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夢現の圏士  作者: くろよ よのすけ
1章:夢始点想
5/8

05.欠落の圏士

 圧倒的神威に背を押されて走った先、大気を震わした雷光が天蓋を貫き、身を襲っていた虚脱感は消え去った。天蓋の風穴からは本当の夜空が覗いていて、ハイネの言葉通り戦いは初撃で決着を見せたらしい。だが、あれほどの力を行使したというのならハイネの状態が心配になる。

 けど、そんなことで役目を放り出したら死ぬほど怒られる。大丈夫、アイツは強いからおれがいなくっても死んだりしない。


「…………」

「ロスト」

「…ああ、大丈夫だ。ミカを捜そう」

「ハイ」


 急な一撃だったから雷光から目を守るのが遅れた。視界は雷光によって一瞬色が失われ、暗い森の捜索を一時的にとはいえ困難なものとする。たが、光に目をやられたのはおれたちだけじゃなかったらしい。


「ん——」


 小さなうめき声と木の葉を揺らす音。

 それは間違いなく人間のもので、おれの知っている女とよく似た声だった。


「ミカ!」

「…ん……まぶし……、…ぁ、ロスト——。おそい……」


 露出した大樹の根に身を預け、抱かれるように眠っていたミカを見つけ出す。目立った外傷は見つからないが大分衰弱してるみたいだ。『穢れ』も倒せたみたいだし早く脱出しないとな。


「うっせ、一人で行くやつが悪い。それに、これでも急いできたんだ」

「うん……そう、ね。…ありがと」

「どういたしまして、それじゃ掴まれ。とっとと退散するぞ」


 エイオス内部に長時間居たせいで衰弱が進んでる。上手く力が入らないのか、ぐったりとした様子だったが、肩に手を回すくらいの力は残ってたらしい。


「よ、っと…。よし、ミカはおれが、アイリスは念のため周りに注意しててくれ」

「分かりました。それでははぐれないようハイネ様の元へ向かいましょう。あれほどの攻撃、どれほどの負荷がかかるか」

「ああ、すぐ行こう。ま、アイツなら大怪我してても、肩貸そうもんなら殴ってきそうだけどな」

「そうでなければ良いのですが」

「冗談だぞ。……半分は」

「ハイ、分かっています」

「……そっか、それならよかった」


 ごく当然のように返答されたから、少し調子が狂ったけど大丈夫だ。本当に文句言われたら聞き流しつつ帰ろう。


「それにしても、あんな攻撃出来るだなんてやっぱすごいなアイツ」

「……そっか、しらないわよね」

「ん、知らないって? てか喋って大丈夫か、大分疲れてるだろ」

「まぁ、それは大丈夫。私じゃあ、あの核壊せないからエイオスが動けないように時間稼いでただけだし。血を流すような怪我はしてないから。……ふぅ、こほん」


 ミカの能力がどんなものなのかは見たことないが、フォムドさんの話からしても直接攻撃するわけじゃないらしい。息を整えつつ喋り出すミカの声色は弱まってはいるが、芯が通っているから命の危険は感じない。ちゃんと休めばすぐ元気になるだろうな。


「で、あの攻撃が何だって? アイリスは知ってるか?」

「実際に見たことはありませんが想定することはできます。おそらくあれは雷霆の矢でしょう。かつての特級が放った神技であり、灯日を滅ぼしかけた破滅そのもの」

「そう、正解。えーっと……、あなたは、ああ教戒の子ね。ただ本物はあれでも足元に及ばないんだけど」

「待て——っ!」


 ミカがそこまで言った時、穏やかになっていた空気が一気にひりついた。

 違和感の根源は天の風穴から。それに、ここにきて気付いたが、一体いつになったらこの『穢れ』は消え去るのだ。いくら強大な存在だとしても、『穢れ』であることに変わりはない。ならば核たる星を砕いた以上、消え去らねばおかしいというのに。


「何か、おかしい。ミカ、フォムドさんから聞いてるんだが、アイツを倒すには天井の核をぶっ壊せばいいんだよな」

「…ええ、そうよ。私達が倒した時もそれで消え去ったもの。いくら『穢れ』でも一度決めた姿かたちをそう易々と変えることはできない。……それに——」

「来ます!!」

「——ッ!?」


 アイリスの声を合図に、大きく飛び退くと同時に眼前の大地が爆発する。声のおかげで、木々や土砂をひっくり返したように吹き飛ばす衝撃からは逃げ延びたが、舞い上がる土煙はおれたちから視界を奪い去る。


「おろして、ロスト……。まだ、戦える」

「馬鹿言うな、今のお前そこらに置いとくとか死なせるようなもんだろうが。助けに来た相手をほっとけるかバカ。それに、その身体じゃ戦えないだろ。おれたちが来なかったらあのまま死んでたってことくらい分かる。絶対助けるから大人しくしてろッ」

「…………」


 本人が一番分かってるだろうに、時間がある時は戦場に身を置き続けたせいか、一人で何でもかんでもやろうとするのが悪い癖だ。


「ではせめて、離れた場所へ降ろしておくべきかと。エイオスの天蓋は形状を変えて健在、ですが先ほどまでの圧迫感、虚脱感は消失しています。今ならば、天蓋内部であっても取り込まれることは無いと思われます」

「だそうだ、今日くらい言うこと聞いてくれよ」

「……はぁ……、そうね、分かった。でも、降ろすのはここでいい。あとは自分で離れる」

「それくらいの距離ならおれが——」

「気を抜かないの。アレが何なのかは分からない。けど、もう動き始めるわよ」


 ミカが指差した方向は当然、衝撃の起こった爆心地。何かが空から落ちてきたが、その中心に感じた気配は確かに、微かに空気を脈動させ始めている。


「————、ああ」


 一度、気配を感じ取ったが最後、そっちから目が離せない。

 その気配、これまで感じたことの無いほどに強く、完全に動きだしていないというのに身が震え、心臓が早鐘を打ち始める。

 ハイネの攻撃を受けた以上、ダメージは通っている。本来の強さより大幅に弱体化しているはずだというのに——。


「コイツは…やばいな……ッ」


 いまだ晴れぬ土煙の最奥にて脈動する『穢れ』より産み堕とされた力の塊。

 姿は見えず、ただそこに居ると感じるだけだというのに、気を抜いたら足がすくみそうになる波動を否応もなくぶつけてくる。


(どうするべきだ——)


 思考の結果は単純な方が良い。

 下手に手の込んだ計画なんて即興では作れないし、出来た所で失敗した時のリスクが大きすぎる。ならば行動自体は単純にするべきだ。

 つまり、逃げるか、戦うか。


「…クソッ」


 初動は起こしていない今ならば、空を覆う天蓋を破壊して逃げられるかもしれない、動き出す前にトドメをさせるかもしれない。だが、そのどちらも読み間違えれば死だ。

 ……選び取らねばならない、皆を護るというのならば。


(増援は多分無理、いくらミカでもここに居たら危険か……。一度離れた方がい———)

「———ッ!?」

「ロスト!」


 思考に時間を掛けすぎたのか。

 漂い、地表へ還ることをしなかった土煙がはぜるように吹き飛ばされる。そのことを認識した瞬間、おれの目前には“黒い腕”が伸ばされ、圧倒的速度と膂力によって果物のように吹き飛ばされようとしていた。


「—————」


 認識が肉体を突き動かそうと、視覚情報は脳から脊髄を通り四肢へ伝達。回避へ向かい全身全霊を以って駆動させようとしている。だが、それでは遅い。間に合わない。

 肉体が動き出すまでの間に『穢れ』の攻撃が届くのは必至。その刹那を刻む時間の中で、途切れ途切れに考えることは一つ。


(———ミカ、だけ———でも———)


 背負う彼女に被害の及ばないよう、手の力を解いて降ろすくらいなら間に合うかもしれない。おれよりずっと強い女だ、いくら弱っててもなんとかしてくれるだろう。

 だから———、手を、———離して———。


「バカか、俺は」


 それは何処から発せられた声だったか。迫る腕は、おれに言葉を形成する時間など与えていないというのに、その言葉だけはあまりにハッキリと聞こえた。

 ならばそれは心からの叫び、己の内から放たれた本心の具現。避けられぬ死を目前にして、早々諦めようとする理性へ対する心の最大の抵抗であり反逆。

 防ぐことはできず、立ち向かうのは論外。触れれば吹き飛ぶ威力なのだから回避するしかないが、それすら困難。それこそが理性の弾き出した結論であり、最適解。


(知ったことかよ——)


 皆を護ると夢を見た。

 そんなバカげた叶えるためにここへ来て、上手くいかないながらにも諦めるつもりは一切ない。おれは、諦めるつもりなど毛頭ないのだ。それを邪魔する理性など、いったいどれほどの価値があろうものか。

 絶対に、この願いは成し遂げると誓っている。それは自分自身に対してであり、この手に持つ『原型』に、内に宿る『代行者』に対しても同様。

 ゆえに理性を吹き飛ばせ、為すべき為の力は既にその手の内に握られているのだから。


「略式…契約———、代替により…履行———ッ」


 迫るは破壊、腕の動きが急激に遅くなる。


「———ヅ———ッッ、ッアアアア!!」


 それは死を目前にした肉体の反応ではない。契約によって生み出された神威が、人体の能力を飛躍的に向上させたがゆえの当然の帰結に他ならないのだから!


