「お、おねがいです……じばくするなんてしにかたは……」
三人を絨毯に寝かせ、宮殿の屋根に佇む淡い金髪で左右色違いの少女と対面を果たしたアリカ。
怒り一色に染まった顔が、今の心境をはっきりと、何よりも裏表なく表していた。
悔しそうに頬を濡らしたまま気を失ってしまったエリーナ。
敵わないと分かって、命を賭してまで立ち向かい、敗れ去った弓使い。
何があったのだろう、心が壊れてしまったのか、虚ろな目が呆然と空を見上げるリュボーフィー。
(あいつが……あいつがイルザの生まれ変わり……?)
イルザだった頃の面影などはなかった。
強いて言えば、金髪であるくらいか。
アリカの心臓の鼓動がいつもより強く、速くなる。
それに全身が震えていた。
怒りからだ。
不思議と怖さを感じてはいなかったのだろう、震える手を強く握り締め、腰に差したジャンビーヤを一瞥すると、アリカが鋭い視線をナジェージダへと突き刺した。
同じくナジェージダも、目の前に突然現れた幼女に驚きを隠せないでいた。
(あいつは――!?)
絨毯の上でこちらを睨む幼女は、自分がたった今処刑するはずだった三人を死の淵から救い上げた。
(あいつは誰なのっ!?)
見たこともない相手に、予想外の出来事と見ず知らずの幼女の存在に、ナジェージダが混乱に足を踏み入れる。
ズメイを倒した聖女の生まれ変わりはリュボーフィーであるはずだ。
イポニアの王女の生まれ変わりは弓使いであり、赤髪の少女はニャポニカ皇族の末席で、自分を槍で突き殺そうとした槍使いの末裔。
では、向かい合いこちらを睨みつけるこの銀髪の幼女は?
はためき宙を舞う絨毯。
風になびく銀色の髪。
こちらを睨む灰色の双眸。
薄く幼女を包む光は銀色。
いずれもが今までに見たことのない特徴を具えている。
(分からない……)
だが、ひとつだけ言えることがある。
それは目の前の幼女が自分に敵意を持っているであろうことだ。
こちらを睨みつける目が、声に出さずとも、言葉にしなくても、彼女へと強い敵意を投げかけていることは理解に難くない。
絨毯から飛び立って、ふわりと舞うように宮殿の屋根へと着地したこの幼女に、ナジェージダは問いかけた。
「どうして私を睨むのですか? 私があなたに何かしましたか?」
「……」
幼女は質問に答えなかった。
ただ無言で突き刺すような鋭い視線をナジェージダへと放ったまま、ゆっくりと足音を立てて近づいてくる。
「私の質問に答えなさい! あなたは――」
鋭い口調で命じたが、返答はなかった。
苛立ちを募らせたナジェージダが白く光る手を、幼女の体へと近づけ、そして触れた。
「あなたが誰だか知りませんが――」
自分の邪魔をするのなら、本来なら手にするべき賞賛を阻む者は、何人とて容赦はしない――たとえ目の前の銀髪がたとえ取るに足らない幼女であっても――
パン――乾いた音が鳴り響いた。
痛みが走る。
ただそれは、ナジェージダの頬にだったが。
「え……?」
何が起きたのか、と目を丸くするナジェージダへと、目の前の幼女はその時になって漸く言葉を発した。
「どうして、みんなを殺そうとしたの?」
かすれた声、聞き取れるかどうかくらいの小さい声だったが、それが却って彼女に不気味な印象を与えていた。
が、不気味な印象も、それを遥かに上回る衝撃の前には、ないも同然。
平手で、まるで使用人でも叩くみたいに頬を打たれたこと、更に言うなら彼女の魔法を受けたにも拘らず、自壊も破裂もせずにいた幼女の姿を目の当たりにして。
「もう一度訊くよ?」
灰色の目が問い詰めてくる。
「どうしてみんなを殺そうとしたの?」
あどけない声。
ナジェージダが振りまいていた、あざといそれではない。
「この――」
白く光る手が再び幼女へと迫り、その体へと触れ――漸く何が起こったのかを、いや起こらなかったのかを、彼女は理解した。
(私の力が打ち消されていた!?)
ナジェージダの白い光が、銀色の光により掻き消されていたのだ。
(どういう……こと?)
