「行ってみるなのね。リューバの故郷へ」
「世界を守る?」
それに悪魔とは誰のことなのか、とアリカが眉を寄せる。
(あの村に造った防壁はちょっとやそっとじゃ踏破できないはずなんだけどなぁ……?)
防壁はかなり堅牢に造ったはずで、何よりもヘルマンが連れていた魔王の兵卒たちも村の守りに配備していたはず。
イルザ亡き後のこの世界では、果たして誰があの村を攻略できると言うのだろうか。
それだけの力を持っているのは、アリカの知る限りこの世界では、自分とリュボーフィー、そしてイルザくらいしかいない。
アリカには村の防壁を破壊し、エリヴィラと交戦した記憶などないし、リュボーフィーだってそれをする動機がないし、第一村の存在自体を知らないだろう。
ならイルザか?
だがイルザことナジェージダ・ウラジーミロヴナは、つい先日帝都の住民たちの耳目を集める中で処刑されたはずだ。
ご丁寧にも首を吊るされた後に、火あぶりにされて。
言うまでもなく、アリカによって力を剥ぎ取られているナジェージダに、この処刑から逃れる術などない。
(じゃあ一体誰が……?)
と――聞きなれない声がした。
『それについては我から説明する――』
「……っ!?」
眉を寄せながら首をひねるアリカが、エリヴィラの持つ槍へと視線を向ける。
ニャポニカの皇族が持つ、あの鳥を象った形をした槍だった。
「いやいや――」
(槍が喋った?)
『何か……不審な点でもあるのか?』
やはり槍が言葉を発している。
「……誰だ?」
訝しそうに目を細めて、アリカが問い質す。
『槍だ……』
あからさまに怪しい物でも見るような視線を浴びせるアリカへと、槍は平然とした調子で続けていく。
『と言っても納得しないだろうな』
当然だ――と頷くアリカ。
槍が何故人語を放つのかと問いかけているのに、『槍だ』と答えるのは、何の返答にもなっていない。
『まあ、このニャポニカの始祖、とでも言っておこうか』
「……ニャポニカの始祖だって?」
ニャポニカとは、リュボーフィーの前世でパーティを組んでいた槍使いで、イルザの生まれ変わりである女勇者に殺されただろう人物……
『まあ、好きに呼べばいいさ』
槍がはぐらかしながら言った。
が、残留思念を水晶に込めていた魔法が存在する以上、槍に思念を込めるのは原理的に不可能ではないはずだ、とアリカは思い直し、ひとまずニャポニカの始祖を名乗る槍の話を聞くことにした。
槍は実に悔しそうにそれについて述べていく。
『村を襲ったやつは、イーラと言ったか……お前が造った村の防壁を易々と取り壊して、村を守る魔王の投降兵たちを破壊していった……』
「壊した? ボクの造った防壁を?」
しかも魔王の投降兵を破壊して。
『ああ、易々とな。我も全力で立ち向かったが、全く歯が立たなかった……それもそのはずだ。何せやつはあの女勇者の力を持っていたのだからな』
それを聞き、アリカの顔が曇った。
「……女勇者の力、だって?」
イルザの残していた舞台装置は、まだまだ健在らしい。
それどころか絶賛暗躍中ではないか。
全く面倒なことをしてくれた――と苦々しく口を真一文字にするアリカの耳に声が飛び込んできた。
息を弾ませて、焦ったような声は、弓使いのもので、その隣にはリュボーフィーとエリーナの姿も見える。
「やっと見つけたなのね!」
と膝に手を当てて、息を切らす彼女らの顔色は、エリヴィラ同様にすぐれないものだった。
何と言うべきか余裕がない。
「どうしたんだよ、みんな――」
問いかけるアリカへと返されたのは、驚くべき答え。
「イルザが……」
「イルザがどうした?」
「イルザが生きていたなのねっ!!!」
「……はい?」
突発性健忘症にでもかかったのか、それとも単純な原始的否認か、一瞬だけ何を言っているのかと言う顔をしてから、遅れて理解がやってきて、アリカの口から叫び声が上がった。
