第一話 噂
†
私は何で彼女と一緒に行動しているのだろうか。
疑問を思いながら、カフェラテに口を付ける。
私の前には片桐リリーが座って、ミルクコーヒーが入っているコップを両手で持って美味しそうにニコニコしながら飲んでいる。
「輝理先輩、今学校で流行っている噂知っていますか?」
何かあった様な気がするのだが、思い出せない。
繭が昼食の時や部活の時に言っていた気がするのだが、思い出せない。
きっと流行っているというぐらいだから、誰と誰が付き合ったとか言う話ではないはず。
中等部の人には分からない話題だし。
「友達から聞いた気はするけど、忘れちゃった、かな」
リリーの瞳がいっそう輝きを放ったように感じた。
「都市伝説です!」
何だろう。
そのせいで一気に聞く気が失せてしまった。
「この後の予定だけど、やっぱりいつも通り?」
「あのですね! 輝理先輩! 普通学校と言えば、七不思議じゃないですか! けど、七つ超えてあるんですよ!」
あぁ、逃げられない。
彼女の瞳が爛々と輝いている。
もう彼女の好奇心は止められない。
いや、止められる人はいるかもしれないのだが、私の力では止められない。
「輝理先輩、まずはですね――――」
†
あの日、リリーに連れていかれて、結局私は逢瀬を繰り返す場所に行っていた。
誰もいなければ、いい。
そう思っていたが、そこには上級生と思われる生徒が二人、身を寄せ合っていた。
気まずい場面だ。
素知らぬ顔をして、その場を去ろうとリリーに言おうとしたのだが、彼女は興味津々なように、その大きな瞳を輝かせて彼女たちの様子をじっくり観察していた。
見ている限り、二人はまだまだここでの情事を終わらせることはないと思うのだが、どうしようと思っていると、彼女は満足そうに静かに身を引いていた。
「もういいの?」
「はい、もう未知ではなくなったので」
私が首を傾げていると彼女は微笑んで去ってしまったのだった。
変わった子だ。
私はそれだけの印象だったのだが、それから奇妙な日々だった。
リリーは放課後になれば、テニスコートを訪れるようになった。
どうして、私がテニス部に所属しているのが分かったのかはいまだに不明。
私たちが通っている星花女子学園は、学校の大きさもさることながら生徒の数もこの少子化している現代においても多い、と思う。他の学校を知らないのもあるのだけど。
だけど、なんとなくそういうイメージがある。
中等部でも多くの生徒がいるのに、目立ったことをしていない高等部の一生徒である私なんてどこで聞いたのか。
本人に聞いても、
「お友達に聞きましたっ!」
元気な答えをもらった。
私、中等部に知り合いはいないんだけど、それにしても、変な噂とかなければいいんだけどな。
敷地も広ければ、学校も広く、生徒も多い。
素行の悪い子もいれば、お行儀がいい子もいるし、勉強で活躍する子、スポーツで活躍する子と様々な子たちがいる。
それを大会でも大した活躍もなし、お家がすごいお金持ちの子でもない、小さなクリニックの娘でしかない私に何の噂があるのか。
それを聞いたら微笑んで誤魔化されたのだけど。
だから、リリーがどうやって私のことを知ったのか不明だし、どうしてこんな懐いているのかも分からない。
謎多きというよりも、謎しかない子なのだ。
そんな謎の美少女、片桐リリーは今は同じテニス部員たちに囲まれている。
彼女の愛くるしさに当てられた部員たちによって可愛がられているのを、私だけ輪から外れてじっと見ている。
「リリーちゃんもテニス部入ったら?」
「もう、まだ中等部なんだから、入っても一緒には無理でしょ?」
はしゃいだ声に思わずため息が出る。
リリーの方もしっかりと断わればいい物を、ニコニコと応対しているのだから、更に周りが盛り上がるだけ。
それでちょっとでも、勧められたら、
「お誘いしてもらってとても嬉しいのですが、その、ごめんなさい。わたし、あまり体が強くなくて、運動なんてしていたらお母様たちが心配で倒れてしまうかもしれませんので……」
困った顔で言われれば、さすがにそれ以上、無理に進められた李は出来まい。
嘘ではないだろうと思う。
実際にあの日、彼女は倒れそうだったから。
私が手を貸さなかったら、倒れていた。
噂好きの繭が言うにはどうやら彼女は体育の授業も見学が多いようだ。
軽い運動程度なら出ているらしいが、それ以外は見学。
学校側にも話が通っているのか、先生たちからも心配されて声を掛けられているとかなんとか。
その真相はさすがにちょっと話が盛られているような気がするのだが、最初の方は信じてもいいと思う。
そして、テニス部員に可愛がられているリリーの目当てはきっと私だろう。
彼女と目が合うと、先輩たちに向けられているよりもはっきりとした笑みが向けられてきたから。
どうして、私に懐いているのか。
「先輩がわたしを助けてくれたので、きっといい人だと思ったからです」
いい人、か。
誰かが倒れそうなら、誰でも手を差し伸べると思うのだが。
それだけでいい人と判定してしまっていいのだろうかと思う。
そうして、リリーは私に懐いて、懐かれた私は彼女に振り回される日々の始まりでもあったのだ。
†
「――――――――先輩?」
「え?」
リリーが不満そうに頬膨らませる。
可愛い子がそういう仕草をすると、絵になるし、可愛らしくてじっと見てしまう。
「噂のことです。ちゃんと聞いていたんですか?」
「ごめん、ちゃんと聞いてなかったかも」
「次はちゃんと聞いていてくださいねっ!」
リリーは語尾がちょっと上がる癖があるせいで、なんだか怒って言った言葉でも可愛さが入ってしまって迫力に欠けるところがあるのだが、それを指摘することはない。
それは私だけが知っていることだし、本人が知らない可愛い癖を指摘して直してもらっては勿体無いからだ。
