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「時間がありません。あいつは悪魔だ――」

今回は少々グロ描写があります。

苦手な方はご注意ください。

 「何故だ……」


 動転した声が漏れる。

 体は小刻みに震えていた。

 灯る明かりも、夜風に吹かれて揺れながら今にも消えそうだ。

 項垂れるのはエリク、このニャポニカの第二皇子だった。

 手が血まみれになり、足元に散らばる家具の破片や、穴が開いた壁が、いかにエリクが興奮していたかを物語っていた。


 「何で、何でいつも兄貴の思い通りになるんだよ……」


 どういった天の配剤なのか、或いは自分への試練なのか、どちらにせよエリクにとっては、折角の魔王襲来という自分が帝位に就くための千載一遇の機会を実兄に横取りされたことにかわりがない。

 憎悪がふつふつと湧き上がる。

 全ては自分の思い通りになるはずで、ならなければならない――何不自由なく育っただろうエリクには誰もが傅き、首を垂れ、いかなる無理難題さえも目下の者たちが叶える、そう思っていた。

 だが、それでも思うようにならないことはいくつかある。

 そのひとつが実兄のエリオだった。


 「俺は……また負けるのか?」


 兄に一度も勝ったことがないのは何故なのか?

 同じ皇帝の子で、同じ腹から生まれただろう自分が、無能とさえ呼ばれているはずの兄以下なのか、とその劣等感を刺激されるのだ。


 「イーラを……エリーナといたあの銀髪を、兄貴は一体どうやって口八丁で丸め込んだってんだっ!?」


 その立場にいるのは自分ではなかったのか――だが、そうではないことにエリクは声を荒げた。


 「いや、違う……」


 次いでエリーナの顔が浮かんだ。

 必死になって、影魔法まで使って自分から銀髪の幼女を遠ざけた瞬間を。


 「あいつが……エリーナさえ邪魔しなければ、あの銀髪は俺のものになったはずなんだ……」


 そうすれば、魔王を瞬く間に葬り去るほどの戦力が、自分の手駒となっていたはずで、魔王討伐の功績者は彼女であり、彼女を動かした自分こそが次の皇帝の座に相応しいことを低国内外に示せたはずだ、と。

 しかしそうはならず、銀髪は兄の、或いはエリーナと行動を共にしていた。

 だから、エリクは口元を歪める。


 「だったら……」


 そのイーラという幼女を、自分のものとしてしまえばいいのではないのか――不気味な笑い声が漏れ出す。

 強い酒でも振舞って、へべれけになった頃合を見計らって、身と心を自分のものにすれば、最強だろう手駒を手にすることができる、などとよからぬ考えが頭を過ぎる。


 「ついでに、エリーナも――」


 そうすれば、二度と自分に逆らうことはないだろう、歪んだ笑顔でエリクは立ち上がった。

 どうと決まれば直ちに行動あるのみ。


 「エリーナたちは、確か今応接間の辺りにいたはずだ……」


 床の石畳のひとつをこじ開けると、年代物だろうか、秘蔵の酒が数本寝かされている。


 「これであいつらを酔わせて……」


 いろいろと発想がおかしいエリクだが、酒瓶を手に部屋から出て行く。

 勿論だが、アリカやエリーナたちが、瀕死のリュボーフィーを看護しているはずの応接間へ向かうためだ。

 靴音を立てながら、宮殿の廊下を歩いていく。


 「待っていろよ。俺の子猫ちゃん……」


 どことなく息が荒く、心臓の鼓動もまた速くなっている。


 「イーラさえ手に入れられれば……」


 エリオの手駒を奪ってしまえば、後は汚職官僚どもや邪教くらいしかエリオの味方になるものはいないはずだ、とほくそ笑む。


 「くくく……」


 邪悪な笑みをこぼしながら、エリクは応接間へと向かっていく。

 思い描くのはバラ色の未来だ。

 この世界では人族最大の国であり、盟主といっていいニャポニカの皇帝、更に言えば世界を脅かしていた魔王を討伐した国でもある。

 権威と権力、その両方を手中に収めることができ、後宮には帝国各地や外国などから集められた様々な種族の幼女が集うハーレムが自分を、未来の皇帝であろうエリクを待っている。

 耳長族や獣人、時には魔族をも含め、勿論だがニャポニカ人だけでなく、他の小国からも献上させた美幼女たちを侍らせ、世界を思いのままにする――そんな妄想がエリクの身を焦がした。


