シュテルン伯爵邸の騎士
ステンドグラスから注ぐ、七色の光を浴びる美少女。俺は思わず見惚れた。祭壇前で腰を下ろして、熱心に祈りを捧げる彼女の横顔は、祭壇上の女神像みたい。ふわふわそうな巻髪はプラチナブロンドで、触ってみたいという衝動に駆られた。動悸が激しいし、目は彼女から離れない。
「マルク、マルク、しっかりしろ」
「へっ?」
「あれが星の妖精だ。で、副隊長の女。いや、俺だ。今日こそデートに誘う」
先輩騎士ビアーが、意気揚々とエトワールのいる方へと向かっていく。先輩達や酒場で耳にした、麗しくて慈愛溢れるという「星の妖精エトワール・シュテルン子爵令嬢」を見たいと呟いたら、ビアーが朝の聖堂へ行けというので来た。で、ビアーに遭遇。エトワール子爵令嬢は、先週父親が購入した別荘に引っ越してきた。俺が隣村へと巡回仕事に行っていた間。なんでも、この街へ一人で引っ越してきたのは自立と見聞を広げるためらしい。貴族が行うパフォーマンスの慈善活動に、やたら熱心に参加していて、おまけに美少女なので、あっという間に噂になったと聞いている。というか、俺も巡回から帰った日に彼女の噂を聞いた。基本的に、このアストライア街では、美人はすぐに名が知れ渡る。古語で星、という名前で妖精のような儚げながらも愛くるしい姿から「星の妖精」なんだとか。透き通るような白い肌、ふわふわしていそうな艶やかなプラチナブロンドヘアー。そして青にも緑にも見える、煌めく瞳。確かに妖精みたいだ。妖精なんて見たことないけど。
ビアーの容姿は良い方だが、どう見ても騎士と子爵令嬢では月とスッポン。花とジャガイモ。で、おまけにゴルダガ戦線の英雄騎士、フィラント副隊長の女なら勝ち目はゼロ。鉄仮面を被ったような副隊長に、あんな綺麗な恋人がいたのか。驚き。でも端麗な容姿の副隊長と彼女なら、見た目は似合いかも。副隊長は俺達みたいな、雇われ騎士ではなくて、貴族階級である騎士爵。しかも王室に属しているらしい。国の英雄で、領主側近も務めていて、最下層とはいえ貴族で、アストライア領地の騎士団副隊長。副隊長という名の、治安向上の命を受けた特別顧問だというのは周知の事実。副隊長が二人なんておかしな話だからだ。見た目だけではなくて、肩書きも子爵令嬢の恋人として十分か。まだ23歳の若さで、順調に出世している男。おまけに格好良いし、恐ろしい程強い。天は二物を与えずというが、与えるではないか。世の中、不公平過ぎる。
「おい、待てビアー」
「ん? クロード、似合わない場所で何をしている」
礼拝待ちの列から現れたのは、先輩騎士クロード。と思ったらハーバートも出てきた。
「そりゃあ、星の妖精を見にきた」
「口説きにきた、だろう? お前なんかには無理」
「ビアー、お前の方が無理だ」
ビアー、クロード、ハーバートが笑顔で睨み合い、牽制し合う。その間にエトワール令嬢は立ち上がり、歩き出していた。従者は二人。壮年男性と男みたいな短髪なのに水色の可愛らしいドレスを着る……。
「サシャ?」
「サシャ? あの成り上がり侍女? お前の色気のない幼馴染?」
「ええ、多分。あの顔と髪の短さは……。領主夫人の侍女だった筈だけど」
サシャと最後に会ったのは二週間前。繁華街を一人で平気な顔をしてうろつき、酒場の店主夫人や住人、果ては娼婦達までとペラペラ喋り歩き、ちゃっかりお菓子やらを貰っている女。かつて、スラム街から消え、攫われたか売られたと思っていたら、伯爵邸の侍女として現れたトンデモ人物。再会してから、何度か話しているけれど、中身はスラムの少女だった頃とあまり変わらない。貴族侍女なのに。
「行けマルク。サシャから情報を仕入れてこい。俺達は面識がない」
「屋敷に招いてもらってこい」
「行かないと腕立てと素振り回数を増やすぞ」
ビアー、クロード、ハーバートの順に俺の背中を押してきた。結構痛い。先輩達、本気だ。
「あれ、クレッツマー子爵の長男じゃないか?」
「うげっ、ケアード子爵もいる。あのロリコンクソ野郎が近寄るなんて、星の妖精が穢れる」
「あれは誰だ?」
「アランだ。あの、貧乏人はお断りっていう、Dr.アラン」
騎士に騒がれるご令嬢は、当然貴族男性も目を付ける。成金男だってそう。しかし、エトワール令嬢は、誰とも挨拶一つしなかった。というより、気がついていなさそう。近寄ってくる男達には目もくれず、神父様の所へまっしぐら。男性従者——恐らく執事——とサシャが、男達を牽制しているのもある。
「おい、あれ。ジェラール先輩ですよね?」
エトワール令嬢の隣を歩く騎士が、先輩騎士ジェラールにそっくり。
