さつきと芽郁(2)
悪魔はにんまり笑った。
「じゃあいくよ~」
「ドーンッ!!!!」
「ぎゃーっ! ……って、あれ? 何も変わらないじゃない」
「うん、やってみたかっただけだからね。二、三日待ってて」
そう言い残し、悪魔は闇に溶けるように姿を消した。
――ほんとうに、これで大丈夫なのだろうか。
そして――三日後。
朝、目を覚ました瞬間。
そこは知らない部屋だった。
見慣れない天井、甘い香りのするカーテン。そしてベッドの横には――。
「おはよう」
眼前に立っていたのは、リア。
「登校時間まであまりないから、手短に。――ええ、変わってますよ。安心してください。それじゃあ、いきなり登校スタートです。まあ、なんとかなります。では」
そう言うとリアは、煙のように消えた。
「……ちょ、ちょっと待って!?」
慌てて身を起こすと、鏡に映ったのは――。
「あっ……ああ……この娘は……羽兼さんか〜!」
息をのむ。次の瞬間、歓喜の声が爆発した。
「大当たりだわ……! すごすぎて実感がない。いきなり“連邦の白いやつ”をあてがわれたくらいの大当たり! うん、ありがとうリア!」
胸の奥が熱くなる。
その直後、頭の中に奔流のようなものが流れ込んできた。
「っ……! き、きた……! こいつ……動くぞ!」
一気に理解した。羽兼芽郁の知識、経験、交友関係――ぜんぶがインストールされていく。
「すごい……これ、1軍どころか、直ぐてっぺん狙えるわ!」
頬がにやけるのを止められない。
「やる……やるわ、この驚異的な伸び代で、栄光の学生生活を謳歌してやる! 頂点に立つ! 落とせない男なんていないに等しい!」
笑いがこぼれる。
それはやがて、抑えきれない爆笑となって部屋に響き渡った。
「ふははははっ! ぐはははははっ!」
――こうして、新たな学園伝説が幕を開ける。
こうして――。
元・坂本さつきは「羽兼芽郁」として新しい人生を歩み始めた。
地味子で通していた眼鏡を外し、笑顔を絶やさず、積極的に人と関わる。
結果――。
クラスの空気は一変した。
ひと月も経たないうちに芽郁は“1軍女子”の一角に収まっていたのだ。
もちろん、やっかみや陰口も少なくはなかった。
だが、それらを笑顔と軽妙な立ち回りでかわし、むしろ利用することで加速度的に存在感を増していった。
――昼休み。教室の真ん中で。
「芽郁さ〜! この前のアドバイスありがと。芽郁の言う通りにしたら、彼、イチコロだったよ〜!」
弾ける声で萌が駆け寄る。
「今度さ、彼氏と一緒にカラオケ行こうよ」
「いいよ〜」と芽郁は余裕の笑みを浮かべる。
「ね、ああいうタイプって先に意識させとけば、もう向こうから寄ってくるんだよ。任せなって。意外にチョロいんだから」
「え〜」と美樹が目を丸くした。
「めちゃ優等生なのに……どこでそんなこと知ってたのさ? ドラマとか?」
芽郁は小さく肩をすくめ、声を落とす。
「実はね……前の彼氏が束縛系でさ。他校の人だったんだけど、“地味子でいろ”って言われて。だから律儀に守ってたの。えらいでしょ、私?」
「なにそれ! 健気すぎ!」
「でも、もう別れたし。……解放感ってやつ? ふふ」
「じゃ、今の彼氏って冬司でしょ? どんな感じ?」と美樹が身を乗り出す。
「うん、あれは王道の有望株だね」
芽郁の目が楽しそうに細められる。
「性格いいし、気遣いもできる。伸びしろあるよ。将来、絶対化ける」
「……さすが観察眼が違うね」
芽郁は今度は美樹に向き直った。
「そういえば美樹、彼氏探してるんでしょ? ならさ、3軍の香川、おすすめだよ」
「は? あのガリ勉?」
