「まずは世界を、元に戻そう?」
更新遅れてすみません。
光が止んだ時、街は既に砂塵舞う荒野と化していた。
あたかも、そこには元々何も無かったとさえ思えるほどに、更地となっており、ただ一点街を覆っていた石畳の一部が、ほんの少しだけ残っているだけだった。
その上に立つ四人が、上空の巨体へと一斉に視線を向ける。
黒い鱗に覆われ蝙蝠にも似た羽を広げている、三つ首の竜へと。
『我の力を……打ち消した?』
三つ首のひとつ、金色の目をした首が呟く。
帝都でナジェージダが使ったであろう、『元素分解』を、更に強化された状態で使ったにも拘らず、四人が立っていた周囲だけはその力が及ばなかったのだろう、石畳が残されていた。
『この力なら私がこの街に張った魔法陣を壊すことは可能でしょうね……』
赤い目をした首も頷きながら言った。
『……あの時の聖女ではななさそうだな。何者だ?』
金と赤の目を睨み返すように、灰色の目が鋭く光る。
「ボクは、アリカ」
ドスの聞いた声が幼げな口から飛び出した。
「お前がズメイ、でいいんだな?」
『ほう……』
『私たちのことを覚えている者がいるなんて、感心ですね』
楽しそうに喉を鳴らす赤い目は、少しも笑ってなどいなかったが。
『私たちのことを知っていて、それなのに何故邪魔をするのですか?』
赤い目が、リンチがアリカを問い質す。
詰るような視線が突き刺してくる。
「邪魔? それに何か勘違いをしていないか?」
アリカが身構えながら黒い鱗に覆われた巨体を凝視する。
「ボクはお前のことなんか知らない。名前くらいしか聞いたことがない。それよりも……どうして街に魔法陣張ったり、イルザを脱獄させたりした?」
『あっ!?』
『あはは――』
侮辱めいた笑いを返す二つの首がそれを述べる。
『この世界を滅ぼすためであり、この世界へと復讐するためだ』
『私たちが受けた苦しみを、この世界の人間たちにも味わってもらわなければならないのです』
「……」
リュボーフィーと弓使いの話では、ズメイとは召喚者たちの成れの果てだと言う。
彼らはイポニアの歴史における、無限に討伐され続けるシステムに組み込まれたであろう異世界人たちだ。
だからこの世界へ憎しみや恨みを募らせた挙句、世界ごと滅ぼそうとすることは、彼らにとっての大義なのだ、と。
確かに、同じ立場になれば、アリカやリュボーフィーだって、恐らくは同じことをしたかもしれない。
或いはしなかったかもしれないが、そんなのは机上の空論、現実に起こっていない歴史のもしもを語っても意味はないだろう。
『我々がどれだけこの世界の人間たちに裏切られ、辛酸を嘗めたと思う?』
『故郷から拉致同然に連れて来られただけじゃなく、必要なくなったら召還出来ないからって、殺そうとしたことを、私たちは決して赦すことはできない!』
「……」
間合いを保ったままで、アリカは身構えたまま、ズメイの話をただ黙って聞いていた。
彼らの言っていることは、間違ってなどいない。
ある意味正しい。
だから力に任せて討伐したところで、ズメイは恐らく滅びないのだ。
『お前に、我々の気持ちが分かるか? 我々はこの世界の人間のエゴを満たす道具なんかじゃない!』
『そうよ! だから、私たちがされたことを、この世界の人間たちにやり返して何が悪いの?』
その気持ちが分からない訳じゃない――アリカは軽く頷く。
少なくとも、自分もまた同じ体験をしていたからだ。
斧の湯者などと呼ばれ、世界を脅かす魔王を討伐してくれとイポニア王から要求され、しかし何の手も貸さず、それでも魔王を討伐した結果殺された経験が。
『この世界を滅ぼして、我々は本来あるべき状態に戻すのだ。同時にこの世界の人間たちにはディアスポラしてもらう!』
『私たちが昔されたように、故郷に戻ることもできずに、この世界の人間たちには異世界で不遇な人生を送るべきでしょう?』
が――
「それでもお前たちは間違っていると思う」
アリカが否定する。
『何だとっ!?』
『私たちが間違っているですって!?』
怒気を孕んだ目がアリカへと向く。
「間違っている!」
二度同じことを、今度は語気を強めてアリカは言った。
『我々の復讐は決して間違ってなどいないっ!!』
『復讐は個人のもの、それを否定するのですか?』
「否定しないさ」
『なら――』
アリカがキッとズメイを見据える。
確かに復讐とは個人のもの、それが彼らを含めこの世界が積み重ねてきたものなのだろう。
今までも考えてみればそうだった、とアリカが思い巡らす。
何故自分がリュボーフィーに殺されかけたのか、と。
それは嘗て自分が勇者として、前々世の彼女を、つまり魔王ドラクル殺した、その報いだからではないのかと。
何故イルザがリュボーフィーや弓使いたちにあれほどの猛威を振るったのか?