「エトワール令嬢は領主夫人のご友人だから、我等騎士団員が順番に護衛をする。この街は治安が悪いからな」
「ダバリ村へ巡回に行っていて、マルクはその話を知らないのか。シュテルン子爵邸の門番も、持ち回りの門番勤務先に増えた」
それは朗報。あの可憐なお嬢様と一言二言話せるのかもしれないのか。出勤したら、護衛日と門番担当日をすぐに確認しよう。夜勤の門番は寒いし退屈で、おまけに眠いし、貴族のお屋敷を見るのはムカつくし、で嫌いだけど胸が高鳴る。恋人なんて贅沢は言わない。夢なんて見ない。しかし、あれだけの美少女と話すくらいはしてみたい。
「今夜、ついに俺が門番になる」
嬉しそうなハーバートを、俺と先輩達は小突いた。四人で出勤、かと思ったら、他にも騎士はもっといた。
騎士署へ出勤すると、俺は即座に勤務表を確認した。エトワール・シュテルン子爵令嬢護衛担当勤務表が増えている。で、今月分のその勤務表のどこにも俺の名前は無かった。小隊長達の名前しかない。ガッカリ。しかし、幸運なことに、門番当番表のシュテルン子爵邸のところに、俺の名前があった。しかも来週。巡回から帰宅後、連続勤務が続いて、トドメに夜勤とは腹の立つ勤務だけど、まあ許そう。あんな美少女が、もしかしたら「勤務ご苦労様です」と労ってくれるかもしれないのだ。
今日は北地区の巡回担当。ボヤボヤしていたら、ビアーにどやされた。女好きの三股野郎だけど、自分の部隊の小隊長で実力も確か。勤務中はしおらしく従う。巡回は穏やかで、珍しく事件が無かった。今のところ、だ。どうせ喧嘩とか、強盗とか、何か始まる。今日の巡回の相方、ルデルとぷらぷら歩きながら、市民や街の様子に目を光らせる。苦労して公務員になったから、クビにはなりたくない。
「でよー、副隊長は毎日熱心に星の妖精を口説きに、シュテルン子爵邸へ通っているんだってよ。あの鬼の副隊長は、どんな顔と台詞で女を口説くんだろうな?」
「口説きに? ビア先輩は、副隊長の女って言っていたぜ」
「まじかよ。あれか、婿入りして子爵になるってことだ。副隊長って本当に野心家だな。ゴルダガ戦線でも、名乗り上げて急襲部隊の先頭に立ったんだろう? 俺、怖過ぎて苦手」
「へえ、名乗り上げてってのは知らなかった」
あの麗しいエトワール令嬢と結婚して、おまけに子爵位を手に入れる。確かに野心家。騎士爵は一代限り。功績への褒賞の地位で、貴族層といっても最下層。しかし、子爵は違う。というか、領主であるレグルス・カンタベリ伯爵の側近という時点で、副隊長は子爵位扱いをされているってことだ。副隊長の後ろ盾は、ヘンリ・カンタベリ公爵だという噂。ヘンリ・カンタベリ公爵の弟は国王宰相である。単なる騎士爵の副隊長は、一体どうやって権力者達に取り入ったのだろう? 名実共に子爵になりたい、おまけに妻は美しい方が良いとは、かなりの強欲人間。
「副隊長、金はあるらしい。毎日星乙女通りで菓子を買って、そのままシュテルン子爵邸へ行っているんだとよ」
高級店ばかりが並ぶ、星乙女通りで毎日買い物とは、確かに金持ち。俺達のような、雇われ騎士は星乙女通りで買いものなんて出来ない。あの通りの、金持ち! という雰囲気からして無理。巡回の日は格差社会を感じさせられるので、少し憂鬱になる。
「毎日菓子? 食べきれなさそうだな。華奢というか、結構痩せていた」
「自分好みに、ふっくらさせたいとか?」
「副隊長好み、ねえ。確かに、ふくよかな女の方が触り心地が良さそう。あの人、真面目で働き者だけど、笑わないよな。あの鉄仮面は、どんな顔で女を口説くんだ?」
「副隊長、酒場のリリーの誘惑に澄まし顔だぜ? 娼婦の色仕掛けもガン無視」
「マジかよ。凄えな。深窓の令嬢とか淑女を調教したいとかか? それか女よりも出世、権力が欲しい?」
先週赴任してきたばかりの、フィラント副隊長の話題は止まらない。副隊長には謎が多過ぎる。異色の経歴。秀でた能力と容姿。軽口や雑談はほぼしない。家は領主邸。着任日に、いきなり窃盗団を捕縛し、この街の治安を向上させると大宣言。街中の人が、彼の噂をしている。俺達部下も同様。
そのうちルデルとの話は、いつ酒を飲みに行くか、に変わった。
★一週間後★
今夜はついに、シュテルン子爵邸の門番当番。夕刻から、明日の朝まで勤務。相方は先輩騎士のビル。執事に挨拶に行ったら、衝撃的なことに、もうエトワール令嬢と話せた。玄関ホールで俺達を出迎えてくれて、自己紹介をされ、俺達の名前も聞かれ、おまけに紅茶も飲ませてくれた。
「夜間の警備なんて疲れるでしょうけれど、皆様のおかげで安心して眠れます。よろしくお願いします」
