「ズメイを復活させる、ですって?」
更新遅れてすみません。
宮殿の空いた部屋の片隅、廃材を利用して作られた簡易ベッドの上では、一人の少女が眠りについていた。
リュボーフィー・ペトロヴナ、それが彼女の名前だ。
全身に傷を負い、髪の毛もあちこちが焼けてしまっていただけでなく、今の彼女は生命力そのものが尽きようとしている。
自分の持つ、全生命力を懸けて魔法を使った代償と言えるだろうか?
その横には、アリカ、エリーナ、弓使いの三人が、取り囲むようにリュボーフィーへと付き添っている。
三人とも、爆心地の近くにいたからなのか、殆ど半裸と言っていいくらいに衣服が破れ、傷を負っていた。
「……」
深刻そうに険しい顔をするのはアリカだった。
「アリカ……どうなのね?」
「リューバは、助かるんだよね?」
語りかける四つの赤い目に、だがアリカは首を横に振る。
「……ダメだ、プラーナの絶対量が足りない」
リュボーフィーへと触れるアリカの手から放たれる光も、微かなくらいに弱まっていた。
リュボーフィーの命を懸けた魔法と、突如振る注いだ『神風招来』この二つの力が、アリカのほぼ全力と言っていい力を僅かだが上回っていた。
二つの巨大な力を、それでも最小限の被害へと食い止めたアリカだったが、結果として帝都は半分ほどが消し飛び、宮殿もまた半壊していたと言うのだから、威力の大きさが伺える。
なのでプラーナが底を尽きかけている今のアリカでは、昏睡状態のリュボーフィーを救うことが絶望的だった。
「ア……アリカの責任じゃない、なのね」
「そうだよ。空からあんなのが降ってくるなんて、誰にも予想できなかったことだよ」
その通り。
だが、アリカにとってそれは何の救いにもならない。
プラーナは全ての根源、これが尽きかけているということは、生命が危ういことを意味している。
どうすれば助かるのか――言うまでもなく、プラーナをどこからか手に入れるしかない。
でもどこで?
自然回復するのを待つ、だがアリカですら全回復するのにどのくらいかかるだろうか。
況して瀕死のリュボーフィーがそれまで持ちこたえられるのかと訊かれるなら、恐らく無理と言わざるを得ない。
アリカの足が震えていた。
もう立っているのもやっとと言うくらいに、力を使い果たしていたからだ。
「あっ!!」
思わずよろけたアリカを、エリーナが肩を貸す。
「アリカ、もう休むなのね……」
と弓使いが見ていられなくなったのだろう促した。
「ボクは、大丈夫だから……」
「顔がもう真っ青なのね。力の使いすぎなのね……後は、ウチが何とかしてみるから、休むなのね」
休めるか――と毅然として立ち上がろうとしたアリカだったが、力の根源たるプラーナはほぼ空になっているために、うまく立ち上がることさえもできなくなっていた。
「コーシュカの言うとおりだよ……もうフラフラじゃないっ!」
とエリーナまでもが不安を露にする。
実際、視界はかすみ、立っているのでさえやっとと言う有様だったのだから、無理もない話だ。
「ボクは……」
意識が飛びかける。
「助けなきゃ――」
が、そこで床に転がる音が鳴った。
アリカの意識が途切れたのだ。
その頃……皇族たちは荒れに荒れていた。
「世界を脅かしていた」魔王サルターンは、つい先ほど何者かの手によって倒され、その後起こった爆発により帝都は半壊したものの、世界は再び平和になるはずなのに、彼らは互いにいがみ合っている。
何故か――それは、誰がこの戦その主導権を握り、且つ最もこの戦争で貢献したかについての、所謂手柄を争ってのことだった。
「俺が、魔王から帝都を、そしてこの国を救おうと会議を開いたんだっ!」
テーブルを握り拳で力いっぱい叩き、そう怒鳴り声を上げながら主張するのは、第二皇子であるエリクであり、ラップルを震わせながら眉間に皺を寄せて、自分が最大の貢献者だと言わんばかりに残る二人へとこの「事実」を認めさせようと躍起になっていた。
「お言葉ながら、エリク殿下」
と、エリクの声に身を竦めていたエリーゼの後ろから、初老の男の甲高い声が異を唱える。
オットーだった。
「エリク殿下は、巨大な逆五芒星が宮殿へと衝突しそうになった際に、我先に逃げ出そうとしたではありませんか! エリーゼ妃殿下が、その場から離れなかったにも拘わらず、です!」