彼女が受けたであろう様々な理不尽が、二人に返ってきたからではないのか?
そしてナジェージダが殆ど抵抗することさえもできずに、アリカに破れ仮初めの力を剥ぎ取られたのは、彼女が前世のアリカへしたことの報いではないか――と。
『……っ!?』
『なら?』
固唾を呑んで次の言葉を待つ二つの首にアリカが告げる。
「確かに、お前が言う通り復讐は個人のもの――」
それを聞き笑みをこぼす二つに首へと、アリカは続けた。
「でもそれなら、復讐すべきはお前らを召喚した人間たちだろう?」
言うまでもない、まだこの世界にイポニアが存在する以前の人間たちだ。
とは言え、彼らを召喚した大昔の当事者たちは、既にこの世にはいない。
『それは違うぞ』
『違います!』
ズメイは悲痛とも思える叫びを放つ。
『我々を召喚した者だけが、復讐の対象ではない!』
『誰もが、邪魔になったからと、この世界の脅威になったからと、私たちを殺そうと刺客まで放ったと言うのに?』
ズメイを討伐するための刺客、それはリュボーフィーのことだ。
その昔、アリカがまだこの世界へと召喚される以前に、邪竜討伐のために異世界から召喚されたであろう聖女のことだ。
『だからこの世界の人間たちは、自らの罪を血で以って贖わなければならないっ!!!』
『そうです、私たちは正当な権利を主張しているだけです。私たちがされたことを、この世界の人間たちが免れるなんてことがあってはいけないのです!!!』
「つまり、どうしても今までされたことはやり返さなければいけない、と?」
アリカが問う。
『勿論だ』
『分かっているなら、どうして私たちの邪魔をするのですか?』
非難する赤い目が怒りを露に声を荒げる。
「じゃあ訊くが――」
銀色の光がアリカの体を包む。
「お前らが今復讐しているであろう相手は、お前に一体何をした? お前をこの世界に召喚したのか? お前らに辛酸を嘗めさせたのか?」
『何を言って――』
『そんな詭弁に惑わされると思っているのですか?』
「イポニア人……」
アリカがその名前を口にする。
「だけど、この世にイポニアなんて国はもう存在しない。お前たちを召喚した人間もだ。お前たちが復讐の対象にしているのは、ズメイなんて知りもしない、イポニアとも関係のない人たちなんだよ」
沈黙が暫し流れた。
ズメイの首たちは苛立つ唸り声を上げながらアリカを睨みつけている。
では説得されたのか――しかしそれは実に甘い考えであり、期待と言えた。
『だから、何だ?』
金色の目が禍々しく光る。
『そんな話で煙に巻こうと言うのですか?』
赤い目もまた同じく憎悪のこもった視線を突き刺した。
『この世界の人間がやったことだろう? ならこの世界の人間が責を負うべきではないのか!?』
『同志……何とか言ってあげなさい! こいつは、同志の復讐を邪魔した張本人なんですよっ!』
突然話を振られたのは、ずっと押し黙ったままの首、即ちナジェージダだった。
『同志っ!!』
『同志ナージャ!!!』
『…………』
二つの首に急き立てられたナジェージダが、恐る恐る口を開く。
彼女の声は震えていた。
『私は……』
「「「ナージャ?」」」
アリカだけではなく、その後ろに隠れていた三人が怪訝な顔をした。
いつの間にかズメイの首のひとつに収まっていた彼女を凝視する六つの方向からの視線に、ナジェージダが縮こまった。
何て言えばいいのか?