 「兄貴を廃せれば、俺が皇帝になることができる……」


 エリーゼやエリーナなどどうにでもなる、と。

 そして今どこで何をしているのか、第一皇女のエリヴィラだが……


 「俺は年上には興味ねえけど……」


 ヘルマンを倒した銀髪の事を報せたのは、エリオの言うとおり、彼女であろう。

 まだ生かしておいても役に立つだろう、と算盤を弾いていく。

 と――

 暗い廊下の向こうから何の音だろうか、実に耳障りな声が聞こえてきた。


 「――っ!?」


 奇妙な音と、叫び声が、微かにだが自分の耳へと飛び込んできたことを、エリクは聞き逃さなかった。


 「……何だ今の声は?」


 女の叫ぶ声に間違いはない、と眉を寄せる。

 今は夜だ。

 戦勝で昂ぶった気分を落ち着かせるために、誰かとお楽しみをしていることも考えられなくはない。

 でもその声は叫び声には違いなかったが、もっと悲痛な叫びだった。


 (魔王の兵に女がいた、とか?)


 だとしたら、女の悲鳴の前にまず男同士の野蛮な怒声が響き渡るはずだ。


 「いや、それよりも……」


 エリクは眉を寄せる。

 聞き覚えのある声だったことに。


 「あれは、エリーゼの声に似ていた?」


 忘れる訳がない、実妹の声に。


 「ああ……そうだ、よく似ていた」


 それは幼い日の記憶……宮殿の隅にある部屋で、泣き叫ぶエリーゼの声に。

 泣き叫ぶ実妹の頬を叩くのは、勿論だがエリク自身であり、声を荒げながら、彼女へと命令する。

 「着ているものを脱げ――」と。

 恐怖に引き攣ったエリーゼの顔は忘れることができない衝撃を、エリクへと与えた。

 床へと押し倒し、口元を押さえつけて、凍りついて、死んだ魚のような目になっていたエリーゼを好き放題した時に聞いたあの悲鳴に。


 「一体、何が――」


 悲鳴が止む。

 耳を欹てながら、鳥を象った槍で身構えるエリクは、何かが近づいてくる音を耳にした。

 床を引きずる音と共に、鋭く、だがゆっくりとした足音を響かせながら、少しずつ足音はこちらへと近づいてくる。

 かなり不気味だった。

 床へと酒瓶を置いて、半身になり槍の穂先を足音のする方へと向けた。

 そして――


 「っ!?」


 いつの間にか目の前にいた幼女の姿が目に飛び込み、エリクはギョッとして思わず槍で払いのけかけた。

 金属の跳ね返る音が耳を劈いた。

 幼女もまた手に持っていただろう杖で、それも先端が鳥を象っている杖で、エリクの槍を受け流したからだ。


 「誰だ、お前――」


 淡い金髪、それに青と赤という異なる瞳の色、白地に赤い線の入った修道服に似た衣装を羽織っている。

 エリクの問いには答えず、少女が口元を歪めたながら呟いた。


 「赤い髪……それに赤い目。ニャポニカの皇族ですね?」


 一瞬だが気後れする冷たい笑い。

 訝しむエリクが少女の足元へと視線を向けると――


 「っ!!!?」


 エリクの表情が恐怖の色を浮かべる。

 何故か?

 少女の手が掴んでいたのは赤い髪、それを束にして首に巻きつけた絞殺体を引きずっていた。

 見開かれた赤い目が、最後の最後で助けを求めるかのようにこちらへと視線を向けている。

 誰の――言うまでもない、ニャポニカの第二皇女にして、エリクの実妹でもある、エリーゼ・V・フォルクマンだっだ。


 「エリーゼ――っ!?」


 混乱がエリクを襲った。


 「お前、エリーゼに何をした……!?」


 そもそも誰なのか?