鈴を転がすような、という形容はこういう声を言う。耳触りの良い声に、おっとりとした話し方。親しげな笑顔は大変愛くるしい。天使だ。エトワール令嬢は妖精ではなく、天使と呼ぶべきだ。
「私は課題をこなさないとならないので、失礼します」
俺達と執事のルミエルに可憐な会釈をすると、エトワール令嬢は階段を登っていった。立派なお屋敷に相応しいお嬢様。いや、俺からしたら、もうお姫様だな。強盗が押し入ろうとして、命がけで守り、怪我でもしたら……労ってくれそう。俺は強いから返り討ちにするけど、わざと怪我をしよう。それがキッカケで……と妄想をしていたら、執事に睨まれた。ぼーっとしてないで働け、という視線。俺は、自分と同じ事を考えていそうなビルを小突いた。それで、屋敷を出て、二人で門番の位置へ移動。
この屋敷の周りは、人通りが少ない。屋敷を囲う塀はよじ登れないほど高いし、飛び移れるような建造物や木々も無し。門番なんていらなそう。しかし、まあ、あれだけの美少女が暮らすお屋敷。親は心配して、領主へ騎士団員を門番警護につけて欲しいと頼むだろう。心配なら手元に置いておけば良いのに、娘と従者だけを別荘に住まわせるとは、貴族って謎。
暇だし寒いので時折体を動かす。ビルと雑談。話題はやっぱり副隊長。
「俺はジェラール小隊長に聞いたんだけどよお。副隊長は高貴な血筋らしい」
「へえ、そうなのか」
「公爵の妾の子だってよ」
「ああ、それで納得。騎士爵なのに子爵と同じ扱いって妙な話だよな」
「いや、伯爵だ。副隊長、伯爵になるらしい。そういう噂だ。領主邸の門番をした奴の何人かが、貴族の噂話を聞いている」
それは……衝撃的な話。騎士爵から伯爵なんて聞いたことがない。というか、禁止だよな? 騎士爵はそれ以上出世出来ない。男爵にはなれるけど、さほど地位に差はない。子爵以上になるには、婿入りくらいしか手段がない。
「アストライア領主はレグルス・カンタベリ伯爵。アストライア騎士団はフィラント・セルウス伯爵。あの二人、親密なんだとよ。腹違いの兄弟だからって話だ」
「セルウス? セルウスって姓は親無しの奴隷に付けられるものだろう?」
「えっ? そうなのか? 聞いたことないが……」
「昔、博識の知人から聞いた」
正確には、スラム街に住み着いた没落男爵から聞いた。
「領主様と副隊長、全然似ていないけどなあ」
黒髪に黒紫色の目をした副隊長と、金髪に緑色の目をした領主様。目鼻立ちや背格好も全く似ていない。
「なっ! 俺もそう思う。副隊長は謎過ぎる」
「噂なんて、真実は麦粒くらいしかなかったりするからなあ」
話をしていたら、駆け足の音が微かに聞こえた。方角は後ろ、屋敷の方。振り返ると、門の向こうに、ふわふわと揺れる水色のドレスとプラチナブロンド。エトワール令嬢が小走りで近寄ってくる。可愛い……。大人しいお嬢様と思っていたのに、走るとはお転婆らしい。なお良し。手には籠。白い布が被せられているので、中身は見えない。
「お疲れ様です。寒いと思ったので、差し入れをお持ちしました」
籠の中身はマグカップと保温瓶。金属製の水筒は高級品。エトワール令嬢は保温瓶の蓋を開け、取り出したマグカップに中身を注ぎ、門の隙間から手を出して、俺達へ差し出してくれた。紅茶の香りが鼻をくすぐる。紅茶なんて洒落たもの、人生で数える程しか飲んだ事はない。しかも、こんなフルーティな香りなんてしなかった。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます、エトワール様!」
感激して声が勝手に出たら、ビルも同じような感じだった。ちゃっかり、エトワール様と呼んだのはムカつく。俺も名前を呼べば良かった。大声に驚いたのか、エトワール令嬢はビクリと体を竦めて、少し後退りしていた。これは……失敗。怯え顔なんて見たくない。謝るかと悩んでいたら、エトワール令嬢は後退りした分近寄ってきて、キョロキョロしだした。門の向こう、通りが気になるらしい。箱入り娘だから、色々な事に興味があるに違いない。質問されたら、格好良く答えよう。目が合うと、可憐な笑顔を投げてくれた。可愛い。
「サー・ビル。サー・マルク。引き続き、門番をよろしくお願いします」
そう言うと、エトワール令嬢は屋敷へ戻っていった。それが、時間を開けて4回続いて、俺とビルは互いに睨み合いになった。エトワール令嬢は俺かビルを気にかけている。顔を見に来て、笑顔を振りまいてくれるなんて、絶対にそうだ。こんな、ちんちくりんな先輩と俺なら、俺だろう。奇跡だ。奇跡的な事に、俺は天使の心を射止めたんだ!
