第34話「水野千尋、残すか、捨てるか」
ゼミ室の長机には、プリントアウトされた報告書の草稿がずらりと並んでいた。
「水野さん、悪いけどこの制度ページのとこ、校閲入れてもらえる? データと一致してるかも確認したくて」
教授にそう頼まれた千尋は、「はい」と即答した。
それは反射に近い。感情の乗らない返事だった。
机に広げられた報告書は、全十数班の活動実績をまとめたもの。
学生の行動履歴、住民アンケート、地域課題の検出、活動内容の整理。
表現を整え、文言を均一化し、統計と突き合わせる。
そういう作業に、千尋は慣れていた。
水沢村のページに差しかかる。
自分が行っていた、あの村。
そこに書かれていたのは、
> 空き家調査を通じて、居住可能な建築の条件と地域の需要ギャップを明示
> 村人からの聞き取りを通じて、若者との距離感や希望の所在を整理
(……そんな“通じて”とか言えるほどのもんやったか?)
千尋は無言で、赤ペンを走らせた。
「距離感」という言葉が曖昧すぎると感じて、具体性のある文に差し替える。
“記録”として残すには、意味が明確でなければいけない。
けれど、“記憶”のなかでは、そんなにスッキリしていたか?
「制度って、“こう見せたい”って意図が透けるのがイヤやねん」
かつて、灯が言っていた。
千尋は、それをそのとき「感情論だ」と片付けた。
でも今、レポートの文面と向き合っている自分の目が、
まさに“どう見せるか”しか考えていないことに気づいている。
手が止まる。
空き家のスケッチ、釜風呂の水音、夜に食べたじゃがいもの味。
そういうものは、報告書には一切載らない。
ふと、ゼミ室の本棚に目をやる。
制度が始まった年からの記録が、ファイルとしてずらりと並んでいる。
(私がここに“何かを足す”として、それは何の意味がある?)
「千尋ー? 終わったら提出トレイ入れておいてくれる?」
教授の声が廊下越しに聞こえた。
「……はい」
ファイルを閉じて、深く息を吐いた。
この報告書は、来年の学生が読むかもしれない。
いや、たぶん誰も読まない。
でも、“制度として残る”ことには意味があるとされている。
千尋は赤ペンを片付けながら、心の中で自問した。
(私が残したのって、これだけ?)
(……それだけで、ええんやっけ?)
でも、その問いには答えなかった。
答えるには、感情が要る。
そして千尋は、その感情を“置いてきた”と思っていた。
千尋は制度の中で、そして内側から「整理」することに長けています。
でも彼女の手で“整った言葉”が増えるたび、逆に本当にあったことが遠ざかっていくようにも見えてきます。
書かれること/書かれないこと、その両方に“制度の影”が宿るような、そんな静かな回でした。
次回は、久々に3人が同じ場に登場します。
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