最終話
あれ?
どうしたんだろう。
いつまでも意識はあるものなんだろうか。
僕という人格は消えてないようだぞ。
何だか身体が物凄く軽くなった気分だ。
といっても身体はあそこに転がっているけど───
僕は空中に浮かんでるようだ。
もう一度下を見下ろした───見ないほうがよかった。
まるでスプラッタ映画でも見ている気分だ。
「正人くん」
え?───誰だ、僕を呼ぶのは──でもこの声は───
僕は振り返った。
そこには由美がいた。
光輝くオーラに包まれて由美はフワフワ浮かんでいる。
「正人くん。待っていたわ」
「天国への迎えが君だなんて、神様も粋なことをしてくれるもんだな」
由美はニッコリ微笑むと手を差し出した。
僕はおぼつかない動きで彼女に近づき手を取った。
すると突然、物凄いスピードで僕たちは地上から上へ上へ上昇し始めたのだ。
雲を突き抜け、成層圏を突破し、一気に宇宙空間へ
そして───
僕等は止まった。
丁度、地球と月の間辺りに。
僕はパニック状態に陥ってしまった。
由美の身体に(身体と言えるのかわからないが)しがみついた。
重力に逆らっているようなそんな気分になったからだ。
「正人くん、大丈夫よ。私たちはもう魂だけなのだから下に落ちることはないわ。それにここは宇宙空間だから重力は関係ないものね。ほら、手はつないでてあげるから空間に身を任せて。心をリラックスさせるの。とっても気持ち良くなるわよ」
僕は恐る恐る由美から身体を引きはなしてみた。
そして目を閉じて何も考えないようにし、自分は今、水に浮かんでいると想像してみる。
だんだん落ち着いてきたところでゆっくりと目を開けてみた。
まず目に飛び込んできたのは瞬かない星、星、星のおびただしい渦。僕は感動した。
こんな事があるだろうか。
生きているうちに宇宙船になんか乗ることはないだろうと思っていたのに、まさか自分の身体一つでこんな経験が出来るなんて。
「素晴らしいでしょう。死を奨励するわけではないけど、私、死んで良かったと思ってる」
由美はまるで聖母のように微笑んだ。
「私たちはこれから有意義な仕事をすることになるのよ」
「有意義な仕事だって?」
僕は聞き返した。
死んで終わりと言うわけではないのか?
「正人くん。私たち人間の存在理由を考えてみたことある?」
今度は真面目な顔をして、彼女は僕の目をジッと見つめた。
「なぜ私たちは自然の中にあって他の動植物と異質の存在なのか。いったい私たちは何のために生きているのか……」
由美の声はだんだんと熱っぽくなっていった。
「それはね、私たち人間は他の生物とは全く違う種族だからなのよ」
「違う種族だって?」
僕はびっくりした。
「一体どういうことなんだ」
「いわゆる『神』と呼んでいる方たちと先祖を同じくするのが、私たち人間なのよ」
「何だって?」
僕は驚愕して叫んだ。
由美は拳を握りしめて続けた。
「遙かな昔、まだこの宇宙が生まれるもっと前、神と私たちは同じ場所でゆっくりと生きていた。そしてある時、あることがもとで両者は神と人間に別れてしまったの。私たち人間は神であったことを忘れ、有限の時を生きる者たちになってしまった。しかし、それは聖書に書かれてあるようなエデンの園からの追放ではないの。運命だったのよ」
彼女の声は心なしか穏やかになっている。
「人間以外の生物はこの宇宙が生み出した生き物。だから私たちは彼らと比べて異質な存在なのよ」
「異質な存在・・・」
僕はおうむ返しにそう言った。
「でも不思議よね」
「え……?」
由美の言葉に僕は首をかしげた。
「人間以外の動植物たちは明らかに私たちと違う種族なのに、なかには輪廻転生の過程で人間に生まれてくるものがいるのよ」
「人間に?」
由美は深く頷いた。
