第48話「灯、“はじめてのお客さん”」
湯気の立つマグカップを両手で包みながら、灯は縁側に座っていた。
春の風がそっと吹き抜け、軒下に吊るした風鈴がかすかに鳴る。
カフェにする予定のこの空き家には、まだ看板もなければメニュー表もない。
あるのは、掃除された部屋と、縁側に並んだ三脚の丸椅子。
そして――心だけだった。
(たとえ誰も来んでも、自分のために開けてる。今は、それでええ。)
そう思えていた。
軒下のガラス戸がカラリと鳴る。
「こんにちは……あいてる?」
声に振り返ると、杖をついたおばあさんがひょっこり顔を出していた。
「あ、どうぞ。まだ準備中なんですけど、よければ……」
戸惑いながらも椅子を勧めると、おばあさんはにこっと笑って腰を下ろした。
「この場所、昔ね、縁側で井戸端会議してたのよ。……今も変わらんのね、風の通り道が。」
灯は黙って頷いた。
急須の湯をさし、少し温めていた豆をハンドドリップで淹れる。
「お砂糖とかミルクは……」
「いいよ、香りを楽しみたいわ。」
2人でコーヒーを飲む。
カップの中で、湯気だけが言葉の代わりにくるくると揺れていた。
「……あんた、制度の人だったんやね?」
灯は、少し驚いておばあさんを見る。
「村の若い子たちから聞いたよ。何か始めようとしてるって。」
少し迷ったあと、灯は言った。
「制度は終わったけど、私はここで“開いている場所”を作りたいと思ってます。誰かが来るか来ないかじゃなくて、ただ“開けておく”。」
おばあさんはコクリと頷いた。
「……それは、ええことやよ。開いてる場所があるだけで、人は救われるんやから。」
カップを置いて、そっと立ち上がる。
「また来るわ。今度は友だちも連れてね。」
「……はい、お待ちしてます。」
去っていく背中を見送りながら、灯は深く息を吐いた。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
(制度やない。営業日でもない。ただ“開いていた”だけ。けど――)
それが、灯にとっては人生で初めてのお客さんだった。
グルチャを開いて、千尋と葵にメッセージを送る。
灯:「さっき、村のおばあさんが来てくれた。カフェじゃないけど、初めてのお客さんになった。」
すぐに反応が返る。
千尋:「それ、制度ノートに入れたい。むしろ最終章。」
葵:「うちも行きたかったなぁ!次、誘ってな。」
画面を見ながら、灯はそっと呟いた。
「……ありがとう。開けててよかった。」
縁側に射す光が、少しだけ優しくなった気がした。
灯が“制度の外”で初めて迎えた「お客さん」。
それは決してチラシを配ったり、SNSで宣伝したりした結果ではなく、
ただ「そこに灯がいて、開けていたから」生まれた、静かな出会いです。
この話で描きたかったのは、「営利目的でも制度の成果でもない“居場所”の価値」。
人が人として“誰かの存在に救われる”という瞬間は、決して派手なものではないけれど、
確かに人生の深いところに灯りをともすものだと思っています。
グルチャでの3人の自然な言葉のやりとりも、
関係性が制度を越えてなお続いていることの証として、
大切に描かせていただきました。




