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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼の噂と私の黙秘

作者: 水奈川葵

 学生時代のことだ。

 塾の帰り道。途中の公園で、私は御曽島(みそじま)が男とキスをしている姿を見た。


 言っておくと、御曽島も男だ。つまり、男同士でキスしているのを見たわけだ。

 なにも見たくて見たわけじゃない。私は変態じゃないから、草叢(くさむら)やら公園の木々の間に隠れて愛を確かめ合っている人間を、わざわざ探したりはしない。


 偶然、通りかかったら公園の中に設置されている自動販売機の前で、男二人が立っていて、大声というわけではないものの、明らかに話しているのはわかって、なんだろうな? とチラリと窺っただけなのだ。その前に、喉が渇いていたから、自販機でお茶でも買おうかと思ったのもある。(まぁ、もっとも公園内の自販機に私の目当てのお茶がないのはわかっていたから、公園に入る気はなかったんだけども)


 それで私は偶然、御曽島のキスシーンを見てしまって、固まってしまった。


 いっても思春期の高校生には刺激が強いじゃないか。まして私はそれまで彼女もいないし、童貞まっしぐらだ。声を上げなかっただけ、大したものだと思ってもらいたい。


 私の強い視線を感じたのか、御曽島は相手の男を抱きしめながら、じいっとこちらを見てきた。そのときの私は、それこそキスシーンをみた時以上に驚いた。どうにか悲鳴を押し殺して(というより悲鳴が出てこなくて)、私はその場から逃げた。


 その日の夜、ドキドキと心臓がいつまでも耳元で鳴っていた。寝るときにもキスシーンが脳裏に浮かび上がってきて、あの後どうなったんだろう……? なんてことを考えると、そりゃもうわかりやすく下半身が疼いてきて、その後、自己処理せねばならなかった。


 翌日。


 私は三回深呼吸してから、教室に入った。

 御曽島は来ていなかった。よかった。いたらガン見してしまうところだ。


 自分の席について、一限目の用意をしていると、御曽島が現れた。同じバドミントン部の鳥居が、相変わらずの大声で朝の挨拶を交わす。私はなるべく御曽島から見つからないように、クラスメートたちモブの群れに紛れた。心配しなくても日頃からモブ生態であるので、そこは容易に教室の背景に溶け込める。

 御曽島も通常通りで、私のことなど目にも止めない。


 あぁ、よかった。やっぱり昨夜、目が合ったのは気のせいであったようだ。


 考えてみれば、御曽島は自販機前にいたから明るくて顔がわかったけれども、私は外灯の明かりからは少し外れた場所に立っていたはずなので、誰かいるとわかっても私だと気付いた可能性は低い。

 ようやく胸をなで下ろして、私は平常に戻った。


 青少年にとって刺激はあったとしても、自分と関わりない他人の生活のことなど、興味が長く続くものではない。そもそも御曽島はクラスメートというだけであって、私は彼とほとんど話したこともなかった。


 だが、昼休みを過ぎた頃に、事態は急変する。


 女子の一部が何事か騒ぎ出して、ヒソヒソ噂話が始まると、そこからは早かった。六時間目が始まる頃には、私の耳にも御曽島が男とつき合っているという噂が聞こえてきた。


 私は急にまたドキドキし始めた。私と同じように、昨夜の御曽島のキスシーンを見た人間がいるのだろうか?

 クラス内でまともに話すのは、同じ鉄道サークルの鎌田(かまた)くらいなものであったが、私と同様にクラスモブの一員である彼ですらも、その噂を聞きつけて話しかけてきた。


「なぁ、知っとる? 御曽島、ホモらしいで」

「…………ふーん」

「なんか意外やなー。モテんのに勿体ない」

「……うん」


 私は興味のないフリをして、図書室で借りた『旅と鉄道』を読んでいた。私が鉄道関係の本を読んでいるときには、受け答えがぞんざいになるのはいつものことなので、鎌田は特に気にしていなかった。