「イルザが、生きている、だって!?」
そんなことはないはずだ、と目を剥くアリカ。
「あいつは昨日帝都中が見ている中で処刑されたはずだろ?」
首を吊るされ、火あぶりにされて、それでも生きているなら、そいつは人間と呼ぶべきではない。
プラーナの操作という力を持っていたなら、首を吊るされようが、火あぶりにされようが、殺すことは不可能に近いが、しかしながら彼女の力をアリカは剥ぎ取って、封印したではないか、と。
あれは力を失った彼女が自力で解くことのできる代物ではない。
騙されているのではないか、と言った顔のアリカへと差し出されたのは、弓使いが見つけたナジェージダの炭と化した腕。
すっかりと焦げて、カリカリの炭になっている……少なくとも傍目には誰もがそう思えるものだったが……
「これは昨日「処刑されたイルザの腕……でも違うなのね」
ちょい、と弓使いが指で突くと、腕はボロボロと崩れだし――
「……っ!?」
あっという間に形を変えていった腕は、焦げていたが辛うじて確認できたのは、ナジェージダが着ていたであろう赤い線の入ったドレスの切れ端を巻きつけただけの石材だった。
「……身代わり、と言うなのね?」
アリカもやった分身を作る魔法の応用だ。
自分のプラーナを得たものを、例えば着ている物とか靴とか、或いは髪の毛などでもいいのだが、それらを用いて自分の身代わりを作るということは、アリカにもすぐに分かった。
「分身を作って、イルザは脱獄した、そう考えるのが妥当だと思うなのね」
弓使いが言う。
ただ――
「でもどうやって!? ボクはあいつから力を剥ぎ取ったはずなんだ……」
そう、イルザ、もといナジェージダはアリカの手によって、プラーナの操作という力を剥ぎ取られた。
従って『神風招来』も『元素分解』もできないし、そもそも魔法自体が使えない。
分身を作ることは、だからできないのだと言わんとしたアリカだったが、今度はリュボーフィーがこの焦げた切れ端を前に水晶を翳す。
水晶が青く光を放ち、ゆっくりとではあったが何があったのかが映像となっていく。
映し出された映像は、ナジェージダの処刑の前日、彼女が拘留されていた石牢での誰も知らないはずの出来事だろう。
まるで糸の切れた繰り人形のように力なく項垂れて石の床にへたり込むナジェージダの前に、足音を立てながら近づいてくる人影があった。
「これは――」
薄暗い石牢は視界がよくないが、それでも分かったのはおかしな風体の女性が近づいてきたことだ。
「黒目で黒髪なんて、随分珍しいですね」
と言ったのはエリヴィラ。
『いや、それよりもだ、何だこのけったいな格好は?』
槍が突っ込みを入れる。
それは確かにおかしいと言わざるを得ない格好だった。
薄手の布地を体に巻きつけただけの服装もさることながら、何よりも特徴的だったのは、彼女の首に懸けられていた縄だ。
恐らく彼女自身の髪で編み込んだだろう縄は、結び目が上を向き、まるで絞首刑用のロープを思わせる形をしている。
「……」
アリカの顔が引きつる。
これを映し出していたリュボーフィーに至っては青ざめていた。
何故って、二人が嘗て見ただろう光景を思い出して。
「「パヴェシェンヌイ教……?」」
二人の声がはもった。
パヴェシェンヌイ教。
それはアリカが洞窟を抜け出して最初にたどり着いた街、ウラジドゥラークで信仰されていたであろうイカれた宗教。
アリカとリュボーフィーの出会いもまた異常な出来事だった。
街の入り口に吊るされた縄で首を括ったリュボーフィーをアリカが助けたその時の光景が蘇ってくる。
肩を震わせながら、リュボーフィーがその名を口にした。
「リンチ……何で彼女がここに?」
何故その名を知っているか?