「———?」

「よぉ……、悪いな。死んでなくて——」

「……バカ」


 避けるのが無理だってなら正面から受け切ってやった。

 頭突きで受け止めるだなんて自殺行為だったが、やれるって思った以上仕方ない。それに、事実受け止めきってやったぞ。


「ハァッ!」


 アイリスは『穢れ』の困惑を見逃しはしなかった。何時の間にか握られていた黒い刀身を持った鉈、彼女の『原型』を手に、受け止められたことによって伸ばしきった腕を切り落としにかかる。


「———sh」


 だがすぐさま退避、刃は空を空振り、入れ違いにアイリスがおれの前へと立ち塞がる。


「ロストはミカ様を連れて安全な場所へ。私が時間を稼ぎます」

「いいのか、間違いなく強いぞアイツ。さっきのだって小手調べみたいなもんだと思う」

「かまいません、初めからそのために私は来たのです。アナタはアナタの進むべき道を見せてくれた。ならば私も報いなければ」

「……そこまで言うほどじゃない。でも、ありがとう。すぐに戻る」

「ハイ、……お気をつけて。ですが、危険であると感じたならばそのまま脱出の算段を——」


 それだけ言い残し、『穢れ』の消えた方向へと飛び出していく。


「……ッ!」


 ここに残っていてもどうしようもない。アイリスに背を向け、全速力で走りだす。

 さっき発動した略式契約の残滓が残っているからか、いつもより速く機敏に動ける自分を自覚するがそれでも焦りは無くならない。

 アイリスが戦えることは横合いからの一撃で良く分かった。あの速く、鋭利な一撃はそう簡単に放てるものじゃない。


「———っ」


 だが、相手は『名付』。単独で相手取ること自体間違いな敵であることに違いはない。


(早く、ミカを安全な場所へ……っ)


 今この瞬間だって背後からは神威の激突が波動となっておれの背を押している。それはアイリスが背を押してくれているようでもあって、エイオスの恐怖から逃げているようでもあった。


「ねえ、ロスト……」

「んだよ、今急いでる!」

「知ってる、だから……話してるの」


 背中から伝わる高熱と、息も絶え絶えな口調からは、否が応にもミカのダメージが伝わってくる。でも、その状態でも伝えることがあるなら、おれはちゃんと聞かないといけない。


「…なんだよ」

「ここでいい。ロストは早く、戻りなさい…っ」

「まだここじゃ危険だろ、今だって、———っ!?」


 爆発じみた轟音と共に幾本もの樹木が砕けて飛んできた。それなりに離れたつもりだったが、まだ戦場には違いない。真面に動けない状態で放っておけばそれこそ巻き込まれて死んじまう。


「ふふ…っ、バカね、ほんとう。誰に似たのかしら」


 だっていうのにこの女、慌てもしないで笑っている。この程度のことは何でもないと見せつけるみたいに。


「大方、想像はつくけれど…、まぁいいわ。行きなさいロスト、時間がないんでしょう? 皆を守りたいんでしょう? 私なら大丈夫、ここの樹は大きくて丈夫なのばかりだから、影に隠れていれば破片くらいは問題ない。…なら、貴方のすべきことは何?」

「おれの、すべきこと。……そんなの初めから決まってる」

「そうね、貴方は初めて会った時からそればっかりだった。……もう、大丈夫?」

「ああ」

「じゃあ、…降ろしてちょうだい?」

「…ああ」


 傷つけてしまわぬよう、爆心地から大樹によって影となる場所へ降ろす。もたれかかるようにして休むミカは汗だくのままこっちへ向くと、微笑みながら背を押してくれる。


「今の貴方なら、きっとやり遂げられる」

「………」


 来た道へと振り返って、アイリスとエイオスの神威がぶつかり合う戦場を見定める。波動が樹々を揺らしここまで届くたびに後ずさりそうになるが、そんなこと言ってるようじゃこれから先、何も出来やしないだろう。


「そんなことしたら、自分で自分が許せねぇな———。なぁ…、ミカ」

「……うん?」

「お前、おれの教育係だろ? 激励の言葉くらいくれても罰は当たらないぜ」

「———、そっか…、うん、そうだったわね…」


 一手間違えば死へ直行するほかない敵との戦い。

 怖くないって言えば嘘だ、だから気を紛らわすために軽口を叩いてみたけれど、…ミカはきっと気づいてる。


「…悪いな、大口ばっかりで。やっぱりまだまだ未熟みたいだ」

「ええ、そうかもね。でも、貴方ならやれるわよ、きっとね。……いってらっしゃいロスト、貴方の勝利を…信じてる」


 でも、その声は失望でも怒りでも無い。そっと背を押してくれる優しい温もり。激励とは似ても似つかぬ柔らかな力、背中を叩いて送り出すわけじゃあないっていうのに。


「ああ、いってくる———!」


 どこまで進むべき道を照らす標として、おれの背を強く押し出してくれた。


「———ッ!!」


 ならば行こう、女の子一人に命懸けの戦いさせてるようじゃ男が廃る。相手が絶対的な強さを持ってようが関係ない。

 おれは圏士だ。命を懸けて戦い、皆を護る。石を投げられようが暴言吐かれようが、宿の予約取り消されようが知ったことか、逃げろと言われて一々聞いてたら何も出来ねえだろうが。


「おれは諦めない。無茶無謀は知っての通りなんだよ…っ、だから素直に聞き分けるつもりもない!」


 心が揺らいだなら、何度でも口にしてやる。


「おれは全員助ける…ッ。相手が誰だとか、そんなもん関係あるかッ!」


 星を失った天蓋の下、黒き流星が地を駆けていく。

 それはまるで、星の重力に引きずり込まれるかのように止まることは無く、ただただ加速し続けて。


「だからいい加減、テメエも言うこと聞きやがれ!! おれを選んで契約したってんなら、その力を…寄越し、やがれェーーッ!!」


 黒き刃を抜き放ち、『代行者』へ向かって言い放つ。

 死闘へ向かうというのなら命を懸けろ、それでようやく参加権を得ることができるのだ。ならばこそ、おれを選んだお前が断るなんて許さない。

 おれの意思を、夢を、願いをくみ取ったっていうのなら、いい加減姿くらい見せてみろ。


『いたしかた、ありませんね…。ならば、ここに契約を。共に、苦難の道を歩みましょう』


 音ではなく、心に伝わる落ち着いた女の声。初めて聞くことのできた、おれが選び、おれを選んでくれた、たった一人の『代行者』。


「———はッ、遅えんだよ! それなら行くぞ、最初っからぶっ飛ばす! 遠慮なんかすんなよ!」

『はい———、“我が、主”。それが……貴方様の望みであるならば——』


 契約を結びながらも、その声すら聞くことのできなかった『代行者』から正式に認められる。もはや不発などということはありえはしまい。

 ゆえに宣誓を、お前が為すべき守護に必要な力を十全に引き出すがいい。

 そして、ここに本来の彼の力が形成される。


「略式契約ッ、代償を代替により履行ォッ!!」


 神の力を賜るための契約。

 その一欠片を身に宿すと共に、全身に力がみなぎっていく。溢れる神威は文字通り遠慮などなく、気を抜けばおれの身体を内から食い破るほどに猛り狂っている。

 ——だが足りない、アレを殺しきるにはこの程度で足りはしない。


「———く……ッ」


 そもそも、これまで一度も扱ったことの無い力を、異能を、土壇場で成功させるなんてうまくいくのか。


「んなもん……っ!」


 皆を助けるなど、あまりにばかげた夢を……おれは——。


「んなもん知るかッ!! 絶対に出来ることじゃなきゃ初めからやらねえなんて言ってられるか! …できなくてもやれってんだよこの馬鹿がァ!!」


 この期に及んで、心が折れそうな弱い自分へ向かって激昂する。揺らぐ心を叩き上げる。見えない未来への不安程度で壊れるような心なら、最初っから砕いちまってた方がずっといい。