 それから御曽島は一気に女子人気を失い、男子も遠巻きにして距離を置くようになっていった。彼は急速にクラス内で孤立していった。


 私はというと、ひどく気まずい思いを抱えねばならなかった。

 私がその噂を流したわけではない。だが私はそれが噂ではなく、真実だということまで知っている。それが故に、まるで自分が噂を流したかのように思われそうで、それが嫌だった。


 あの日、御曽島は目が合ったのが私だと気付いているのだろうか? だとすれば、絶対に誤解していそうだ。

 だが彼は私に何を言ってくることもなかった。


 私は御曽島を憐れみもしなかったが、自分が彼を孤立させる状況に追い込んだと思われるのは、本当に避けたかった。

 だから、御曽島の噂に関する私の対処は、徹底した無関心であった。


 御曽島に対するシカトが続いていたある日、理科の移動教室が直前に変更になった。その日、御曽島は遅刻して来たので(その頃になると御曽島は学校を休みがちだった)、知らなかったのだろう。私が授業で使うコンパスを忘れ、自分の席に取りに戻ると、御曽島は元々予定した教室に向かうところであった。


「あっ、御曽島くん。今日、そっちと()ゃうねんで」


 私は思わず声をかけてしまった。御曽島は振り返ると、まじまじと私を見た。あの日以来、久々に御曽島と目が合った。


「どこ?」

「技習室」


 私は言ってからまごついた。

 これは一緒に行くべきなのだろうか? でも、今の御曽島と一緒に行動するのはできれば御免願いたかった。


 御曽島はこんな噂が広がる前には、クラスの中ではやさしくて気が利く、その上でイケメンの部類であった。そのときも仏頂面ではあったが、気が回るという性格に変わりはなかった。


「先、行ったらええよ」


 私が困っているのを察したのだろう。フッと笑って、促してくれた。

 そこで正義感を出すほど、私はデキた人間ではない。


「あぁ。ほな、お先に」


 あっさりと頷いて、私は先に技能実習室に向かった。それが学生時代、御曽島と最後に交わした会話だった。




 十年後の同窓会にやって来た御曽島は、そんな学生時代の噂など吹き飛ばしていた。彼は三年前に結婚していた。近々、子供も生まれるという。

 誰かがこっそり宴席の隅で「あのときのあの噂、なんやったんやろな?」と話していた。皆にとっては、あれは根も葉もない不確かな噂だったのだという結論になったのだろう。


 だが私だけが固まっていた。

 私だけが御曽島の噂が噂でないことを知っている。十数年を経た今でも同じだった。


 同窓会のあとの二次会が終了して、そろそろ帰ろうとしたときに、肩を叩かれた。振り返る前から、私は予感がした。多分、御曽島だと。


 予想は当たった。


 私は御曽島に連れられて、一駅先のバーに入った。


秋吉(あきよし)って、同窓会委員やってんな」


 御曽島に言われて、私はマンハッタンを飲みながら、苦笑いを浮かべた。


「うん。くじ引きで」

「そやろな。しそうにないもんな、ジブン」


 御曽島の言う通りで、私は同窓会委員となってもまったく同窓会を計画することなく、ずっと他の委員に任せきりだったのだが、当然ながらそうした態度は、他の委員と彼らと仲のいい元級友たちから非難をあびせられた。そのため今回の同窓会については、企画から段取りまでしっかり私主導でするよう、強制されたのだ。


 なまじイベント会社なんかに就職したせいで、同窓会程度の集まりであれば、なんてことなく出来てしまう自分が恨めしかった。なんだって仕事以外の場所で、仕事みたいなことをせねばならないのだろう。