明らかにオットーの声はエリクを非難していた。
「本当なのか、エリク――」
と同じく非難の目を向けたのは第一皇子のエリオだった。
但し、迷宮で見せた怪しげな貝にも似た衣装ではない、エリクにも似たラッフルのある衣装を身に纏っている。
「何だよ兄貴……」
と睨み返すエリクが、兄エリオへと噛み付いた。
「兄貴こそ、こんな大変な時に、一体どこで何をしていたって言うんだよ? 俺たちが帝都を守るのに、どれだけ大変だったのかを――」
「イーラって子を探していた」
「あっ!?」
一瞬だが、エリクの表情が固まった。
「お前も知っているだろう? 数日前に帝都に送られてきた水晶に、ヘルマン・マイヤーを倒した銀髪の女の子の報せがあったはずだ」
「……ッ?」
エリクの顔は、兄貴も知っていたのか、とでも言わんばかりに引き攣っている。
まさしく、自分が手に入れようとして、エリーナと共に逃げられた少女の姿を思い浮かべるエリク。
それが、まさか自分が追い落とそうとしていた兄と行動を共にしていたことを知り、今にも暴れだしたい衝動に教われる。
「こんなことをするような人間は……まあエリーシャだろうが、私はその少女が間違いなく帝都だけではなくこの国をも守る存在である、そう確信して……ついに見つけたんだ」
とエリオは勝ち誇ったように言った。
「兄貴、そいつは俺が先に見つけたんだ!」
苛立ちながら声を荒げるエリクだったが、
「それは違うだろう?」
とエリオが訂正を入れた。
「何だと?」
「エリーナだ」
「――ッ!?」
エリオの言葉に、エリクは言葉を詰まらせた。
「彼女をここ帝都まで連れてきたのは、他ならぬエリーナだぞ? そのエリーナを……もとい、実の妹を、お前たちは前線に、しかもたった一人で向かわせたそうじゃないか!」
非難の矛先はエリーゼへも向いた。
「エリオ殿下――」
「エリーゼ、お前にも言っているんだ!」
「ひっ!?」
と恐々としていたエリーゼが悲鳴を上げる。
「近衛兵たちを見捨てて、臣民を危険に晒して、あまつさえ実の妹すら前線へと一人で向かわせる――お前たちは恥ずかしくないのかっ!?」
到底、あの間抜け面を晒していた、無能との噂だったエリオとは思えない采配だった。
「運よく彼女が……イーラがやる気になってくれたからよかったものの、そうでなかったとしたら、帝都どころかこの国だって魔王の手で滅ぼされていたかもしれないんだぞ!?」
「「……」」
最早何も言えなかった。
「お待ちください、エリオ殿下」
唯一冷静沈着だったのは、オットーだけと言う始末。
「エリーゼ妃殿下は、この国を救おうと、どれほど粉骨砕身なされていたかを、エリオ殿下は知らないのです! もし至らない点があるとしたら、私めの責任。エリーゼ妃殿下の責任を問うことはできないはずです!」
オットーはあくまでも補佐である自分の責任だと強弁する。
「それは違うぞ?」
とエリオが目を光らせた。
鋭い視線にエリクとエリーゼが圧倒され、オットーもたじろいだ。
「お前たちの悪い噂は聞き及んでいる――手当たり次第に幼女へと手を出す第二皇子と、残虐な処刑を娯楽としている第二皇女の噂をなっ?」
「「――!?」」
勝敗は決したと言えようか。
「お前たち二人を、幽閉に処す――」
「お待ちください、エリオ殿下っ!?」
凍りつく二人と、血相を変えるオットーを前にして、エリオはだが続けた。
「と、言いたいところではあるが……お前たち二人は、私の弟であり、妹である。これは変えられない事実だ」
兄弟姉妹の温情を与える――それはエリオの温情だった。
「名誉挽回の機会を与えよう……帝都の、この国の復興のために、尽力するのだ」
「…………」
ほぼ焦土となり、更地と化した帝都にて、ただ一人呆然と佇んでいる少女がいた。
ハニーブロンドの髪がまだ残る熱風に晒され、赤と青の異なる色彩の瞳が、絶望の二文字を宿している。
誰かと言えば、ナジェージダ・ウラジーミロヴナだ。
(……魔王サルターンが滅びた)
先ほどからひたすらこれを反芻し続けている。
長年にわたって作り上げてきた、自分が世界から賞賛されるための様々な舞台装置の、その中でも最大の魔王サルターンが、恐らく『あの憎き聖女』の手で葬り去られたことをだ。
(もう一度、やり直さないといけないの……?)