「ハァアア——ッ!!」


 猛る神威の暴威を抑え込むことなく、おれはここに居ると知らしめるが如く無差別に放出し続けて。

進むべき道へ向かって収束する雷は、紫電を超えて白雷と化した。雷撃の神威は破壊そのものと化し、彼の走り去った後に破壊の轍を刻み込む。

 『穢れ』を滅し、仲間を救わんと、欠落の圏士(ロスト)が大地を駆けていく。

たどり着いた先、総てを破壊しつくしてしまうかのような白き輝きを纏い、進撃する。その加速は際限を知ることは無く、刹那を体現する速度となって飛び去った。


「———hhhhss」


 笑って、いや嗤っているのか。天蓋から堕ちてきた人型の『穢れ』との戦闘は想定以上の苦戦を強いられている。のっぺらぼうの頭から漏れる音は、死人が放つ呼吸のよう。まるで、防戦一方の私を嘲笑っているかのようだ。


「……くっ!」


 『名付』というものを侮っていなかったと言えば嘘になる。

 特にエイオスは核が弱点そのものであることからして、正面からの打ち合いは長けていないと予感していた。だが、結果は大きく異なった。


「sr———」

「ふっ! …く、っあ!」


 乱暴に放たれた拳を刃の側面に腕を添えて受け切るが、受け切ることはできずに吹き飛ばされる。まるで虫を払うような乱雑さであり、実力差。


「———つ…ぅ、……ふぅ」


 人型をとった『穢れ』、エイオスの核は徒手空拳。その姿を甘く見たわけではない。当然、既に略式契約は発動していた。……だというのに、その速度は眼で追う事すら難しい。事前の報告では直接的な戦闘能力は皆無とのことだったが、どうやら違ったらしい。

 討滅されてなお生き残っていたのも、天蓋の核が破壊された後に落下し、人型をとるためか。もしもこの身体能力で逃げに徹されれば回復の時間を与えてしまうだろう。


(そして報告に残されていない以上はおそらく…、前回の戦いにおいて“この姿”は確認されていない)


 当時の状況を知らない以上、正確な原因は分からない。

 天蓋の核が破壊された時、圏士達が気配に気づかないほど弱っていたのか。気づかれる前に素早く逃げ出したのか。


「いえ、考えていても仕方ありません。今は…目の前の敵を———、っ……ぅ」


 防いだ時にかばいきれなかったか、『原型』に添えていた右腕が上手く動かない。指先を動かすだけで痛みが奔る。これではもう両手で握ることも出来はしない。


(皆が閉じ込められている上に神域の森中心部……。ここでは具象契約は使えない。片手で、どこまで凌ぎきれるか……)


 この任務に選ばれた大きな理由は、具象契約を扱うに至る実力があったから。大抵の『穢れ』であれば略式契約のみで対処可能と判断されたが故。

 しかし、エイオスという『名付』の出現に想定は崩れ去った。そして、私の契約する力をここで使うわけにはいかない。

 ならば、私の為すべきことは一つ。…時間を稼がねばならない。

 増援が来るまでの時間、ロストがミカ様を連れて逃げるための時間。

 そこまで耐えれば勝利できる。私一人ではとどめを刺すことはできずとも、討滅局の誇る圏士が揃いさえすれば勝利可能。


「時間を——」


 『原型』を構え、エイオスを正面に見定める。


「———hhssssrrr」


 瞳の無い頭はこちらに向くと、機能しない右腕を認識すると、先ほどよりも高く、長く嗤い始める。エイオスにとっては危険の無い狩りのようなものなのだろう。

 すぐ殺しにかからないのは、獲物である私がどう動くか楽しんでいるといったところか。


(…『穢れ』にも、意思のようなものがある。それは確認されてはいましたが、ここまで悪意に満ちた姿を見るのは初めて——)


 人影を張り付けたかのような不気味な姿とはいえ、人間の姿をとっているからか。エイオスの行動は『穢れ』が見せる反応の中でも一際異質に思えた。


「……いえ、関係ありません。…手をこまねいてくれるというのならそれで十分」


 狩りに勤しんでくれるというのならそれでいい。時間を稼ぐためならばむしろ好都合でしかない。

 だが。その予想は裏切られた。


「…な」


 不意に、エイオスが別方向へと歩き始める。あちらは、ロストが走り去った方向。手負いの獣より、生きの良い獲物を狙うという事か。


「行かせる、訳には……」


 ここにきて、エイオスは自身の張った逃げ場のない結界の中における狩猟者なのだと理解する。絶対的優位に立ったうえでじわりじわりと獲物をいたぶり、弱っていく姿を楽しむ、穢れ堕ちた精神性。

 それは空を覆う天蓋として存在した時も、人の姿をとった今も変わりはしない。生命力を奪うか、その手で生命を砕くかの物理的な違いに他ならない。

 ……そして、その行為を見過ごせはしない。

 彼等圏士、ひいては討滅局は無辜の人々の為、命を懸けている。

 彼等からすれば、本来部外者であるはずの私は邪魔でしかないだろう。そして、命を懸けて戦う理由などありはしないと思われている。


(いいえ、私にも、理由は…あるのです……)


 彼等が人々の為に命を懸けるというのなら、教戒に所属する私は使命の為に命を懸けている。そして、私の使命は『穢れ』の討滅と彼らを護ること。それが今の私の全てで為すべきこと。

 例え、その結果命を落とすことになったとしても。


「ただ…、在るがままに……」


 静まった森の中でさえ、自身にしか聞こえぬ言葉。私という存在にとって、全てを占めると言ってもいい道標。だから、立ち止まる暇などありはしない。時間を稼がねばならない、強大な力を持つ『穢れ』を倒さねばならない。


「待ちな、さい———っ」


 気づけば、声は出ていた。


「———rr」

「来なさい。相手を、しましょう……っ」


 服の下では赤黒く腫れ上がっている右腕を持ち上げて手招きをする。こちらにダメージは欠片も無いのだと見せつける。痛みはあるが我慢できない訳ではない。出来なかったとしても耐えるしかない。この場を立ち去らせぬよう、まだ戦えることを見せつけなければならないのだから。


「heerrrsss———」

「———く」


 そして、エイオスの顔、黒く何もなかったはずののっぺらぼうに、斬り込みを入れたように弧月が現れる。まるで人間の口のように斬り込まれた弧月からは音が漏れ出し、その音は先ほど以上にハッキリと、死にかけの獲物を嘲笑していた。


「———!」

「ふ…っ」


 瞬間、嗤うことを止めたエイオスは、大地を蹴り上げる膂力により一跳びで姿が掻き消える。眼で追いきることはできないが、これまでの戦闘によって速度は把握している。

 完全とはいかないが、攻撃に合わせた防御態勢をとることはできる。


(しかし、それもいつまで持つか…)


 右腕の負傷があまりにも重しとなっていた。

 痛みによるものではない、まさしく動かないのだから自身の姿勢制御にすら問題が起こっている。右腕を庇う動きも、合わせた動きさえも行動に一手の遅れを生じさせている。


「あ———」


 ゆえに、こうなることは時間の問題であって、——必然でもあった。


「——————h」


 漏れる呼吸の嗤い声。左腕から鉈を弾き飛ばし、がら空きとなった胴体へ向かって鋭く強靭な手刀を放とうとしている。人は、怪物に敵わない。だからこうして神格の力を身に宿して戦っている。

 けれど、それでも敵わない相手ならばどうするのか。


(ただ———在るが、まま……)


 幼き頃より教えられ、私を導いてきた一つの標。幸福も不幸も、何一つ差をつける必要はなく、そこに在るものとして認識すればいい。

 そうして、目の前で起こる全てを等しく受け入れて生きてきた。それはこれからも変わることは無く、変えるつもりもない。


(だとしたら、これも一つの事象。生も死も、そこ在るかないかの違いなのです。ならば、私の役目はここで終わるというだけ。矮小な命が役に立ったというのなら——)

『自分を卑下するようなことは言うな』

「っ————」


 彼の言葉が脳裏を奔る。初めて会ったあの日、二人きりで話した初めての時。

 これは何でもない、数ある内の一幕でしかない。はずなのに、私の裡にある何かが声を上げた。

 ここで、なにもしないで受け入れてしまっていいのか? 