「俺さぁ、同窓会なんかずーっと行っとらんかったんやけど、今回の幹事が秋吉やったんで顔見せようかと思ってん」


 噂が出回る前の陽気な頃の面差しで言われて、私はちょっと戸惑った。

 あのこと以来、クラスメートからは距離を置いていた御曽島に、同窓会への出席を決意させるような人間ではない、私は。


 だが御曽島は懐かしそうに言った。


「もう、覚えてへんかもしれんけど、ジブン、態度が変わらんかったやん。あのとき」


 あのとき ―― というのが、噂が流れていた頃のことだというのは明白だ。


 私が黙っていると、御曽島はマティーニを飲みながら続けた。


「みんなから嫌われてもぉて、ムシされて、さすがにちょっと(こた)えとってん。せやけど秋吉は、ぜんぜん関係ないみたいに平然としとったやん。俺が遅刻してきて、移動教室間違えそうになったときも、教えてくれたし」

「そやったっけ?」


 空とぼけたように首をひねりながらも、私の中で記憶は鮮明だった。


 確かにあのとき、私以外の誰か ―― 女子のボス的な津川などが教室に戻っていたら、間違えた教室に行こうとしている御曽島に声をかけることもなかったろう。

 だが、だからといって、私が自分の行動を自慢できるわけもなかった。


「俺、けっこうあれで救われてん。秋吉みたいに、なーんも関係ないって感じの奴もいるんやなーと思て」


 御曽島からの感謝の入り混じった評価が、私には苦痛だった。


 私はひたすら無関心を装っただけだ。嘘をつくのも下手だったし、真実を言ってクラスメートからの注目を浴びたくもなかった。


「ごめん」


 私はもうこれ以上、御曽島の秘密を抱えていたくなかった。同窓会で再会した今こそ、一番言ってもいい相手にぶちまけて、昇華させてしまいたかった。


「俺……御曽島が公園で男とキスしとったん見ててん」


 一応、「男と」の部分は小さい声にしたが、御曽島にはちゃんと聞こえたのだろう。私の告白に、しばらく目を丸くしたまま固まっていた。しばらくしてから、残っていたマティーニを飲み干して「あぁ……そうか」と思い出したようにつぶやく。


「あのとき立っとったん、秋吉か。誰かめっちゃ見とるなー、て(おも)とったわ」


 やっぱりあの時、御曽島は私とは気付いていなかったのだ。

 私は少しだけ素直に告白したことを後悔した。


 ずっと私は怖かったのだ。

 御曽島が実はあの場で立っていたのが私だと知っていて、クラス内でいじめられるような状況を作ったのが私だと誤解しているんじゃないか、と。


「でも、俺()ゃうで。あの噂を流したんは」


 これこそが重要な点であった。あの噂は私が流したものではない。ここだけは御曽島に誤解されたくなかった。


 強い口調で言う私をまじまじと見た後に、御曽島はプッと吹いた。


「なんや、そんなこと気にしとったんか」

「え?」

「そんなんわかっとるわ。あの噂流したん、俺やし」

「…………」


 私は耳を通り過ぎていった御曽島の言葉を、あわてて引き戻した。再生(リピート)して、また引き戻しを三回は繰り返した。咀嚼が済んで、今度は私が御曽島をまじまじと見つめる。御曽島はフフッと少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「俺も若かったから、鬱憤溜まっとったんよなー。相手、同じ学校にいたから、どういう反応するやろかと思って、流したってん。それで別れたけど」

「…………」


 呆然とする私と対照的に、御曽島はいかにも愉しげであった。酒もけっこう入っているせいか、滑りの良くなった舌がよく動く。


「これもな、単純に女除けやで」


 結婚指輪を嵌めた左薬指をプラプラさせながら平然と言う。「俺、女は抱けへんし」


「あ……そう」


 私は勢いに押されるように返事してから、ふと気になった。


「お前、そんなん俺に言うてえぇんか?」

「ええよ」


 御曽島は頷いて、追加で注文したマティーニを一口含んで笑った。


「お前の口の固さは信用しとる」


 どうやら私はまた、御曽島の秘密を共有する羽目になったようだ。



【了】


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― 新着の感想 ―
主人公自身が当事者でもなければ、言いふらした人間でもないからこその、どんでん返しに驚きます。 また、秋吉が御曽島といつか恋人になるのかそれ以前に意識をしているのかどうかも語られていませんが、どんな関係…
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