1話:謎の敵
坂本里奈にとって、自分の目の前に誰かが立っているというのは珍しいことだった。劣悪な家庭環境により家にほぼ帰らず、街でも特に治安の悪いとある繁華街で一日の殆どを過ごしてきた里奈は、生きるため、糞みたいな両親や周りの環境に対する発散どころの見つからない怒りを無差別にぶつけたかったからかもしれないが、喧嘩に明け暮れた。中学女子だったのもあり、弱ければ犯罪に巻き込まれる可能性が非常に高かった。里奈はチンピラやヤクザのようなアングラな人達だけでなく、一般人にも牙を向き、そしてその全てに勝ち続けてきた。喧嘩に勝ち、金を奪う。そんな生活を続けてきた結果、この繁華街で里奈の半径三メートル以内に近寄るものはいなくなった。
だから自分の目の前に誰かが立っている事は数か月ぶりであり、そんなことをする奴はここに初めて来たか、里奈に挑もうとする命知らずだけだ。
視線を落として歩いていた里奈は、目の前の人を確認するため顔をあげる。相手は男。男の中でも高身長な方の背丈で、白髪だが見た目が若い事から染めているかそれが地毛なのだろう。なぜ地毛の可能性があるかというと、男が赤い瞳をしていたからだ。これもカラーコンタクトだと言われればそうかもしれない。だが他にも高い鼻や外国人みたいな体格、そして日本で見た事のない、どこかの民族衣装のようなものを着ているところが、どうしても目や髪が持前のもので、どこかの外国人かもしれないという可能性を捨てきれない。
里奈は鋭いナイフのような目で男を睨む。
「おい」
次に、できるだけ声を低くして凄んだ。
里奈にとって、こういう他所から来た人間というのはカモだった。繁華街をよく使う人たちは既に里奈の怖さを知っているので近づかない。だから里奈は金に困った時奪える人間がいなくなっていた。里奈の怖さを知らない他所者は無警戒で近づくので丁度いいのだ。
「殺されたくなかったら今持ってる金全部よこせ」
だが男は無反応だった。普通なら「君みたいな可愛い子がそんなこと言っちゃいけない」と子供扱いされ、里奈が一発腹を殴って怖がらせ、カツアゲするという流れなのだが。男は舐めてこないし、怖がらなかった。
「おい!」
「ここでいいか」
男が急に喋ったので、里奈は驚いて一歩後ずさった。
「は? どういう意味だ」
とは言ったが里奈にとって男の発言の意味はどうでも良かった。それよりも今まで自分を無視して、やっと喋ったかと思えば関係ないことを言って話を聞いていないことに舐められていると感じ、怒りが爆発しそうだった。
「ここなら負のオーラが集まりやすいだろう」
「だから何言ってんだお前」
またも里奈を無視し、男は懐から何かを取り出した。それは手のひらサイズの黒い球。何でできているのかは見ただけでは分からない。
「いでよ、ドチクショウ!」
男が叫び、黒い球を掲げる。黒い球は自分から飛び上がり、爆ぜた。
そして黒い球は、巨大な黒い怪物へと姿を変えた。
繁華街にいる全員がその怪物に注目する。一瞬のフリーズ。後に一人のサラリーマンの全力ダッシュが引き金となり、繁華街はパニックに陥った。
「ははは。人間は簡単だな。こうやって驚かすだけで負のオーラが溜まる。更に逃げる人間を殺せば、それを見た他の人間は更に濃い負のオーラを出すのだ。さて誰を殺すか」
男は逃げる人々を品定めするように見た。
里奈と男の目が合った。里奈は男の目の前で立っている。
「お前は逃げないのか、ガキ」
里奈は心の天秤が激しく動いていた。早く逃げたい、いや舐めているこいつに背を向けるのはプライドが傷つく。
「な、なんなんだよそれ」
「まあいいか。お前から殺そう。いや、あえて逃がして追いかけっこでもさせてみるか?」
だがその天秤は一定の位置で安定した。
「逃げ遅れて、可哀想にな。だが自分のどんくささを恨むんだな」
プライドの方に吹っ切れる形で。
気がつけば、里奈は男の顔面に拳を振り抜いていた。
「っつ。何をする!」
男は顔を押さえてよろめく。不意打ちなのもあってそこそこ効いているようだ。
「舐めてんじゃねぇぞ。コケにしやがって。オレはお前ら大人の、ガキだからって舐めてかかるその態度が気に入らねーんだよ!」
「な、なんの話だ」
「今までの態度、ぶっ殺して後悔させてやる」
頭に血が上った里奈は、歯を食いしばり、相手を睨みつけて、これから群れの外の敵と命のやり取りをする獣のように威嚇する。
「よくわからんが、お前は戦うと言うんだな?」
男は腹を抱えて笑った。
「人間如きが勝てるわけが無いだろうが。それともなんだ? お前はこのドチクショウを倒す算段でもあるのか?」
「んなもん知らん。オレはお前をぶっ殺す。立てなくなるまで殴りまくってやる」
里奈が発する迫力に、男は身震いして後ずさる。自分が圧倒的有利かのように振る舞っていたのに、その余裕が消え、男は慌てて怪物に「このガキを殺せ」と命令した。
怪物が男の前に出る。そしてどの生き物にも似ていない、悍ましい雄叫びをあげた。
里奈の真正面に立った怪物は、三階建てのビルに匹敵するほど大きい。当たり前だが、里奈にとってここまでの巨体
と喧嘩をするのは初めてだった。