ナジェージダは声を出せずにいた。
しかし何かを言わなければならない。
もしかしたら、世界の命運を決めるかもしれない一言になるかもしれない。
今まで散々、悪いことをしていた。
確かに賞賛を得たかったし、自分を選ばれたものだと証明したかったのは事実だ。
リュボーフィーや弓使いへの憎しみから彼女らばかりか、自ら作ったはずのニャポニカの皇族を殺してみたりと、今から思えば悪行の数々は慙愧の念に耐えない。
だが言わなければならない。
少なくとも、これは最後に残された自分自身の誇りなのだ、と。
だから言った。
『私やっぱり世界を滅ぼせない――』
『あっ!?』
『なっ!?』
二つの首が同時に非難めいた声で彼女を威嚇する。
『同志、何を言っているのかな?』
『同志の復讐に力を貸していたのを忘れたのですか?』
『わ、忘れてなんかいないけど……』
『私たちを裏切るのですか?』
『同じ召喚者として赦せない!』
赤い目が光ると、ナジェージダの様子が一変した。
首を強張らせ虚ろな目になったナジェージダが、意思を失くしたかのように項垂れる。
『なら、せめてあなたの力だけでも貸しなさい! そのためにわざわざズメイに加えてあげたのですからね!』
『…………』
次いでナジェージダの首がアリカたちへと向く。
意思のない虚ろな目が、不気味さを漂わせていた。
『この邪魔者を滅ぼしてしまいなさい!』
命じられるままに大きな口が開いた。
「危ない――!」
同時にアリカが後ろにいた弓使いに突き飛ばされた。
「――!?」
何が起きたのだろうか、口を向けられた弓使いが、あっという間に崩れだしたのだ。
そして弓使いが消滅した。
いや、初めから弓使いなんて人物はいなかったことになった、と言った方がいいのだろうか?
「え……おい?」
今見たものが信じられないと言った顔で目を震わせるのは、アリカだけではない。
リュボーフィーやエリーナもまた、同じように呆然としていた。
「何で……」
弓使いは元々存在しなかった。
三人の中での弓使いの記憶が段々と薄らいでいく。
「あれ……」
弓使いの存在が無くなった、無かったことになった。
『ふふふ……』
リンチの楽しそうな声が耳に響く。
『見ましたか、同志? この力は……やはりあなたの選択は間違っていなかった!』
金色の目をした首も同様に喉を鳴らす。
『この世界を、無かったことにするのです――』
再びリンチが口を開き、同時に銀色の光が迸って――世界は、無かったことになった。
『ふははははぁっ!!!』
何もない空間でズメイの笑い声だけが響いていた。
『世界を――世界を滅ぼしてやったぞ――』
それは長年抱き続けただろう恨みだった。
だが世界を滅ぼした。
この世界は無かったことになったのだ。
『流石は我々の見込んだ力だ……同志ナージャよ。我々の長年抱き続けてきた恨みは漸く晴れようとしている』
これで世界中の人間たちを別の世界へと放り込めば、彼らの復讐は完遂されるのだ。
復讐心が満たされていく。
『ふはははははぁっ!!!』
勝ち誇ったように大声で勝利の声を張り上げる金色の目をした首だったが、しかしまだ異変に気づいていなかった。
『そう思うだろう、同志リンチ――』
『ええ、同志』
リンチが頷く。
『長かった……あまりにも長かった……』
長年思い続けてきたこの瞬間に感極まったのか、上手く言葉が出ないでいる。
『私たちをこれでもかと言うくらいに理不尽に扱ってきたあの世界の人間たちに、これでやっと復讐することができる……』
故郷から拉致同然に連れて来られたことへの恨み、戦争が終われば召還してやるという口約束の反故、そして別の召喚者をけしかけられ殺されかけた記憶。
だが、それも今日で終わりだ。
世界は滅びた。
それも自分たちの手によって。
『これでこの世界の人間たちを別の世界へと移住させることができれば――』
だが、おかしなことに気づく。
『同志……人間が、どこにも見当たらないのだが?』
『えっ!? そんなはずは――』
「世界が滅びたのにか?」
と、戸惑う彼らへと声が聞こえた。
但し同志と呼ぶ声でも、ナジェージダのものでもない。
『え……?』
声だけが聞こえる。
誰の――ナジェージダを帝都で打ち負かし、リンチの張った魔法陣を壊した、あの憎き銀髪の声だ。
「お前は、世界を無かったことにした。それなのにまだあの世界の人間が存在していると思っていたのか?」