「そうそう。地味だけどね、仕事できるタイプだよ。勉強しかしてないのに余裕あるし、実家も太い。自営でもやれる器。今なら誰も手をつけてないから、先行投資だね」
「……投資対象扱い!?」
「逆に言うと、1軍の山下はやめといたほうがいいよ。学生時代しか通用しない。たぶん将来はクズ化する。斎藤も似たようなもん」
「なにそれ〜」と萌が笑い転げる。
「芽郁、なんか三十路前の女みたい! 超ウケる!」
芽郁はウインクを飛ばした。
「でしょ? 実は一回、三十路前を経験してんのよ〜」
――その瞬間。
教室のドアが開き、英語教師が入ってくる。
芽郁はふと、視線を上げた。
彼女と目が合い――小さく微笑み合う。
「……まあ、向こうも上手くやってるみたいね」
唇の端を上げ、誰にも聞こえない声で呟く。
「え? なに〜? 今の何?」と美樹が怪訝そうに顔を覗き込む。
「んーん。こっちの話だよ〜」
今日も、教室には笑い声とざわめきが溢れる。
その中で――羽兼芽郁は確かに、“この世界の主役”として時を刻んでいた。
それから、季節がいくつか巡った。
高校内での私は――いや、「羽兼芽郁」という少女は、誰からも一目置かれる存在となっていた。
控えめで目立たなかったあの頃とは正反対。
気がつけば私は中心にいて、声をかけられ、頼られ、羨まれ、時に妬まれる。
それでも私は笑って受け流し、いつしか“女子のトップ層”に居座っていた。
進路もほぼ決まり。恋人も順調。
未来は明るく、手に入れたいものはすでに手中にある。
――はずだった。
その夜。
私の部屋に、あの少女がふらりと姿を現した。
「いや〜、無双してるねえ」
軽やかな声。机に腰を掛ける姿は、まるで人間の形をした影のよう。
「ボクが何もしなくても、君、てっぺん取ったじゃないか。」
「うん。チョロかったよ。大学もほぼ決まりだしね」
私はあっけらかんと返す。
「彼と同じところに進学するんだ。もう教師はしない。……あなたにお金払いたいくらい」
リアは口元を綻ばせ、芝居がかった調子で言う。
「“いいえ、お金は一銭もいただきません。お客様が満足されたなら、それが何よりの報酬でございます”」
「ふふ……そのセリフ、言ってほしかったの。嬉しいわ」
「うんうん。じゃあ――ああ。もしボクの力がいるときは、“リア”って呼んでね。」
そう告げた次の瞬間、彼女の姿は揺らぎ、霧が消えるように掻き消えた。
私は深く息を吐き、にやりと笑った。
「これからも私は――無敵だ。ふふ……」
──だが、その様子を空から見下ろす影がいた。
リア。
高みから都市の夜景を見下ろしながら、赤く光る瞳で囁く。
「ふふ……まあ、後は“自己責任”なのさ。最初に言っただろ? 慢心するからさ」
声は風に溶け、誰の耳にも届かない。
「大学時代に今の彼を見限り、将来性のある新しい男に乗り換える。そんなことを何度も繰り返せば……恨まれるさ。裏切りには報いがある。自業自得……」
甘美な未来視の映像が、彼女の瞳に映る。
「複数の男と関係を持ち、愛憎の果てに喧嘩から刺され、顔と足に深い傷を負う。……そして車椅子の生活を余儀なくされる」
リアは恍惚と目を細める。
「その時の彼女の焦燥、絶望……ふふふ。想像しただけで胸が震える」
「――ああ、彼女は何を“対価”にボクに縋るんだろうね? 楽しみで仕方がない。
自己責任って言い放って無視するのも面白そうだな」
口角を吊り上げるその笑みは、夜闇そのものよりも邪悪で――冷たく妖艶だった。
成政と申します。
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