「それが進化というものなのかしらね」
僕は知らず頷いていた。
すると由美は再び口調を変えた。
「そして私たち人間の進化は、死ぬことによって果たされるの」
「死ぬことによって?」
僕には、彼女の言っている意味がよくわからなかった。
これ以上僕たちは何に進化するというのだろう。
「進化とは言うけれど、厳密に言うと昔に戻るといったほうがいいかもしれない。私たちも動植物たちと同じように輪廻転生をするわ。それは人間が現世に執着を持っているからなの。繰り返し転生を重ねることによって私たちはその執着を取り去っていく。そしてそれが全く無くなったとき、私たちは輪廻の輪から外れて新しい生を生きることになる」
彼女は目を閉じ、両手を広げていた。
まるで宗教を説く宣教師のようだ。
「私たちは、私たちが生きてきたこの世界を支える礎になる。この世界を正しい軌道から外れないようにするために。これから私たちは惑星や太陽、宇宙そのものと同化していくの。素晴らしいと思わない?」
なんと桁外れな話だろうか。
こんなことを由美も死んだ後、誰か他の先人に聞かされたのだろうか。
これが僕たちが生きていく意義というものなんだろうか。
多かれ少なかれ、何かに役立つために僕等は生きているのだろうとは思っていたが、これは全くスケールが大きいではないか。
だけど僕の感情は?
心はどうなるんだろう。
無くなってしまいはしないか?
無くなりはしなくとも、ボケのように記憶が薄れていくということはないのか。
僕の疑問に由美は答える。
「人間の使ってない脳とは訳が違うわよ」
彼女の声は誇らしげだった。
「魂は全ての経験、感情、記憶を刻み込んでいて絶対に忘れることはない。今の正人くんのこと、さらに正人くんでなかった頃のことまで覚えているはずよ」
「え…でも僕はそんな記憶ないよ」
「それは仕方ないわ。私たちまだ死んだばかりだもの。そのうちに思い出すわよ」
彼女も少々不服らしい。
きっと僕と同じ気持ちを持っていたのだろう。
「でもなかには前世を記憶したまま転生する人もいるみたい。それがいいことなのかわからないけどね」
由美は頭を振った。
「だけど、執着が無くなったっていうのは自分にわかるものなんだろうか。それに執着が無くなっても、また人間に生まれ変わりたいって思う人はいないんだろうか」
そう言う僕の疑問に由美は答えてくれた。
「転生するかしないかは本人の自由らしわよ。少しでも現世に未練がある人間には、宇宙を支えることはできないみたいだから」
「由美はもう一度生まれ変わるつもりはないんだね」
「ええ。もうたくさん、あんな思いをするのは」
由美は身震いした。
そうか、もう何者も彼女を傷つけるものはないのだ。
「もちろん正人くんも私と行くわよね」
僕は彼女のように死に対して恐怖感は全く無い。
だけれど他人の死を目の当たりにする辛さは誰よりも知っているつもりだ。
たとえ今、誰か親しい人が死んだとしてもこういう世界が待っているのだから、もう辛い思いを感じなくてもいいと知ったけれど、たぶん生まれ変わったら今知ってしまった事は全部忘れてしまうに違いない。
そうでなければ修業にならないものな。
僕は人間であった時のことに何の未練もないし、愛しい由美とこのまま永久に過ごせるのならもう何もいらない。
「いつまでも私たち一緒にいましょうね。私たち、力を合わせてこの世界を支えていきましょう」
僕たちは互いの目を見つめあった。
これから僕たちは永遠に一緒になるのだ。
身体はもう無い。
しかし、今見えているこの残留思念である僕たちの身体の映像も無くなってしまい、魂だけの存在になり、その魂が溶け合い、そして宇宙と溶け合っても僕たちは忘れないだろう。
この正人であった頃の自分、由美であった頃の彼女を。