 「ニャポニカは、天命を失った……」


 生首を持つ少女が、唐突に言った。


 「な……お前、俺の質問に答えろっ!」


 だが、少女はそれに答えず続ける。


 「民草あっての国、民のいない国はない。人こそ財産なのですよ?」


 冷たい声だった。

 しかし笑っている。

 その目は全く笑ってなどいなかったけれど。


 「その人を蔑ろにしてきたニャポニカには、この世界から、そして歴史から、退場してもらわなければいけないですね?」


 彼女の言葉に、エリクは直ちに理解した。


 「お前が――お前が、エリーゼを殺したのか?」


 更に言えば、自分を殺し、ニャポニカを滅ぼそうとしているであろうことを。

 再び槍を構えると、少女へと穂先を打ち出した。

 回転が加わり、鳥の翼のような刃が石の床を、壁を抉っていく。


 「く――こいつっ!?」


 しかし少女にはかすりもしない。

 殆ど動かない少女にだ。


 「っ!?」


 槍の動きが止まる。

 少女の手に槍の柄が掴まれていた。


 「槍と鳥はニャポニカの象徴……確かそうでしたね?」


 少女の口元が歪む。


 「その昔、世界を脅かしていた魔王サルターンと戦い、そして破れた槍使いの一族が建てた国……でもそれも過去の話。今のニャポニカは腐りきっている。腐った柱は取り除けなければならない。そうでしょう?」


 「この――!?」


 槍を動かそうにも、少女の手が放さなかった。

 が、それよりもエリクが驚愕したのは、有り得ない出来事だ。


 「槍が……っ!?」


 槍の柄が溶けたのだから。


 「お前は一体――」


 エリクが叫びを上げるより速く、少女の手が彼の胸辺りに触れた。

 白い光がエリクから迸る。


 「な……っ!?」


 何が起きたのかが、全く分からないエリクの頭が真っ白となったその瞬間、破裂音が周囲へと響き渡った。

 遅れて激痛が胸の辺りに走り、石畳の床や壁へと臓器や血飛沫がぶちまけられたことに気づく。

 壁や床や天井に飛び散ったエリクの血や肉片、臓物などが生々しくこびりついていた。


 「ふふふ……」


 ほんのりと楽しそうに、愉快と言った感じで、床に倒れたエリクの頭を掴む少女の手。

 エリーゼのものだろう赤い髪を束ね、それをエリクの首へと巻きつける。

 見るからに絞殺体を装うとしている。


 「皇族の、この無残な死体を街中にでも晒せば、ニャポニカの権威など脆くも崩れる……」


 少女が喉を鳴らした。


 「確か、先帝の子供は三人・・……」


 『いや、それは皇位継承者の話だ』


 と、再び声が少女の頭に響いた。


 『それに三人ではない。五人いたはずだ』


 「じゃあ、後三人殺せば……」


 異なる色の双眸を光らす少女へと、しかし声が訂正を入れた。


 『仮にも皇族。たかが五人で済むはずがないだろう?』


 実に楽しそうに、声が囁く。


 「そうなの?」


 『そうだとも』


 じめっとした笑い声を響かせた後、声が恐るべきことを述べる。


 『赤い髪、赤い目はニャポニカ皇族の象徴……意味は分かるな?』


 「それは――」


 『赤い髪と目を持つ者を根絶やしにするのだ! 一人でも生き残ればニャポニカは復活してしまう。地上からニャポニカを消し去るには、皇族は皆殺しにしなければならない。何、大義はこちらにある! 腐ったニャポニカを消し去り、人々を救う……最終的に勝つのは我々だ』








 その頃応接間は、静まり返っていた。

 未だ目を覚まさないリュボーフィーと、力を使いすぎて倒れたアリカ、人の姿に戻った弓使いとエリーナの四人が、消えかかった灯火に照らされている。


 「ねえ、コーシュカ……」


 と震える声で口を開くのはエリーナ。


 「いつだったか、死にかけたアリカを助けたように、リューバを直せたりは……」


 「……無理、なのね」


 沈んだ声で弓使いが呟いた。

 悔しそうに唇を噛んでいる。


 「ウチが、黒猫の姿のままだったら、まだ後一回救うことができたけど……イルザに魔王に変えられ、その後アリカが『魔族転生』を解いてしまった今、ウチはもうただの人間なのね……」


