第9話 “壊すのが惜しい家”には、まだ誰かの気持ちが残っとる
空き家調査、再開。
午前中、3人は役場で新しく手渡されたリストを片手に、集落の西側エリアへ向かっていた。
そこは山のふもとに近く、ぽつぽつと家が建ち、道も細く曲がりくねっている。
「ここって、なんか前と違う空気するな」
「うん、建物がちょっと新しい気もする」
「人の気配、あるよな」
3人が足を止めたのは、古いけど手入れの行き届いた空き家の前。
玄関に「空き家登録済」と紙が貼られているが、庭の植木には剪定の跡があり、
ポストには風で飛ばされたと思しき広告がひとつ。
「なんか、誰かが定期的に来てるような気がする」
千尋がつぶやいた。
そのとき、後ろからゆっくり近づいてくる影があった。
60代後半の女性・広瀬さん。背筋の伸びた小柄な人だった。
「そこの家、見に来てくれたん?」
灯が「はい」と答えると、広瀬さんは玄関の鍵を取り出し、開けて見せた。
「うちの姉の家。今は施設に入っとる。娘たちはみんな都会や」
「そうだったんですね……」
中は、家財道具がそのまま残っていた。
洗濯物を干すハンガー、使われたままの箸立て、壁に貼られた子どもの成績表。
「うちら、片付けとか、リノベの提案とかできるんですけど……」
千尋が慎重に話を切り出す。
広瀬さんは、台所の椅子に腰かけて言った。
「悪いけどな、うちはこの家、“壊されたくない”んよ」
「……理由、聞いてもいいですか?」
「人が住んでなくても、“うちの家”やった頃の記憶が詰まっとる。
誰かに使ってもらえるのはうれしいけど、
中身を全部替えられたら、それはもう別の家やろ?」
葵が、珍しくすぐに言葉を返せなかった。
「うち、全部きれいにして、住みやすくして、それで喜ばれると思ってた」
「うん。うちら、“片付けること=役に立つこと”って思ってた」
灯も頷いた。
「でも、家って、建物やけど、“物語”でもあるんやな」
千尋の言葉に、広瀬さんは静かにうなずいた。
「もし、誰かが“うちの物語”を大事にしてくれるんなら……その人に使ってほしいわな」
3人は、何も壊さずに、そっと家を後にした。
門を出るとき、広瀬さんがぽつりとつぶやいた。
「ありがとう。見に来てくれて。それだけで、なんか、ほっとしたわ」
“ありがとう”の重みが、また少しだけ変わって聞こえた。
次回予告(第10話)
大学への中間レポートの提出が迫る。けれど千尋の書いた文章に、葵が思わず怒りをぶつける――
「うちら、そんな冷たいことしてきたつもりない!」