「正人」
その時、僕を呼ぶ小さな声がした。
僕は辺りをキョロキョロした。
するとツバメが一羽僕等の傍に飛んできた。
「もしかして、スズメか!」
ツバメは嬉しそうに羽ばたくと答えた。
「ソウ、僕ハアノ時ノスズメダヨ。オ礼ガ言イタカッタンダ。僕ハコレカラ人間ニ生マレ変ワルラシイカラ、イツカマタ会エルカモシレナイネ」
「そうか……君のことはずっと心に引っ掛かってたんだ。悪いことしたかなあってね」
「ソンナコトナイ。僕ハトッテモ感謝シテル。人間ニナッタラ正人ノヨウナ人ニナリタイ」
「ありがとう。そう言ってもらえて救われたよ」
スズメは僕等の回りをひとしきり回ると地球に向かって飛んでいった。
僕はその姿が見えなくなるまで見送った。
そのスズメの目指す地球は青かった。
そう、地球は本当に青かった。
宇宙はあまりにも広大で物凄い数の星があるのだろうけど、僕は地球以上に美しい星はないと確信している。
この地球を支えていけたらどんなにいいだろう。
「正人くんの気持ちはわかるわ。でもね、私たちには永遠とも言える時があるのよ。地球のように美しく青い星がどこかにきっとあるはずよ。それを探しに行きましょうよ。第二の地球となりうる星を探しに」
「そうだね。それもいいかもしれない」
僕はこれからのことを考えて何だか心がワクワクしてきた。しかし、気になっていたことがある。
「そうだ、最後にもうひとつ聞くけど、僕たちの魂は宇宙に溶け込むか、もう一度生まれ変わるかのどっちからしいけど、幽霊といわれてるものはいったい何だろう。あれも霊魂、魂って言われてないっけ。僕は見たことはないけれどね」
「あれは魂なんかじゃないわ。ただの残留思念よ。魂の排出物ってとこかしら」
由美は吐き捨てるように言った。
「人の想いって強くて怖いものよ。その想いだけでいろいろな災いをもたらすんだものね。彷徨える魂なんかないわ……っと、でも私たちがその彷徨える魂になるのかしら。この宇宙を彷徨うさすらいの魂ってとこね」
彼女は一変して楽しそうに笑った。
とても素敵な笑顔だった。
そんな風に僕らは笑い合っていた。
輝かしい僕らの未来、そして人類の明るいこれからのことを信じきっていたのに───
次の瞬間、地球で何が起こったのか。
「?」
突然、宇宙に光が走った。
物凄い眩しさの光だった。
地球の表面を、いくつものダイヤモンドの粒がきらめいているような輝きが覆う。
「な……に?」
僕と由美の瞳に映ったものは、信じられないものだった。
あれはいったい何だ?
「核爆弾……」
恐ろしい大惨事───
僕たちには見えていた。
一瞬の消滅。
恐らく人々は、自分たちの死さえ気づかぬうちに消えていっただろう。
人間に限らず、動物や植物たちさえも。
核の脅威は地球全体を駆けめぐった。
人類のほとんどが死に絶え、動植物達もその餌食になってしまったことだろう。
時は世紀末、これがいわゆるノストラダムスの大予言なのだろうか───
僕は地球を眺めていた。
核の爪痕は確実に地球を傷つけていた。
青かった地球は毒々しい赤色に変わり、地形までもが大幅に変形してしまっている。
「正人くん」
僕は振り返った。
そこには中学時代の江藤美穂がいた。
僕はあの頃の彼女しか覚えてないのでそう見えるのだろう。
いろいろ彼女には聞きたいことはあるのだが、彼女の気持ちを考えると聞けなかった。
「優しいのね……」
彼女は淋しそうに笑った。
その微笑みは痛々しくて、僕の胸に突き刺さるようだった。
「私が自殺したのは人に言わせれば些細なことだったの。でもその時の私はとてもそんな風には考えられなかった。死んで楽になりたい、それしか頭になかったのよ。確かに死後の世界がこんなに素晴らしいものだったから私の選択は間違ってなかったんだけれど」