 在るがままに生きること、それはきっと素晴らしいこと。でも、死んでしまった後はどうなのだろう。

 瞬きの後に私の胸を貫く穢れた腕が迫る。

 この死を受け入れることが、在るがままの生だというのなら。……それは、違うような気がしたのだ。


(けれど———、もう———)


 間に合わない。あまりにも気づくのが遅すぎた。

 武器である『原型』はこの手から失われた。動く左腕で防ごうにも、エイオスの膂力を用いれば腕ごと抉り飛ばされる結果は変えられない。


(ど——うすれ———ば———)


 刹那意識を細断して思考を奔らせる。けれど頭を締めるのはどうすればいいのかという疑問だけ。答えが与えられることは無い。

 ただ静かに、与えられるばかりだった私の生は、苦悩の中に終焉を迎えた———。

 

「———! trrt……!」

「………っ……、………ぇ?」


 でも、最初に感じたのは地面にしりもちをついたことによる衝撃だけ。私の胸に風穴が空くことは無かった。困惑は私だけではない。私を貫こうとしていたはずのエイオスは自分の左腕を見つめている。いえ、そこには何もない。

 肘から先、間違いなくあったはずの腕は無くなっていて、断面からは血ではなく瘴気のような黒い靄が立ち上っていた。


「クソ…っ、仕留めそこなった、寸で避けられたか…っ」

「…ロ、スト……これ、は」


 眼前に立つのはこれまでに感じることの無かった神威を身に纏うロストの姿、それも並みの圏士が扱える範囲ではない。途絶えることのない、白く煌めく輝きは見惚れるほどに美しく、目を離すことに忌避感さえ覚える破壊の塊、その具現。

 通常であれば制御できずに身を滅ぼしかねない純粋な力の結晶だというのに——。


「悪いアイリス、遅くなった」

「——あ、…いえ、そのようなことはありません。…ありがとう、ございます」

「そりゃどういたしまして、だな。つっても、その前にまずはアイツか」


 けれど、彼はこれまで通りに何も変わることなく笑って見せる。溢れる神威でエイオスを牽制しつつ、私に手を差し伸べてくれた。


「立てるか?」

「ハイ、問題あり——、……っ」

「悪い、もう少し早かったら……」

「いいえ、これは私の不徳の致すところです。ロストが気に病む必要はありません。ですので、今対処すべきは——」

「ああ、分かってる」


 痛みを発し続ける右腕に神威を流して、少しでも動かせるように強化する。彼が略式契約を扱えるようになり、急成長をしていたのだとしても、埋めることのできない戦闘経験の差はある。なら、私が止まるわけにはいかない。左腕は動く、脚も頭も無事なのです。止まることなどできるわけない。


「—————ッ」


 黒刀の切っ先は寸分違わずエイオスの頭蓋へ向けられた。次は外さぬというかのように。


「そら行くぞ死に損ない、今度こそぶっ倒してやる———!」

「g……ggerr——!」


 それは、まごうことなき怒りの発露。

 『穢れ』という怪物から発せられる感情という力の波動、視界を歪ませるほどに濃密な瘴気。人により傷つけられたという困惑さえ塗りつぶして、なお氾がりつづける不快な汚濁。

 目をそむけ、呼吸を止めたくなる不快さを周囲に押し付け、エイオスの周囲においては草木が瞬く間に枯れ果て、大地への汚染が始まっていた。


「もう、時間はありません…。このままでは隔絶された空間内部すべての命が途絶えます」

「ああ…、そうらしいな」

「……ロスト」

「ん? なんだよ」

「大丈夫、私はまだ戦える。アナタを一人にはしません」

「……、そういうんじゃ、ないんだけどな……。……いや嘘ついた、その通りだ。…頑張るからさ、手伝ってくれ」


 とめどなく溢れ続ける白き神威に隠れて、彼自身は苦笑を色濃くしながら微かに震えていた。強大な力へ立ち向かう不安と緊張、死への恐怖か。


(ですが、そうはさせません)


 恐怖に打ちひしがれながらもソレを押さえつけ戦うというのであれば、私にできることは支えることだけ。潰えるはずだった命を救われたのです。なら、この命の使い道はまだあるはず。


「ハイ、全力で支援します。あとのことは考えず、好きに力を振るってください。制御しようということを念頭においてはエイオスを倒すことはできません」

「分かった、ありがとう」

「ハイ」


 震えは止まった、もう彼の全神経はこちらではなくエイオスのみに向けられている。恐るべき集中力。

そして、討滅すべき『穢れ』、その上位に位置する生命の侮辱者は怒りのままに瘴気を放出しながら、ロストへ向かって極大の殺意を向けている。

 ——己の腕を切り落とした弱者へ向かって。


「たたっ斬る……ッ」

「———gtgghhhel!」


 衝突する殺意、交わることのなくせめぎ合う黒白の神威。

 人と、人の姿を模した怪物の戦いは……もう、止まりはしない——。

 


  □ □ □


 

 黒刀から放たれる神威は森を蹂躙し、振るわれる黒腕は大地を粉砕する。応酬される攻防は、互いに駆け廻りながら隙を見定めては攻撃を放たれ続けていた。


「ふっっ、ん!!」


 力任せに振るった雷撃は木々を粉砕しながら、エイオスの身体を破壊せんと空を駆けていく。


「……っ、これもダメか」


 これまで扱ってきた力の中でも突出した威力だというのに、エイオスの奴ときたら右腕を振るうだけで攻撃を逸らしやがる。

 神威のみでは出力が足りない以上、さっきみたいに直に刃をぶち当てて切断するしかない。とっさに右腕をかばったのも、本能的に致命的な一撃だと判断したからだろ。


(アイリスいわく、右腕が弱点でもあるってことらしいが…、中々難しいな——っ)


 ちらりと、一定の距離をとりながら着いてきてくれているアイリスへ目をやると、交わした会話を思い返す。


『右腕をかばった理由ですが、右腕はおそらく、これまで蓄えたエネルギーを以って生み出された核の一部。もしくはその更に中心核とも言うべき弱点であり本体でしょう。あの『穢れ』こそ、エイオスの本体に違いありません』

『じゃあ、アイツ弱点武器にしてるのか?』

『おそらく、本来のエイオスの核は先ほどまでの空間に浮かぶ星です。それが何らかの理由で“右腕”のカタチをとり、人型を形成。武力による戦闘を可能としたのではないでしょうか』

『強い一撃で一方的にやられる可能性を潰してきたわけだ』

『ハイ、右腕以外は蓄えてきた神威を瘴気として、人体の姿を保っているだけです。だからこそ、右腕そのものからは瘴気が揺らぐことなく、膂力も飛びぬけている』

『なるほど…。つまり、結局は殴り合うしかないってことだな——』


「動きは単純、読めはする…」


 達人染みた動きなど一度もない。速く、強いだけ。だが、その一撃一撃が人の領域外に在るのが厄介だ。真面に一撃喰らえばこっちが死ぬのは目に見えている。

 けど、倒す為には直に斬るしかないわけで。


「とはいえ…、近づけないか——」


 さっきは不意を突いたから何とかなったが、正面から標的にされている以上はそれも難しい。捨て身でかかったとして、一度防がれでもしたら空いた方の手を振るわれておれの身体は真っ二つ。もしくは破裂。


「——kktlleee!!」

「ぐ———っ!?」


 エイオスもそれが分かっているからこそ、嘲るように迫ってくる。一手間違えれば死を迎えるこっちと違って、右腕以外は実質無傷なのだから当然か。さっき斬り落としてやった左腕も、何事も無かったかのように元通りだクソ。


「ッぉ、ラァァアアア!!」


 手刀を受け止めながら肉体から雷を放出する。大地を焦がす威力を全方位に放ち、エイオスを一時的にでも退けようとする。


「hhhhr!」

「く…、ぅォオオ!!」


 殴り合いの戦闘に特化していないとはいえ、『名付』の称号は伊達ではないという事か。全身に雷を浴び、瘴気を消し飛ばされながらも攻撃を止めることはしない。

 指先を揃え切っ先と化した凶器がおれの心臓めがけて放たれた。


「———フッ!」

「lt…!」


 しかし、その攻撃がおれに届くことは無く、またしてもエイオスは大きく飛び退いて距離をとる。


「クソ…、勘がいいな」

「ええ、あくまで感情的にしか行動していないのかと思いましたが、危機に対しては本能だけでなく思考もしているようです。でなければあそこまで迅速な撤退もできない」

「らしいな。…っ、来るぞ、おれの後ろに」

「ハイ」


 率先してアイリスが狙われないようにおれの背後へ。横を抜けられないよう気を張りながら神威を『原型』へ収束させ、一気に解き放つ!