だが、謎はすぐに解けた。
自分の力に抗うことのできる力は、たった一つしかないことを思い出して。
即ち自分の持つ力と同じ力――聖女の力を持つ者だけが、それをなしえるのだと。
同時に理解した。
この力を持つ者なら、本来なら自分にしか倒せないはずの、二頭竜や魔王の配下を倒すことができるだろうと。
いつも心のどこかで引っ掛かっていた、でもずっと捨て置いていた何かが取れ、ふとよぎった少し前にあっただろう他愛無い会話。
不死身の男と呼ばれていた盗賊王になるなどと宣っていた男マンスールが、邪視使いのファーティマを倒した幼女に復讐代行を持ちかけられた時の光景が蘇ってくる。
(そうか――)
自分はとんでもない思い違いをしていたのではないのか、そうナジェージダ心に焦燥が生じた。
「そう……そういうことだったんだね」
ファーティマを、マンスールを、ハスとスポットを、ヘルマンを亡き者にして、折角作り上げた魔王を討ち取ったとわざわざ戦場で叫んだのが誰なのかについて、ナジェージダは結論づけた。
「お前が……お前が、私が苦心の末に得るはずだった賞賛を奪い去ったんだね?」
衆人の耳目を集める中で、彼女はそう呟いてしまった。
感情が昂ぶり、冷静な判断を欠いていたのだろう。
「私が折角作った魔王を――ニャポニカの混乱を――」
帝都中に声が響き渡ってしまった。
観衆の耳目を集めている最中であることを忘れて。
「何だって?」
どよめきが、足元から湧き上がってきたことに、ハッと我に返るナジェージダだったが、しかし既に舌禍は起こってしまった。
ペンによって書かれたものは鉞を以ってしても打ち砕けないとか。
「魔王を作っただって?」
観衆から起こる声が次第に大きくなっていく。
「それにあいつ、どこかで見なかったか?」
「ああ、そういえばどこかで――」
「ほら、あいつだ!」
「何?」
「エリーゼ妃殿下の旗の下で、魔王と戦っていたやつの一人じゃないか?」
「どういうことだ?」
「それに見ろ?」
「えっ?」
「さっき吊るされそうになったのは、たった一人で槍を片手に魔王の兵から帝都を、我々を守ろうと飛び込んでいった皇族の誰かに似てないか?」
「えっ!? じゃあ、あの金髪は――」
不信を浮かべる無数の目が一斉にナジェージダへと向かっていく。
少なくとも、彼女にはそう感じた。
非難が自分へと向けられていく、その感覚にナジェージダは耐えられるだけのものを持っていなかった。
不安、恐怖、自分を蔑み非難する視線が彼女を苛んでいく。
(あの時と同じ――)
無能の聖女などと呼ばれ、邪竜討伐の足手まといなどと罵られた、辛い日々が鮮明に蘇ってくる。
そんなナジェージダの混乱を知ってか知らずか、彼女の目の前の幼女は、アリカは先ほどの質問を再度口にした。
「どうしてみんなを殺そうとしたの?」
普段のナジェージダならすぐに巧い返答を口にすることができただろう。
ところが古傷を抉られて混乱に陥った彼女に、それは不可能だった。
「……ろす」
かすれた声で呟き、怒りを露にしたナジェージダから、天を突くほどのプラーナが放出し、白い光が周囲を覆った。
彼女の魔法のひとつ、『元素分解』だ。
「殺してやるーーーーーーー!!!」
叫びとともに、光は宮殿を、半壊した街を、明け方の空を包み飲み込んでいった。
帝都は一瞬にして荒涼とした大地へと変貌を遂げていく。
白い光が止み、辺りは次第に明け方の明るさを取り戻していくと、傷つき倒れ、呻きながらもがく帝都の住民たちの姿がそこにあった。
「私を……私をそんな目で見るからですよ――ッ!?」
嘲ろうとしたナジェージダがったが、その直後先ほどとは反対の頬に痛みが走る。
乾いた音とともに。
目の前には銀髪の幼女が……殆ど無傷で立っていた。
「な……何でッ!?」
何故自分の魔法が、力が効かないのか?
