「ズメイ……」
久しぶりです。
それはそうと、多頭の怪物って何考えているんでしょうかね?
宙を舞う絨毯の上で佇む五人と一本が、上空から街を鳥瞰していた。
ウラジドゥラーク、それがこの街の名だ。
謂わずと知れたリュボーフィーの故郷、アリカは二度目の、他の者にとっては初となる景観。
「何だか、懐かしい街並みなのね」
弓使いの口からそんな感想が飛び出た。
確かに、この街は滅ぼされたであろうイポニアの遺民たちが作った街、元イポニア人である彼女にしてみれば、懐古的な風景なのだろう。
街を取り囲む石組みの城壁、地面を覆う石畳と煉瓦造りの家々……帝都の地下に眠っていた街を想起させる。
少なくとも、現在の人族の盟主であるニャポニカのどの街よりも立派な景観だろう。
ちょっと悔しそうに口を尖らせるエリーナ、それにエリヴィラ。
この街が首吊りの街でなければ、どれほど自慢できたことだろうか――などとリュボーフィーには悪いが思ってしまったアリカ。
帝都を出てからは殆ど一言も口を利いていない槍、それにリュボーフィー。
と、誰よりも早くこの街の異変に気づき声を上げたのはエリーナだった。
「ねえ、この街どこか変じゃないですか?」
そりゃあ、首吊り宗教を奉じている街なのだからまともであるはずがない――と、若干……いやかなり失礼なことを口にしかけたアリカが、次いで異変に気づいた。
「確かにおかしい……」
口に手を当てながら、アリカは上空から街を凝視する。
何がおかしいのか?
「何で……」
「何で誰もいないなのねっ!?」
弓使いの動揺する声が上がる。
そう……街は誰一人、猫の仔一匹見あたらなかった。
空を見上げればさんさんと降り注ぐ日差し、今は昼だ。
誰一人見当たらないというのはあまりにも不自然な光景と謂わざるを得ない。
「その、お引越しした、とか?」
人差し指を立てながら、推測を述べるエリーナ。
しかし街を放棄する必然性が果たしてあるのだろうか?
これまで見てきたであろう、ニャポニカのどこよりも、居住空間だけで考えれば住みやすそうな街なのにだ。
何より、街は放棄されたにも拘らず、一切の破壊を免れていた。
聳え立つ城壁も、石畳の路も、煉瓦造りの家々も。
また帰ってくるという前提なら、破壊はしないだろうが、この街はそもそもニャポニカ領内ではない。
皇帝の庇護を受けていない街が、無人になった途端、よそ者に略奪されないとも限らない。
大体癪なので、街を完全に放棄する場合は、悪用を避けるために、破壊するのが普通ではないのか、と。
だが、すぐにその答えだろう出来事を目撃した。
「下へ降りて調べて見るなのね――」
「いや、待ってっ!?」
弓使いがそう促したが、彼女のそれを止める手が前を横切る。
リュボーフィーだった。
「リューバ?」
どうしたのか、と耳目を集めたリュボーフィーが、指差した。
何を――鳥の群れだった。
何の変哲もない、どこにでもいるような鳥たちが隊列を組み、絨毯を横切って街の上空へと飛んでいく。
「……鳥が、どうかしたなのね?」
彼女が密かに飼っていた鳥たちだろうか?