「ォ、ラァアア!!」

「———g」


 向かってくるエイオスへ向かって一点に力を集中した雷槍をかましてやる。これでも傷つきはしないだろうが、ちょっとした時間稼ぎにはなる。

 おれを囮としたアイリスによる奇襲はヤツも認識している。なら二度目は無いか? だが、動きを止めないと強力な一撃を叩き込めない以上、方法はこれしか。


(いや…、あるにはあるが……アイリスに伝えようとした時にバレたらそれで終いだ…。どうにかしてアイツを——)


 ヤツに思考能力が無ければ作戦立てられるだろうがそうはいかない。それに、おれの中での道筋は立ってるが、上手くいくか。そして、その中で最も重要なピースが欠け落ちている。


(こっちの方のはずだろっ)

「ロスト!!」

「———!」


 ほんの一瞬、雷の瞬きと呼べる、たったそれだけの刹那に気を逸らした瞬間、これまで見せたことの無い速度でエイオスが掻き消えた。

 嘲笑うかのように顔に上弦の月を張り付け、踏みしめた脚は個体としての最大出力、強固な土台となっていたはずの大地は反動で大きく抉れ爆散する。

 衝撃によって強張る身体、爆散した大地は空に舞って視界を埋め尽くす。


(どこ——から———!?)


 目を大きく見開いて、視界に映る全てに刮目する。ここで失敗すれば何もかもが終わる。

 おれたちが来るまで耐え続けたミカも、星を撃ち落とすべく命を懸けたハイネも、皆を逃がすために身を挺して戦ったアイリスも。それら全てが無に還る。

 だから、此処で終わらせはしない。


(見極めろ———。正面からの奇襲、その上この距離なら狙いは間違いなくおれだ)


 アイリスを狙うならこの距離はまだ遠い。彼女の実力をもってすれば受け止められはせずとも回避は可能、ならば狙いはおれ一人。

 ゆえに、ここをこそ耐えられなければ先はない。

 周囲に向かっての範囲攻撃ではない、放ったところで意味も無い。全神経を集中させ、来たる死を斬り捨てるために神威を収束。

 死の崖に立たされたが、これは危機ではない。ヤツの方から接近してくる絶好の機会。


(テメェの方も命を懸けてるってか?)


 所詮は『穢れ』、どこまでいっても獣の思考。

 獲物を狩る為に絶好の機会を逃しはしない。だが、その絶好の機会を見逃すこともできていない。その隙に、付け込んでやる。


「———ふ……っ!!」


 短く吐き出される呼気。

白雷が表面を奔る刃の切っ先、その間合い全てに意識が通っているかのような錯覚。

 侵入と同時、何物をも斬り捨ててみせる!


「———!」

「———s」


 音はなく、コマ送りの世界で入り込むヤツの腕。己の身体を槍そのものと化して、正面からの一点突破。その威力、強度共に人の為し得る事象総てを凌駕して、回避はおろか防ぐことさえ絶望を超えている。 ゆえに、やるべきことはただ一つ。正面からの打倒に他はない——!


「シ———ッ!!」


 口端から漏れ出した空気、全身に満ちた神威が炸裂し肉体を伝播する。内から弾かれるように反応する刃はエイオスを完全にとらえ、白雷の刃は障害をものともせずに迫る撃槍を断ち斬った。


「———————」


 指向性を失い、後方へ飛び去るエイオスだったもの。それらは木々を粉砕し、大地を削りながら塵となって存在を失っていく。

 空を見上げると、消え始める極光、天蓋さえも孔が空き始め、月の光がおれたちを照らす。

 背後で塵と化し始めたエイオスの核が完全に破壊できているか、確認するまで完全に油断は出来ない。だがこれでひとまずの決着がついたはず。


「やりましたね、ロスト」


 周囲を警戒しつつも声をかけてくれるアイリスに手を上げて返す。


「ああ、あとはミカを拾ってみんなの所に——」

「残骸の調査は私が、ロストは警戒を」

「ああ、そうし———、ぐ…ぁッ?!」

「な…っ!?」


 胸に走る激痛。おれへと振り返ったアイリスの驚愕はたしかに、有り得ない状況だった。


「…ずっ…グ……ゥ…ァ!」


 おれの身体から“黒腕が生えていた”。——背中から、胸を貫く様に。

「——離れなさいっ!!」


 声を荒げ力任せに振るわれるアイリスの『原型』が当たる前にはもう引き抜かれている。いいや、否だ。“引き抜かれた”のではない。”引き抜いた“のでもない。

「く…そがっ、本当、に、……そんなのアリかよ…ッ」


 そこにあったのは“空に浮かぶ右腕”。エイオスの核に他ならなかった。

 手はおれの血に塗れ滴らせている。

 いくら右腕が核で、それ以外が瘴気によってカタチどられたものだったとはいえ、まさか核以外を武器として打ち出してなお動き回れるとは。


「ごふ…っ」


 口の中に血が逆流する。溢れだした鮮血は抑えきれずに吐き出すと、地面を濡らし口元から胸をさらに赤く染めていく。


「ロスト、傷口をふさいでください。空を覆っていた天蓋は消え始めていますっ、此処を耐えれば他の圏士が——なっ!?」

「———」


 そして、駆動するのは核だけではない。斬り捨てられ、真っ二つになったはずの肉体部分が動き出し、アイリスへと襲い掛かる。


「ぐ……っ、ロスト!」


 防戦一方のアイリスはじわじわとおれの傍から離されていく。

 肉体の方も、おれから受けたダメージのせいか動きはさっきよりも弱く見えるが、それでも負傷したアイリスからすれば強敵に他ならない。


「はぁ…、ㇵ……あ…っ!」


 呼吸もままならないおれの前へと、自身の存在を見せつけるかのように浮かぶ黒腕。表情なんてもの、何一つありはしないというのに嘲笑していることはよく分かる。そして、それは間違いじゃない。

 見せつけるように、知らしめるように。動くことのできない、おれの頭蓋を叩き割らんとトドメの姿勢をとって、容赦なく振り下ろされる。


「だから…、お前は獣でしかないんだ———」

「……!?」


 言葉はない、気配のみで伝わる驚愕と恐怖。一度植え付けられた死の恐怖。震えは伝播し世界を揺らす。しかし、その震えは決して『穢れ』のものではない。


「具象———、契…約……ッ!」

「—————————」


 エイオスに肉体が残っていたのなら、恐怖によって後ずさっていただろう。

 そこに立つのは何をせずとも死ぬと判断していた一人の人間。空に浮かぶ己自身を撃ち落とした怨敵であり天敵。

 それが、生きて、そこに立っている。ありえないありえない、あってなるものか。

 感じ取る生気は死を目前としている。人であれば立ち上がることさえ困難な状態であることはこれまでの獲物からして間違いはない。

 ならば、何故この人間は血まみれになりながらも立ち上がり、その上で再び能力を発動しようとしているのか。

三神に捧げ、(キュクロープス・)撃鉄振るう独眼精錬者(エグザクティオ)……ッ!」


 契約と共に、またしても“あの矢”が生み出される。自身を撃ち落としかけた忌々しい力。地上への墜落でしか回避することのできなかった絶対破壊の一矢。

 それが、今度こそ逃しはしないと、またしても鏃が向けられていた。


「は———ッ、っああ…!」


 目の前に浮かぶ小さな標的、この距離ならば狙う必要はない。放ちさえすれば滅ぼしきれる。


「ここでくたばれ…、死にぞこないが……ッ!!」


 だが、その言葉を皮切りに、エイオスは逃亡ではなく抵抗を選択した。こちらを仕留める方が速いと判断したか、それとも死に損ないという言葉に反応したか。

 どちらでも構わん、私はやるべきことを果たしに来ただけだ。そこに、敵の想いなど考えて居られるか! さあ来い『穢れ』、今度は逃さん、塵一つ残しはしないぞ!