まるで嘲笑うかのように、アリカの声がリンチたちの耳へと響く。
『何っ!?』
『何ですって――』
思わず声をはもらせる二人の声に、アリカが言った。
「世界って言うのは、全てが揃ってはじめて世界になるんだよ……世界に実体なんかない。そもそも世界と呼べるものはこの世に存在しない」
世界には実体がない。
まるで自分たちが作っていたズメイのように。
「だから――お前たちの復讐対象は、既に存在しないのに、それでもまだ復讐を望むのかい?」
アリカが問う。
「世界は全てつながっている……一人では何もできない。自分もまた世界をつくる要素だからだ。お前らは元は異世界から来た人間なのかもしれないが――」
声が次第に大きく頭の中へと響き渡っていく。
「長い年月をかけて、お前らはあの世界に溶け込んでしまった。お前たちもまた、あの憎き世界を構成する要素になってしまったんだよ」
『そ、そんな……』
リンチの震える声がする。
『う、嘘をつくなっ!』
もう一人の方が怒鳴りつけた。
『我々は召喚者のはず――』
「勿論、お前たちは召喚者だった。それは間違いない」
アリカの声は肯定する。
召喚者とはこの場合、異世界人を指す。
ではどうして彼ら異世界人が別の世界を構成する要素になってしまったのか、彼らの疑問にアリカは述べた。
「ルールの問題さ」
『?』
首を傾げる彼らに、言葉が続いていく。
「世界が誰かを、何かを世界の一員だと認めるそのルールが、ボクたちの故郷とこの世界では違うんだよ」
『――』
『あまりにも長い年月が過ぎてしまったから、か?』
「それもあると思うけど――でも多分そうじゃない。この世界がボクたちをその一員だと認めたからなんだと、ボクは思うよ」
世界が、自分たちをその一員に認めた?
リンチたちが混乱し始めていた。
「恐らくこの世界で複雑に絡み合った因果で、魂の出自とかに関係なく、この世界を構成する要素になってしまうんだよ……」
『……そんな』
『じゃあ、私たちは……』
「きっと召喚者を召還する方法がないのも、一度受け入れた人間が世界に科せられた宿命を果たすことによってこの世界の要素になってしまうから、帰ることがそもそもできなかったんじゃないかな?」
ある意味非常に厄介なルールだった。
『それじゃあ、それじゃあ私たちは、憎き世界と命運を共にすることになるって言うのっ!?』
リンチが悲痛な叫びを上げる。
「そうかもしれないけど、でも世界を滅ぼしたのは、無かったことにしたのはお前たちだろう。それはつまり――」
『……っ!?』
次第に自分たちの存在が薄くなっていくことに気づくリンチたち。
当たり前だ。
世界を無かったことにしたのだから、その世界の構成要素となった彼女たちは、当然ながら無かったことになる。
最早復讐どころではなかった。
「あまりにも長い年月が、その間にお前たちがしてきたことが、世界の様々な因果と絡み合って、世界と不可分の関係になってしまったんだろうな。このまま行けばお前たちもめでたく世界と一緒に無かったことになる」
『それじゃあ、私たちはどうすれば……』
「ボクが思うに、全ての因果を解消すれば、恐らく世界から出ることができると思う。具体的にはお前らがあの世界でしてきたことと正反対のことをもう一度やることさ」
それは膨大な関係性を全て解消することに等しかった。
不可能と言っていい話だった。
「だから――」
そして結論を口にした。
「まずは世界を、元に戻そう?」
銀色の光が迸る。
一度〈無〉になった世界が、光とともに形をなしていく。
荒野と化したはずのウラジドゥラークも、破壊されたはずの帝都も、以前の姿を取り戻している。
ウラジドゥラークの街には、人がごった返していた。
その中で数人の姿が人目を引いていた。
即ち、アリカであり、エリーナであり、無かったことにされた弓使いであり――
「お、おい?」
「あれ、リューバじゃないか?」
「お、リンチもいるぞ?」
暫く街を離れていた二人の姿に、街の中から声が沸きあがる。
が、それ以上に、街の住民たちを沸かせたのは、アリカだった。
「おい、あの銀髪は――」
「あの時の聖女様じゃないかっ!?」
住民たちの歓声が、いや狂信的な叫びが街全体を包み込んでいく。
世界はこれで救われた――
「いや、違うっ!」
と、アリカが叫ぶ。
そう、まだやらなければならないことが残っていたからだ。