それはあの街のトンスラ頭をした司祭の隣にいた女性に実によく似ていた、というかリュボーフィーの態度から本人であろう。
次いで声を上げたのはエリヴィラと彼女の持っていた槍。
動揺がもれる。
「彼女は――」
『こいつ、村を襲ったあいつじゃないかっ!?』
「……っ!?」
が、驚きはそれだけに止まらない。
「あ――これっ!?」
エリーナが指差したのは、リンチと呼ばれた女性が持つそれだ。
アリカがナジェージダから剥ぎ取った力を封印した石材を、彼女は手にしている。
どうやって盗み出したのかその石材を――叩き割ることはできなかったが、同時にどこからか取り出したナジェージダの着ていたドレスを手に取ると、それに息を吹きかけた。
次第に形を変えていったドレスが、ナジェージダの姿をとっていく。
黒い目が怪しく光を帯び、ナジェージダがそれに呼応する。
そして、身代わりを残しナジェージダは脱獄したのだ。
明らかとなったのは、処刑されたはずのナジェージダが、実は身代わりを使って脱獄し、その手引きをしたのが、この黒目黒髪の女性だと言うことだった。
「何で、リンチが……?」
混乱するリュボーフィーへと、エリーナが問いかける。
「ねえ、リューバどうしたの? 顔色悪いけど、大丈夫?」
リュボーフィーの顔は真っ青だった。
「さっきこの黒髪の名前を呼んでいたけど、もしかして知り合いなのかな?」
とエリヴィラも問いを口にする。
青い目が肯定するように頷く。
「私の故郷の司教にいつも付き添っていた人です……」
「なら――」
と弓使いが言った。
「行ってみるなのね。リューバの故郷へ」
その頃……ウラジドゥラークを前にして瘴気漂う森の中、足音を鳴らせながら道を往く人影が二つ。
ひとつはナジェージダのものであり、もうひとつはあの黒髪の女性のものだった。
帝都から不眠不休で走竜の背に乗って、ここまでどのくらい移動しただろうか?
「……それで、私をこんなところまで連れてきて、どうしようっていうんですか?」
ナジェージダが問う……いや問い質す。
石牢から抜け出してから、ずっとこの調子だったからだ。
単純に不気味だった、と言うのが、ナジェージダの偽らざる心境。
「まあ、確かに助けてくれたことにはお礼を言わなくてはいけませんが……でもあなた何者なんですか?」
未だ正体の見えない黒髪に、流石のナジェージダも薄気味悪かったらしく、あからさまに声を尖らせている。
非礼ではあったが、警戒心が先立った。
「私のことを知っている――」
「つれないですね」
走竜の足が止まった。
同時に後ろを振り向いた黒髪が口を開く。
彼女の顔はこれでもかと言うくらいの笑顔を振りまいている。
ただそれは、如何にも作り物といった感じの笑顔ではあったけれど。
「私のことをもう忘れてしまったのですか?」
「え……?」
突然の発言に動揺を隠せなかったナジェージダは、一瞬だが身を強張らせた。
こんなやつは知らない――目を泳がせるナジェージダへと、黒髪は畳み掛けていく。
「あなたは随分昔に、私を作ったじゃないですか。自分で作っておきながら、それを忘れるなんて、あなたも酷い人ですね」
「……?」
混乱がナジェージダを襲う。
思い起こしてみるも、しかしながら記憶の中に該当者と思わしき者はいなかった。
(私……いつ彼女を作った? 私が作ったのは、あくまで私の分身……こんなやつは知らない)
ナジェージダが、まだ無能と呼ばれていた時代の、ズメイを討伐してイポニアの王都へと凱旋してきた夜に作り出した分身たちのことを。
(私が作った分身は三体……)
そのひとつはドラクル討伐の際の魔法使いで、それは斧の勇者を『神風招来』で葬り去った後に魔王サルターンへと変えた。
もうひとつは修道女の服装をさせて、そいつは確かハスとスポットを作ったり、盗賊ギルドを作ったり、イェビー教を作ったりしたはずだ。
最後の分身は、イポニアの王都を封じた際に、遺民たちを引き連れて街を作った際に吊るされている。
(いや、間違いない……私はこんなやつを作ったりなんかしていない)
確かに、無能と呼ばれた頃の前世のナジェージダは、黒目黒髪だった。
しかしながら、そのくらいしか一致する特徴がない。
年齢も、容姿も、顔立ちでさえも、似ていない……にていないはずだ、と。
あまりにも怪しい……そう警戒心を露にするナジェージダだったが、黒髪の女性は彼女の気持ちを見透かすように言った。
「世界を救う……あなた自身の手で。それが望みなのでしょう?」
