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「……お願い、このままもう一度私を吊るして……」

洞窟を抜けた後の話になります。

 「……」


 幼女は絶句した。

 このあり得ない光景を見れば、まともな感性をしている者であれば、誰しもが言葉を失うであろう。

 何故って……街の入り口を示すのは二本の柱で、そのひとつに首を括られた少女が吊るされていたからだった。

 洞窟を出てから約一週間、瘴気漂う密林を抜けると、目の前にはこの二本のトーテムポールが置かれている村……いや街くらいの規模だろう集落があり、その柱にたまたま吊るされていたのは、全く以って偶然であると幼女は思いたかった。

 転生して初めて見た自分以外の人の姿が、首吊りというのは、一体どういった運命のいたずらなのだろう。

 意味が分からない、と幼女が凝視する少女の異常さはそれだけではない。

 薄手の布地――元いた世界で言うところの大き目のスカーフのようなもので体を辛うじて隠しているだけという風体で、僅かに膨らんだ双丘がその隙間からチラチラしている、日に焼けたのかくすんだ金髪をした十二、三歳ほどの少女だ。


 (……吊るされている……んだよな?)


 自殺という線も考えられなくはなかったが、しかし彼女の首に巻きついていたロープの形を見て、幼女は直ちにその考えを改める。

 ロープの結び目が捩れて上向きになった、所謂絞首刑用の縄の形をしていたからだ。


 (処刑……それとも私刑……)


 疑念は尽きないが、でもまだ吊るされた直後らしいことは分かる。

 どうして分かるのかって、幼女の目にはくっきりと少女の体の周りに浮かぶプラーナの層が見えていたからだった。

 ここで何故吊るされたのかとか、彼女を助けた後の面倒くささを想像すると、助けることに躊躇ちゅうちょするだろう。

 或いは金髪という風貌が、幼女の前世、つまり勇者だった自分を殺したあの聖女の姿を連想させるため、憎しみが湧き出てそのまま事件を無かったことにしようというのもありだった。

 折角手にした来世であり、縛られる物もない新しい人生がそこにはあったのだから……

 とは言え、今そこに無い問題を論じて、直ちにやらなければならない問題から目を背け手を出さないのは、毒矢の喩え宜しく、人間の悪い癖なのだ。

 それは普通の人間に起きる当たり前の行動……しかし幼女は、仮にも勇者をやっていただけでなく、その力と経験を持って転生した。

 何が言いたいかというと、幼女は考えるよりも早く、この吊るされた少女を地面へとおろしたと言うことだ。


 「ゲホッ……ゴ――ゴホッ!!?」


 咳咽る少女が息を吹き返す。

 酸欠からだろう、目が虚ろで意識が朦朧としている。

 だが辛うじて一命を取り留めた。

 ぼんやりとする目が幼女へと向き、おぼつかない口が震えるようにして何かを言わんとしたのを幼女は見逃すはずも無い。


 「ん――?」


 耳をそばだてて、少女の言葉を聞き取ろうとして――


 「……して」


 擦れた声が聞こえる。

 ハスキーボイスと言うよりは、吊られた時に、喉を痛めたと考えるべきだろう。


 「……どうして……」


 (どうして?)


 辛うじて言葉は通じるらしい。

 今がいつで、ここがどこであるのかも不明だが、洞窟で見たヴォストクブルグの痕跡から、数百年は経っているだろう推測をしていた幼女のある考えは杞憂に終わった。

 言葉が何もかも通じない可能性というものを。

 これから想像を膨らませることは容易いが、しかし無制限に考えていくのはただの邪推に過ぎない。

 正しいことを知るには、もう少し情報が必要だった。


 「……どうして、私……を……助け……たの?」


 少女がとんでもないことを言ってのけた。





 「……私の名は、リュボーフィー」


 吊るされた少女が名を明かす。


 「あなたは……?」


 まるで外国語の教科書にある自己紹介文を棒読みするみたく、リュボーフィーを名乗る少女が、幼女へと名を尋ねた。


 「俺……」


 と言いかけてから、幼女はふと思い立つ。


 (『俺』……でいいのか?)と。


 前世は勇者をしていた少年だったが、しかし今は違うしがない幼女の風体だ。

 種族が違う相手に対してなら、俺などと言う一人称でもどうにか怪しまれずに済んだかもしれないが、人間相手にであれば下手に疑われかねない、と。

 いや、そんなことよりも重要な問題があった。

 幼女自身の名が何であったのかを、そういえば知らないことに。

 この世界では女に名をつけないとか?

