ようこそ【HAPPY PLACE】へ
19世紀後半の西洋がモチーフです。
【HAPPY PLACE】
それは人が真に困り果てた時に現れる謎の店。
従業員の構成は7名。
紳士、淑女、少年、双子の少女、メイド。
そして店主の青年だ。
彼らは『便利屋』を生業としている。
お客様が望むものを提供するのが便利屋。
しかし、その代償として時に依頼人自らの命を要求する。
何故命が代償なのか?
それは直接彼らに会えば分かるだろう。
今日も1人の迷い人が幸せを求めて彼らを訪れる。
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大荷物を持った1人の紳士が古びたドアを開ける。
ドアの前には【HAPPY PLACE】という汚れた看板がぶら下がっていた。
ドアは軋みながらゆっくりと開き、1人の客人を歓迎した。
店内に入ると、そこは雰囲気の良いバーの様であった。
薄暗い店内の右側にはカウンターがあり、左側には4つほどテーブルが並べられている。奥にはレストルームがあった。
紳士は店内を見回すが、誰もいる様子が無い。
紳士は被っていたハットを手に持ち、「すみません」とそれ程大きくない声で言った。
するとカウンターの奥の【STAFF ONLY】と書かれたドアから1人のメイドが姿を現した。
「お好きな席へどうぞ。」
メイドはカウンターの席へと紳士を案内した。
紳士が歩く度に、床の木は若干軋むような音を出す。
紳士はカウンターの近くにあったツリーハンガーにハットとコートをかけ、席に着いた。荷物を床に置くと大量の金属が擦れるような音がした。
「何に致しましょうか?」
メイドの言葉に紳士は悩んだ。
何故なら彼は酒を飲みに来たわけではないからだ。
何か必要なことをするために、目的地へと歩いている途中、吸い込まれるようにこの店にやって来たのだ。
「……席に着いてからで申し訳ないが、私は今日、飲みに来たわけではないんだ。」
メイドはそれを聞いて、紳士に微笑みながら言う。
「では、店主を呼んできますので少々お待ちください。」
メイドはカウンターの奥へと消えた。
そして数分も経たずして、店主と思われる人物がカウンターへと現れた。
現れたのは美青年だった。
黒いスーツ、黒いネクタイ、黒い髪、赤い瞳。
きっちりと髪型を整えた彼の歳は18くらいに紳士の目に映った。
紳士は若者が店主を務めていることに驚いたが、それは胸に潜めた。
「ご用件は?」
青年は赤い瞳で紳士を真っ直ぐと見ながら言った。
すると紳士はポツリポツリと話を始めた。
「私は……我が子をマフィアにさらわれました。愛する愛娘、リーナを誘拐されたのです。昨晩の事です。私は医者を生業としているのですが、昨日は患者様が様態を急変なさり、帰宅するのが遅れてしまいました。深夜2時くらいでしょうか……私は家に着き、リーナの部屋の明かりがついていたので、夜更かしをしているのではないかと思い、彼女の部屋へと向かいました。しかし彼女はいませんでした。代わりに血の様な赤い文字で『娘を返してほしければ身代金千金貨を用意してクラベル橋の下に来い』と壁に大きく書かれていました。この街を拠点としている【グリード】というマフィアの紋章もありました。」
紳士は下を向きながら話を続ける。
「それで今日、急いで金貨を千枚用意して、クラベル橋に持っていこうとしていたのです。」
「千金貨で愛娘は戻ってくるという保証があるのか?」
青年の問いに紳士は顔をさらに曇らせた。
「……分かりません。ですが、私にはこうすることしか……」
「これを見てみろ。」
紳士は顔を上げ、青年の方を見た。
青年の手のひらの上に紳士の愛娘リーナが手足を拘束され、口を縛られている様子が映し出されていた。
紳士は飛びつく。
「リーナッ!!!リーナッ!!今助けに――――!!」
「これに叫んだところで、あなたの声が彼女に聞こえることはない。」
「あんたの仕業なのかッ!?」
紳士は立ち上がり、カウンター越しに青年の胸元を掴んだ。
「違う、とだけはっきり言っておこう。」
「じゃあどうしてリーナの状況が分かるッ!」
「落ち着いた方が良い。そのメイドに殺される前に。」
青年に言われて紳士は後ろを振り向こうとしたが、先ほど居たメイドが後頭部に拳銃を突きつけていたため、ゆっくりと前を向き、おとなしく青年の襟元から手を放して席に着いた。
青年はネクタイを整え、紳士の顔をじっと見つめる。
「どうしてこんなことに……ッ!」
紳士はカウンターを拳で強く叩き、うつむいた。
