さつきと芽郁(3)
クラスの中で、ひときわ静かに浮かぶ少女がいた。
名前は――羽兼 芽郁。
休み時間、教室はざわめきで満ちている。
アイドルの話題、昨日のバラエティ、今流行りのブランド服。
机を寄せ合って笑い声を響かせる輪の中に、彼女の姿はない。
芽郁は、窓際の自分の席で文庫本を開いていた。
「……」
ページをめくる音だけが、彼女の世界を刻むリズム。
別に、友達がいないわけじゃない。声をかけてくれる子はいるし、話しかけられれば普通に返すこともできる。
でも、長く続かない。
話題が恋バナに傾けば、芽郁は途端に置いていかれる。
「昨日、彼氏にLINEでさ〜」
「わかる〜、あの曲めっちゃエモいよね!」
――わからない。
男の子のことも、流行りの歌も、雑誌で推されている服も。
まったく興味がないわけじゃないのに、心のどこかで距離がある。
「……入ればいいのに」
教室の隅で笑い合う輪を見ながら、芽郁は心の中で小さく呟いた。
入りたい。笑いたい。
でも、その輪の中に足を踏み入れる勇気が出ない。
(私の居場所は、きっとあそこじゃないんだろうな……)
小さくため息を落とし、視線を本に戻す。
本の世界の登場人物たちは、芽郁に話しかけてはくれない。けれど、裏切りもしない。
ページの向こう側にだけ、彼女の安心できる場所があった。
廊下を歩いていると、ふいに前から声が飛んできた。
「おーい、羽兼〜」
顔を上げると、文芸部の顧問――雨宮先生が、片手をポケットに突っ込みながら近づいてくる。
チャラい歩き方。けれど、妙に親しみやすい笑顔。
「羽兼〜 あんまり考えなくていいぞ〜」
先生は人懐っこく肩をすくめる。
「人間関係なんてさ、時々で薄くなったり、厚くなったりするもんだ。人それぞれなんだから。……お前、真面目すぎるんだよ。俺みたいにテキトーでいいんだって」
そこで、ちょっといたずらっぽく笑う。
「でも、俺みたいじゃあ駄目か。……まあ、俺にできることがあったら言ってくれよ」
胸の奥に、温かいものが染み込んでくる。
――こうやって時々、さりげなく声をかけてくれるのが、嬉しかった。
漫画やラノベの趣味も合う。
私が描いた落書きをたまたま見られて、顔から火が出そうになったのに……
「これ、すげーな!」って、真顔で絶賛してくれた。
そして――先生が照れながら見せてくれた自分のアカウントのイラスト。
……神絵師レベルで、思わず息を呑んだ。
あのギャップ。チャラいところもあるのに、裏ではすごい努力をしてる人なんだって思った。
だからだ。
先生は、私の数少ない「味方」だった。
誰に対しても分け隔てなく、力関係で人を見たりしない。
何度も、そうやって私を救ってくれた。
「んじゃ」
軽く手を振って、雨宮先生は廊下を歩き去っていく。
――彼女とか、いるんだろうな。
あの雰囲気なら、気に入った女性には後先考えずアタックするんだろう。
そう思うと、胸の奥に小さなチクリとした痛みが残る。
***
放課後
普通に授業を受け、帰宅して、課題と復習と予習をこなし、そしてイラストを描いて過ごす。
こんなとき、同年代の女子なら――彼氏の話とか、流行りの服とか、スマホでやり取りしてるんだろうな。
私はといえば。
ヲタ友と掲示板で最近流行りの漫画やアニメの話をちょこっとやり取りして、それで満足してしまう。
ここが、数少ない「私の居場所」だった。
……でも、心のどこかで考える。
――今日も、先生のこと。
そもそも、女子として認識されていないんじゃないか。
もしそうなら、どうしようもない。
このまま年を取っていくのかな……?
大学デビューすれば変われるのだろうか。
でも、理系のキャンパスにあの「キラキラした大学生活」なんてある気がしない。
いや、そもそもそこまで興味がない。
そこが一番の問題で。
私は、誰かにどう見られるかよりも、好きなものに囲まれて過ごしていたい。
――でも、その「好き」が、普通の女子のそれと大きくズレている。
だから孤独
だから浮いてしまう。
それでも――気になる人はいる。
人間関係がまるでダメな私を。
ヲタク趣味全開の私を。
……受け入れてほしい。
(なんだこれ……えらい矛盾じゃん、私……)
そう思いながら、机にうつ伏せた。
矛盾だらけの想いは、どこにも吐き出せないまま胸に溜まっていく。
――背中の方から、突然声が降ってきた。
「えっ……ヲタクな趣味、いいじゃん。私、少し違うけど、70年代の劇画を語らせたら熱いよ。それと80年代のヘビメタ、そっちはもっと熱く語れるよ。人間関係なんて壊滅的だよ、うん」
振り返る――目の前に、華奢な体、髪先がくるりとカールした天然パーマの美少女が立っていた。
制服はブレザー。普通の女子高生のようで――けれど、何かが違う。
「えっ、あ……あわわ、あわわ……」
思わず腰が抜けた。立てない。足が地面に張り付いたように動かない。
「ハッハッハッハッ!」
少女は笑う。声は高く澄んでいるのに、どこか不気味さが混じる。
「私の名前は、ファタリア・テネブリス。人呼んで、笑ゥせぇるすうーまん。
ただのセールスウーマンじゃございません。私の取り扱う品物は――心、人間の心でございます」
芽郁は、這いつくばるように後ずさる。
「あひっ、た……たすけて……」
腰が抜けたまま、逃げようとする――しかし、足はまるで意志に反して動かない。
ファタリアは、少し首をかしげる。
「……あれっ、これ鉄板って聞いてたけど、なんか違うよ。ホーホッホッって言わないからかな。まあいいや、少し落ち着こうね」
芽郁の目に、彼女の姿はただただ不気味に、そして少し滑稽に映る。
冷や汗が背筋を伝い、心臓が耳まで響く。
――この出会いが、私の平穏な日常を根底から揺るがす、最初の一撃になるなんて、思いもしなかった。
教室での静かな日々――好きな漫画とイラスト、掲示板でのやり取り。
すべてが、今、この瞬間、遠い過去のように感じられる。
芽郁は、必死に自分を落ち着かせようと息を整える。
けれど、背筋に走るぞくりとした恐怖は、簡単には消えなかった。
「ふふ、さて……まずは心を開いてもらうところからだね」
ファタリアの笑みは、どこか挑戦的で――冷たくも、どこか楽しげで。
芽郁はその視線に、ただ怯えるしかなかった。
成政と申します。
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