そんな想像が駆け巡った時だ。
それは一瞬の出来事だった。
翼を羽ばたかせて、建物の屋根に止まろうとした鳥が――
「えっ!?」
「あっ!?」
「なっ!?」
驚きの声が響く。
二の句の告げないのか、目を丸くして身を強張らせていた。
屋根に止まろうとした一羽の鳥、それが足を触れた瞬間に、鳥の体が崩れだし、溶けるというよりは蒸発したに近い形で、消えてなくなってしまったからだ。
遅れて震える声が口々に漏れ出した。
「鳥が……」
「蒸発、した?」
「どうして……?」
しかしそれだけに終わらなかった。
異変を感じたのか、街の上空を飛んでいた鳥たちが街の外へと逃れようと翼を羽ばたかせた瞬間、まるで見えない壁でもあるかのように鳥たちの行く手を阻み、突然のことに体を打ちつけた鳥たちが地面へと墜落し――同じように蒸発したのだ。
「――」
それを見て、彼女らは直感的に理解した。
何故街に誰もいないのか、そして彼らがどこへ消えてしまったのかの答えを。
即ち、この街に足を踏み入れることは死を意味するという事実に。
ウラジドゥラークは、死の街と化していた。
リュボーフィーがキッとした目をして、口を真一文字に結んでいる。
そしていつもの水晶玉をどこからか取り出して、街へと翳した。
彼女の持つ魔法のひとつ。
これで、一体何があったのかを調べようということなのだろう。
ところが――
「えっ!?」
彼女の水晶が光らなかった。
「どうしてっ!?」
普段なら難なく水晶に映し出されるはずなのに、今日この日に限って不発というのも珍しい。
「リューバ、失敗なら誰にでもあるよ――」
エリーナがそう元気付けたが、リュボーフィーは更に難しい顔をする。
「ねえ――」
とのエリーナの問いには答えず、リュボーフィーがいきなり声を張り上げた。
エリーナにではなく、アリカへと。
「アリカ、今すぐ引き返してください――」
「リュ、リューバっ!? 一体どうし――」
突然の彼女の行動に、理解が追いつかなかったアリカが戸惑った顔で問いかけようとした、その時だった。
「――っ!?」
アリカは異変を感じた。
「引き寄せられているっ!?」
五人を乗せた絨毯が、街へと引きずりこまれそうになっていることに。
このままでは間違いなく街に飲み込まれる。
街へと触れた瞬間に、鳥たちのように骨さえも残さずに蒸発してしまう――
「拙いっ!?」
絨毯の端が城壁へと触れたかに思えたその時だった。
「――」
リュボーフィーが叫んだ。
直後、青い光が目の前を包み視界は一変した。
「……ここは?」
何もない空間の中でアリカたちは漂っている。
ただひたすら、果てがあるのかないのか、空間だけが広がっている。
異空間、とでも言うのだろうか、宙に浮く自分の体を実感しながら、辺りをキョロキョロ見渡すアリカ。
「ここは私の魔法で作った別の空間……」
リュボーフィーの声が聞こえた。
沈んだ顔のリュボーフィー、後ろには、エリーナや弓使いたちがやはり宙に浮いている。
「あの街は……」
その顔を曇らせながら彼女は言った。
「生き物を分解して、プラーナに変換した上で飲み込んでいた……」
震える声で。
「それだけじゃない。周囲のプラーナまで吸い込んでいて、だから私の魔法が使えなかったんだ」
声だけでなく、肩や膝までもが小刻みに揺れている。
「まるで……まるで――」
「リューバっ!?」
両手を肩で抱き寄せてから、アリカは大声で彼女の名前を叫んだ。
感情が昂ぶっていたのだろうリュボーフィーがそれを口にする。
「街が人を食べたみたいに!!!」
酷い顔になっていた。
「でも、どうして……」
リュボーフィーが呻いた。
「この魔法は――」
「ズメイ……」
思いがけずだろう、弓使いの口からその名前が飛び出した。
二人の視線がぶつかる。
「ズメイ?」
エリーナが首をかしげた。
「ああ……」
と弓使いがそれについて述べる。
「その昔、まだニャポニカができるはるか昔に、世界中で暴れまわっていた邪竜のことなのね。でも、何でそんな大昔のやつが、ずっと後にできたはずの街に……まさか――!?」
「復活……」
震えながらリュボーフィーが声を搾り出す。
「あいつは、ずっとその機会を狙っていたんだ――」
動揺、そして混乱。
集団で誰か一人混乱すれば、それは全員へと伝染し、混乱に陥るものらしい。
決していいとは言えない状況に追い詰められていた。
「どうすれば――」
と――
パン――と手を叩く音が耳に鳴り響く。
アリカだった。
「……アリカ?」
「どうした、なのね?」
「二人とも落ち着けって!」
そして手を伸ばす。
リュボーフィーと弓使いへと。
「ズメイズメイと、二人ともまるで知っているような口ぶりだけど……」
「「えっ!?」」
リュボーフィーと弓使いが、漸く気づいたのか、顔を見合わせた。
「ズメイを知っているのですか!?」
「それはウチの台詞なのね!!」
「あのさ……」
アリカが言った。
「もしかしてだけど、二人ともズメイ討伐に関わっていた、とか……?」
「そうですが――」
「だから何なのね?」
アリカの問いに二人がハッとした顔となる。
全てが繋がった、とでも言いたげに。
「「まさか――」」
今までどうして気づかなかったのか、そんな顔で互いを凝視するリュボーフィーと弓使い。
「あなた、あの時の……王女?」
「リューバこそ、ウチが召喚した聖女の……」
思わぬ形での再会(?)だ。
「ん……?」
と、何故だろう、ドラクルの話を思い出すアリカが眉を寄せた。
(ちょっと待て?)
ドラクルはその昔、ズメイを討伐した聖女だったと言う。
その時のイポニア王女が弓使いになり、自分がイルザに殺された後に黒猫に変えられ、今ここにいる。
(リューバの前世ってあの時の――ちょうどイルザがイポニアの王都を封印した時の魔法使いだったはずだろ?)
