「邪心の悪魔」VS少女(1)
──東京都内の、ひっそりとした住宅街。
そこに、ひときわ古めかしい大きな屋敷がある。白壁と瓦屋根、長い塀に囲まれ、まるで時代から切り離されたかのような佇まい。その屋敷には今、二人だけの住人がいた。
兄と妹。
来島拓哉──二十歳。病弱ゆえに外の世界とは縁遠く、しかしその端正な顔立ちと儚さが、見る者の庇護欲をかき立てる青年。
来嶋みさき──十七歳。黒髪を背に流す清楚な高校二年生。ミッション系の寮制高校に通うはずが、兄の世話を理由に特別に「自宅通学」を許されていた。
だが二人の両親はもういない。数年前、強盗の凶刃に倒れた。──その日だけ、偶然出かけていた兄妹は生き残った。
残酷で、皮肉な「偶然」だった。
しかしみさきは、時折ふと思ってしまうのだ。
(あの日の事件……むしろ、神様が私に与えたご褒美なのかもしれない……)
そんな不謹慎な考えを打ち消すように首を振り、彼女は今日も兄のもとへ足を運ぶ。
「お兄様、朝のお薬です」
盆に水と薬を載せ、柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、みさき……ほんと、俺がこんな体じゃなければ……同年代の子みたいに、楽しく過ごせたのにな」
その言葉に胸が熱くなる。
母性、庇護欲、そして独占欲。全てが刺激される。
(ふふ……いいのです、お兄様。だって、あなたは私がいなければ生きていけない。あなたの世界はもう、私ひとりだけのもの──)
声に出すのは、もっと穏やかな言葉だった。
「いいんです、気にしないでください」
そう答えれば、彼の良心はさらに揺れる。
「……ごめんな。みさき。俺……やっぱり、一人で療養所に入ったほうがいいかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、みさきの胸に鋭い痛みが走った。
「だめっ!! 絶対に許さないっ!!」
思わず声が荒くなる。
「っ……」
拓哉の目が大きく開かれる。妹がこんなふうに声を荒げたのは初めてだった。
「な、何言うの……! 家族でしょう? どうして一人になろうとするの。甘えてください、私に。お兄様を、一人には絶対させませんから!」
その声には揺るぎない決意が宿っていた。
拓哉はしばし沈黙し、やがて困ったように微笑む。
「……うん。ありがとう、みさき。ごめんな」
再び出た「ごめん」の言葉に、みさきは小さく唇を噛む。
「……その、『ごめん』って言葉……言わないでほしいの。私が、悲しくなるから」
「……わかった。ありがとう」
二人の間に、ひときわ濃い静寂が満ちる。
──そう、この時間が愛おしい。
兄の全てを抱きしめ、独占している実感。
(ああ……もうこの人は、私だけのものなのだわ)
胸の奥で、甘やかな恍惚と、冷たい独占欲が同時に燃え上がる。
――都内某所、旧家の屋敷に帰宅したみさきは、制服のまま大理石の床を踏みしめながら、どこか遠くを見つめていた。
ふと胸に去来するのは、いつまでこの「兄と二人きりの世界」が続くのかという問い。
大学? 社会人? 現実を考えれば、永遠はあり得ない。
けれども、願うことは自由だ。
できることなら――彼と夫婦になり、子供を抱いて、笑い合いたい。
この屋敷ではなく、普通の家庭を築きたい。
「もし海外に行けば……なんとかなるのかしら」
そんな淡い妄想を吐息に変えた、その瞬間だった。
「えっ、海外とか行かなくても、なんとかなるよ。任せてよ」
唐突に背後から声。驚いて振り返ると、そこにいたのは見知らぬ少女。
華奢な身体、ブレザー姿、カールした天然パーマの髪。まるで同年代の転校生のような可憐さを纏いながらも、その瞳には冷たい愉悦が宿っていた。
「あなた……誰?」
問いかけるみさきに、その少女は唇を弧にして告げる。
「ボク? ――悪魔だよ。名前はファタリア。リアって呼んで」
一瞬の沈黙。だがみさきは驚きの声を上げることもなく、むしろ淡々と応じた。
「悪魔、ね。で、何をしに?」
「君のことを見てたら、面白くてさ。お兄さんと“法的に問題ない関係”にしてあげる。そうすれば堂々と夫婦になれるじゃない」
「お願いするわ。……対価は何? 魂とか、そういうのは嫌よ」
リアはくすりと笑った。
「話が早くて助かる。ボクの趣味だから、お金はいらない。ただ条件はひとつ。“ボクの存在を誰にも言わない”こと。第三者に漏らしたら、そのときは――君の魂をいただく」
「……ふぅん」みさきは訝しげに瞳を細める。
「いいわ。それでお願いする」
「ねぇ、少しは驚いたり、感謝したりしないの? なんかさ、下僕扱いされてる気分なんだけど」
「そうね。あなたの言う通りだわ」
みさきはすっと立ち上がり、スカートの裾を押さえて深々とお辞儀した。
「――申し訳ございません。どうぞよろしくお願いします」
その切り替えの速さに、リアは口角を上げる。
「ふふっ。見込んだ通りだよ。じゃあ2〜3日後にまた来る。そのときまでに考えておいて。あ、もう一度言うけど、ボクはリアだよ」
言い残し、少女の姿は霧のように溶けて消えた。
屋敷の廊下に残されたみさきは、長い黒髪をかき上げながら思う。
(悪魔だか何だか知らないけど――まともな取引なんてするわけない。
絶対裏がある。けど、それを逆に利用してやる)
静かな屋敷に、彼女の小さな吐息が落ちる。
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