紳士は怒り、恨んだ。
昨日、自分がもっと早く家に帰っていれば。昨日、患者の様態が急変しなければ。あの患者が居なければ……
昨日、あの患者がさっさと死んでくれていたら。
紳士にそのような思いがこみ上げると青年はニッと笑った。
「ウチを雇うつもりはあるか?」
青年の声に紳士は顔を上げて、苦笑しながら言う。
「あんたたちを雇う?一体それでどうなる?」
「あんたの愛娘を救うことが出来る。」
「そんな訳――――」
紳士の言葉を遮って青年は話を始める。
「ここは【HAPPY PLACE】。悩める迷い人を救い、幸せへと導く場所。紳士よ。お前の望みは何だ?」
青年の赤い目はより一層赤く、そして黒く、紳士の目に映った。紳士は息をのみ、青年の問いに答える。
「私の望みは……リーナをマフィアから救い出すこと……」
「お前はそのために自らの命を差し出せるか?」
自分の娘のためならば……
「私は命を差し出せる。」
青年は紳士の言葉を聞いて、ニッと口角を上げて笑った。
「Deal !!」
紳士は青年の表情を見て恐ろしくなると同時に、何故かその感情と同等の大きさの安堵を得た。
「では、君の娘はウチが必ず救い出そう。傷一つ付けずにな。」
そして青年は1つのカクテルを作り始めた。
手際よく作られていくそのカクテルの名は……
「【アキダクト】だ。愛娘を待っている間暇だろう。お代は要らない。最後の一杯をゆっくり味わうといい。」
青年はそう言うと、紳士の前から音も無く姿を消した。
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クラベル橋、橋下。
暗く湿ったそこには1人の大男がいた。髪は無く、代わりにタトゥーが顔や首筋にまで掘られていた。
目には大きな古傷があり、手には黄金に輝く指輪がはめられている。
そんな大男の前に1人の男が現れた。
その男はコートとハットを着用し、手には大きなバッグを持っていた。
ハットを深くかぶっているため、コートの男の顔は確認できない。
しかし、大男にとってそんなことはどうでもよかった。それよりもバッグの中身が重要だった。
「やっと来たか。中身を確認させろ。」
コートの男はバッグを大男の方へと投げた。
それが地面に落ちると、中から大量の金貨が溢れ出た。
「フン……ちゃんと用意してきたようだな。」
大男は屈んで中身を再度確認した。
そして立ち上がり、どこからともなく出した拳銃の銃口をコートの男へと向ける。
「それじゃあ、お前は用済みだ。」
そして大男は引き金を引いた。
弾丸はコートの男の顔面に直撃した。
しかしコートの男は微動だにしなかった。
被っていたハットが地面に落ち、顔が露になる。
コートの男は美青年だった。
そしてその美青年はニッと笑い、奥歯で噛んで止めた大男の弾丸を見せた。
大男は驚き、動揺したが、さらに動揺は加速した。
何故なら美青年の格好が変わっていたからだ。
黒いスーツ、黒いネクタイ、黒い革靴、黒い髪、赤い瞳。
おぞましく異様な雰囲気が美青年から漂う。
「な、なんだお前はッ!」
「私はラースト。迷い人を導く天使であり、あなた方の悪魔だ。」
ラーストと名乗ったその美青年から発せられる異様なおぞましさに全身に震えを生じた大男は銃を構えて何発も撃ちながら叫ぶ。
「お前たちッ!!!やれッ!!!」
大男は何かあった時のために十数名の部下を近場に配置していたのだ。
ラーストを囲むように配置された部下たちは一斉に彼に向って発砲した。
しかしその美青年はまたもや微動だにしなかった。
皆が弾丸を撃ち終わると、美青年は影を残して姿を消した。
「なッ……!!!」
次の瞬間、周りにいた部下たちは次々に首筋から血を噴き出して倒れた。
「ど、どういうことだッ!!何が起きているッ!?」
大男は銃を捨ててその場から逃げ出した。
走りながら後ろを振り向くとゆっくりと歩いてこちらに向かってくる黒い影がいた。その影はドス黒く、赤い目とニヤリと笑った歯だけがはっきりと大男の目に映った。
一目見ただけで異様な存在であると言えるその姿を見た大男は必至で走り、街中へ逃げ込んだ。
走り、走り、走り、走り続けた先で、彼は限界に達し立ち止まる。
切れた息を壁に手をついて整えようとした次の瞬間、それは彼の近くにいた。
コツコツと足音を立てながら近づいてくるそれはもはや人間とは言い難かった。
「あ、悪魔め……」
大男は震えた声で苦笑しながら言った。