カードで作り上げた塔が、完成間近で崩れ去った虚無感にも似た感情が、ナジェージダの心をズタズタにしていた。
(何で……どうしていつも、邪魔が入るのっ!? また、魔王を作る……?)
が、魔王は一度滅びれば暫くは現れないという伝承までは弄っていなかった。
たった今、魔王が倒されたと言うのに、間髪入れずに再び魔王が現れたりすれば、流石にどんな人間でもおかしいことに気づくだろう。
(ここまでくるのに……一体何年かかったと思うのっ!?)
終わった、何もかも――と、唇を噛み締め、恨みに満ちた瞳が虚空を歪めるように射抜く。
あの後、爆心地へと足を運んだナジェージダだったが、怒りに任せて聖女を殺してしまったのだろうか、そこには何も残ってなどいなかった。
流石に無から有は作れない、と息を震わせる。
頭に血が上ってしまい、衝動的にやってしまった結果、次の魔王を作るにしても、その材料がないことを嘆くのだ。
「ちくしょう……」
全てがどうでもよくなっていく。
手に入れるはずのものが、するりと自分の手からすり抜けていくこの虚しさ……と、その時だった。
『何を嘆いている――』
どこかで聞き覚えのある声が耳へと飛び込んできた。
久々に訊くその声は――嘗て無能と呼ばれた時代に、イポニアの王宮で聞いた声に、実によく似ていた。
『希望はまだ失われてなどいない……』
「いいえ、もう私には何もない……」
と吐き捨てるナジェージダ。
『それは違う』
だが、声はそんな彼女の絶望を覆そうと誘導をしていく。
『お前は、確かに魔王を倒すことを失敗した。だが、魔王を倒した後、人族たちはどうなると思う?』
「……何を言っているの?」
魔王が倒されたその後は、論功行賞に応じて、様々なものが分配される。
爵位であったり、領地であったり、富や名声だったり……
『お前は忘れたのか?』
尚も執拗に、声が畳み掛けてくる。
『この国は、ある意味お前が作った国だろう?』
ナジェージダの脳裏に、過去の出来事が流れ込んでくる。
前世での、女勇者などと呼ばれていた時代の最後の瞬間をだ。
イポニアの王都で、聖女の生まれ変わりである魔法使いを『神風招来』で自爆特攻させた直後に、背後から槍使いに突き刺された。
「あいつは……」
そういえば誰の生まれ変わりだったのだろうか、赤い髪に赤い瞳の少女の姿を思い出す。
イポニアの王女でも、賞賛を掻っ攫った聖女でもない……とは言え、ドラクルを倒した斧の勇者では恐らくないだろう。
「まあ、いいか……」
今問題とすべきは、赤い髪と目を持つ少女の正体ではなく、彼女に自分が何をしたのかと言う話だ。
(胸の辺りから突き出た槍の穂先を見て、私はあいつに呪いをかけた……)
槍使いの少女を殺し、その魂を槍の中へと封じ込めたはずだ、と。
槍使いの魂を封じられた槍は、自分の弟だったか、兄だったか――どちらだったかは定かではないが――の元へ赴き、イポニアの遺民たちの一部を引き連れて、魔王サルターンから人族を守ろうとニャポニカを建国した、と。
『お前は……もとい、お前の分身の一人は、あの国を混乱させるためにイェビー教を作った。官僚たちに利殖に走るようにそれとなく誘導した。何よりも外戚たちをうまく誘導していった……』
「……何が言いたいの?」
要点を急かすナジェージダへと、声がせせら笑いながら答える。
『いいか? よく考えろ。今帝都は論功行賞で大わらわだ』
「……そうでしょうね、そうでしょうとも!」
が、欲しいのは爵位でも、領地でもない。世界を救ったという証と、自分が選ばれた者だという証明なのだ。
吐き捨てるナジェージダへと、しかし声が続ける。
『あいつらは、恐らく今回の魔王討伐の功績者について大きく揉めていることだろう。そこで何が起こるか?』
「そりゃあ……」
とナジェージダが自嘲気味に嗤った。
『そう、仲違いだ』
「その混乱に乗じて、敵対者を葬り去って、ニャポニカは平和になりました、めでたしめでたし――?」
実に面白くない、割と普通にある権力闘争に終止符を打つ、地味で魔王討伐に比べれば華やかさのないもの、投げやりに言ったナジェージダだが、しかし声からの提案は全く違ったものだった。