  □ □ □



 傍に居るだけで爆発に巻き込まれそうなほどに膨張と収縮を繰り返す神威の奔流の中、光を失った『原型』を握り締める。


(ああ——)


 やっぱり、アイツは来てくれた。

 全身を血に濡らし、生きているのが不思議なくらいだってのに。それでも戦おうとしている。なら、おれもここで倒れるわけにはいかない。まだ、為すべきことがあるのだから。


「おい……、聞こえてる、だろ——」


 語り掛ける声と共に時間の流れが歪み、色を失っていく。


『………』

「まだ、行けるはずだ……。お前もやれるはず、だろ……っ」


 己の裡、魂による『代行者』との対話の前に、現実の時間は狂い、周囲すべての時が止まる。


『………』

「なんで、お前がおれと契約したのかは知らない……っ。けど、な…ぁ……。おれにはやらなきゃならないことがあるんだよ、それがっ、ここで…終わるだなんて認めないぞ……! おれを認めたっていうなら、最後まで付き合ってもらう…! 辛かろうが苦しかろうが、まだ……、まだ戦えるんだから!」

『…………共に…、苦難の道を歩むと言いましたね』


 姿は見えず、聞こえるのは女の声だけ。いいや、“彼女”はおれの前に立っていた。煤けたエプロンドレスを着た、長い黒髪の女。おれの『代行者』。

 苦難を乗り越えると、ついさっき誓い合ったはずの彼女は此方を見ること無く、その声は後悔と悲しみに満ちているようで。


「……ああ、なんだアンタ、…後悔してるのか?」

『そう、ですね。……私は…、貴方を選んだことを後悔している。貴方に、圏士としての道を与えてしまったことを……』


 うつむく『代行者』は泣いているのか。なぜ、そこまで彼女が苦しんでいるのかは分からない。確かにおれは、彼女が契約者として認めてくれていなければ圏士にはなれなかった。

 彼女の宿った『原型』を扱えなければ討滅局からは追い出されていたのだから。


『これ以上の力を、望むというのなら…貴方は何かを捧げなければならない。……それは、辛く、苦しい…。人生の総てを狂わせ、癒えぬ傷を与えてしまう…』

「だから、使わせないって? ……それは違う」

『———あ』


 俯き、小さくなった体に手を添える。

 なるほど確かに、おれとお前はよく似てる。手から伝わってきた震えは、まさしくおれと似て怖がり特有のものだったから。


「おれなんかよりもずっと長生きしてるんだ。『代行者』のお前なら、今まで見てきたはずだろ? おれだって誰だって、失うことはみんな怖い。でも、やらなきゃならないことがある。救わなきゃならないやつらがいる。そのためなら、怖くても我慢して見せるからさ……。お前がおれを心配してくれるなら、大丈夫だ。圏士続ける内はずっと傍に居てもらうことになるからな。…怖がりだからさ、支えてほしい。もちろん、お互いに……」


 だから嬉しいんだ。能力を使えないのはずっと、アンタに嫌われてるからだって思ってた。それが蓋を開けたらどうだ? まさかおれが心配だから使わせたくなかっただなんて。

 そんな奴が傍に居てくれるだなんて、本当に嬉しいんだ。


「だから頼む、行かせてくれ。きっとハイネは無理するし、アイリスもこのままじゃやられちまう。皆を助けたい。そのための、力が欲しいんだ」

『我が、主……、貴方は本当に、お優しい人なのですね。私のような醜い女に、手を差し伸べてくれた強き人。……どうかお許しを、私は貴方を、主の想いを裏切っていた。一度放った言葉すら吐き捨て、私自身の我欲を貫こうとしてしまった」


 もう、その言葉に震えはない。うつむいていた姿勢を正して振り返る。


「…ありがとう、おれも、頑張るよ。そこまで言わせてカッコ悪い姿は見せられない」

『いいえ、よいのです我が主。貴方は、貴方の信じた道をお征きください。ですが一つ』

「なんだ?」

『まだ、主の実力では、代償を払ったとて完全な具象契約は望めません。成功しない可能性も高い。それでも——』

「やる」

『…よろしいのですね?』

「ああ、どうせ出来なきゃみんな死ぬ。なら、やれることやり切ってみるさ。それに大丈夫だ」

『何か、秘策がおありですか?』

「いや、それはさっき使い切った。だから後は根性だ。なぁに、お前がいるんだ。きっと何とかなる。根拠はないけど、そんな気がするんだ。…これじゃダメか、やっぱダメかな?」

『……ふふ…、いいえ、決してダメなどではありません。やはり、主を選んだことは間違っていなかった』

「…そりゃこれから次第だろ。だから見てろ、失望させないように頑張るからさ」


 哀しみの涙を拭い、笑う彼女は醜くなんて決してなくて、照れてしまう。それに、またしてもカッコつけたような事ばっかり言ったから気恥ずかしくって、差し出した手はぶっきらぼうだ。


『これは…』

「これから、頼む…。その、嫌ならやめるけどさ、…握手」

『いいえ、素敵なことだと思います。では、末永くよろしくお願いできれば、それ以上の幸福はありません』


 握り返された手は細く繊細で、それでいて柔らかい。

 これで、ようやくおれたちの契約は対等で、正しいものとなった。主だなんて呼び方は気恥ずかしいから、戦いを終わらせたら直してもらうとしよう。


「お、大げさだって。そ、それで? おれの代償はなんだ?」

『……申し訳ありません、それは申し上げられません』

「それは…つまりそれ込みでの代償?」

『はい…』

「そっか、なら仕方ないな」


 深く頭を下げ、悲しみの影を纏う彼女へ深く聞くこともできない。それに、代償なんてどうせ辛いことしか起きないんだ。耐えるか乗り越えるか、それは後々考えよう。


「じゃあ、行くよ」

『行ってらっしゃいませ、主。貴方に輝かしい勝利と栄光がもたらされますよう』

「ああ、ありがとう。…行ってくる——!」


 彼女に背を向け時の止まった世界を俯瞰する。

おれのやるべきこと、そのためにやらなきゃならない事。

 具象契約の発動、そのために神格に差し出す代償が分からないってのがちょっと怖いが、それ含みでの代償だって言うのなら仕方ない。


(まったく、略式だってマトモに使えるようになったのついさっきなんだぞ? それが一気に上の段階まで挑戦することになるなんてな)


 具象契約、神格の神話伝承を現世に具象する、人の領域から逸脱する契約。力には代償を、略式のように神威による代替は望めない。

 おれから何が奪われていくのかは知らないが、やらないわけにはいかない。


「……ふぅ」


 色付き、動き出す世界で深呼吸。思い出したかのように痛みが襲ってくるが我慢しろ、コイツ倒せば治療してもらえる。生きてるってことは心臓も無事っぽいし、多分大丈夫だ。


「はっ——」


 笑え、傲岸不遜に誇らしく。今この瞬間、お前自身がこの世で頂点なのだと言い聞かせて刃を握れ。支えてくれてる奴らがいるんだ。これ以上カッコ悪いところは見せられない。

 さあ、やるぞ。



  □ □ □



「が…ふ———っ」


 絶望はしかし、陽炎のように消え去った。

 忌まわしくもこの身を貫いた輝くばかりの雷霆の矢は、使用者の女と共に崩れ去る。二撃目を放つには器が脆く、不十分。男は身体をこの身で貫いた。動くこともままならず、白い服を着た人間は仮初めの身体で十分殺しきれる。

 最も実力のあった、初めに抵抗していた女は厄介ではあったが、核を破壊する力は持ちえなかった。だが、結界が解けようとしている今だからこそ、ここで危険分子を逃すわけにはいかない。

 ——コロス。

 人の言葉で言えばこれが正しい感情であろう。エイオスと呼ばれた『穢れ』は命の危険を前に急激な成長を遂げている。それは人のカタチをとるという外見の変化であり、内面の変化。

 ゆえにこそ、この場で全員を殺しておく。彼らの死体を養分として元の姿に還り、姿を隠せば恐れる者も無い。事実上の勝利、更なる成長に感じるのは怒りでも恐怖でもなく喜び。


 人類の怨敵の生長、戦いによって強くなるのは人だけではないのだと、忌まわしい人間どもに知らしめるのだ。そのために、まずは最も危険な女を殺す。もう矢を放つことはできずとも、可能性があるのなら。今殺さずしていつ始末するのか。