 だが目の前の少女リュボーフィーと名乗った。

 それは女であれ名を持つことを意味している。

 なら、この体の持ち主の名がないということの意味を改めて考えてしまう幼女だった。

 まあ敢えて嘘をつく理由も無いために、自分の名が無いことを明かしたのだけれど。

 まさか前世の名を語る訳にも行かず、そんな幼女を多少訝しげな目では見ていたリュボーフィーは、生気の無い目で、本当にどうでもいいといった感じが伝わってくる。

 幼女のことなど眼中にないのか、まだ意識が朦朧としていたのか、リュボーフィーが言った。


 「……お願い、このままもう一度私を吊るして……」


 「はい……?」


 何を言っているのかとリュボーフィーの青い目を凝視する幼女が、怪訝な顔で返答に詰まった。

 そりゃそうだろう。

 折角助かったと言うのに、再び自ら吊るしてなどと頼むのは、どう考えてもおかしい話ではないか。


 「なあ……自分の言っていることが分かっているのか?」


 責めるように声を荒げた幼女に、それでもリュボーフィーは吊るされることを望むばかり……


 「何でそんなに吊るされたいんだ?」


 その問いに対し、リュボーフィーは驚くべき言葉を口にする。


 「……私は、神様に会わなくちゃいけないんです!!!」


 「神に……会う、だって!?」


 それってつまり――ゴクリと喉を鳴らす音がした。


 「そう、吊るされることは、神聖な行為であり、神に会う為の試練でもあるのです……」


 自殺願望者であった方が、まだマシだ――若干引き気味に幼女が顔を引き攣らせる。

 もし本気でこれを信じているのであれば、性質が悪いことこの上ない。


 「神に会うって、それがどうして首を吊るされることになるんだよ? いくら人生嫌になったからって、自殺したら神の国へはいけないと思うんだが?」


 だがリュボーフィーも、幼女の言葉が理解できなかったらしい。


 「いえ、この縄は全ての人族の罪を背負って、聖女様が吊るされた奇跡のしるしなのです――」


 「何だってっ!?」


 一体どういう宗教だ、と目を丸くする幼女。


 (信仰とは、とどのつまり鰯の頭であり、小麦粉を秘薬だと思える力のことだ……)


 病人に薬だといって小麦粉を投与したら、信じるあまりに病気が治った、と言うのはプラシーボ効果といって、実際に証明されている現象だ。


 (それにどこかで聞いた様な言い回し……全ての人族の罪を背負って吊るされた? 聖女の奇跡?)


 「首吊って神様に会って、一体どうするつもりなんだ? 神の国への入国許可証でも手に入れるとか?」


 「違うよ」


 と縄を手に取りながら、リュボーフィーが説明をする。


 「この世界を脅かす、魔王サルターンから、人族の希望で真理の灯火を消さないために、私は神様に会ってお願いをしなくてはいけないんです」


 「……?」


 「世界を脅かす魔王を打ち破り、人族を堕落へと導いている淫祀邪教いんしじゃきょう放逐ほうちくすべく、救世主をこの世界へと召喚することを――」


 「…………」


 自分でも顔の引き攣るのが分かるくらい表情が歪んでいた幼女だった。

 嘗ての自分が召喚された事実から、この世界に異世界人を召喚する秘術があることは知っていたが、それが首を吊るという行為で起こることがないのは、流石に幼女にだって分かる話。

 生贄を捧げる、これならまだいくらかは理解できる術式だが、首を吊って神の元へと赴き直談判するなんて話は、流石に眉唾だろう、と。

 何より、聞き慣れて知らない単語……


 (俺が討伐したのはドラクルだったが……もしかしてヴォストクブルグの廃墟で見た、頭のおかしい女勇者たちが対峙していた相手か?)


 あの攻城戦の行方は、街の記憶との接続を幼女から切ったために分からずじまいに終わったが、リュボーフィーを名乗る少女は間違いなく『魔王サルターン』と口にしたはずだ。

 熱心な信者が、他宗教のトップとか偶像などを悪しざまに言うのは世界共通らしいけれども、それにしたって魔王は言い過ぎだろう。

 それとも本物の魔王なのか?


 「なあ……?」


 それに、たかが魔王や宗教対立ごときで犠牲になる必要があるとは、どうしても思えなかった幼女の言葉を、リュボーフィーが涙声で遮った。


 「だから、私は信仰を証明しなければいけないんです……」


 「は――えっ!?」


 思わず間抜けな声を出した幼女。


 (信仰を証明って……)


 常識的に考えて、他者の信仰心を証明する方法は存在しない。


 「……言葉を返すようで悪いが、信仰心の証明を他者に求めているのは、ひとえにただの脅迫に過ぎないんじゃないのか?」


 それこそ、無限に不信心の疑念をかけていくことが可能だ。

 魔女裁判のごとく、ある種の悪魔の証明になってしまう。


 「どうして……リュボーフィーって言ったっけ――が、信仰心を証明しなければいけないんだよ?」


 「……っ!?」


 言葉を詰まらせるリュボーフィーの表情が次第に歪んでいく。

 顔をクシャクシャにして、ポロポロと涙をこぼしていった。


 「そうでないと……そうしないと……私は死ぬしかないんです――!!!」


 そして盛大に泣きじゃくリ始めた。


 (何でこうなった――!?)