 確かに、どこからどう見ても普通の人族の少女にしか見えない。


 「ウチは元々回復魔法も蘇生魔法も苦手なのね。お前は……使えるなのね?」


 「私が使えたなら、とっくにやっています!」


 思わず悲痛な声を上げるエリーナ。


 「……落ち着くなのね。ウチとお前でどうにかするしかないなのね……」


 しかしながら、事態は絶望的と言わざるを得なかった。

 二人とも回復も蘇生も使えない。


 「どうすればいいなのね……?」


 いくら黒猫の姿から戻れたとしても、問題が解決された訳ではない。

 依然としてイルザはまだ何かを企んでいるだろうことは明らかだろう。

 イルザに対抗できる力を、弓使いは持っていない。

 仮にこの状況で彼女に襲われでもしたら、逃げる術さえない。

 と……


 「コーシュカ?」


 身を寄せてきたエリーナを見て、異変に気づく弓使い。


 「どうした、なのね?」


 視線の先で、応接間のドアがガタガタと音を立てていた。

 身構える弓使い、それにエリーナ。


 「誰なのね?」


 ドア越しに問いかける弓使いに、その向こうから返ってきた返答に、エリーナが悲鳴を上げて身を強張らせた。

 目をギュッと瞑り、耳を塞いで蹲るほどに。


 「何なのね、この影は――」


 ドアの隙間からおぼろげな影が室内へと侵入し、それはまるで生きているかのようにうごめいて、ドアの鍵を開ける音を立てた。


 「おい、お前――」


 軋む音を立てながらドアが開き、その向こうから姿を現したのは――初老の男だった。


 「お願い、来ないでくださいっ!!」


 悲鳴を上げるエリーナだったが、


 「……」


 無言で室内へと足を踏み入れた男は、しかし直後に床へと倒れた。


 「お前、どうしたなのね?」


 血だらけ、それに胴体に大きく穴が開けられていたことに気づく弓使い。

 男の口から悔しそうに、嗚咽が漏れる。


 「……った」


 「一体何があったなのね?」


 「エリーゼ妃殿下を……救えなかった……」


 エリーゼの付き人で宦官のオットーだった。

 目元が悔し涙に濡れている。


 「お姉さまが……」


 エリーナが震える声で問いかける。


 「エリーゼお姉さまが、どうされたと言うんですか?」


 四つの赤い瞳の問いかけに、オットーが搾り出すように言った。


 「殺された……殺されたのです……」


 「「え――っ!?」」


 誰に、そう訊くより早く、オットーはその人物の名を口にした。


 「魔象のハインリヒを倒した少女の片割れ……ナジェージダ・ウラジーミロヴナに――」


 「ナジェージダ……? まさか――」


 弓使いの顔が戦いている。


 「そいつは、そのナジェージダとかいうのは、金髪で赤と青の目の――」


 「そうです、そいつがつい先ほど、ニャポニカをこの世から消し去ると口にして、エリーゼ妃殿下を殺したのです」


 「でも、何でここに……?」


 エリーナからの問いに、オットーが訴えかけるような目を向けた。


 「私めがこんなことを口にする資格はないかもしれませんが……それでも言わなければならない。あなただけでもお逃げください、エリーナ妃殿下!」


 「逃げるって?」


 「ナジェージダは、もうそこまで迫っているのです!」


 血だらけの手で、エリーナの手を掴むオットー。

 凍りつく二人の少女。

 暫しの沈黙を破ったのは、ゆっくりとこちらへ向かってくる足音だった。


 「時間がありません。あいつは悪魔だ――」


 灯火が鳴る音、夜風が石の壁に吹きすさぶ音に混じり、靴音と共に近づいてくるのは、何かを引きずる音だ。

 生々しい、それにぴちゃぴちゃと立つ水滴がこぼれるようにも聞こえる。


 「あなたさえ生き残っていたなら、ニャポニカは滅びない――」


 が、オットーの訴えも虚しく、冷たい笑いが三人の耳へと飛び込んだ。


 「赤い髪……それに赤い目……」


 靴音が止まり、少女の声が壁に木霊する。


 「ニャポニカの皇族の特徴だねぇ……」


 エリーナの野生の勘が告げる。

 こいつは非常に危険だ、と。

 弓使いの顔が凍りついた。

 自分を魔族へと変えたあの少女の姿を目に焼き付けて。

 薄暗い部屋に仄かに灯る明かりが彼女の姿をおぼろげながら明らかにする。

 淡い金髪、赤と青の異なる色の瞳、白地に赤い線の入った修道服に似た衣装と鳥を象った杖、それと彼女の手が掴む赤い髪の先にあるものを。


 「お姉さま……それにお兄さままで……っ!?」


 言葉を失うエリーナが見たのは、まさに悪魔というべき少女の姿だった。

 返り血を浴び、底知れぬ不気味さを纏った笑みを向ける、ナジェージダ・ウラジーミロヴナの姿に三人は凍りついた。

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