01.異世界召喚? 残念! オマケだったらしい
異世界転移する話。
広い大学の廊下を行き交う学生の間を縫って、一人の女子学生が息を切らせて全力疾走していた。
(あー!! こんな日に遅刻するなんて。急がなければ試験が始まっちゃう!!)
本日は長期休業前の試験日。
バイト終了後から朝方まで試験勉強をしていた彼女は、二時間だけ寝ようと横になった。鳴り響くアラームを無意識のうちに解除してそのまま熟睡してしまったのだ。
先に大学へ着いた友人からの「紗代、起きてる?」というメッセージアプリの着信音で目を覚まし、寝ぼけ眼で時刻を確認して悲鳴を上げた。
汗だくの寝間着を脱ぎ捨て部屋干しにしていた服を着て、大慌てで大学へ向かったのだった。
学生マンション住まいは、騒がしくて嫌になる時もあるけれど寝坊した時は大学が近くて良かったと心底思った。
試験開始10分前、このまま走って行けば何とか間に合う。
「すみません、通してください」
廊下いっぱいに広がり、行く手を防ぐ壁の様になって歩いている男子学生の集団へ声をかける。
「あ?」
声をかけられた今時のお洒落な男子学生は、嫌そうに眉を顰め紗代を見る。いつもだったら苦手で声を近付きもしない相手。しかし、試験に遅刻する方がよっぽど怖い。
今時の男子学生が廊下の壁際へ身を寄せ、紗代は彼に頭を下げて先へ行こうとして……男子生徒達に護られるようにして歩いていた、綺麗な女子学生の姿にハッと息をのむ。
(あれは、園田・クラーク・凛子?)
昨年度の学園祭で行われた、ミス大学コンテストで優勝した母親が北欧系外国人だというハーフ美女。
凛子と目が合った瞬間、多くの学生の足音と話し声が行き交っていた廊下から全ての音が消えた。
先を急ごうと紗代が踏み出した片足が地面につく、事はなかった。
一瞬だけ妙な浮遊感があり、その後は高所からの落下特有のゾクリとした感覚が急に襲ってくる。
「っ!?」
廊下の床が抜けてしまったのか、落とし穴に落ちたのか。
自分の身に何が起きたのか理解する前に、紗代は悲鳴を上げていた。
視界ゼロの真っ暗な穴を落ちていくような感覚に、もしや、配線工事か耐震工事でもしていて作業中の穴に落ちたのか、と冷静に状況を判断している自分がいた。
慌てて肩に掛けたバッグを落とさないように抱え込む。
(違う、長すぎる!)
落下は止まらず、この長さは配線工事でも耐震工事でもない。例えるなら、地底へと続く長い一直線のトンネルを落下している。
必死で首を動かして紗代は上を向く。
真っ暗な空間の中、遥か頭上に赤い夕焼け空が見えた。大学の廊下を走っていた時は、まだ朝と呼ばれる時間帯だったはずだ。
「誰かっ!」
叫んだところで穴の中へ助けは来ないし落下は止まらない。それどころか速度が速くなっていく。目を開けていられず、紗代は目蓋を閉じた。
目元がひんやりと冷たいから、もしかしたら自分は泣いているのかもしれない。
『見付けた』
途切れそうな意識の中、低い男性の声が響いて聞こえる。
『此方へ、来い』
声の主が手を伸ばした気配を感じ、目蓋を閉じた紗代は必死で首を横に振る。
伸ばされた手に捕まらないようにもがいていると、姿の見えない相手が笑う気配を間近に感じた。
ぽふんっ
「うぎゃっ!」
高所から落下したわりに大した衝撃は無く、落ちた先はマットレスの様な柔らかさがあった。うつ伏せに倒れた紗代は暫く動けずに呻く。
「生きて、いる?」
頭を振りながら、緩慢な動作で身体を起こす。
高い場所から落下したのに、怪我はしていないようでホッと息を吐いた。
「えっ?」
顔を上げて周囲を見渡した紗代はポカンと口を開く。
目の前の光景は、あきらかに大学の廊下ではなく地底深くの真っ暗な洞窟内でもない。
深い穴の底から落下した先とは思えない、石造りの立派な建物内だった。
床に敷かれた毛足の長い絨毯と磨かれた石の壁と柱、壁にかけられた三角の旗と金銀の装飾は某テーマパークに建つ城の内部に似ている。
「此処は、天国……?」
大学からテーマパークへ移動した記憶は全く無く、気を失った間に移動させられたのでないのなら、マンホールに落ちて自分は死を迎えたのだろう。
大学の廊下の床が抜けて、知らない場所に居ただなんて。天国か夢としか表現できない。
頬を人差し指と親指でつねってみる。
(うそ、痛い。何で? どういうこと?)