と、浮かれたのに、5回目に崖から突き落とされた。紅茶と一緒に、サンドイッチの差し入れまで貰い、こんな門番当番の夜は初めてで幸運だと思ったところで、地獄行き。
「サー・ビル。サー・マルク。引き続き、門番をよろしくお願いします。フィラント様がお見えになったら、お帰りなさいとお迎えして下さいね」
はにかみ笑い。照れ照れ微笑むと、エトワール令嬢は屋敷へ帰っていった。
ん? どういう事だ? 副隊長に、お帰りなさい⁈ 唖然とはこの事。俺とビルは顔を見合わせて、首を傾げた。紅茶を飲み、サンドイッチを頬張り、ひたすら「お帰りなさい」の意味を考えた。
蘇るのは先週、ビアーから聞いた「副隊長の女」という台詞。夜に、お帰りなさいと迎えられる。迎え入れられた副隊長は、星の妖精と何をするんだ? 彼女の痴態を想像したら悶えた。あの天使みたいなエトワール令嬢が、淫らに乱れるなんて絶景だろう。胸は……そんなになさそうだけど、掌サイズだし十分。是非、揉みたい。しかし、副隊長の姿がチラついた瞬間、「死ね」と言いたくなった。容姿、金、権力、能力、コネ、そして女。何か一つくらい譲れ! やっぱりこの世は不公平だ!
しばらくして——おそらく小一時間——またエトワール令嬢が現れた。やはり、また熱い紅茶の差し入れ。寒いので有り難いけれど、心は冷えている。副隊長が恨めしい。
「寒くないですか? それにしてもフィラント様、大変なお仕事なんですね」
エトワール令嬢は、またキョロキョロと通りを見た。物珍しいとか、あれこれ興味があるのではなく、単に人探しだとようやく気がついた。人探し、ではなく「フィラント様」探しだ。お嬢様に様と呼ばれるのも、羨ましい。しょんぼりしながら、屋敷へ戻る後ろ姿はいじらしい。余程、早く副隊長に会いたいようだ。彼女はまた小一時間後に現れ、毛布を持って来てくれた。その時の台詞は「フィラント様は激務なのですね」で、心底心配そうな声だった。その次は、期待の眼差しで「フィラント様、いらっしゃいました?」という言葉。来ていないと分かると、しおれた様子で屋敷へ帰る。そもそも、副隊長が来たら分かるのに、何度も何度も様子を見に来るのは、主人の帰宅を待つ犬みたいだ。
真夜中近くになり、そのフィラント副隊長は本当に現れた。無表情だが、憔悴しているような様子。珍しく馬に乗って移動ではないらしい。副隊長にしか懐かない、暴れ黒毛馬は自宅——というか領主邸——に置いてきたのか? 領主邸とこのシュテルン子爵邸はそこまで離れていない。徒歩三十分程度。この屋敷に馬小屋は無さそう。つまり、部下の様子を抜き打ちで見に来た、ではない。
「お帰りなさいませフィラント様。エトワール様がお待ちです」
ビルが近寄ってくる副隊長に挨拶。相変わらずの無表情。少し眉間に皺が出来ている。
「お役目ご苦労。ありがとう。あー、お帰りなさいにお待ちです?」
副隊長は怪訝そうな声を出した。表情の変化は乏しい。
「何故ですかフィラント様。どうやって、お帰りなさいなんて関係になったんですか!」
ビルが詰め寄る。俺も我慢出来ずに続いた。
「どういう事ですか副隊長! 自慢ですか⁈ 何で夜間警備で上司の惚気を見せつけられないといけないんですか!」
夜だというのに、少々煩い声を出してしまった。しかし、悪いのは副隊長だ。干からびた部下に、酷い仕打ち。裏口からこっそり入るとかしろ! 裏口はないらしいけど、可哀想な部下に見せつけるな!
