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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

責任

作者: ネムノキ

 ぶっちゃけて言ってしまえば、私に信念などない。親衛隊女子補助員軍団に入隊したのは、その方がご飯をたらふく食べられると思ったからで、それ以上の理由はなかった。

 だから親衛隊国家学校在学中、教官に『お遊び』で提出したその計画書がアドルフ・ヒトラー総統閣下のお目に止まるなんて、思っていなかった。

 ましてや。


「ドーリス・ミュラー『親衛隊大尉』を、アルカション強制労働収容所の所長に任命する!」


 総統閣下から直接、任務を命じられるなんて。


 そんな訳で、1942年12月10日。私はフランス南部の漁村『アルカション』に新設された強制労働収容所の所長として着任した。

 部下として、武装親衛隊少尉が四名。強制労働収容所の労働者として、ユダヤ系フランス人の女子供ばかり二〇〇名。彼らを広場に整列させ、私は演説を始めた。

「皆さんのやることは簡単です。帆船の漁船を建造し、植林し、漁に出て、魚の干物を作る。ただそれだけです」

 アジテーション演説をする必要もないので、簡潔に要点だけ告げる。

「『この戦争の行方』なんて気にしなくて結構です。与えられた仕事に励んでください」

 不審な表情を見せる部下と、安心した表情を見せる労働者。「ああそう」と釘を刺しておく。

「魚が取れないと、労働者の皆さんのご飯は減ります。なので頑張ってくださいね?」




 療養地として有名だった漁村アルカションに住んでいた漁師を指導者に、彼らの漁船を徴発した上で労働者達に漁をさせる。

「人手が余ってるね」

「確かに」

 アルカション近郊の林から松や樫を切り出して漁船にするも、低木が多く中々漁船は増えない。

「ジャガイモ畑でも造らせるのはどうですか?」

「それ採用」

 部下の意見を採用。私が書類を書いて上に提出し、アルカション近郊にジャガイモ畑を新設する。肥料には森の落ち葉と干物に向かない小魚を使う計画だ。

「それでもまだ人手が余るね」

「漁網も余っております」

「……ムール貝の養殖でもやらせる?」

「賛成します」

 ということでムール貝の養殖も行う。アルカション周辺では牡蠣の養殖が盛んで、それと競合しないよう考えた結果だ。

 ムール貝も育てれば貴重な食料。殻は焼けば建材と無駄がない。


 労働者の脱走だけ気を付けつつ、漁とジャガイモ畑、林の管理をやらせることしばし。

 1943年の9月半ばになって、労働者が一〇〇人増員された上で、ムール貝の増産、特に貝殻を増やすよう指示が出された。

「戦況は悪いらしいね」

 部下と話をする。食料の配給は滞りがちなのに、魚の干物やジャガイモはしっかり持っていかれる。正直やってられないけれど、ご飯が食べられるだけマシだ。

 人手が増えたので、キャベツやレタスの栽培も始める。


 1944年6月中頃。『警戒しろ』と本国から機関銃が送られてきた。

 いや五人ぽっちで警戒も何もないでしょと呆れる。

(これは負けたね)

 そう思いながらも、労働は続けさせる。でないとご飯が食べられないからだ。


 戦況は益々不利らしく、1945年に入ると本国からの指示が滞りがちになり、魚やジャガイモが徴発されなくなった。

 魚に関しては余っていたので、近隣の村や町にリヤカーに載せて配って回った。どこも配給が止まっているらしく、滅茶苦茶喜ばれた。




 1945年4月20日。今日も部下三人連れてのリヤカーでの食料配給。私は山盛りキャベツを積んだリヤカーを引きつつ、アルカション東部の牡蠣で有名だった町グジャン=メストラに向かっていた。

 春の陽気は温かく、武装親衛隊の制服はキャベツの上に置いて。ワイシャツも腕まくりして、先頭でリヤカーを引いて歩いていると、前からトラックがやって来た。

「デザイン変だね。新型かな?」

「鹵獲品では?」

 なんて会話をしつつ横を通り過ぎようとすると、急にトラックは停車し、中から小銃を抱えた兵隊が降りてきて私達を包囲した。

「武装親衛隊の者と見受けます。降伏してください」

 そうアメリカ陸軍なんとか師団なんとか大隊の隊長さんは告げる。

 私達は顔を見合わせる。どうやら戦争は負けたみたいだ。

「降伏するのは良いけど。グジャン=メストラでこれ配るの手伝ってもらえます?」

 そう言うと、アメリカ陸軍の隊長さんは馬鹿を見る目を向けつつも同意してくれた。




 私にとって、今回の戦争はただそれだけのことだった。

 労働者を海や畑、小さな工場で働かせて、それを配っただけ。

 それが悪いと。恨まれるようなことだというなら、銃殺されるのも納得するしかない。




   * * *




 ドーリス・ミュラー(1925~1945)

 ドーリス・ミュラーはアルカション強制労働収容所の所長である。最終階級は武装親衛隊大尉。


 1942年親衛隊国家学校在学中に『帆船とユダヤ人を使った危険地帯での漁業』を提案。アドルフ・ヒトラーがそれを認め、試験的に実行するためにアルカションに新設された強制労働収容所の所長に任命される。

 アルカション強制労働収容所は、ドーリスの方針により食料を自給していたため、餓死者や病死者はほぼ出なかった。


 1945年4月20日。アルカション解放作戦に伴い、降伏する。

 その翌日、アルカション解放作戦に従事したアメリカ兵の暴走により、四名の部下と共に射殺されるも、戦後の混乱で報告書が上がらなかった。


 戦後四〇年経ち、アルカション強制労働収容所の元収容者達が『あの時の所長との面談』を求め、ナチ・ハンターを巻き込んで捜索が行われた結果、射殺されていたことが判明した。


 その後、アルカション強制労働収容所は、ナチスの収容所としては例外的に『人道に配慮した』経営がなされていたことが明らかにされたが、ドーリスらが武装親衛隊隊員であることに代わりはなく、名誉回復はされていない。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 収容者の状態は良好かつ周辺住民と関係も良いので、40年経たずに所長たちの行方は問題になっていそう。当局の揉み消しが有ったのでは?
[気になる点] 殺されるのはまあわかるけど、名誉回復はされて欲しかった
[良い点] こういう歴史の中の儚い話好き
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