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死を生きる  作者: 谷兼天慈
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第3話

 その夜、夢を見た。

 僕はどうやらもうすぐ死んでしまうらしい。

 それがわかっていて、友達や親戚の人達に最期の挨拶をして回っているのだ。

 でもそれがちっとも悲しくないのである。

 まるで今からちょっと旅に出てきますっていう感じなんだ。

 そしてベッドのような棺桶に横になり、その時をじっと待っている、というところで目が覚めた。

 目が覚めてもまだ夢の続きを見ているような、そんな感覚が残っている。

 閉めたカーテンの隙間から朝日が射し込んできて、今日も天気の良いことを知らせてくれている。

 一見、平和な朝という風には見える。

 しかし、僕の胸は言いようのない不安にさいなまれていた。

 そして無性に由美に会いたくなった。

 そこで僕は急いで着替えを済ませると、病院に向かったのだ。

 由美の病室の前は騒然としていた。

 看護婦さんたちが、入れ代わり立ち代わり病室を出たり入ったりしている。

 由美の容体が変わったに違いない。

 僕は、近くを慌ただしく通り抜けようとした顔見知りの看護婦さんをつかまえた。

「由美がどうかしたんですか」

「ああ、正人くん。由美ちゃんが危篤状態に陥ったの」

 やっぱり!

「中に入ってもかまいませんか」

「ええ。あなたの事を呼んでいるのよ、彼女。もう間もなくご両親も到着されるわ」

 彼女はそう言うと走り去っていった。

 僕は扉の閉まった病室を振り返ったが、一瞬入るのをためらった。

 それはほんの数秒ほどだった。

 しかし、ゴクリと生唾を飲み込むと、僕はゆっくりとドアを開けた。

 部屋は暗かった。

 僕は由美の叔母さんを個室に見舞った時の事を思い出した。

 あの時と同じ空気が充満している。

 死臭とも言うべき匂いのない空気が───

 閉め切ったカーテンのその薄暗い中で由美は苦しんでいた。

 僕は急いで彼女の傍に近寄ると、膝を突いて手を握り締めた。

「う…あ…ま、正人くん……なのね」

 由美は苦しげにギュッと閉じられた目をひらいた。

 玉のような汗が額から目に落ちようとしていたのでそっと拭ってやった。

 僕の姿を確認すると、ほっとしたのか少し落ち着いたようだ。

「正人くん。先に逝ってしまう私を許してね」

「何を言うんだ。弱気になっちゃだめだ。すぐに良くなるよ。頑張るんだ。空港に星空を見に行くんだろ」

 由美は一瞬遠くを見つめる表情をすると口をひらいた。

「そうよね。約束したものね。……でも守れそうにないわ」

 それから彼女は僕の顔を見つめた。

「とっても痛いわ。死ぬっていうのはやっぱり辛いわね。観念しているようでも我慢できないもの」

 由美は顔をしかめた。

「ああ、全ての人がこんな痛みを感じるのかしら。だとしたら死ぬということはなんて悲しいことだろう。私、あなたにこんな辛い思いをさせたくないわ」

 最後の方の言葉はまるで独り言のようだった。

 そして彼女はもう一度、今度ははっきりと言った。

「正人くん。お願い。私の分まで星を見にいってね。それが私の供養だと思って」

「なんてこと言うんだ。生きなきゃだめだよ。僕を置いて行くな!」

 もうそれ以上由美は喋れなくなってしまった。

 激痛に喘ぎはじめたからだ。

 時を同じくして主治医が看護婦をともなって飛び込んできた。

 そして僕は、面会謝絶となった病室から追い出されてしまった。

 それから、たどり着いた由美の親御さんと僕は、病室の前で悶々と時が過ぎるのを待った。

 数時間して病室のドアが開けられた。

「身内の方、お入りになってください」

 僕がその場に残ろうとすると、由美のお母さんが僕も中に入れてくれた。

 ベッドの上の彼女はさっきよりあまり苦しそうではなかった。

「もう痛み止めも効いてはいないのですが、だいぶ落ち着きました。しかし絶望的です。全力を尽くしましたが、これ以上手の施しようがありません。申し訳ありません」

 医者は頭をうなだれてそう言った。

「ゆ・み・ぃ────!」

 お母さんの叫び声も、彼女に果して届いていたのだろうか────

 そして由美の心臓は止まった────




 ゴゴゴォ────

 僕ははっとして空を見上げた。

 すぐ上をジャンボジェット機が、今まさに通り過ぎようとしている。

 まだ耳に残っている。

 由美のお母さんの、由美の名前を叫ぶ声が。

 辺りは、すっかり日も沈んで暗くなってしまっていた。

 どうやら今の便が最終らしい。僕は車から外に出てみた。

 ああ、なんと素晴らしい満天の星空。

 ここら辺は四方何キロにも渡って広大な空き地が広がっているため、街灯もイルミネーションもない。

 だから邪魔な明かりがなくてとても星がよく見える。

 都会じゃ絶対見れない光景だ。

 百八十度全部の空が星で埋め尽くされている。

 僕はガードレールに腰掛けた。

 由美が言ってたように、確かにこの星々のどれかが今にも動きだしそうだ。

 由美、僕の傍にいるかい?

 僕と一緒にこの空を眺めているかい?

 君と二人でここに来れたらどんなに良かったろう。

 その時───

「正人くん」

 由美の声が聞こえたような気がした。

 瞬間、僕の目に眩しく車のヘッドライトが照りつけた。

 ハンドルを切り損なったのだろう。

 それは僕の方に向かって猛スピードで突っ込んでこようとしているトラックのようだった。

 まるでスローモーションの映画を見ているようだ。

 暗いので中の運転手は見えなかったけど、もし明るかったらたぶん顔が見えたかもしれない。

 逃げようと思えば逃げられそうなのに変なんだよな、身体が動かないんだ。

 それなのに頭の中では物凄い速さで物事を考えている。

 ああ、僕は死ぬんだとか。

 両親や友達が悲しむなあとか。

 僕の大切にしている本やCDを親友のあいつにあげたかったとか。

 観葉植物に水をやり忘れてたとか。

 小さい頃に弟と喧嘩して母親に二人とも家から閉め出しを食らったこととか。

 父親に映画を見に連れてってもらったこととか───

 そういったことが、本当に走馬灯の如く浮かんでは消えていく。

 そしてぶつかる瞬間、僕の耳にはっきりと音楽が聞こえた。

 由美の叔母さんに貰ったあのCDの曲『パッヘルベルのカノン』『主よ、人の望みの喜びよ』『G線上のアリア』そして『平均律クラヴィーア第一巻第一番』───

 それらが一瞬の内に僕の身体を包み込んでいった。

 そして、激しいショックとともに僕の感覚は、あっと言う間に吹き飛んでしまった。

 痛みなんか感じなかった。

 これに勝るほどの最期はないだろう。

 人としての理想的な死に方は長寿を全うして老衰で果てることなんだろうけど、僕はそれだけじゃないと思う。

 由美やその叔母さんのように病気で苦しみながら死んでいくよりは、僕は幸せだ。

 ただ、この後いったいどうなるのかが不安ではあるけれど───

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