「エトワール様、1時間ごとに私達に差し入れの紅茶を持って来てくれるんです」
「そうだなマルク。それで、俺とマルクのどちらへのアプローチなのかと、当然俺だと思って浮かれていました」
「そうです。ちんちくりんな先輩ではなく自分だと思って、心の中で先輩を見下していました。とても気分の良い勤務時間です。4時間程前までは……」
ビルとほぼ同時に、大きなため息が口から漏れた。
「フィラント様がお見えになったら、お帰りなさいとお迎えして下さいね」
ビルが、エトワール令嬢のモノマネだというように、高い声を出した。
「フィラント様、大変なお仕事なんですね」
俺も続いてみた。
「フィラント様は激務なのですね」
「フィラント様、いらっしゃいました?」
ビルは副隊長を睨みつけている。怒りではなく、羨望と拗ねの混じった目線。多分俺も、似たような眼差しだろう。
「フ、フローラ様を通して少々な……」
コネか。コネなのか。絶世の美女——おまけにわがままボディ——の領主夫人に紹介してもらえるなんて、俺やビルには裸で逆立ちして、街を一周しても手に入れられないコネ。領主と腹違いの兄弟説は、本当なのかも。
トトトトトと微かな足音。これはエトワール令嬢が走ってくる音。見てみると、案の定、屋敷の方からエトワール令嬢が駆け寄ってきていた。
「はあ……可憐だ……」
「俺だけの妖精を見つけたと思ったのに……」
副隊長は無言。畜生! 外道だ! 部下へ配慮しろ! 「俺の妖精だ」という態度を取るな! 俺は割と怖いもの知らずだけど、流石に巨大権力を有していそうな副隊長には、怖くて文句を言えない。エトワール令嬢は副隊長の前まで走ってきて、カラフルな花束みたいな笑顔を咲かせた。ま、まぶっ、眩しい。俺達にはここまでの笑みは見せてくれなかったのに……。副隊長を見つめる熱い眼差し。多分、彼女のキラキラしている星のような瞳に、俺達の姿はは微塵も映っていない。
「フィラント様! お仕事お疲れ様でした。お帰りなさいませ」
副隊長はしかめっ面。不機嫌そう。はあ? 何故、この状況で機嫌を悪くする。
「お腹が減っていますよね? 疲れていますよね? 寒かったですよね? お怪我はありませんか? 無さそうですね」
「はい。怪我などしておりません。エトワール様、夕食に招いていただいたのに、仕事に追われてしまい、申し訳ありませんでした。あの、こんな夜更けに……」
「ええ、ええ! フィラント様。働き者だと、頼られると捨て置けないと噂で聞いております。なので、遅くなるだろうとお待ちしておりました」
エトワール令嬢は両手を握りしめて、祈るような仕草。視線は下。困ったような笑み。副隊長が約束通り来て嬉しい。遅いので怪我かと心配していたけれど、無事で良かった。そんなところだろう。副隊長は渋い表情。
「談話室の暖炉をつけてあります。どうぞ、疲れた体を労ってソファで寛いで下さいませ」
エトワール令嬢が促すと、副隊長は歩き出した。こんな夜更けに屋敷へ招かれる。そして先程のやり取り。ビアーの言う通り、星の妖精は副隊長の女、だ。俺達は寒空の下、門番。副隊長は暖炉前で美少女と食事と談笑。朝まで出てこなかったら……。恐るべし、格差社会。
エトワール令嬢と遠ざかっていく副隊長は、一瞬、見たことのない優しげな微笑を浮かべた。殺伐とした職場では、決して見せない、隙だらけの姿に無表情に近いが笑顔。エトワール令嬢に心を許していると、全身から発する丸い空気が物語っている。
「鉄仮面じゃない……」
「見たか? 副隊長のあの顔……」
俺とビルは顔を見合わせ、巨大なため息を零した。副隊長は出世とか権威ではなく、単に惚れただけなのか。まあ、あの愛くるしいご令嬢相手なら、大抵の男はそうなる。副隊長は自らの力でのし上がっているので、政略結婚ではなくて恋愛結婚を出来るのか。やはり、格差社会だ。ビルとブツブツ文句を言っていたら、俺の予想に反して、副隊長は小一時間もしないで、屋敷から出てきた。
「夜間警備ご苦労。励め」
「はい! 副隊長!」
「はい、フィラント副隊長!」
副隊長は相変わらずの無表情。俺とビルの胸を拳で軽く叩く。
「お前達には期待しているビル、マルク。あとマルク、過密勤務になってすまなかった。明日と明後日はよく休め」
労われたのも驚いたが、褒められるなんて思わなかった。おまけに、下っ端騎士である俺の勤務を把握しているなんて。明後日? 明後日は日勤の筈だったけど……。
「副隊長、明後日は……」
「俺と交代だ。休め。疲労は事故やミスに繋がる」
そう言うと、副隊長は去っていった。嫉妬や恨めしさがシュルシュルと消える。こういう人だから、怖い雰囲気でも着任早々慕われている。俺の胸も熱い。こんなの、うっかりやる気を出してしまう。副隊長の姿が闇夜へ溶けていく。