そして彼女にはズメイを討伐した聖女としての記憶がある。
(つまり――)
リュボーフィーが、殺された魔法使いであり、ズメイを討伐した聖女であるなら、彼女はドラクルでもあったということだ。
更に言えば、イルザはナジェージダであり、女勇者であり、無能の聖女と言うことになる。
では、ナジェージダを追って、ウラジドゥラークまできたら、ズメイに突き当たったのは何を意味しているのか?
再びドラクルの言葉を思い起こすアリカ。
イルザはズメイの力を取り込んだのだ、と。
だからこそ、アリカはナジェージダから力を剥ぎ取って封印した。
なのに彼女は黒髪のリンチとリュボーフィーが呼んでいた女性によって脱獄し、リンチのいただろうウラジドゥラークには生き物をプラーナに分解し飲み込んでいく術式がかけられている。
ある可能性が、アリカの脳裏に浮かんだ。
(ボクは……いや――)
大きく首を横に振る。
(ボクたちは踊らされていた?)
ボクたちの中には、リュボーフィーや弓使い、ニャポニカの皇族たちだけでなく、イルザさえも含めて。
では、誰に?
言うまでもないことだ。
ドラクルが『世界を救え』と発破をかけたのは、決してイルザからではない。
イルザもまた、踊らされていたからだ。
そう――はるか昔に世界中で暴れまわったと伝えられる邪竜に!
であれば、リンチとは誰なのか?
首吊り聖女を崇拝し、生贄を九十九人捧げたトンスラ頭の傍にいつもいたらしい女性。
それがどうして脱獄に手を貸したのか?
いや、それ以前に手を貸す動機が不明だ。
地表部分は全壊したとはいえ、地下の街は残っていた帝都の石牢の警備は、いくら浮かれていても厳重だったはず。
それを一般人が突破できる訳がない。
ある可能性が浮上する。
「まさか――」
「ねえ?」
と思考を遮ってエリーナが問いかける。
「ズメイってそれほどまでに恐れるものなの?」
何気ない問い。
「だって、前にアリカが村を襲った二つ首の竜を倒したじゃない?」
精神状態が不安定だったアリカは丸呑みにされたけれど、その後一方的に二頭竜を叩きのめした。
エリーナにとって、その光景が先立っていたらしい。
「違うなのね……」
弓使いが否定する。
「あいつは……ズメイは、絶対に倒せない相手なのね」
世界が終わったかのような顔をして。
「さて、やっと着きましたね」
走竜の足が止まり、目の前には洞窟が佇んでいた。
ボロ布をまとった金髪の幼女と、自分の髪を縒って作ったと思われる首吊り縄をかけた黒髪の女性という顔ぶれが、その向こうを望んでいる。
「この奥に、あなたがずっと昔に封印したであろうイポニアの王都があります」
黒髪を掻き分けると、リンチが洞窟を指差して言った。
「ただその前に、この洞窟にはちょっとした結界が張られていましてね」
「ふん――」
怪しげな相手でも見るように視線を向けてから、自信たっぷりにナジェージダが笑い、手を向けた。
「自分で張った結界のことを忘れているとでも?」
入ることはできても、条件を満たさなければ出ることができない結界だ。
封印した街を、聖女や勇者といった不確定因子によって解かれない保証もなかったために施したもの。
しかしもうこれも用済みだ。
ウラジドゥラークの住民たちを生贄にして彼女は力を得て、その力で以って、アリカが封じた力をも取り戻した。
全身にみなぎる途方もないくらいの、今までにない力に、彼女は酔いしれている。
絶大な力だといえた。
この世界の誰をも寄せ付けないほどの力。
「これで先ずはズメイを復活させる。次いで適当に世界中で暴れ回らせてから、あなたは機を見て王都の封印を解き、次いでズメイを倒す……」
リンチが囁いた。
「世界中に散らばったあなたの舞台装置を隠滅そて、あなたは名実ともに『世界を救った聖女様』!」
口元が緩み、ナジェージダが金色の光を放つ。
「それにしても――」
ナジェージダが問いかけた。
「お前は本当は何者なの?」
脱獄から始まり、封印された力を取り戻しただけでなく、街ひとつ分のプラーナまでも手に入れ、恐らくはあの銀髪をも凌駕するほどの力を自分に与えてくれた目の前の黒髪に、興味を抱いたからだ。
「私の分身というのは、偽りなんでしょう?」
「ふう――」
軽く吐息する音がした。
リンチのものだ。
「まあ、ここまでやってしまった以上、隠し立てする必要もないですね……」
にこやかな笑みを浮かべ、リンチがそれを述べていく。
「私はあなたと同じ……」
「私と?」
妙な事を言い出した。
「所謂、召喚者と呼ばれる存在ですよ」
「え――!?」
軽い悲鳴。
「じゃあ、あなたも……」
「そう、但し、あなたが召喚されたよりもずっと昔にこの世界に連れて来られたうちの一人なんですけどね」
どこか寂しそうな顔で彼女はそう言った。
「当時はこの世界は戦乱の時代でした」
「……そうなんですか?」
「はい、世界は各国に分かれて争い、ああ、人族だけではなく、他の種族も含めて、ですけどね」
つまり戦乱の時代に彼女はこの世界へと召喚されたと言うことだ。
「その時代は誰が世界の覇権を取るかで争っていました。だから各国とも、あらゆる手段でそれを勝ち得ようとしました」
「つまり、異世界からの召喚も含めて……」
「はい。各国の利益のために、異世界から召喚された異世界人。その一人がこの私です……」
次いでリンチは指を三本立てた。
「更に私以外に二人も、この世界は召喚したのです。みんなこの戦いに勝てば、元の世界へと帰してやる、なんて甘言に唆されて!」
「じゃあ、あなたは負けた国の?」
「いえ、私は勝ちました。何故なら、私を召喚した国、それこそが後の人族の盟主を称したイポニアだったからです!」
「え――っ!?」
再び悲鳴が起こる。
何故勝ったはずの彼女が、この世界に留まり続けているのか?
