「作者の気持ちを答えなさい」のセオリーは正しかった!
こんな作者でも、御意見や御感想を頂くことがあります。
それで分かった事実です。
『本文中にない言葉を引用される方は、高確率で文意を御理解されてない!』
……例を示します。
例文)
ひろゆき氏は、いわば『君でも勝てる喧嘩必勝法』を愛読し、それを実践してしまうヤバい素人です。
喧嘩なんて考えすらしない一般人と戦えば、勝つこともあるでしょう。
なぜなら相手も似たような素人なのに、ひろゆき氏だけ喧嘩必勝法を使ってるんですから。
また目的が「喧嘩に勝つ」であり、それ以外は何もないように思えます。
そして勝ちたがりなようで、誰が相手だろうとテクニカルな論争を。
一般的に論争とは、『自分もしくは相手の主張に理非を問う』のが目的です。
つまり、極論をいうと――
最終的に理非が判明
すれば、その議論は成功を収めたといえます。
勝ち負けは重要じゃないし、論の理非を御座なりになんて以ての外!
もちろん論争となれば、精一杯に頑張るべきです。それは義務ですら。
しかし、勝ち負けに重点は置かれていません。全ては正しい理非を判明させる為にです。
学者先生達は、いわば『実践的武術』に生涯を捧げてる人にも近いです。
なぜなら自説を高める為、細部に至るまで理非を判別させなければならないから。
専門家同士の論争が、まるで決闘の如く互いに全身全霊を懸けているのは、全て正しい理非を導く為です。
先人達の研鑽し残してくれた遺産へ、今代達も積み続け、そうやって学問という山は大きくなっていきます。
なので勝ち負けを重視したテクニック偏重の論者は、ただの害悪でしょう。
目先の勝利という下らないものの為に、求めるべき理非を曲げてしまうからです。
そして学者先生レベルなら全員が、いつでも論争で勝ちにいけます。
なぜなら弁論術は学問の必須テクニックですし、嫌でも上達してしまうからです。
しかし、勝ち負けそのものに意味は無いとも知っているので――
「論破、論破」と騒ぐ素人は不快なだけ
なんじゃないでしょうか?
そして一般的な学問への姿勢という観点からも問題だったのに――
自分の専門分野でイキられたら、もう遠慮する理由はない
となります。
プロ格闘家は、試合場の外で素人がいくらイキっても見逃してくれますが――
さすがにリングへ上がってきて挑戦されれば、徹底的に叩きのめす
でしょう。
それは笑って許せる範囲を逸脱してますし。
また――
本質を理解してないので、サレンダーもしない
かもしれません。
学者先生達は論の理非を明らかにするのが目的ですから、ひろゆき氏が間違いを認めるまで追及は続くと思います。
素人目には死体蹴りとしか見えないでしょうが、学者先生達は勝敗どころか、ひろゆき氏の論者生命にすら興味が無いでしょう。
それが学究の徒という在り方ですし。
ひろゆき氏をサイコパスと断じるのは、このような理解に苦しむ価値観の持ち主と思えるからですが――
今回の顛末は、それをさらに裏付けたようにも。
・特に縁のないサッカー選手を擁護
・それも誤解の許されにくい差別問題へ介入
・特に勉強した分野でもないのに、専門家の論破を試みる
・さらに職業的論者へ挑戦
・方法論は知識に拠ってではなく、いままで同様の議論での勝利狙い
なんというか……議論の為に議論を開始している印象すらあります。
しかし、これぐらい迂闊な人なら、まあ遣らかし兼ねない範囲。
私だって未熟な頃は、それはそれは酷い失敗を繰り返しています。
ですが、これの為に――
ほぼ自分のキャリアを全賭け
です。
……一度冷静になって、自分の行動を自分で論破してみたら良いのではないでしょうか?
普通の人が――
勝てるからという理由で他人に論争を吹っ掛けない
のと同じように――
こんなことに全人生を賭けたりしない
のです。
明らかに「論争に勝つ」ということが、ひろゆき氏の中で大きなウェイトを占めているように思えます。
そして、この見解が正しいとすると――
ひろゆき氏は、とにかく論争で勝ちたいだけのモンスター
と言わねばなりません。
世の中には、ひろゆき氏を尊敬しているだとか、憧れている若者もいると聞きますけれど――
君が凄いと思ったのは彼の業績の方で、その弁舌ではない
と忠告を。
ひろゆき氏のように大金を稼ぎ、好き勝手言いたい放題している生活に憧れているだけでしょう。
真似てテクニック頼りの勝ちだけを求める論争を繰り返していれば、いつかは事故るでしょうし、周りから人も去っていってしまいます。
ひろゆき氏はお金持ちだそうですから、多少の不都合はなんてことないでしょうけど――
君は、そうじゃありません。
ひろゆき氏は確かに才覚がありますけど、それは弁舌の才ではないし、見習うべき類でもないです。
やはり『勝ち負けに拘った議論』、『論破が目的』、『最後にレスすれば勝利』……こういった誤った価値観は、間違っていると思えた瞬間に止めるべきでしょう。
例題)
30文字以内で筆者の論旨を答えよ
――――――
さて国語か現代文な訳やけど――
これって必勝テクニックがあって、ようするにパズルやで?(かなり本気の意見です)
「論旨を答えよ」なんやから『~である』とか『~だ』と断定の形で終えるのがベターやな。
そして当然やけど――
論旨なんだから本文中で語っている
んや。
さらに下手に噛み砕く必要なんてないから――
可能な限り本文中の言葉を使う
のが正解やな。
なんといっても実際に作者さんが使こうてる訳やし。
模範解答は――
ひろゆき氏を真似して、議論の勝利を求める姿勢は正しくない
議論においては勝ち負けより、その理非を重視すべきである
などやろか?