周囲に転がる有象無象たちにはしっかりと効いて――
(おかしい――)
違和感に気づく。
自分が衝動的とはいえ放った『元素分解』の魔法で、帝都の住民たちが呻く程度の傷で済んでいると言うことに。
ほぼ全ての方向から追い詰められたことを、その時になって漸く気づいたナジェージダの顔に焦りが、続いて恐怖の色が浮かんだ。
「あなたは……」
震える手を向けながら、ナジェージダは言った。
「あなたは一体――」
「ボクはアリカ」
灰色の目が強い意思とともにキッと睨んだ。
その目を、アリカの仕草を、雰囲気を、目の当たりにして、ある人物の顔がナジェージダの脳裏に浮かぶ。
青い髪、鎧を身にまとい、戦斧を手に持って、かつての自分が達成不可能だっただろう無理難題を、それでもやり遂げた少年のそれを。
世界を救うと言う自分の最初の目的を挫き、苦心して作った魔王ドラクルを遂には討伐してしまったあいつを。
「まさか……」
「ボクの質問にちゃんと答えてもらおうか。ナジェージダ――いや、イルザ・ストローマン!」
「斧の……斧の勇者!?」
ナジェージダの声が響き渡った。
混乱する顔で、かつて自分かそう呼ばれただろう名を口にするナジェージダを前に、アリカはしかし微動だにしていない。
「ボクの質問に答えてよ。どうしてみんなを殺そうとしたのかを!」
「はぁ……」
ナジェージダが何とか平静を装いながら大きく溜息をついた。
「あなたもしつこいですね……これは、償いなんですよ」
鳥を象った杖をかざし、色違いの双眸がアリカを捉える。
ただ、その声は震えていた。
動揺を隠しきれていなかった。
「この人たちが、私に何をしたのかを、教えてあげましょう」
彼女は言った。
そう、何も間違ってなどいない。
自分は正しいのだ、そう自分へと言い聞かせながら。
「先ずはそこの栗色の髪、弓使いは前世で私をこの世界へと召喚した。それもわざと無能にして! 私を召使のように扱ったし、幾たびも失敗を理由に足手まとい呼ばわりして、殺そうとした!」
アリカはただ黙ってそれを聞いていた。
「そこの赤髪の皇族は、前世の私へと槍を突き立てた槍使いの末裔」
「……」
「何よりも赦せないのは、あの聖女の生まれ変わり……私が本来得るはずだった賞賛を後からやってきて横取りして、その後も私が賞賛を得るための努力にいちいち邪魔ばかりしてきた」
「……」
「だから私は賞賛を得たい、得なければならない。それで彼女たちに償ってもらっているんですよ。その義務が彼女たちにはある。例え何度生まれ変わったとしても――」
「なあ?」
アリカが問う。
「何でお前は賞賛が欲しいんだ?」
異邦人でも見るような視線が返ってくる。
「そんなの……そんなの決まっているじゃないですか! 私は選ばれた者でなければならない――」
「はぁ……」
とわざとらしくナジェージダの真似をして大きく溜息をつくアリカ。
「お前はとっくに選ばれた者だよ」
「え……?」
その意味が分からない、と首をひねり半ば期待の篭った視線を送る彼女へと、アリカは言った。
「選ばれた者ってのは、社稷の贄、つまり生贄を指すんだよ」
「はぁ……?」
と今度はナジェージダの溜息が漏れる。
「お前がどうして選ばれた者でなければいけないのかをボクは知らないけど――」
「黙りなさい!」
鋭い声が耳を劈く。
「償いはまだ終わってはいない! 復讐は個人の不可侵の権利。あなたに邪魔する権利などないですよ!」
「なるほど……」
アリカは言った。
「分かったのなら――」
「じゃあ、ボクに対しての償いを、今から求めようか?」
「ッ!?」
思ってもみなかった言葉が飛び出したことに、ナジェージダが固まる。
「イルザ、お前がボクに対して何をしてきて来たのかを忘れた訳じゃないよね」
「こいつ……」
単純だと侮っていた相手からの思わぬ反撃に思えたのだろう。
ナジェージダの表情が見る見るうちに歪んでいく。
(こいつは危険だ――)
本能的な直感が彼女へと告げる。
この場合どうすればいいのか?
