第32話「倉本灯、空白じゃなかった2ヶ月」
倉本灯は、静かな図書館の一角でノートを開いた。
カバーの折り返しには、実習初日に貼った村の地図がくしゃっと折れて残っている。
2ヶ月前、制度で送り込まれた村。
その日々を綴ったページは、予想よりも分厚くなっていた。
空き家の間取りスケッチ、近所の犬の名前リスト、薪風呂の温度記録、そして――
縁側で、村のおばあちゃんと一緒に淹れたコーヒーの香りまで思い出せそうな走り書き。
灯はゆっくりと息を吸った。
「……なんや、うち、いっぱい書いてたんやな」
制度の“成果”としては、大きな数字も目立つ表彰もなかった。
でも、このノートのなかにあるのは、確かに灯自身の“暮らし”だった。
ノートの後ろのほうに挟んでいたのは、手描きのチラシの試作。
「灯’sカフェ」――仮のロゴと、空き家を活用した間取り案。
まだ形にはなっていない。
でもあの日、村の縁側でおじいちゃんが言った。
>「あんたの入れてくれたコーヒー、なんか心がホッとするなぁ。カフェでもやったらええ」
ただの社交辞令かもしれない。
けどその言葉に背中を押されたから、灯は“やってみたい”と思えた。
「……空白ちゃうわ、うちの2ヶ月」
灯は、そっとノートの角を指でなぞった。
大学の授業に戻ってからの日々は、驚くほど無音だった。
誰も制度の話はしない。
あの村のことも、自分の夢も、聞かれなければ語られない。
「夢って、語らんと消えてまうんかな……」
ぼそっとつぶやいた言葉が、テーブルに落ちた。
スマホに保存していた村の写真を何枚か見返す。
薪をくべた夜。釜風呂の湯気。
そして、カフェ風に並べたカップと、コーヒーを囲んで笑うおばあちゃんたち。
灯は、そっと笑った。
「うち、まだ“やってない”だけや。終わったわけちゃう」
ノートの余白に、「灯’sカフェ 開業までに調べること」と書き始める。
・簡易営業許可について
・空き家の借地契約
・商店街再利用モデル
・必要資金(クラファン?)
言葉が出る。
アイデアも浮かぶ。
まだ先は長い。けど、それは“空白”なんかじゃない。
ページを閉じて、灯は席を立つ。
図書館のドアを押すと、夕方の冷たい風が頬をなでた。
(葵や千尋に……また話してみようかな)
制度のなかで生まれた想いを、
制度の外でも、ちゃんと拾い上げていけるように。
倉本灯の2ヶ月は、確かにそこにあった。
倉本灯は、自分で“空白”だと思い込んでいた2ヶ月に、
実は誰よりも大切な「人とのつながり」と「自分の未来のかけら」を見つけていました。
制度では測れない何か。
それでも、確かに残るもの。
静かな一歩ですが、ここから彼女の夢はもう一度、動き出していきます。