この滞在時間の短さ、エトワール令嬢とイチャイチャしなかったらしい。それか、隼? 副隊長の異名は「疾風の黒隼騎士」である。乗馬が上手く、現場に疾風の如く現れる。そして突き。副隊長は突き技が得意。その速さはまるで隼。黒毛馬に、副隊長用の黒い騎士服。馬術や剣術だけではなく、あっちも隼なのか? あの天使と長くイチャつかないなんて、罰当たりだ。
その後、エトワール令嬢は朝まで俺達の前に現れなかった。朝の一度目の礼拝の鐘の音が鳴る午前六時を少し過ぎたくらいに、スープを持ってきてくれた。門番警備に差し入れをしてくれるなんて、ここは素晴らしい屋敷だ。ビルは他の屋敷警護でも経験があるらしいが、2回くらいで、パンを数切れだったらしい。こんな丁重な扱いは初だ、と言っていた。エトワール令嬢は、少し充血した目をしていて、落ち込んでいるような態度。
「おはようございます。一晩の勤務なんて大変ですね……」
「おはようございます。何度も差し入れをありがとうございますエトワール様」
「いえ、余り物でして……すみません……。でも喜んで貰えたなら……良かったです……」
笑顔なし。小さな声。どう見ても元気が無い。
「あの、エトワール様。失礼ですが、何かありました? とても元気が無いようですけれど」
意を決して、声を掛けてみる。野蛮で粗暴な騎士が話しかけるなと、睨む令嬢もいるけれど、彼女はそんな事しないだろう。
「お気遣いありがとうございます、サー・マルク。今日も私は元気です。落ち込んでいるよりも、努力する事が必要です」
落ち込んでいるのか。まあ、どう見てもそうだ。エトワール令嬢はグッと胸を張り、眉尻を下げているのに、ニッと歯を見せて笑った。拳を胸の前で握ったのと、この笑顔は、淑やか令嬢には感じられない。彼女は妖精でも、天使でもなく、年相応の少女らしい。そして前向きみたい。益々良い。
「サー・マルクやサー・ビルは、毎日フィラント様と沢山会えて……話したり……羨ましいです……」
失礼します、と俺達に背を向けて、エトワール令嬢はトボトボと遠ざかっていく。去り際「今度こそ隣に座りたい……」という、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「隣に座りたい?」
「隣?」
俺とビルは顔を突き合わせ、同時に首を斜めに傾けた。深夜に恋人に会いにきた副隊長。エトワール令嬢に指一本触れなかったどころか、隣にも座らなかったとは妙な話。その副隊長が、通りに現れた。こんな早朝からランニングらしい。職務中も暇があると鍛錬をしているのに、朝もなのか。
「副隊長! 副隊長! 朝からお疲れ様です!」
ビルが大声を出すと、副隊長はこちらへ向かってきた。俺達の前で直立したが、息一つ切れていない。
「いや、それはこちらの台詞だ。あと少し頼むぞ」
「副隊長、恋人にまだ手を出してないって本当ですか?」
ビルの突然の問いかけに、副隊長はむせた。鉄仮面が崩れ、赤黒い怒り顔。怖っ! 軽口で怒らせた!
「こ、恋……恋人……いや、そうだ。そう。清楚可憐なお嬢様を襲う騎士なんて、悪評が立つ。宣誓や同意も無しに触るか」
ビルは絶句、というように固まった。俺も同じかも。言葉が出てこない。副隊長は紳士。また長所が増えた。俺とビルは下衆な話で盛り上がっていたのに、副隊長はあんなに可愛い天使に対して理性を働かせているのか。朝からランニング。数多いる部下の勤務を把握して仕事を調整。そして理性的な紳士。格差社会ではなく、本人の努力や心構えの差だ。副隊長は逃げるように走り出した。怒り顔ではなく、照れのようだ。一緒、拗ね顔を見せたから、絶対にそう。
「副隊長を見習えば俺にも素敵な恋人が出来る……のか?」
俺はビルの発言に首を縦に振り、握手を交わした。ここに、紳士騎士同盟の結成を宣誓する。
★二週間後★
フィラント副隊長が、エトワール・シュテルン子爵令嬢と電撃結婚した。出会ってたった1ヶ月の出来事。と、いう話ではなくて、実はゴルダガ戦線の野戦病院で、二人は出会っていたという。怪我をした副隊長を看病したのが、看護師従事していたエトワール令嬢なんだとか。それで、二人はこの街で再会し、副隊長は熱烈なアプローチ。副隊長は成金騎士爵でゴルダガ戦線の英雄にして、カンタベリ宰相の子飼い。だから、貧乏子爵の娘、エトワール令嬢は折れた。そういう噂がアストライア街を駆け巡った。
しかし、知っている人は知っている。折れた方のエトワール令嬢は、副隊長に夢中だ。そして、副隊長はそれに気がついていない。結婚してもらった、怖がられている、と思い込んでいる。はっきり言って、副隊長は変人だ。あの明け透けない恋心が分からないなんて、頭がイかれている。何か知らないけれど、仕事外だと自信が全くないようだ。