絨毯の感触はリアリティーがあり、これは夢とは思えない。
現実なのだと理解すると、紗代の思考はクエスチョンマークに埋め尽くされていく。
「おお!」
「なんて美しい!」
突然、背後から歓声が上がり紗代は大きく肩を揺らす。
「お目覚めになられましたか、聖女様!!」
歓喜を多分に滲ませた大きな声に、硬直していた紗代はゆっくりと背後を振り返った。
強張る体をゆっくり動かした紗代の視界に飛び込んできたのは、テレビで見るアニメやファンタジーゲームに出てくるような、王子様や恰幅の良い貴族男性、騎士や魔法使いの格好をした西洋人風の顔立ちをした見知らぬ人達だった。
「うう、なにこれ?」
直ぐ側から声が聞こえて、紗代は自分の隣に女性が倒れていたことに気付く。
倒れていた女性、園田・クラーク・凛子は絨毯の敷かれた床へ手をつき、頭を振って上半身を起こす。
亜麻色の長髪と緑がかった茶色の瞳を持つ整った顔立ちをした、園田・クラーク・凛子の肩にかかっていたカーディガンが落ちてノースリーブの服から出た肩が露わになる。細身でスカートの裾からのぞく白い足が扇情的に見えた。
かぶっていた帽子が取れてぐちゃぐちゃになった黒髪と、大きな黒目を何度も瞬かせているお世辞にも賢さとは縁遠い、冴えない紗代とは大違いで彼女の隣にいるのが恥ずかしくなる。
「召喚されたのが二人、とは」
「どちらが聖女なのだ?」
黒色のローブを頭からかぶり大きな赤色の宝石が付いた杖を持った人物と、分厚い本を持ったファンタジーな神官の格好をした長い白髪を後ろで三つ編みにした老人は首を傾げる。
「殿下、いかがいたしますか?」
騎士と魔法使い達に囲まれて立つ、金髪碧眼で見るからに王子様といった服装をした美青年は、老人の問い掛けにフンと鼻を鳴らした。
「どちらが聖女かなど、調べずとも決まっている」
絨毯の上に座る紗代には目もくれず、状況の理解が出来ず呆然としている凛子の前まで歩み寄った王子様は、身を屈めて片膝をつく。
「ようこそ、ラスピア王国へ。異世界の聖女殿」
蕩けるような笑みを浮かべた王子様は、凛子の左手を取りそっと甲に口付けた。
「私はラスピア王国第二王子、ヘンリックと申します。突然、この世界へ召喚された貴女はさぞかし混乱していることでしょう」
「召喚、ですか……?」
目を瞬かせた凛子の左手を握ったまま、王子様は何故聖女をこの世界へ召喚したのかを話し始めた。
目の前で繰り広げられる王子様からの凛子への状況説明に、紗代は必死で耳を傾ける。聞き取った内容はファンタジーな、そしてお約束な内容だった。
どうやらここは、今まで暮らしていた世界とは別の世界、異世界らしい。
元の世界には帰れないわけではなく、条件が揃えば戻れるらしい。
そして、園田・クラーク・凛子は、この国を救うために召喚された聖女様らしい。
魔王の魔力によって魔物が狂暴化して人々を襲い出し、人々を守るために王子様は魔の力を浄化して貰う為に異世界から聖女、凛子を召喚したという。
どうか、魔王を倒すために力を貸して欲しいと、王子様と神官風の老人、ローブを羽織った魔術師達、騎士達は凛子へ頭を下げた。
「まぁ、私が聖女、ですか?」
直ぐには帰れないという事実に困惑の表情を浮かべていた凛子は、王子様から状況説明を受けて自分が選ばれし聖女だと知ると嬉しそうに微笑み、彼らの望みを叶えるために力を貸すことを了承した。
完全に存在を無視された紗代は、凛子へ説明をする王子様がやけに芝居がかった動きをしていたため、観劇を見ている気分で話を聞いていた。
「殿下、こちらの方はいかがいたしましょうか」
存在を思い出したといった体で、神官を見た後に紗代へ視線を向ける。王子様に倣うように、魔術師と騎士達、恰幅の良い貴族風の男性達も紗代を見た。
「この不細工でみすぼらしい女は聖女ではない」
「は?」
確かに寝坊をしたせいで身支度の時間は無く、見た目も気持ちも酷い状態で紗代は大学の講義室へ向かっていた。
化粧をする時間が無くスッピンで、外れてしまっているが寝癖を隠すためにニット帽を目深にかぶり部屋着同然のパーカーにジーンズ、スニーカーというゴミ出しに行くような服装で、一応有名大学へ通う女子大学生としては少々残念な格好だったのは認める。
だからといって、初対面の相手から「不細工、みすぼらしい」など、辛辣な言葉を言われるのはどうかと思う。
「聖女、この者は其方の知り合いか?」
「さぁ? こんな地味な人、私の知り合いではないわ」
カースト上位に所属している凛子からしたら、紗代はただの学生、自分に有益な取り巻きでもなくどうでもいい相手に過ぎない。むしろ、同じ世界からオマケとはいえ召喚された女は目障りだった。
「聖女様の近くにいて、偶然召喚に巻き込まれたのでしょう」
神官から憐みの眼差しを向けられ、紗代は凛子と目が合った瞬間に感じた妙な感覚を思い出す。
あの時、近くにいたため聖女召喚に巻き込まれたのだと、ようやく理解した。
「あの、用がないのなら私を戻してはくれませんか? 早く戻って試験を受けたいのですが」
王子様の言動を見ると、彼らが必要としているのは聖女様だけ。それならば、早く元の世界へ戻して欲しい。
「聖女でない貴女を戻してやりたいとは思いますが、界を渡る魔術は膨大な魔力が必要になります。魔力を回復するのにも時間はかかりますし、増幅魔道具を起動できるまでは三年はかかります」
「三年……」
目深に被ったローブによって表情は見えないが、魔術師からは申し訳なさそうな感情は伝わってくる。
直ぐに元の世界へ戻れないと知り、紗代は後頭部を鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。
「役に立たず、不細工な者のために扉を開く必要はない。女、聖女でないお前は使用人として城に置いてやる。少しでも妙な真似をして、聖女に近づこうとすれば直ぐに処罰されると思え」
呆然とする紗代へ、王子様の冷たい言葉が追い打ちをかける。
「ウフッ、酷い、不細工ですって」
座り込み震える紗代を見下ろして、凛子はクスリと嗤う。
それは、完全に紗代を見下し優越感に浸る愉悦の笑みだった。
ストック続く間は、毎日か一日おきの更新になります。