 膝をつき、血を垂れ流すばかりとなった女の頭蓋を握りつぶす。

 ———コレデ、オワリ


「そりゃあ、おまえの方……、だろうが…ッ」


 ——————

 都合何度目の驚愕か。意識の中でさえ、言葉を認識することはできなかった。

 胸を貫いたはずだ。人間が動けるような傷ではないはずだ。だというのになぜ。


「もう、いい加減終わりにしようぜ。お互いに、なァァッ!!」

「———!!」


 気が付けばその場から最速で離れようとしていた。あの傷で、立っているのもおかしな人間相手に何を恐れることがあるのか。理解はできないが、本能に従った結果。


「な…っ、腕、が——」


 白衣の女に構う必要も無い。戦わせていた仮初めの肉体と再びの合一を果たし、より速く、より遠くへ。あの男から離れなければならない。この場に居ては。


「具象、契…約ゥ———ッ!」


 喉は枯れ、血を吐き出しながら放たれた言葉の真意は理解できない。だが、だが、だが、アレはいけない。危険だと意識の宿る核が、己の総てが叫んでいる。

 神格の力を具象せんと、神威が収束し形を成そうとしている。それは薄く、朧気で、不十分としか言いようのないモノだが、この身を滅ぼしきるには十分、あまりにも事足りていた。

 ———いけない、いけない、アレはダメだ。速く遠くへ、アレが届かない所へ。


「代償をここ、にィッ! 来れ雷霆、其は…っ、万象破壊…するッ、神雷の覇王ォオ!!」


 アレは、星を撃ち落とした矢と同種、だが、その威力が存在そのものは優に超えている。

 世界ごと破壊するほどの力を秘めた、人が持つには不相応に過ぎる神の骨格。握られていたはずの武器は形を変え、右腕には雷雲を思わせる霞を纏っている。

 靄でさえ完全に武具の形を成していない、完全ではないのだ。それでこの圧迫感、危険でしかない逸材。これまでの比ではない圧を伴った雷が無造作に奔っては大地を割り、燃え上がらせる。

 その銘を、知りはしない。知る必要も無い。だが、真に命を懸けた男の声はどれほど離れようとも聞こえてくる。お前を逃しはしないと、奪ってきた命の報いを受けろというかのように。

 ———イヤだ


 意識は恐怖に支配され、死を実感した時、靄であったソレは一つの形をとる。

 死の恐怖を体現する神器の銘。語り継がれ、人の想いと化した輝く雷刃。


「神器…具象———ッ!! 形骸…神骨ンッ、(アスラハンンッ・)黄昏殺す神滅の刃(ヴァジュラァア)ァァアアアア!」

 その銘はヴァジュラ、雷霆神が黄昏の不滅龍を滅しきった法具。——そして、それは対象が『穢れ』であっても変わりはしない。


「ぉ、ぉぉォォオオオオ——ッ!!」


 形の無い、黒き霞の中において一瞬、瞬く光が見えた。それは自身が擬態した星のように小さく美しい、それでいて悲しみに満ちた孤独の極光。

 色とりどりに、まやかしの極光によって覆い隠した己とは違う。ただ、一筋の。


「これ、で…ぇェエエ! 終わりッ、だああああああアアアアアアアア!!」


 握り締められた拳にあるのは光刃、ただ一つの存在を滅しきるがための神器。

 彼女の言っていた通り、俺はまだ未熟だ。神器はマトモな形すらとっていないし、全身を貫くような痛みは大声を張っていないと誤魔化すこともできやしない。だが、それで狙いを外すようなことはしない。決着はここでつける。


「———」


 お前も、生きているのだろう。他者を喰らい、喜びの内に生きていた。それは生きる世界が、存在としての居場所が違うだけで人間と同じこと。

 ——だからすまない、俺はお前を救えない。助けることができない。

 許してほしい訳でもない。俺たちだって仲間を殺されていて、お前を倒す理由はあるんだ。

 だから手は抜かない。お前を救うことはできなくても、他の誰かは救えるはずなのだと信じているから。

 ゆえにこそ、ここに眠れよ天蓋極光、貴様の命は此処に潰える。


「——————ッッ!!」


 放たれた一筋の光、圧倒的質量を持った神話の具象は、逃げ去るエイオスに寸分違わず命中し、その破壊は留まることなく空と地を覆う天蓋ごとに砕き切った。


 目の前に広がるのは穴の空いた森。木々は消滅し、地面は抉れている。


「ハァ…、ハァ………げほ———っ」


 全身を襲う虚脱感に今度こそ耐えきれず仰向けに倒れ込む。ああ、自分でいうのもアレだけどよくやったと思う。


「ん……」


 空を覆っていた天蓋が今度こそ消えていく。上り始めた太陽の光が空を照らし、雲一つない蒼穹の空が広がっていく。だからこそ、その存在が良く見えた。


「———ああ、クソ……」


 塵のような黒点が蒼穹を穢す。あまりに小さくて何も出来はしないが、風に乗ってどこかへ去ることくらいはできるらしい。なんとまあしぶといのか……。


「ぐ、……っ、つぅ———」


 滅しきれなかった。トドメを刺すため立ち上がろうとするが今度こそ痛みでそれどころじゃない。

 このままじゃ、いつか同じように被害が……。


「ハ———ッ!」

 

 しかし、それは陽光に融け込んだ白によってあっけなく消え去った。本当にトドメをさした彼女は着地と同時におれたちの元へ来ると、自分のことは後にしてすぐ手当を始める。


「………アイリス、おれよりハイネの方…いやまずはお前の方をだな……」

「いえロスト、アナタの傷が最も深刻です…っ。傷に響きます、静かに」

「………」

「ああ、認めたくはないが、貴様が一番の重傷だ。大人しく…治療を受けていろ…」

「お前も、血だらけだろうが……。同じくらいだろー…」

「私に外傷はない…、契約を発動しない限り、これ以上は悪化せん」

「…なるほどなー」

「お二人ともお静かに、ようやく勝利したのに、ここで死亡など私は嫌です」

「「………はい」」


 戦いが終わって気が抜けたからか、いつにもまして適当な応対しかできないが、まあいいや。ボロボロだけど、皆助かった。

 手持ちの道具では限界もある。一通りの治療を受けると、アイリスに頼み事。


「多分、皆がおれたちの事探してるからさ、連れてきてくれ。ミカの方にも」

「ハイ、すぐに———」


 唯一動けるアイリスに頼るしかないってのは、ちょっと男としてどうだろうという気持ちがないわけでもないが、動けない以上仕方ない。


「「はぁーーー……」」

「よ、遅くなった。ワリイな、外の壁が固くってよお」

「あー……、お疲れ様です…。そりゃいいんで速く運んでほしいんですけど…」

「んー、それは俺よりアイツらに任せるよ。俺の仕事は事後処理だ」


 残された二人して痛みに耐えること10分くらい、遅ればせながらやってきたフォムドさんが他の圏士に色々と指示する中、血相変えてやってきたキリエとジャイロに抱えられて、ようやく帰還できた。運ばれる最中、ミカとも合流。


「中々、ね。ただ力の使いかたまだまだ上手くないから、今度稽古つけてあげるわ」

「それ今いう事かよ……」

「どうかしら。ふふっ、でもよく頑張ったわ、少しだけ、誇らしい」

「ああ、そりゃよかった」


 なんにせよ、おれたちの勝利。

 ただ、いい加減意識を保つのも限界で、気付く間もなく眠っちまっていたけど。



  □ □ □



 あれから一週間、事態はとりあえずの収束を見せた。

 おれは病院に担ぎ込まれ、腕が治るまで寝たきりの日々を過ごしている。実に退屈だ。


「今日は暖かいですね」

「ああ…、くわぁ……」


 窓から入り込む陽光は暖かく、伸びをしながらあくびを一つ。

 傷が腕だけで済んでいたアイリスは三角巾で簡易的に吊ってはいるものの、もうそろそろ外せるらしい。包帯から露出した指先は問題なく動いている。これも優秀な治療班がいてくれるおかげだね、ったく。


「ミカ様とハイネ様はもう現場へ戻られたとか。とはいえハイネ様の場合、圏士としてではなく、瞳士としての後方支援だそうですが」

「マジか、ホント丈夫だなアイツら。ちょっと引くわ」


 自分の力で立ち上がれないのと、頭からつま先まで血だらけだったくせに数日復帰とか止めろよ、基準がそこになるだろうが。


「どうぞ、リンゴです」

「ああ、ありがとう。てかなんだその手は」

「? いえ、ロストの身体では食べるのも困難かと」

「いや、確かにそうなんだけどさ……」


 だからってあーんは、無いんじゃねえかなぁ…?