新婚約1ヶ月の副隊長を、俺達は無理矢理酒場へ連れてきた。毎日定時に帰り、腹立たしいから。要領良く、人よりも多く仕事を片付けて、さっさと帰宅するのは、広くて立派な屋敷に天使みたいな新妻がいるからだと丸分かり。ムカつくので、たまには帰さない、というのが俺達部下の総意。今日は先輩のジェラール、ビル、同期のパーズを誘って副隊長を酒場に連れ込んだ。
「俺は一杯飲んだら帰る。ほら、マルク。これで会計しろ。要はこういうことだろう?」
副隊長は大変不満げ。銀貨を一枚俺に渡し、ビールを一気飲み。
「俺達はたかり屋では無いですよ! 小一時間? 部下の悩みを聞くのに、たったの小一時間ですか?」
「悩み? 何かあったのか?」
仏頂面や無表情で、鉄仮面とか呼ばれているけれど、副隊長は意外に気さくで親身。表情は乏しいけれど、目の光も温かいことが多い。今もそう。
「上司が色々見せつけてくるから、やる気が出ません」
ゲホゲホッと副隊長はむせた。怒り顔みたいな、照れ顔になる。
「新婚旅行の護衛役は最悪でした」
「そうです副隊長。俺に女性を紹介してくれるって話、何処へ消えたんですか?」
「えっ? ジェラール小隊長、そんな約束をしてるんですか? 副隊長! 贔屓なんて狡いです!」
「そんな話なら帰る。あと、そのような約束なんてしてない」
副隊長が立ち上がろうとするのを、全員で止める。俺はパーズに目配せをして、空になった副隊長のビアグラスをジェラール小隊長のものと交換させた。
「違いますよ! 相談があるんです!」
「嘘だな。だから帰……」
「せめて一杯! 一杯くらい付き合って下さい」
「一杯? いや、今飲んだだろう」
「え? でも副隊長のビアグラスは満杯ですよ」
「そうです、そうです。どうぞ、どうぞ」
はいはい、と呆れ声を出すと副隊長はビアグラスに口を付けた。立ち上がったのに着席。やはり、押しに弱い。
「たまには干からびろ!」
「悪魔!」
「少しくらい俺達と同じ気持ちになれ!」
「妻帯者なんて嫌いだ!」
「誰か紹介しろ」
「絶対に帰しません」
俺達は次々に文句を言い、副隊長に酒を飲ませた。副隊長は割と酒好き。下戸ではないが、酒豪でもない。普段は割と寡黙だが、飲むと饒舌になるから面白い。
「悪魔ってなんだ。お前達は訳が分からないな」
飲め、とにかく飲めと言うと副隊長は大人しく飲んだ。副隊長は意外なことに、強く出られると逆らえない。仕事中はそんな事ないのに、勤務外だと結構受け身。酔い潰そう。そうしたら、今夜は天使みたいな妻を抱けない。しこたま飲ませると、副隊長はお決まりの愚痴をこぼした。エトワールに怯えられている。辛い。仲良くなりたい。
「でもエトワールは歩み寄ってくれる。奇跡だ……」
愚痴の後、惚気が始まりそうになり、俺達は慌てて副隊長の口に、パンを押し込んだ。惚気なんて聞きたくない。新妻の歩み寄りは、歩み寄りではなくて副隊長への誘惑だ。一緒にチェス、一緒にお出掛け、一緒に礼拝、愛妻弁当をせっせと届けるetc. この阿呆な副隊長は、それで「怯えられている」とは変人過ぎる。多分、仕事中に返り血を浴びた所をエトワール夫人に見られたから、誤解したのだろう。
「そうですね、副隊長。ならそろそろ帰りましょう」
「浮気していると誤解されますよ」
いっそされろ。副隊長は酒場にいる若い女性達に、店員のリリー、皆の視線を独り占めしている。酔ってテーブルに突っぷすと、私が世話をする、というようにリリーが近寄ってきた。ジェラール小隊長が「俺に気がある」とトンチンカンな誤解をする。
「浮気? 絶対にしない。そう約束している」
副隊長は勢い良く立ち上がり、キリリとした精悍な表情になった。しかし、酔いのせいか青ざめている。
「おえっ……気持ち悪い……帰らないと……」
会計伝票を確認すると、副隊長は銀貨を置いて去っていった。送りますと言ったけど、断られた。
「やり過ぎたな、マルク」
「ああ、パーズ」
「まっ、またご馳走になれたし良いか」
俺とパーズは騎士宿舎へ帰宅。女を口説こうと必死な先輩達は置いていった。
翌日、忘れていたが、シュテルン邸の門番勤務だった。日勤の門番は、夜よりマシ。特に副隊長の屋敷の門番は、市民から感謝される。エトワール夫人の差し入れや笑顔も楽しみ。俺がシュテルン邸に到着した時、丁度副隊長が出勤する所だった。エトワール夫人と腕を組み、これから礼拝に向かう、という時間に鉢合わせ。しまった。もう少し遅く来るべきだった。
「まだ気持ち悪いですか?」
「いえ、大丈夫です」
気遣わしげなエトワール夫人に、副隊長は相変わらずの無表情。
「おはようございます副隊長。昨夜はご馳走さまでした」
「ああ。今日の門番はお前かマルク。頼んだ」
「おはようございます、サー・マルク」