彼が瞬きをすると目の前からそれは消え、切り裂かれた腹から自分の中身が出る様を見ながら、壮絶な痛みに叫ぶことも出来ずに意識を失った。
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マフィア、【グリード】の事務所の地下室にリーナは縛られていた。
地下室には明かりとしての蝋燭が一本灯っているだけで、薄暗く、ジメっとしている。
彼女は知らないうちにそこに縛られていた。
リーナは昨日の事を思い出す。
父と寝る前の挨拶を欠かさなかった彼女は、父親が帰ってくるまで出来る限り起きているつもりでいたが、睡魔に耐えきれず、ベットで就寝していた。
そして次に目を覚ました時にはこの薄暗く湿った部屋に縛られ、閉じ込められていた。
何が何だか分からないまま、そこに縛られ続け、身動きも取れずに一体どれくらいの時間が経ったのか、彼女には分からなかった。
しかし彼女は助けを待つことしかできない。
部屋の中には黒いビニールの様な何かに包まれている大きな荷物が多い。一体それが何なのか、彼女ははっきりと理解してはいなかったが、本能では理解していた。
いずれ自分もこうなるのではないかと。
しかし、彼女は生きることを諦めてはいなかった。
いずれ、父親が助けに来てくれる。
ただそれだけを信じて、彼女は待ち続けていた。
そしてついに地下室の扉が開き、地下室に光が差し込んだ。
階段を下りてくる2人の足音。
その2人はメイドと美青年だった。
メイドはリーナを縛っていた縄をほどく。
そして美青年は言った。
「君を助けに来た。さあ君の父が待っている。帰ろう。」
手を差し伸べる彼の手を取って少女は立ち上がった。
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紳士の目の前には既に空になったカクテルグラスが置かれていた。
普段、同数の弱い酒でもすぐに酔ってしまう紳士は酒を飲む際にはゆっくりと飲むことを意識していたが、今日はそんなことに気を置いている余裕は無かった。
頭の中は娘の事でいっぱいで、それどころではなかったのだ。
あの美青年が居なくなってからそれほど時間が経っていないにもかかわらず、彼にとってその時間が気が遠くなるほど長く感じていた。
10分ほど経って、店のドアが開く音がした。
美青年が帰ってくる時間にしては早すぎる、と、紳士はドアが開いた時に感じた喜びを押し殺した。
だがその必要は無かった。
「パパ!!!」
その声に紳士は飛び上がるように立ち上がってドアの方を向いた。
そこには愛娘のリーナがいた。
「リーナッ!!!」
「パパ!!!」
2人は互いに走って近づき、抱きしめた。
「本当に……本当にすまなかった……」
紳士は涙を流しながらリーナをギュッと抱きしめる。
「パパ……怖かった……」
リーナも涙を流しながら父親を抱きしめた。
気持ちが少し落ち着いた紳士は立ち上がり、礼を言おうとした。
だが、この路地を見渡しても誰もいない。
「……誰に礼を言おうとしたのだか……」
紳士は自分がさっきまで誰かに礼を言おうとしていたことに疑問を感じた。
だが、今はそんな疑問はどうでもいい。
目の前にいる愛娘をもう一度抱きしめる。
「さあ、家に帰ろう。」
「うん!」
紳士と少女は手をギュッと繋いで路地を歩き始め、街に消えて行った。
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美青年はバーのカウンターに座り、新聞紙を広げる。
見出しには【多発する交通事故】と書かれている。
最近、馬車と歩行者の交通事故が何件も発生しているという。その原因は馬車馬の急な暴走。カーターの技術不足だという。
そしてその記事の末尾に犠牲となった人の名が連なっていた。
「事故か。この国にはまともなカーターがいないのか?」
美青年はメイドに言った。
「少なからず、私たちのカーターは優秀ですからご安心ください。」
「そうでなければ困るがな。」
カクテルを飲みながら新聞紙を読み進める美青年。
そしてある記事に目を付けた。
【帝国のスパイか?情報戦争の危機】
そして美青年は言う。
「仕事が増えるかもしれないな。」
そして店のドアが開く。
そこには肩に弾丸を受けた男がいた。
美青年は立ち上がる。
そして美青年は言う――――
「ようこそ、【HAPPY PLACE】へ。」
彼らに救われた2人の後日はご想像にお任せします。
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