「我々は脳という独占劇場が見せる芝居の観客」に関する考察
ガチな考察というより、推論に基づいての持論展開です(笑)
タイトルにある台詞は本編でも書いている通りに「姑獲鳥の夏」からの引用ですが、細かな言い回しなど、かなり違うと思います。
さて、タイトルについて、なんと無く察しの良い方はお気付きかと思いますが、京極夏彦先生の「姑獲鳥の夏」の冒頭で主人公が話した内容の一部です。
まあ、私自身が中学生の頃に読んで以来、約25年くらいは読んでませんので、実際の台詞とは異なるかとは思いますが、こんな感じの台詞でした。
さて、本稿は決してこの主人公の心情や台詞の背景を考察するものではなく、この台詞を踏まえて思考と脳の関係について、つらつらと考えてみたいというものです。
私は普段から考え事ばかりしている質でして、その私にはどうしても不思議なことが幾つかあるんですね。その一つが「思考」です。
脳波や脳内物質の分泌は計測や検出は出来ても、思考そのものの発生や変化を観測することは出来ないですから、(筆者が浅学で知らないだけかもしれません。知っている方がいたら教えてください)どのように生じるのか疑問でなりません。
さて、なので本稿では「思考」そのものを考察するのではなく、改めて「思考」と脳の関係について考えていきましょう。
前置きが長くなりましたが、スタートです。
皆さんは体に不具合があったり、精神的に緊張している場合を除いて、健康な状態と仮定した上で、意識して体を動かそうとして、思考と実際の体の動きにタイムラグを感じることはあるでしょうか。
例えば右手の指を動かそうと思った時、思考した瞬間と実際に指が動くのはタイムラグなく連動しているんではないでしょうか。
これについて、私たちの脳は思考に先んじて体に指示を送っているそうです。どう言う事かと言えば、「思考」「脳から神経伝達」「体が動く」の順番だと、小指動けと思ってから神経伝達を経て動く迄に数瞬のラグが起きてしまう。しかし、「脳から神経伝達」「思考」「体が動く」この順番なら、体を動かそうと思考した時には既に脳からの指示は伝達済みなので、思考と運動が同時でラグが無くなるわけですね。
咄嗟に体が動くなんてのは、本来は脳から伝達が行ったあとに思考が発生するものが、あまりの緊急事態に思考の発生をカットしてしまうからなんですかね。
さて、私は以前に認証心理学においてバイアスがもたらす危険性について書いた事がありますが、こうしたバイアスは脳が精神の安定を維持するために行う防衛反応だと考えられています。
感情的になってしまって議論にならないという事がありますが、「感情的になる」「論理的思考が出来ない」の順番ではなく、もしかすると「脳が論理的な会話の構築が不利だと判断」「論理的思考による会話の継続が心身に変調をきたす恐れを感知」「感情を昂らせ、非論理的な思考に誘導して会話を破綻させる」と言った経緯を経て感情をコントロールし、思考を誘導しているのかもしれません。
まあ、証拠なんて何もない、ただの極端な推論ですが、こういう風に考えると面白いですよね。
私たちは自分の思考は一から十まで全て自分の意思で行っていると考えているけれど、脳は心身の安定を優先して、その思考に強く介入している。
時には私たちの思考を操作し、改竄し、意思に反することすらある。
「姑獲鳥の夏」では「不都合な現実」から目を逸らす当事者に第3者である探偵が「現実」を突き付けて世界を崩壊させて行きますが、この探偵の登場が無ければ、「独占劇場の観客」として「舞台袖に隠された真実」には永遠に気付かずにいられたはずなんですね。
この、脳と思考の因果関係から、「人の脳は心身の安定を最優先して、思考や意思をコントロールしている」という考え方は創作作品では面白いネタになるんじゃないかなと思いますので、参考になれば幸いです。
受け入れ難い現実から逃避した結果、夢と現実の区別がつかなくなる恐怖を感じるなんてのもありですかね。思わず恋人を殺してしまった青年が、毎夜、夢に見る鮮明な彼女の姿にやがて殺してしまった事実こそ夢だと思って精神が壊れていく、そんな話も良さそうですな。
バイアスの危険性は過去にも書いた訳ですが、脳はその瞬間の精神の安定を優先していますが、長期的にはそれが反対に働いてしまうこともあります。
自分の思考にバイアスがかかっていないか、自分の脳を疑うのが大切ですが、これも面白いネタになりそうです。
皆さんの創作作品へのアイデアなど、ご意見や感想お待ちしてます。