……これは設問が悪くて、複数の解があるパターンやったな。
採点が面倒になるから、実戦的には――
問 筆者の考える正しい論争とは何か? 30文字以内で答えよ
答 議論を通じての勝ち負けより、その理非を求めたもの
あたりになると思うで。
そして筆者的にも――
本文中の継ぎ接ぎだけど、まあ言っていたのは間違いない
と認める他ないわ。
でな、ここからが今回の趣旨なんや!
この前提で――
やっぱりツイッターは馬鹿発見器! それが今回で判明しました!
なんて回答あたりから、首を捻らざるを得ません。
今回の主戦場はツイッターだったそうですし、間違ってはないでしょう。
「馬鹿が判明した」は言い過ぎとは思いますが、理解できなくもありません。
それに『問と答』ではなく『感想』であれば、むしろ気の利いたコメントとすら?
しかし――
なるほど、ひろゆきが妬ましいんですねww
などは「うーん?」となります。
この本文のどこをどう切り取ったら、ひろゆき氏に嫉妬だとか妬ましいだとかになるんだろ!?
が、それでも同じ話し合いのテーブルといえます。
なにより困るのが――
自民党が――それも安倍政権が長かったのが原因でしょう!
みたいなケース。
もう「色んな考え方の人がいるな」とか「主旨が上手く伝わらなかったみたいだ」とかじゃなくて――
絶対に、この人へは主旨が伝わってない(確信)
それに『自民党』とか『安倍政権』とか、本文中のどこから探してきたんだ!?
なんということでしょう!
逆説的となりますが――
『本文中にない言葉で語ると、超高確率で間違う』
のです!
だから本文の言葉を使うべきなんですね。
ようするに――
「つまり作者さんは『本文中に使われてない言葉の羅列』と言いたいんですね?」
みたいな御意見は、ほぼ見当違いです。
……論点ずらし狙いかと疑ってしまうほど。
まあ――
署名して公表している以上、全ては作者の筆力不足
に帰依するわけですが、それでも骨身に染みます(マジで)
そして「なんて不遜なことをいう奴だ」や「どんなコメントでもありがたく頂け」などと思われるかもしれません。
でも――
だって、そうなんだもん!
作者が下手だからだろうと、言葉が足りなかったからだろうと、文責持つべきだろうと――
作者自身が違うっていてるんですから、違うんです!
そして自分自身がそうだったので疑っているのですが――
速読とか信じてる人ほど、もの凄く見当違いな感想になりやすく思えます。
(ちなみに速読は科学的に否定されたので、斜め読みとか駄目ぽ。あと食事と同じく、物語はゆっくり味わって食べた方が良いですよ)
「以上をもって黄色なのだ」という文章に、「いや、青だろ」とか「ちがう、赤だ」なんてのは、たんなる見解の相違でしかありません。
むしろ色々な意見に触れられて、報われたとすら。
でも――
「黄色とか頭おかしいんですか? 正解は液体です」
なんてのからは、もう頭抱えるしか。
どこから液体って言葉を拾ってきたの!? 色の話してんだから、せめて色で反論して!?
どう考えても君は、本文を読んでないよね!?
〇まとめ
意外と作者側からでも、どれくらい読み込んでくださったのか判ったりします。
その大きな指標が使われる単語ですし、なるべく相手と合わせた方が良いでしょう。
なぜなら「どの単語を使っていたか?」と考えることは、本文と照らし合わせる作業に他ならないからです。
例えば今回、『論争』や『議論』という言葉を使っています。
これは――
論鋒、論戦、論陣、激論、痛論、弁駁、論駁、言い争う、反駁、論判、論弁、争議……
などでも同義ですが、弁駁や論駁、反駁などは「反論する」の意味が強くなり、かなり意味は変わっていきます。
このような間違ってはないけど最適でもない言葉を選び続けると、下手をしたら原典と異なる文意となることも。
それを避けるには、やはり同じ単語を使うのがベストであり、受験セオリーは正しかったといえます。
……誰より作者が、そう思うのですから!
これが絶対に正しい「作者の気持ち」!(苦笑)