「まずは、『リンボウさん』ですね。『保健室で寝ていると隣のベッドに誰か寝ている』『夜、校舎から見下ろす影』『階段の踊り場に鏡に映る影』『放送室で泣く生徒』『ドッペルゲンガー』『毎夜飛び降り続ける生徒』『音楽室から流れる不吉な音楽』が今のわたしに集められているものです」
なんだか聞いたことのある物が混じっている気がするのだが、それにしてもこれはなんというか、あれだ。
「ちょっと多くない?」
「はい、多いですよね!」
なんでこの子は多いことに喜んでいるのだろうか。
それにリリーは『私が集められているものです』と言ったよね。
ということは、まだまだこれ以外にも噂が飛び交っているというものだ。
これを全部一緒に確かめるなんて言わないよね、なんて甘いことは思わない。
リリーならやるだろうという、嫌な方向で信頼できてしまっている。
目の前で大きな空色の瞳キラキラ煌めかせてこちらを見ているのだから、私は巻き込まれることは確定しているように見える。
「輝理先輩っ!」
「待ってね、リリーちゃん」
リリーの言葉を前以て制しておく。
増え続ける噂話。
それに全部付き合ってあげられるわけでもない。
ただ、リリーは大丈夫だと言っていても、倒れるところを見てしまったのもあって、知らない振りというのはさすがに出来ない。
してもいいけど、絶対に後になって気になって仕方なくなるから、それなら、というのもある。
私にも私の時間がある。
時間というのは有限なのだ。
だから、上手く使わないといけない。
「リリーちゃん、噂は今も増えて行っているのですか?」
顎に手を当てて、考える仕草も様になる。
「そうですね……増えていると思います」
都市伝説の増え方なんて、分からない。
流行り廃りがあるのかもしれないが、今回の増え方というのはちょっと異常な気がする。
こういうのは何かあって、その出来事に尾ひれが付いて行って、在りもしないものを生み出すようなイメージがあるのだが、今回何かあったということを私は知らない。
高等部では何もなかったはずだし、中等部も多分なかったんじゃないかな。
リリーが何も言ってないから多分なかったと思うんだけど。
こうして考えると、友達が特別多いわけではないのだけどそれほど私の交友関係って広くないのかもしれない。
「どうして、そんなに増えてるのかな……」
「そうですよね!」
リリーが身を乗り出すようにしてくるので、その分私が身を引いた。
「噂が多いんですっ!」
リリーの声が思ったよりも大きくて、周りがざわついてしまっている。目を走らせると、こちらを見て、何かひそひそとこちらに聞こえないように話している。
「分かった、分かったですから、リリーちゃん、落ち着いて? ね?」
私が落ち着くように言うと、リリーがハッとした様子で、周りを見る。
自分たちがカフェの注目を集めているのが分かったらしい、興奮していたのが冷めたように動きが固まる。
小さな声で、「はい……」と言って、恥ずかしそうに顔を赤らめて、席に落ち着いた。
「落ち着きました?」
「はい……」
恥ずかしかったのか耳まで赤くしている。
今までの彼女と違って、小さい子のように感じて、可愛く思える。
いつも振り回されているせいもあるかもしれないが。
「噂が多いですよね、確かに。それにどこから、誰から噂を発しているのか追うにしても、数が多すぎて確かめようがないですし、噂を真相を確かめようにも高等部の物ばかりですから、わたし一人の力では難しいです」
リリーがミルクコーヒーに口を付ける。
今、彼女はとても気になることを言った。
誰かが、ではない。
どこで起きていることか。
高等部で、というのはどういうことだ。
「高等部ってどういうこと?」
「噂の場所が高等部なんです」
「いや、リリーちゃん、一言も高等部とは言ってないよね?」
彼女が最初に言った噂にはそんな事一言も含まれていなかったはずだ。
「どうなの?」
私の問いかけに対して、リリーの目が私から逸れる。
「もしかして、中等部のは自分だけで確かめたとか?」
私がそう問いかけると、私を上目遣いに見て、微笑む。
どうやら、中等部は彼女が走り回って確かめたらしい。
やりそうか、やらなそうであれば彼女ならやるだろう。
しかし、彼女の行動力は大したものだ。
そんな不確かなものをわざわざ追いかけるなんて、普通はしないことを楽しんでやれるのは少しだけすごいなと思う。
「それで、輝理先輩、一つお願いがあるのですけど……」
綺麗で可愛い子の上目遣いの破壊力たるや。
自分でその有用性を分かってやっているのか分からないが、同性であったとしても、ドキッとしてしまう。
「えーっと、何を?」
「わたしを高等部に入れてください」
そう言うと思った。
入れてあげるのはいいんだけど、行動を一緒にするのはどうなのだろうかと考えてしまう。
ただでさえ、リリーは目立つ。
中等部の生徒というだけで目立つのだけど、それ以上に容姿が一際目立つ。
それにテニス部には馴染んでいるのだが、それ以外だとどうしても目を向けられることは必至だ。
「先輩、ダメですか?」
私が考え込んでしまったのを、無理だと拒否されるのかと思われたのかもしれない。
身を乗り出して、私の両手を掴んで、上目遣いはちょっと破壊力が高い。
断る方法はある。
一言で言い。
無理だと言えばいい。
ただ、ここまでされて無理だと言える度胸は私には残念ながらなかった。
だから、別の言葉を紡ぐことにした。
「いいよ。だけど、方法だけど――――」
リリーの手の上で踊らされている気がするのだが、一つ私は提案をした。
謝辞
いつも読んでいただきありがとうございます。
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