『悪い案ではないが、しかし違う』
との返答に、ナジェージダが首をひねる。
「どういうこと?」
互いにいがみ合う皇族たちの、誰かにてこ入れし、適当なのを皇帝へと据えて賞賛を得ることではないのか、と戸惑う彼女へと出された案は、実に恐るべきものだった。
『ニャポニカの皇族を皆殺しにするのさ』
「――っ!?」
思わず顔が凍りつくナジェージダ。
「い、いや、待ってよ?」
動揺する彼女が待ったと言葉を遮る。
当たり前だ。
自分を評価するべき存在を消してしまえば、賞賛など得られないのだから。
確かに、魔王討伐の夢がついえ、捨て鉢になりかけてはいたものの、しかし改めて世界を壊すとなれば、それはそれで躊躇せざるを得ない。
何より惜しい、と。
だが声は嗤い、次いで言った。
『いいかい? 皇帝という絶対権力を倒せば、倒した者はどうなる?』
「どうなるって――」
次の支配者になるだろう、との答えを口に出しかけ、ナジェージダが異を唱える。
「私が欲しいのはこの国じゃなくて――」
『分かっている。世界を救ったあたし、やっぱり選ばれた者なの~……いや、待て? 早まるなよっ!?』
鳥を象った杖の先に白いプラーナの光を集わせて、キッと睨むナジェージダへと、慌てた声がそれを推しとどめる。
『言いたいことは、歴史の法則性だ』
ナジェージダを宥めすすかしながら、声が奇妙なことを言う。
『皇帝と言う絶対権力が倒れたら、どうなると思う?』
「……どうなるの?」
『より苛烈なやつが権力を握るのさ。イポニアは確かに碌でもない国だったが、それでもニャポニカよりかはずっとマシな国だろう?』
「……」
確かに、生活水準だけ取ってみても、ニャポニカのそれはイポニアの足元にも及ばないほど後退していた、とナジェージダは思い出す。
『なら――もし、皇族が皆殺しになれば?』
との声を押し止めて、ナジェージダは吐き捨てる。
「それで現れたより異常な国を、この私が自由平等博愛だとか、易姓革命だとか、そんな適当な文言吐いて打倒すると?」
『そうだ――』
「ふざけないでっ!!!」
『ふざけてなどいない』
ナジェージダの怒りに、しかし声は努めて冷静に言った。
『いいかい? 皇族を皆殺しにした後に、必ずもっと異常な奴が権力を握る……何なら、誰かを先導してもいい――そしてお前は、ニャポニカの遺民や難民を引き連れて、イポニアを復活するのだ? 意味は……分かるな?』
「分かんないよ」
『イポニアという、嘗て人族の盟主だった国を、再び蘇らせれば、殆ど全ての分野で後退したであろうこの世界において、どう映る?』
「どう映るの?」
『神の国が出現した――』
「っ!?」
急に声色を変えて、おどけてみせる声にナジェージダがたじろいだ。
『それだけじゃないぞ。封印されたイポニアの連中は、お前のしわざとは誰も思っていない。サルターンが起こしたことだと見ているはずだ』
「……」
『つまりだな。自分たちにかけられた呪いを解いた聖女としてお前を迎え入れるはずだ。当然だが、ニャポニカは滅ぼす。証拠隠滅だな』
声が下卑た笑いをあげる。
「でも、それじゃあ――」
『そう……あまりにも話ができすぎている。お前の不安ももっともだ。だから――』
声が囁き、赤と青の瞳が大きく見開かれる。
驚くべき声が、彼女の頭の中に響き渡った。
『ズメイを復活させるんだ』と。
「ズメイを復活させる、ですって?」
動揺を隠せない声で、ナジェージダが叫ぶ。
声が上ずっていた。
当たり前だ。
『そうだ。イポニアの連中にとっての最大の恐怖は、魔王ではない。お前だって知らない訳じゃないだろう?』
「……だけど、あいつを復活させたら……」
『勿論危険だ。それは分かる。が、そのズメイをお前が倒せば、世界はお前をどう見る? 魔王に苦しめられたニャポニカは既にない。あるのはイポニアの統合された雑多な民だけだ。そしてイポニアをお前がズメイから救ったとしたら……?』
「私は――」
ナジェージダの顔に輝きが戻り始めていく。
『そう、世界を救った聖女様だ』
悪魔の囁きが彼女の心を動かすのに、そう時間はかからなかった。
 




