第25話 “帰ったあとの村に、うちらの名前は残らんかもしれへんけど”
報告書は、静かに送信された。
カフェの片隅でノートパソコンのキーを押した灯は、最後のエンターキーの音を聞いた瞬間、ほんのわずかに肩を落とした。
「出したからって、何か終わった気せーへんな」
返ってきた空気は、なんだか“やりきった感”と“抜け殻”が混じったようだった。
拠点の窓を開けると、冷たい秋風がふわっとカーテンを持ち上げた。
どこからか漂ってくる、薪の燃える匂い。
村が、少しずつ冬支度に入っているのが、肌と鼻でわかった。
「うちら、帰ったら、ここの人らに名前覚えられてるんかな」
葵がぽつりとこぼす。
「たぶん……すぐには忘れられるな」
千尋が笑いながら答える。
「でも、残るものはある。
鍵の場所とか、カフェのメニューとか、Wi-Fiのパスワードとか。
“うちら”は消えても、“やったこと”は残るやろ」
灯は、以前村の人が言っていた言葉を思い出した。
「“誰がやったかなんて覚えとらんけど、今も使われとる”って、昔の棚田の石垣の話やなかったっけ」
「せや。うちらも、そうなったらええやん」
その日、久しぶりに“カフェ灯’s”をフル営業した。
呼びかけたわけでもないのに、午後になるとポツポツと人が集まってくる。
縁側に腰かけたおばあちゃんが、ゆっくりお茶をすする。
村の保育士さんが、子ども連れで来て、絵本を読み始める。
「コーヒー、やっぱりこの味やわ」
と誰かが言い、
「Wi-Fi、今日も生きとるなあ」
と誰かが笑った。
うちらの名前は出てこない。
けど、その“言葉の端”に、“うちらの手跡”が混じっている気がした。
閉店後、3人は拠点の外に出て、畑の見える道を歩いた。
柿の実がぽとりと落ちる音が、足元の落ち葉を揺らす。
誰も何も言わなかったけれど、それぞれの胸に、なにか温かくて静かなものが残っていた。
「うちらの名前、残らんかもしれへんけど」
灯がふとつぶやく。
「“なんかあったら、ここ行ってみたらええで”って、
誰かが誰かに言ってくれたら、それでええな」
「ほんまや」
千尋が笑う。
「“誰かが作ったらしいで”って言われるぐらいが、ちょうどええ」
「名前より、なんか“感じ”が残った方が、うちらっぽいかもな」
3人は、村の道をしばらく歩き続けた。
どこかの家から、煮物の匂いが流れてきた。
それは、都会のどこにもない、“帰り道の匂い”だった。
次回予告(第26話)
実習の終了日が、正式に決まった。
帰りの準備、別れのあいさつ、心の整理。
そして灯が1人、村のある家を訪れる――。
あとがき(ブクマ誘導Ver)
※ここまで読んでくださってありがとうございます。
名前じゃなく、誰かの暮らしの中に“感覚”として残るもの――
そんな静かな願いを描いた回でした。
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