自分が道義的に責められたのなら――寧ろ相手の非を責めればいい。
「ああ、そういえばあなたも、私から賞賛を奪った一人でしたよね。寧ろ償うべきは私に対してではないのですか?」
眩いばかりの白い光を放ち、ナジェージダの手が再びアリカへと迫る。
「私が折角作り上げた魔王を、あなたは討伐してしまった。それも二回もです! これは赦せる事ではありません!!」
もとより、常識的な返答が期待できる相手ではなかった。
徹頭徹尾身勝手な発想が、ナジェージダを、女勇者を、イルザを、そして無能の聖女の根幹をなしていたのだろう。
(排除しなければならない――)
しかし目の前の相手には『元素分解』をはじめとして、彼女の力は全く効かなかった。
が、奥の手は残されている。
『神風招来』が。
先ほどの『元素分解』で大分力を使ったナジェージダだが、それ以上に疲弊しているアリカ相手に遅れをとることはないだろう、そんな計算があった。
今持てるプラーナはそれでも数倍の差はあるはずだ、と。
すぐに今後の計画を立て直し始めた。
(もういっそ、帝都そのものは滅ぼしてしまえばいい――)
ニャポニカを滅ぼすのは本来の目的でもない。
イポニアの王都を復活させ賞賛を浴び、その後に世界中をイポニアが併合すれば、自分は世界を救ったとしてその名を刻み続けることができる。
事実を知ってしまった帝都の住民たちは今ここで皆殺しにでもすれば、事実が世に知れ渡ることはないだろう。
この幼女を使って、帝都そのものを消し去ってしまえばいい、と。
白く光る手がアリカへと触れ――
「……!?」
が、その第一歩で、ナジェージダの新しい計画は躓いた。
「何で……?」
白い光を帯びた手は、間違いなくアリカへと触れたはずだった。
にも拘らず、平然とした顔でこちらを見るアリカ。
そして何も起きない現実は嘘ではなかったことを思い知る。
「まずは――」
灰色の目がナジェージダを睨む。
「これは返すよ」
「えっ!?」
軽い悲鳴が起きると同時に、白い光が次第に変色していく。
銀色の光がナジェージダを包み込んでいった。
「え……ちょっとっ!? 私に何をしたのっ!?」
「お前がボクにしようとしたことさ。どうせまた『神風招来』でボク使って帝都を消し去ろうとでも考えたんだろ?」
図星を突かれ、顔を引きつらせる。
「この魔法は、相手のプラーナを使って自爆させる……」
ナジェージダが恐怖を浮かべた。
「嘘、だよね?」
「お前がボクに使おうとしていたのが別の魔法なら、自爆はしないはずだけど――」
ナジェージダを包む光が更に激しく光っっていく。
「く、何これ? 解除できないっ!?」
半狂乱で叫ぶナジェージダ。
「おねがい、たすけて……」
今更の命乞いだった。
「と言ってもなぁ……」
アリカは言った。
自爆する恐怖がナジェージダへと襲い掛かっていく。
膝が震えて、目を潤ませながら、彼女の足元は濡れていた。
「い、一緒に、魔王を倒す旅をしたじゃない――」
「したね。最後にお前に殺されたけど」
「こんな小さな子をころそうっていうのっ!?」
「でもお前、そんな小さな子をさっき殺そうとしたじゃないか」
「お、おねがいです……じばくするなんてしにかたは……」
体が宙へと浮かび上がっていく。
「い、いや……」
体の内側が次第に熱くなっていく。
「いやああああーーーーーーー!!!」
悲鳴が帝都を木霊して、爆発する瞬間――しかしそれは不発に終わった。
「この小心者が……」
顔を引きつらせ、脚を濡らしながら気を失ったナジェージダの髪を掴みながら、アリカが勝利宣言した。
「さてと……」
やっておかなければならないことがいくつかあった。
「これでいいか」
地面に転がっていた石材へと目をやる。
ちょうどいい大きさのそれを手に、もう片方の手でナジェージダを掴み、銀色の光を帯びた石材で彼女を打ち付けた。
もやっとしたものがなジェージダの体から出て行く。
そう、彼女の力の正体を、アリカは引き剥がしたのだ。
「お前はこの中にでも入ってろ」
ぼんやりと虚ろ気に漂うそれを、アリカは石材の中へと押し込んでいく。
更に自分の指を噛み、その血で石材へと魔方陣を描いていった。
カタカタと音の鳴り響かせながら、石材は次第に動かなくなっていき、遂には地面へと転がった。
「これで……」
ドラクルとの約束の半分は果たせた――とアリカの足元はフラフラだ。
「ボ、ボクも、そろそろ限界だ――」
力を剥ぎ取られたナジェージダは、既に脅威ではない。
後は帝都の生き残りたちが、裁くであろう。
彼女は被告として裁かれる立場となるのだ。
次いでアリカの体は地面へと吸い寄せられ、音を立てて倒れ、彼女の意識はそこで途切れた。