謂うまでもなく、イポニアが約束を反故にした、若しくは始めからできもしない約束をしたということではないか!
彼女もまた、イポニアの異世界召喚による被害者だったのだ。
(本当なら、私と同じだ……)
自分の境遇と重ねるナジェージダ。
「だから……私は世界を呪った。人族を恨んだ。この世界を滅茶苦茶にしてやろうって思ったんだよ」
力なく項垂れるリンチ。
姿勢が姿勢だけに、絞首刑を思わせる。
「でも、ダメだった……私以外の二人も、力を合わせて立ち向かったんだけど……」
彼女の頬が濡れていることに気づくナジェージダ。
「とっても悔しかった……自分はなんて無力なんだろうって!」
胸が痛み、自分の目が潤む
自分の受けた痛みが蘇ったのだ。
「私も……」
ナジェージダも口を開く。
「私も、イポニアに召喚された……わざと無能にされて! だから――」
だからその気持ちは分かるよ――そう言いかけた時だ。
「そう、だから私たちはあなたに力を貸した」
「……たち?」
聞き間違い、最初はそう思った。
リンチは一人しかいない。
だが、彼女は続けていく。
「私たちの復讐を邪魔したあの女を……そしてイポニアを憎んでいたあなたなら、きっと私たちの悔しさを分かってくれるんじゃないかって思って」
「……その女って言うのは?」
「――」
おそるおそる訊くナジェージダへと、リンチはその名を口にした。
「今、何て……!?」
体が強張った。
目を丸くして、信じられないといった表情を浮かべる。
それもそのはずだ。
リンチが口にした名前こそ、ナジェージダが赦せないと執拗に苦しめ続けた少女の名前だったからだ。
即ち、彼女の本来得るはずだった賞賛を掠め取ったあの聖女の名前――
「お前は……お前は一体……!?」
「ズメイ――イポニアの人たちは、私たちのことを、そう呼んでいましたね」
ナジェージダの顔が歪む。
但し憎悪や怒りからではない。
この感情が何かを、彼女は知っている。
恐怖――それが今の彼女を支配する。
「嘘……だよね?」
ナジェージダは問い質す。
しかし返答はない。
脳裏にははるか昔の、ズメイ討伐の記憶が蘇る。
(いや、恐れることなんてない!!!)
自分はあの銀髪を凌駕するほどの力を手に入れたではないか――かつての無能ではもうないのだ――その手を前に出した。
(先手必勝っ!!)
相手の隙を突き、弱点を狙うのは、戦術的に正しい。
目の前の黒髪がズメイだったなら尚更だ。
ところが――
「え……!?」
彼女の手は光らなかった。
それどころか、力が抜けていく感覚が襲い掛かる。
「何が――」
脱力感から地べたにへたり込むナジェージダを、黒髪が実に楽しそうに微笑んだ。
「世の中にはですね……」
黒い瞳が禍々しく光る。
「そうそう上手い話なんてないんですよ――」
靴音がいつもより耳へと響く。
髪の毛を掴まれ持ち上げられたナジェージダが悲鳴を上げた。
胸に手を突き刺されていたからだ。
「同志を、返してもらいますよ。そしてあなたには、今まで貸していた負債を払ってもらいましょう」
リンチが言い終わらない内に、ナジェージダの意識が途絶えていった。
 




