜になると、床下の石畳を通して響いてくるのです。 叫び声ではありません。 カリ、カリ、カリ……という、爪で石を削るような音。 そして時々、ブツブツと誰かと話しているような声が聞こえるのです。
ミシェルさんは独り言を言っているのでしょうか? いいえ、違います。 昨日の夜、僕は耳を床に押し付けて聞いてみました。 ミシェルさんの掠れた声の合間に、別の声が聞こえた気がするのです。 もっと低くて、唸るような、獣のような声が。 「もっとよこせ」「足りない」と言っているようでした。
修道院のみんなも、おかしくなってきました。 隣の部屋のパウル修道士は、耳に蝋を詰め込んでいます。 食堂では、誰も口をききません。みんな、隣に座っている人が「次の魔女」として告発されるのを恐れているのです。 スープはただのお湯みたいに薄くなりました。お腹が空いて、目が回りそうです。
でも、不思議です。 院長様だけは、肌がつやつやとしていて、とても元気そうです。 「祈りが私を満たしているのだ」と院長様は笑いますが、僕にはわかります。 院長様の服から、焼いたお肉の匂いがするのです。
母上、僕はいい子にしています。 院長様の言う通りに証言もしました。 だから、僕だけは守られるはずですよね?
あ、また音が聞こえます。 カリ、カリ、カリ……。 地下から、何かが這い上がってこようとしているみたいです。
【編纂者注】
注1: 幻聴か、現実か。 トマが聞いた「別の声」は、集団ヒステリーによる幻聴の可能性もある。しかし、資料2(会計係の帳簿)にあった「客人」の存在を考慮すると、地下牢の隣、あるいはさらに奥の区画に、院長が隠している「何か」が存在し、ミシェルは壁越しにそれと会話していた(あるいは聞かされていた)可能性がある。
注2: 院長の飽食。 修道士たちが飢餓状態にある中、院長だけが健康であるという記述。これは、院長が備蓄食料を独占しているか、あるいは「客人」のために用意された特別な食事をピンハネしていることを示唆する。
注3: トマの心理。 「僕だけは守られるはず」という一文には、信仰心ではなく、共犯者としての「取引」のニュアンスが含まれている。彼が院長に従ったのは、恐怖からではなく、生存戦略としての計算だったことがうかがえる。