「……いただきます」


 とはいっても、本当に腕上がらないんだから仕方ない。最後の一撃のせいで右腕の表面は真っ黒こげだったらしいし。アレを使いこなすにはまだ時間が掛かりそうだ。


「それと、私から一つお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ん? ああ良いぞ、答えられることなら答えるって約束だしな」


 リンゴを食わせてもらう最中、ふとアイリスが疑問を投げかけてきた。


「ありがとうございます。では、どうしてあの場にいたハイネ様へ連絡を? 戦いながら見ていましたが、あの場における不意打ちのタイミングは狙ったかのようでした」

「ああ、それはな——」


 そこまで言うと、扉の向こうからドタドタと音が響いてきた。


「おっつかれーっすー、ロストさん起きてるっす、かー……? おぉー、お楽しみの最中だったすか、これはこれは……」

「違ぇバカ、腕動かねえんだよ」


 現れたのはカルディア、今日も今日とて元気な奴。しかし、それに対してアイリスは冷静沈着、こっちもこっちでいつも通りか。


「お初にお目にかかります。教戒所属、アイリス・マトラと申します」

「お、おお、礼儀正しいっす。え、ええっと、瞳士のカルディアっす……」


 慣れない挨拶にドギマギしてるが、丁度良かった。コイツのおかげでもあるしな。


「ま、座れよ。リンゴもあるし、礼も言っときたかった」

「おー、お礼っすかぁ。なんかしたっすかねぇ? あ、美味しいっす」

「ほら、これ」


 取り出したのは血に濡れ、ボロボロになった紙屑だった。


「あ、ああー! せっかく作った式紙が…、ここまでボロボロにしなくても使えるっすよぉ…」

「そりゃ悪かった、気付かれないようにするのにちょうどよかったもんでさ…アハハ」

「これは?」

「破くと近くの奴に連絡できる道具、コイツが作った」

「むむむ……、これじゃデータも取れないし…困った…っす」

「では、まさかロスト…」

「あー…、まあ、なんだ。自分で破ると勘繰られるかもしれなかったから…さ。念には念を入れて…、アイツの攻撃受けた。思ったより、致命傷だったけど…」

「……」


 何となく、アイリスが怒っているように見えたから目を逸らす。


「で、でも結果的にはエイオスの注意逸らせたわけだし、結果良ければ…、って言ったら怒る?」

「……」

「……」

「じゃ、アタシは帰るっす」


 この薄情者め! そういいたいのは山々だが、声を出せる状況ではないので素通りである。勇気が欲しい。

 残されたおれとアイリスの沈黙は少し続いたが、それはアイリスによって破られる。


「いえ、いえ…、怒ってはいません。ただ、そうですね……。一言、欲しかったというか…」

「え?」


 ふいっ、と顔を背け、小さく頬を膨らませるアイリスの様子は、もしかしなくても……。


「拗ねてる、のか?」

「違います」

「いや、でも」

「違います」

「あー…」

「拗ねてなどいません」

「分かった、分かったから。だから気にするなよ、おれだってできればアイリスに手伝ってほしかったさ。それに、アイリスがいてくれなきゃ、最後も逃がしてた。ありがとう、まだちゃんと言えてなかった」

「いえ……、ハイ、分かりました…」


 なんだか、ここにきてアイリスの新しい一面を見ることになるとは思わなかった。もう少し一緒に居られればもっと仲良くなれたのかもしれないけど、任務も終わった以上は教戒に帰ることになる。


「寂しくなるな」

「ロスト…」

「邪魔するわよー、あれ? なにしんみりしてるの?」

「ん? ああキリエと、ジャイロもか。見舞いか? 悪いな」

「気にしなくていいよ、仲間が生きてるんだ、墓参りなんかよりずっといい」


 丁度いいところで同期二人組が来てくれた。戦いの後、おれたちの場所が分かった瞬間に駆け出してくれたみたいだし、感謝するしかないな。


「あ、そうだアイリス。入居の手続きは済ませておいたから」

「ありがとうございます」

「ん?」

「よろしくね、アイリスさん。とはいえ、所属自体は今までのままだから少しややこしいけど」

「ありがとうございます、ジャイロ様。慣れない場所でご迷惑おかけすると思いますが、ご指導ご鞭撻のほど——」

「まて。ちょっと待て」

「どうしたのよ、変に慌てちゃって」

「ああ、そういえばロストは聞いてないんじゃないかな?」

「あ、なるほど。アイリスから言う?」

「そうですね、隠していたわけではないのですが。ロスト、私は今回の任務において功績が認められたこと、教戒本部からの要請もあり、仮のものですが討滅局の所属となります」

「な、なに?」

「つまり、これからはちゃんとした仲間ってこと。ちなみに住むのは私の隣の部屋ね」

「またしばらくは、ロストと一緒に任務に行くことになるんじゃないかな?」

「あー……、マジか」

「ハイ、マジです」

「えーっと、じゃあ、これからよろしく、って言えばいいのか。まあ、あんな任務はそうそうないと思うから気楽にしてくれればいいと思うけど」

「ハイ、例え大きな戦いが起きたとしても、アナタがいれば何とかなると信じていますよ。ロスト」

「———」


 その時のアイリスは、これまで見せたことの無い、朝露に煌めく華の様な微笑みで。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、見惚れてしまった。


「…はいそこまでっ。見惚れるのはいいけど、こんないい子、アンタには不釣り合いよ」

「な、そんなんじゃねぇ!」

「うーん、そうか、ロストの好みは小柄な子か」

「えっ、何!? それじゃあミカさんもはいってるじゃない! ロスト、アンタねえ…!」

「だから、そういうんじゃねえって! アイリスからも何か——」

「………ぇと、いえ何もありません」

「なんで明後日の方向見てるんだ!?」

「ロスト! ハッキリしなさい答えなさい!!」

「だぁーーッ、喧しい。こちとら怪我人だぞ! もう少し優しくしやがれってんだ!」

「うーん、これはしばらく続きそうかな? あははは」

「笑ってんじゃないぞ元凶!」


 騒音は見回りに来た看護師が来るまで続き、それから一週間もすればおれも何とか退院できた。

 それから更に一ヵ月。街路樹の蕾も花開く、穏やかな日。新年度早々、一緒の任務になったアイリスを出迎えに行くと、彼女は開きかけの蕾を見つめながら待っていてくれた。


「では改めて、これからもどうぞよろしくお願いします」

「ああ、何が変わるってわけでもないが。ほら、頭上げろよ」


 仕事復帰初日、丁寧に頭を下げるアイリスの姿に苦笑する。思いもよらず、一緒に戦う仲間となったが、それも悪くない。

 これから先、『穢れ』との戦いが止むことも無いだろう。

 でもまあ、だからって、皆を助けるって夢を捨てる理由にもならない。これから先も頑張ってみるさ。


「約束、したしな」

「ロスト、何かおっしゃいましたか?」

「いいやなんでも、——行くか」

「ハイ」


 彼女とした一つの約束、そのことを忘れてしまわないよう。腰に吊るした『原型』に触れる。

 これから先も、戦いは続くし市民からの喧しい声も鳴りやまないだろう。でも、そんなことで諦めたりしない。


「ああ、行くか」


 傍に居てくれて、支えようとしてくれてる想いに応えられるように。

『投稿について』

 ここまでが1章の範囲となり、続きの投稿はしばらく鳴りを潜めます。

 できるだけ早く完結させられるよう頑張りますので、申し訳ないですが気長にお待ちいただけると幸いです。


『本編について』

・ハイネの具象契約

 三神に捧げ、撃鉄振るう独眼精錬者 (キュクロープス・エグザクティオ)

 見たことのある能力をコピーできる。コピー対象が武具であればより精度が高まる。ただしハイネ本人に扱える範囲でないと身体にガタが来るため注意。


・ロストの具象契約

 形骸神骨、黄昏殺す神滅の刃 (アスラハン・ヴァジュラ)

 アイツと同じ能力。ヴァジュラを具象し武具として扱うことができる。純粋な火力の暴力なのだが、ロストの能力がまだ足りていないため、武具としての具象は不完全。

 力の制御もできていないため使用すると右腕が真っ黒焦げになる。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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