だが臆せず里奈は構えた。怪物が振り上げる右拳に注目し、殴る瞬間を待つ。
怪物の拳が里奈に向かい飛んでくる。巨大な体なのに、そこそこ齧ってるボクサーのストレート並に速い。これに怪物の体重が乗るのだから、威力は桁違いだろう。だが速さだけ見れば、里奈にとっては簡単に躱せるレベルだった。この繁華街には、それ以上のパンチを出せる輩がゴロゴロいた。
里奈は左に躱す。しかし更に懐へ踏み込むことはしなかった。怪物の拳が元の位置に戻る速度がジャブのように速かったからだ。
そしてこれがジャブなら話が変わる。そうでもないボクサーの渾身の一撃だと思っていたら、世界チャンプのウォーミングアップのようなジャブだった、みたいな衝撃だ。里奈は次の攻撃に備える。
また左拳。里奈は更に左によける。圧倒的な体格さを逆に活かし、的の小さい体で素早く移動し、相手に的を絞らせずに隙を狙う作戦にでた。
だが里奈のその作戦は失敗に終わる。怪物の反応速度が人を超えていた。里奈が怪物の左側面に回り込んでも、すぐに体を正面に向けて右拳を繰り出したのだ。
里奈は、辛うじて手で顔面など大事な部分を守ることはできたものの、怪物の攻撃をモロに受けた。
車と人の事故映像を想像してしまうほどの衝撃。後に里奈は後方五メートルまで吹き飛んだ。
動かなくなった里奈を見て、男は「こんなものか」と笑う。
「ってぇ…………なぁクソ!」
だが里奈の怒鳴り声で男の笑顔は引きつった。
「なんで生きてるんだよ」
「あ? 知らねえよ。お前のその黒い奴が弱かっただけじゃねーのか」
里奈はまだ続く体の痛みに耐えながら起き上がる。
顔を上げた時、里奈は周りの異変に気づいた。空が赤黒くなっていたのだ。逃げ惑っていた人々もいつの間にかいない。逃げ遅れた人がいてもいいだろうに、人の気配すらし無かった。
「ん? 何故空を見ている」
男も里奈につられて空を見る。そして空の色に気づくと、心配していたことが現実に起きたかのような焦りと苛立ちの混ざった表情にみるみる変わっていった。
「しまった! こんなガキに時間を取られたせいだ!」
「なんの話だ! てかあれもお前がやったことじゃねーのかよ」
「五月蠅い黙れ!」
男は切羽詰まった様子で叫ぶ。
「こうなったらお前にかまっている暇はない。はやく奴らと戦う容易をしなくては」
男は怪物に、懐から出した黒い半透明の玉をかざした。すると玉から何かが吸い出され、怪物に取り込まれていく。そして怪物は更に巨大化し、強化された。
「こんなところで負のオーラを使いたくはなかったが、仕方ない。これがあれば奴らが来ても問題ないだろうからな!」
「は? 待てよ、奴らって誰だ」
痛みがだいぶ引いてきたので、里奈は構え直す。
「お前にかまってる暇はないって言っただろうが。ああ、もう来てしまった」
「は? おい」
里奈が問いただそうと声を発した瞬間、後方からの突風と吹っ飛んできた誰かによってかき消された。
「ハァッ!」
誰かの気合いのこもった声が聞こえたと思えば、いつの間にか怪物が体勢を崩していた。怪物の上方には、恐らくドロップキックだろう、を終えて着地の体勢に入るピンク髪の少女があった。里奈はこいつが男の言っていた奴なのだと一発で理解した。男の顔が、会いたくなかった人に会ったかのように硬く引きつっていたからだ。
少女は華麗に着地する。
「怪我はない? もう大丈夫だよ!」
そして里奈の方へ振り向くと、ニッと笑って見せた。
少女は、長いピンク色のポニーテールに、黒とピンクの、魔法少女や女児向けアニメの美少女戦士のような衣装と、まるでコスプレイヤーのような格好をしていた。大きな目を持った整った顔立ちのため、アイドルがコスプレしたのではないかと思わせる。そう思えるくらいに、少女の格好は一般からかけ離れていた。
「来たなウィッチ!」
「もう貴方の好きにはさせない! 愛、行くよ!」
「うん。勇美!」
里奈の背後から、ピンク髪の少女への返事が聞こえた。振り返ると、そこにはピンク髪の少女と同じような青と黒の衣装を纏った、水色髪の少女が祈っていた。ピンク髪の少女も水色髪の少女も美人だが幼さがあり、背丈も少し小さいことから里奈と同い年か年下のようだ。
大きな音がして、里奈は顔の向きを正面に戻す。既にピンク髪の少女が戦い始めていた。
ピンク髪の少女は、とても人間とは思えないような動きだった。垂直跳びで怪物の頭上よりも高く飛び、少女に向け放たれる怪物の拳を両手で受けきる。更に少女は反撃を確実にきめていた。
「ハァアアアッ!」
ピンク髪の少女の、渾身の一撃が決まる。今までで一番の威力に手応えだ。たまらず怪物は地面に膝を付いて、倒れた。
「く、クソ。ウィッチめぇ!」
男は悔しそうに下唇を噛むと、懐からさっきよりも薄くなった半透明の玉を取り出した。
「こうなったらフル出力だ!」
男が怪物の強化を始める。男の手にある玉はみるみる色を無くし、透明になったときには、怪物はさっきまでとは比べものにならないほど大きく、凶悪になっていた。
面白いと思ってくださった方。ブックマークと☆評価お願いします!
ページ下部から☆☆☆☆☆で評価出来ます。