第41話「灯、初めての“事業計画書”」
月曜の午後、倉本灯は大学の図書館の片隅で、ノートパソコンと睨めっこしていた。
画面には、「起業支援補助金申請書類」と書かれたPDF。
右手には、村の役場でもらった“地域空き家活用事業”のパンフレット。
そして、左手の指先には、何度も入力し直しては消した文字たちの、うっすらとした痕跡。
――あなたの事業の「社会的意義」と「地域への波及効果」を記してください。
その一文を前にして、灯は3時間以上も手を止めていた。
「社会的意義って、なんやろ……うちがやりたいのって、そんな大きいもんちゃうのに」
灯’sカフェ。
村の空き家を活用して、地元の人が立ち寄れる小さな喫茶スペースをつくる構想。
縁側、薄めのコーヒー、談笑、時々沈黙。
それだけの風景を、もう一度自分の手でつくりたい――ただ、それだけだった。
でも、“それがどう地域課題を解決するのか?”と問われると、うまく言葉が出ない。
その日の帰り道、学内のベンチで後輩らしき学生たちが話しているのが耳に入った。
「また補助金で地方カフェ? 夢見がちすぎて草」
「てか、制度だけ使って撤退してるの、多くない?」
「うちらの税金って感じするやつやん(笑)」
灯は足を止める。
(ウチのこと、言われてる気がする……)
何も言い返せなかった。ただ、喉の奥が詰まったまま、駅まで歩いた。
その夜、自室に戻った灯は、
「空き家 カフェ 失敗」と検索してしまっていた。
いくつもの“撤退報告ブログ”がヒットした。
その中のひとつが、彼女の目に留まった。
《“箱”から始めた私は、結局“人”に辿り着けなかった》
――地方に移住し、空き家でカフェを始めた女性の記録。
「おしゃれな空間を整えても、誰も来なかった。
“ここにある意味”を考えてなかった」
“ここにある意味”。
灯は、カフェの名前を思い返す。
「灯’sカフェ」――自分の名前を冠したくせに、その場所の意味を、まだちゃんと考えてなかった。
(うち、ほんまにやりたいんか?)
でも翌朝、ふと見返した写真が、灯を動かした。
村の縁側。縁に座るばあちゃんが、手を振って笑っていた。
「またおいで」――あの言葉が、写真越しに聞こえた気がした。
そして灯は思った。
(ここに来ないと、“思い出せない言葉”がある気がする)
自分のやりたいことが、“制度の用語”で語れないなら、
自分がそれを感じた場所に戻るしかない。
灯は、鞄にノートを入れ、村へ向かった。
その週末。灯は空き家の前に立っていた。
玄関を開けると、少し湿った木の香りと、古びた空気が鼻をくすぐった。
靴を脱ぎ、縁側に座る。
ゆっくりと、ノートを広げる。
空白のページの最初に、こう書いた。
『灯’sカフェ――“箱”ではなく、“縁側”のような場所をつくること』
『社会的意義:
この村には、コンビニもカフェもないけれど、
縁側と湯呑と、よくしゃべるおばあちゃんがいた。
私は、あの縁側が好きだった。
だから、“そこに人が来る理由”を作りたい。
この村に、静かに開かれた場所を、ひとつだけ。』
書き終えて、灯は少しだけ笑った。
(ウチは、“人”のために始めたい。制度のためじゃなくて)
申請書のフォーマットに沿うかどうかはわからない。
でも今、ようやく“書けた”気がした。
【第41話 了】
この修正版では、**「なぜ村で書類を書くのか」**にしっかりと“物語上の理由”を与えました。
制度に提出する言葉は、単なる装飾ではなく、
自分の実感から出た言葉でないと意味がない――
そのことに、灯はこの回で気づき始めます。