「美穂ちゃん……」
僕はそれ以上何も言えなかった。
しかし彼女は、元気を取り戻したかのように明るく言った。
「私、もう一度生まれ変わろうと思うの。生まれ変わったら今までのこと全て忘れてしまうみたいなんだけど、もう同じ過ちはしないと確信してる」
「でも地球はあんなになっちゃったよ。それでもあそこに戻るの?」
「ええ、それでも戻るわ。私という人間がどこまで頑張れるか、正人くん、見守っていてよ。地球が早く元の美しい星に戻れるように、あなたはあなたの仕事をしてちょうだいね」
そう言う彼女はとてもキラキラとした表情をしている。
元々美人なものだから更に綺麗に輝いている。
「そうか、わかった。まかしとけって」
彼女はニッコリ微笑むとスズメと同じように地球に向かって真っ直ぐ飛んでいった。
僕はそんな彼女を見えなくなるまでじっと見送った。
「おい、そこにいるのは一年八組の矢追正人じゃないのか?」
聞き覚えのある震え声だった。
やっぱり先生も出てきたか。
「僕は五組です! 江戸川先生」
僕はそう答えながら振り向いた。
すると顔に沢山皺のある赤ら顔した江戸川先生がそこに浮かんでいた。
「先生も転生されるつもりなんですか」
「いや、わしはそんなめんどいことはせんぞ。せっかく楽になれたっちゅうのに損じゃないか。ただ、なんとなく懐かしい声が聞こえてきたもんでちょっくらやってきたんじゃよ」
「お元気そうで何よりです───っていうのもなんか変ですよね」
「お前もな。お前はいい子なんだがわしの古典の点数は、ほんに悪かったよなあ」
「やめてくださいよ、先生。古典や漢文って苦手だったんですから」
先生はふんふんと頷きながら僕からだんだん離れていった。
「まあ、せいぜい頑張ることだ。また会いたくなればいつでも会えるからな」
そう言いながら先生は消えていった。
僕は先生が完全に見えなくなるまで見送っていた。
こんな風にして会いたい人にいつでも会えるんだなあと思えることは、本当に嬉しいことだ。
そういえば僕には叔父さんがいたらしいんだけど、叔父さんがまだ子供の頃に事故で死んだそうだ。
子供の時の顔しか写真で知らないけれど、その叔父さんにももしかしてこの広いどこかで会うことが出来るかもしれないんだ。
それだけじゃない。
有名な外国スターだって会うことが出来るんだ。
そう考えるとまたしてもワクワクしてきたぞ。
「正人くん。何だかとっても楽しそうな様子ね」
僕はすっかり由美が傍にいることを忘れていた。
「いやあ、ごめんごめん。やたら生きる希望が湧いてきたみたいなんだ」
「やあね、正人くんったら。私たち死んでるのよ」
「うん、そうなんだけどね。どうも今までのことをよくよく考えてみると、死ぬも生きるもたいして違いはないんじゃないかって思えてきたんだ」
僕等がそんな風に話をしている間にも、僕等に向かってどんどん死んだ人間たちがやって来る。
彼等には道標になる者が必要だ。
悲しがることはない。
もう辛い思いを抱いて生きていく必要はない。
僕等には永遠とも言える時間が用意されているのだ。
そこには欲望もない。
暴力もない。
偏見だって、差別だってない。
人々が夢にまでも見た理想の世界、自分たちが神になるという崇高な誇りだけがあるのだ。
僕はいつしかそんな思いにとらわれていた。
そして、ぞくぞく集まってくる死人たちに僕は向き直った。そして喋りはじめた。
「恐れることはありません、皆さん」
手を広げ、微笑みを浮かべて朗々と力説する僕のそばには、愛する由美が聖母のように優しい表情で寄り添っていた。
「肉体は死しても、魂は未来永劫生き続けるのです。さあ、皆さん、手を取り合ってともに死を生きていこうではありませんか」