第33話「高森葵、始めるには遅すぎる?」
高森葵は、起業支援センターの自動ドアをくぐる瞬間、
いつもより少しだけ息を止めていた。
「はーい、おひとりさまですか? 相談ですか?」
受付の女性が明るく声をかけてくる。
「はい……あの、ちょっとだけ話を聞いてみたくて」
記入したのは、名前と学部、連絡先、そして“起業に興味があるか”のチェック欄。
(起業っていうほどじゃないけどなぁ……)
5分ほど待ったあと、小さなミーティングルームに通される。
対応してくれたのは、スーツを着た男性のアドバイザーだった。
年齢は30代後半くらい、少しだけ目が笑っていない。
「で、どういった事業を考えているんですか?」
「あ、あの……地域でカフェとか、空き家活用して。拠点みたいなものをつくって、地元の人と学生とかがつながれるような……」
「ふむ、空き家活用型のコミュニティスペースですね。資金計画とか、場所の選定は?」
「まだ……なんとなくで」
その瞬間、相手の反応が明らかに変わった。
「なるほど。ちなみに、これは“卒業後にやる計画”ですか? それとも学内での活動ですか?」
「どっちかっていうと……自分の“続き”として考えてて……」
「続き?」
葵は、一瞬だけ迷ってから答えた。
「実習で、水沢村ってとこに行ってて。そのときの経験から、“こういう場所があればよかったな”って思って……」
男性は、ほんの少しだけ首をかしげた。
「なるほど。“制度ベースの着想”ですね。珍しくはないですが……正直、それだけだと補助金は難しいです」
言葉が、まっすぐ刺さった。
「制度内での経験は、たしかに価値があります。ただ、それが“制度の外でも通用する”という保証にはならないんです。だから、まずは個人としての想いと計画を明文化してもらって、そこから……」
後の説明が頭に入らなかった。
(制度で、って言うたのがあかんかったんかな)
センターを出ると、曇った空が広がっていた。
秋なのに、少し蒸し暑い。
(うち、何がしたかったんやろ)
村での暮らし、空き家、台所の灯り、風呂の釜。
千尋の小言、灯の横顔、3人で食べた夜ごはん。
どれも「制度で行った場所の記憶」だけど、
自分にとっては、それが“本当の暮らし”だった。
「制度じゃないって、どう証明したらええんやろ……」
大学の階段をゆっくり登りながら、ふと思う。
自分でやりたいと思って始めたんやって、言えばいいだけ。
でも、それを誰かが「本当にそうなの?」って思ったら――
証明は、きっとできない。
でも、それでも――
「……うち、やるわ」
誰もいない階段の踊り場で、葵は小さく、口にした。
制度が残したものは、記録かもしれない。評価かもしれない。
でも、うちの中に残ったのは、“あの時間の自分”だった。
葵の回でした。
制度という“土台”からはみ出したとき、
自分の想いが「本物かどうか」を問われる――そんな経験は、きっと学生に限らず多くの方にあるのではないでしょうか。
彼女はまだ未熟で、計画も曖昧です。
でも、だからこそ「やる」と口にしたその一歩に、意味があると信じています。
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次回は、千尋の視点から“制度を残すこと”について考えていきます。




