第29話「別れの掃除、静かな会話」
「この窓、拭いたとこ、もう結露ついてるんやけど」
葵のぼやきが、静かな拠点の中に響く。
翌日。3人は朝から、2ヶ月暮らした空き家の掃除に取りかかっていた。
埃のたまりやすい隅っこ、夏の間にカビが浮いた浴室のタイル、
そして……冷蔵庫の中の、誰が買ったか分からない調味料たち。
「なあ、このマヨネーズ、誰が持ってきたん?」
「……うちちゃうけど、使ってたから誰のでもないんちゃう?」
そういう会話が、もう“当たり前”になっていた。
最初は、他人と暮らすなんて無理やと思っていたのに。
灯は畳の縁に掃除機をかけながら、ふと目を上げた。
天井の照明のヒモに、誰かが結んだ輪ゴムがまだぶら下がっている。
「あれ、取る?」
「いや、残しとこか。来年の子が“なんやこれ”ってなるやろ」
千尋が笑いながら言った。
「メッセージ書いとこか、“外さないでください、幸運が逃げます”って」
葵の冗談に、3人で笑った。
昼前には大まかな掃除が終わり、灯は野帳を片手に、近所を少し歩いた。
拠点のまわりに点在する空き家たち。あの日、1軒ずつ回って、間取りや持ち主の話を聞いた。
「ここ、リノベしたら絶対カフェになるよな〜って言うてたけど、
今思えば、うちらにそんな余裕全然なかったな」
そんな灯のつぶやきに、あとからついてきた千尋がぽつり。
「でも、何もできなかったわけちゃうで。誰かが一緒に歩いた記録は、残ってる」
「そやね」
灯はそう言って、小さく笑った。
午後、拠点の居間で3人並んで遅い昼ごはんを食べた。
冷蔵庫を空にしたかったから、メニューは焼きうどんと残り野菜の炒めもの。
「なあ、最初にここ来たときってさ、うちらちゃんと会話してたっけ?」
「してたけど、ずっと天井見てた気がする」
「そうそう、うち“電波ない!”しか言うてなかったかも」
笑いながら、ふと、全員が言葉を止めた。
でもそれは寂しさじゃなくて――ちょっと、照れくさい時間だった。
「もうちょい居てもええけどな」
葵がぽつりと言った。
「うちは、家帰ったらまた“普通”の大学生や。これ、なんか夢みたいやわ」
「これが普通になったら、それもまた怖いけどな」
千尋が淡々と返し、また笑いが起きた。
拠点の掃除は終わった。荷物もまとめた。
けど、まだ“終わった”気がしない。
「じゃ、最後に何書こか。ホワイトボード」
灯がそう言うと、葵がすぐマーカーを手に取った。
> 『うちら、たしかに居ました。たぶん、いい感じで。』
「ええやん」
「だいぶ軽いな」
「でも、うちらっぽいやろ?」
軽くて、照れくさくて、でも、どこか温かい。
そんな拠点の空気を残して、3人は次の日、村を離れる。
明日が来るのが、少しだけ名残惜しかった。