「……」
その気持ちは間違いない。
ナジェージダは無言で首を縦に振った。
「なら、すべきことはひとつです」
黒髪は口元を緩ませる。
「あなたが行くべき場所は、嘗てこの世界で人族の盟主を名乗っていた国の都が封印されている洞窟です」
「洞窟って……それは私がずっと昔に封印したヴォストクブルグのことを言っているのですか?」
問い質すナジェージダに、首肯する黒髪。
「その通りです!」
黒髪は顔を綻ばせ声を弾ませる。
「あなたはそこで何をすべきか……ズメイを蘇らせ、ヴォストクブルグを復活させ、世界を恐怖に陥れ……そしてズメイを倒す。本来の目的を漸く思い出しましたか?」
確かにそれは嘗て、ナジェージダが前世で望んだことだ。
しかし――
「でも、今の私にはそれを成し遂げるだけの力がない。力を剥ぎ取られてしまったのですよ?」
黒髪の手が持っていた石材を指差して吐き捨てる。
いくらズメイを復活させたところで、倒せなければ意味がない。
そして力がなければ自ら封じたイポニアの王都も復活はできないのだと。
が、黒髪の女性はナジェージダへと笑って返した。
「何を悩んでいるのですか? 簡単な話でしょう?」
怪訝な顔で黒髪を見据えるナジェージダだったが……
「だからウラジドゥラークを作ったのではないですか」と。
「……?」
言っている意味が分からない、そう首をかしげるナジェージダに、黒髪が不敵に笑った。
「ウラジドゥラークは街全体が巨大な魔法陣になっている……」
「……?」
やはり言っている意味が分からない。
「分かりませんか? ウラジドゥラークには、世界を救った聖女が祭られている。その聖女とはつまりあなたの分身……正確に言えばあなたのいくつか前の分身ですが……」
そんなことはどうでもいい、と黒髪が両手の指を弄びながら言った。
「この石材にかけられた魔法陣は確かに強固で堅牢、恐らくこの世界の殆どの人間には、これを破ることはできないでしょう、しかし――」
黒い目が光る。
「所詮は人格を持たない、命令を与えられただけの魔法陣に過ぎない。それ以上の力をぶつければ、こんなものは簡単に壊すことができる……」
「……?」
「あなたは、あの銀髪の幼女に敗れた……」
苦虫を噛んだような顔になるナジェージダ。
「そうですね……あの銀髪の持つ力はあなたの凡そ倍近くあった」
巨大な力を前にして、戦意を失った――それが実情だろうか?
「とはいえ、あの時の銀髪にはその力さえも使い切っていましたけどね……」
それは心の問題。
黒髪は続けた。
「力と力が真正面からぶつかれば、より大きい方が勝つ。それはもしあなたの力の方が大きければ、あなたが勝つということでもある――」
「それは……?」
「ウラジドゥラークそのものをあなたの力に変えるのですよ――」
「街を……力に変えるですってっ!?」
常軌を逸した発言に声が裏返る。
混乱するナジェージダとは対照的に、黒髪は非常に淡々としていた。
「その通りです。世界は全て、あなたのためにある。いやあなたのためにあるべきなのです!」
気のせいだろうか、森の中に彼女の声が木霊しているようだ。
「幸いにもあの街はあなたの分身である聖女を信仰している……自らの信仰している聖女が世界を救うために全てを捧げることを、彼らは決して厭わない」
世界を救う、その言葉がナジェージダの心を大きく揺り動かしていく。
そして止めの一言が黒髪の口から飛び出した。
「何故ならあなたは世界を救う選ばれた者なのだから――」
底知れぬ不気味さを感じながらも、ナジェージダは黒髪の言葉に引きずり込まれていった。
「街に施された魔法陣は、たった一箇所だけわざと欠いて作られています。足りない部分にあなたの血を一滴……いや正確には二滴ですが、滴らせれば魔法陣の完成です」
黒い目の誘惑がナジェージダへと迫り――ついに彼女は堕ちた。
「私は……私は選ばれた者――」
指を噛み、血が地面へと滴り落ちる。
「これを、どうすれば?」
ナジェージダの問いに黒髪が指差したのは、街の入り口に佇む二つのトーテムポール。
「あのトーテムポールの口に、それぞれ一滴ずつ血を滴らせるのです。そうすれば術式は起動して、あなたは比類なき力を手にすることができる――」
もはやナジェージダを阻む者はなかった。
血がトーテムポールの口に染みていき、吸い込まれていった直後、街全体に光が迸った。
それは魔法陣の形をなしてき、更には街全体が真っ白な光へと包まれていったのだった。