 前世は勇者として、女ばかりのハーレムパーティに身を置いていた幼女だったけれど、しかしながら浮ついた話はひとつとしてない、実にギスギスしたものだった。

 魔法使いと弓使いの尊いいちゃいちゃはついぞ聞くことがなかったし、聖女と他の二人にしても、その気配すら感じさせることは無かった

 体こそ幼女そのものであれど、頭の中はギスギスした女しか知らない少年だった――何が言いたいのかって、目の前で泣きじゃくるリュボーフィーをどう扱ったらいいのかを分からなかった幼女は、彼女を見て狼狽えるばかりだ。



 「……ぐすん」


 しゃくりあげているリュボーフィーは暫く泣いたのか、少しだけ落ち着きを取り戻し、事の次第を滔々《とうとう》と述べ始める。


 「……この街はウラジドゥラーク……パヴェシェンヌイ教の聖地」


 「パヴぇ……?」


 思わず舌を噛みそうになる幼女。

 言いづらいったらない名前だった。


 「私たちは罪深い存在……その昔、とある聖女様が全ての人族の罪を背負って、自ら縄につかれたのです……」


 「……?」


 「にも拘らず、私たちは折角清算された罪を、再び積み上げてしまった――淫祀邪教が蔓延り、帝国の治世が乱れ――その結果が魔王サルターンという試練……」


 更に頭がこんがらがる幼女。


 「私は世界を救うために、神様の元へと向かわなくてはならないのです……」


 (いや、待て?)


 その理屈はおかしい、と幼女は言った。


 「だから、さっきも言ったが、リュボーフィーが吊るされることで、何が変わるっていうんだよ!?」


 言葉が分かるが話が通じないとは、まさにこのことだ。

 そのまま平行線になるかという時、今度は渋い声が幼女の耳へと飛び込んできた。


 「それについては、この私からお話するのである――」


 「……!?」


 振り向き様に目にしたのは、全身に纏う白い衣装……恐らく修道服のつもりだろうそれは、しかしみすぼらしく、まるで死刑囚が着せられている衣類を思わせるものだった。

 何よりも不気味なのは、剃っているのか光り輝く頭頂部はトンスラのようで、荒縄は特殊な捩り方をした荒縄は先端が上を向く、所謂絞首刑用の縄の形をしていて……それを首にかけた初老の男が若い女性を伴って、街の出入り口らしきトーテムポールの前へと近づいてきた。


 「私の名はザイル・ハングマン――この街の司教をしている者である」


 と自己紹介する男の目は、明らかに逝った目をしており、男が伴っていた女性を見れば、彼女もやはり同じように逝った目をしていた。

 黒目黒髪の日に焼けた肌で、出るところが無駄に出ている……男からすれば楽園が広がり、女からすれば実に腹立たしいプロポーション。

 思わず視線が吸い寄せられた幼女だが、すぐに渋い声に現実へと引き戻される。


 「この儀式は成功するはずだったのである……」


 ザイル・ハングマンが責める口調で語気を荒げた。


 「そう、あなたさえ邪魔しなければ……」


 「お――ボクの所為だとでも?」


 「その通りである」


 首に巻いた縄を撫でるザイルは自信満々な面持ちで、微塵も自らの正しさを疑っていない目をしてそう言った。


 「この神との交信し召喚する術式は、九十九パーセント失敗すると言われているのであるが……しかし、今回に限っては成功するはずだったのである!」


 「……?」


 「何故なら、これまで九十九回失敗してきたからである!!!」


 どこの藪医者か!?


 「更に今年は聖女様が吊るされてから三百七十五年目にして、本日は六月四日――これは聖なる数に他ならないのである!」


 説明と言うよりは、一方的にまくし立てているだけのザイル。


 「それを――それなのに、あなたは召喚の儀を邪魔をした……これは絶対に許す訳にはいかないのであるっ!!!」


 「だから?」


 とザイルを見据える幼女。

 腰に差していたジャンビーヤに手をかけるまでもなく、でこピンひとつで自分を取り囲む暴徒たちを制圧する自信があった。


 「皆の衆、この神をも恐れぬ魔女をひっ捕らえるのであるっ!!!!!」


 いきなり魔女扱いされたことに憤る幼女だったが――


 「お……お待ちください――」


 リュボーフィーの声が、これから起きるであろう諍いを押しとどめた。


 「どうしたのであるか、リュボーフィー・ペトロヴナ……」


 「司教様……この子はまだ世界の真理について何も知らないのです……」


 ザイルの顔が僅かに変わる。


 「世界へ真理の灯火を、とは私たちパヴェシェンヌイ教徒の使命ではないですか」


 「……なるほど」


 ザイルが納得した面持ちで呟いた。


 「分かったのである」


 ザイルの手の動きに合わせるように、幼女を取り囲んでいた街の住民たちが、武器を下ろした。


 「暫しの時間を与えるのである。その間に、真理をともに歩む姉妹を導くのである」


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