第50話「言葉を残して、扉は開く」
制度ノートは、3冊に印刷された。
表紙には、白地に小さく明朝体で一行だけ。
『制度をこえて、暮らしへ。』
役場には1部、村の図書室には1部、
そして最後の1冊は、今、灯の膝の上にある。
「……ほんまに、終わったんやなぁ。」
葵が縁側に腰を下ろしながら、ため息まじりにつぶやいた。
カフェの室内では、木のカウンターが仕上がりかけている。
「あと、冷蔵庫とポットが来たら仮オープンできるな。」
「内装、思ったより“おしゃれすぎない”のがええわ。あんたらしい。」
葵は笑って、持参したシュークリームを袋ごと手渡した。
「ほら、明日の仮オープン、差し入れ。」
「ありがとう。……来るんよね?」
「当たり前やん。」
ふたりで、ひと口ずつ甘いものをかじる。
春の陽射しが、縁側の柱に斜めに落ちていた。
灯は、静かに問いかけた。
「迷ってなかった?」
葵は、答えるまでに少し時間を置いてから、首を横に振った。
「今も迷ってる。でも、“やらなかったらきっと後悔する”って思ったから、一歩出しただけ。
あんたみたいにカフェを始めたわけちゃうけど……好きなこと、続けられるように、頑張ってみるわ。」
灯はうなずいた。
「……うちも多分、ずっと模索してる気がする。でも、こうして“開いてる場所”があるって、それだけでちょっと安心するんよね。」
「それ、うちも思った。」
しばらく沈黙が流れた。
でも、ふたりの間には、何かが“終わった”というより、
“ここから続いていく”気配があった。
縁側の奥では、千尋が制度ノートに最後の手直しを加えていた。
「……できた。」
灯と葵がそっと近づく。
千尋は、一番最後のページを開き、声に出して読み始めた。
「このノートが、制度の記録であることはたしかです。
でも私たちにとっては、それだけではありません。
これは“暮らしのはじまり”であり、“出会いの証”であり、
誰かがこの場所をまた訪れるとき、ほんの少し安心できるように残した記録です。
あなたが読むその日が、いい日でありますように。」
ふたりとも、何も言わずに頷いた。
千尋はそっとページを閉じる。
「……さて、提出してくるか。」
灯が笑った。
「お願いします、編集長。」
「記録魔な。」
千尋が照れくさそうに言い直す。
陽が傾いてきて、縁側がオレンジ色に染まっていく。
「なぁ。」
葵がふいに声を出す。
「また3人で、どっか行こな。」
「うん。」
灯が頷く。
「行こ。」
千尋も小さく微笑んだ。
制度は終わった。
でも、それで終わりじゃなかった。
3人は、今日もここにいて、
明日もまた、それぞれの場所へ歩き出す。
玄関に、手描きの小さな張り紙が揺れている。
『仮オープン:灯’sカフェ あした』
扉は、もう開いている。
この物語は、「制度」という枠組みのなかで出会った三人が、
その枠の外で、“自分の暮らし”と“自分の言葉”を見つけていく話でした。
灯は、場所をひらく人に。
葵は、迷いながらも一歩を踏み出した人に。
千尋は、記録を残す責任を選んだ人に。
制度が終わっても、彼女たちの時間は、
誰かにとっての“あたたかい余白”として、そっと続いていきます。
そして、もしあなたがこの物語の続きを、
もう少しだけ覗いてみたいと思ってくれたなら――
その声が届いたとき、また彼女たちの時間を綴ります。
物語の扉は、そっと開けたままにしておきますね。
もし、続きが読んでみたいと思われた方がいらっしゃいましたら、
応援の程よろしくお願いします。
この作品はこれで一応完結です。