エトワール夫人が、副隊長から離れて俺に近寄ってきた。
「おはようございますエトワール夫人。昨夜は副隊長にご馳走になりました」
「あの、今度は是非屋敷へどうぞ」
エトワール夫人は笑顔をくれなかった。不機嫌そうなしかめっ面。
「外で飲むと誘惑が多いでしょうし、吐くほど飲むなんて心配です」
「誘惑? 副隊長は浮気と誤解されたら困ると先に帰り……」
瞬間、エトワール夫人は眩しいくらいの笑顔を浮かべた。
「まあ、そうなのですか?」
ウキウキとした、可愛い照れ笑い。やはり、副隊長はムカつく。なんだこの生き物、なんでこんなに可愛いんだ。誰かが俺に惚れてくれたら、こういう感じになってくれるのか? それならいいなあ。
「マルク、おはよう。その話、あとで聞きたいから、お昼の休憩を一緒にしよう」
後ろから挨拶をしてきたのは、サシャだった。
「おはようサシャ。お前、髪伸びたな」
「エトワール様が、少しは伸ばしたら? って言ってくれたから」
久々に話したけれど、最近ますます品良くなっていてる。髪も少し伸びた。少年から女の子に見える、気がする。
「エトワール様、いってらっしゃいませ。旦那様が遅刻してしまいますよ。手袋をお忘れです。渡されたのに、テーブルに置いてました」
「ありがとうサシャ。行ってきます」
手袋を受け取り、手にはめると、エトワール夫人は小走りで副隊長に近寄り、腕を組んだ。そっと手を添えるだけ、なのに甘えているような錯覚。あのエトワール夫人を、副隊長に怯えていると思う人は居ない。副隊長は変人の大会があったら、優勝するな。
「今日のお昼はグラタンだって。マルクはラッキーだね」
「サシャ、グラタンって何だ?」
「野菜がゴロゴロのシチューに、ショートパスタが入っていて、とろけるチーズが乗っている超贅沢品」
それは……美味しそう。確かにラッキー。サシャがニヤリと笑った。
「私に情報提供をしたり、休日にエトワール様の護衛役をすると、良い事が沢山あるよ」
「どういう意味だそれ」
「旦那様を酔い潰して、エトワール様の邪魔をすると、逆の目に合うよ。有る事無い事、噂されるからね。男色家とか」
「はあああああ?」
「お昼、どうするか考えておいて」
バイバイ、と手を振ると、サシャは優雅な足取りで屋敷へ戻っていった。少し悩んだけれど、俺の昼食はグラタンにすることにする。相方のカイロに、コネを使うななどとめちゃくちゃ嫌味を言われた。頼んでないし、誘われたのが俺だけなのは、確かにコネ。でも、伯爵邸の侍女に、もう一人も頼むなんて言えない。多分、カイロだって昼食の差し入れを貰えるから我慢してもらおう。世の中は不平等。ちょっと優越感。今は騎士になれたけど、元々スラム出身。食べ物には目が無い。男色家なんて噂も御免だ。
その日の昼食は、煌びやかな食堂で、副隊長のお屋敷の清楚可憐な侍女達と、仲良くホタテグラタンをいただいた。実に幸せ。そこで、サシャが本を書いていると教えられた。何でも、副隊長とエトワール夫人をモデルにした話らしく、知人達に読んでもらって、人気が出そうなら売るつもりらしい。情報提供ってそういうことなのか。で、エトワール夫人の護衛とは、朝市なんかに気軽に行きたいらしい。それから護身術の勉強。アストライア街は治安が悪いし、副隊長は心配性。エトワール夫人は自由に出掛けられないらしい。侍女達もそうだという。そんなの、二つ返事で引き受ける。
「それにしても、エトワール様は面白いわよね」
「そうそう。今朝も、飲むと女好きになる。どうやってお酒を自重してもらおうって、ブツブツ呟いていたわ」
「目が据わってました」
侍女達が、クスクス笑いながら、顔を見合わせる。サシャはともかく、アンナ、ミレーという侍女達は本当に可憐。眼福。
「旦那様が酔って私達に言い寄ってきたことなんてないのに」
「この間だって、珍しく家で飲んで、奥様だけにベタベタしていたのに」
「ああ、それ。旦那様を飲ませたら、恋人みたいに扱ってくれるからって意気揚々とお酌をしてました」
「奥様、相変わらず恋人になりたいって、旦那様の熱愛ぶりにいつ気がつくのかしら?」
「さあ?」
あの二人はおかしい。楽しい。と侍女達が笑い合う。こうして俺は、最高の居場所を手に入れた。シュテルン伯爵邸の護衛騎士。騎士団員に副業の罰則はない。休日に、可愛いエトワール夫人や侍女達と出掛けられるなんて最高。
問題は、精神的なダメージを食らうこと。女って恋愛話が好きだな。上司の話を延々と聞かさられるのは、気分の良いものではない。ズルい。やっぱりズルすぎる。ただ……揶揄って遊ぼう。澄まし顔の副隊長を崩すのは楽しい。俺はホタテグラタンに舌鼓を打ちながら、サシャがすっかり侍女らしく見えることを、自分もすっかりスラムの少年ではないことを、不思議だなあっと思った。