「わたしみんなのかたきをとれるかな……?」
戦争で怖いのは味方だったり。
背後から撃ってくる弾丸は、少なくとも敵の弾ではない。
……なんてね。
全身を甲冑で覆った……いや、どちらかといえば自動で動く金属製の人馬や、甲冑を纏う二足歩行の竜騎兵や、地水火風の四大元素を元にした兵卒たち、空には禍々しい光を放つ逆五芒星が無数に舞っている。
四方を……いや、天空も含めれば五つの方向から、ニャポニカの帝都は魔族たちに包囲されていた。
更に悪いことに、帝都を囲うのは、簡素な石垣という有様、環濠の類は残念ながら存在しなかった。
何故ここを帝都に選んだのか、帝都らしい守りを固めておかなかったのか、住民たちにしてみれば悪夢のような光景であろう。
ひょっとすれば、圧制がこれで終わる可能性もあるから、却って希望の光に思えたかもしれない。
生き残れればだが。
「あれは……魔王サルターン?」
宮殿の上から街の外を臨めば、陣を張っている中に、それらしき姿を見つけ、手に持った槍を硬く握り締める少年がいた。
手に嫌な汗を握っている。
赤目で赤い髪のニャポニカの第二皇子エリクが、指で輪っかをつくりその中を覗く魔法で見たのは、紛れもなく魔王サルターンの姿だった。
「く……こんなことをしている場合ではない!」
後継者争いなど、外から迫る敵を前にしてまでやることではない。
他の兄妹と一旦手を結び、撃退しなければ、帝位どころか生存すら危ういからだ。
「いくらなんでも早すぎる……」
苛立ちを露にして毒づくエリクだったが、戦争で相手が自分の予想通りに動いてくれることなどまずない。
教科書通りに、まるで台本や判例を一字一句違えずやってきてくれることを想定するのは、平和ボケも最もたるものであり、そんな都合のいい敵がいるのだとしたらただの八百長と名づけるべきだろう。
相手の裏を掻く、兵とは詭道なのだ。
「おい、エリオの兄貴とエリーゼと今すぐに会いたい!」
エリクはそう部下へと命じた。
同じ頃、宮殿の別室でエリーゼもまた、エリクと似たようなことを考えていた。
「魔王サルターンが攻めてくるなんて……」
ナジェージダに拠れば、魔王の部下であるヘルマンが攻めてくるはずだった。
が、まさかの魔王親征という異様な事態になっている。
「オットーっ!?」
「はっ!」
いつの間にか姿を現したでっぷりとした初老の男が、彼女の足元に跪く。
「どうすれば……」
「エリーゼ妃殿下、先ずは落ち着かれてください」
いつぞやのオットーの姿がそこにあった。
「私めが思いまするに……エリオ殿下やエリク殿下と手を組むべきであると――」
オットーの進言に、エリーゼが顔面蒼白となった。
「い……いやっ!」
様子がおかしい。
「エリーゼ様っ!?」
ガクガクと体を震わせ、色白な顔が普段にも増して血色の優れないものとなっている。
「いや、いやです……」
明らかに尋常ではない雰囲気のエリーゼが、身を縮ませて悲痛な叫びをあげる。
「エリーゼ様っ!!!」
オットーがそれでも力強くエリーゼの名を口にした。
「決してエリーゼ妃殿下に危害を加えさせるような真似はさせません。私めの、このマチェットに誓い――」
強い意志を感じさせる口調、それに曇りや迷いの一切感じることのない目の輝き……
「しかしエリーゼ妃殿下の存在があるとないとでは、その意味があまりにも違うのです……残念ながら、皇族とはそれだけ重い存在なのです」
オットーは諌めた。
「だからせめてそのお姿だけでも――」
オットーの袖を掴むエリーゼの手が震えている。
息も乱れて苦しそうなエリーゼだったが、オットーにしがみつき暫くの間ぬくもりを感じて落ち着きをどうにか取り戻した。
「分かり……ました」
誰が主導権を握ったか、誰の陣営がサルターンから自国を守ったのかで、その後の後継者争いが恐らくは決まるだろう。
「エリーゼ妃殿下の下には、あのハインリヒを倒したナージャとリューバが、何よりこの私めがいるではありませんか!」
「――」
オットーの言葉を聞いたエリーゼの顔が少しだけ晴れる。
長兄である第一皇子エリオは、外戚や官僚に怪しげな宗教がその主な支持者たちではあったが、魔王から帝都を守りきれる力量も、何より部下の決定打に欠ける。
次兄である第二皇子エリクなど、本人は武人を気取っているものの、大した実績もなく、それに部下について言えばエリオよりも恵まれていない。
姉の第一皇女エリヴィラは行方知れずであり、妹の第三皇女エリーナに至っては脅威と呼べるほどの力はない。
つまりは部下の力量を鑑みれば、自分こそ兄妹たちを出し抜いているのだ、とエリーゼはほくそ笑んだ。
「危機とは、言い換えるなら千載一遇のチャンスとも言えるのです。そして魔王から帝都を守るべく誰が主導権を執ったかが、その後に多大な影響を及ぼします」
オットーの言葉にエリーゼが立ち上がった。
「エリーゼ妃殿下ではなく、エリーゼ陛下となる……そのために必要な試練と――」
エリーゼがオットーの言葉を遮って宣誓の言葉を口にした。
「私が、この帝都を救う……」と。
すぐに開かれた皇族たちの会合に参加したのは三人、エリク、エリーゼの姿はあったが、肝心の第一皇子エリオの姿はそこにはなかった。
代わりに席に着いていたのは、二人にとっての妹である、エリーナだ。
魔王サルターンが攻めてきたのは危機と呼ぶべき状況で、帝都が戦場となるのは非常に心苦しい。
だが、何故この場にエリクとエリーゼがいるのか、そして何故エリオがいないのか、兄姉を横目に、エリーナは何故この席に自分が座しているかの意図を探ろうとする。
(私が末席とはいえ皇族だから?)
エリーナの意図や願いとは別に、他者は彼女を平民としては見てくれない。
存在自体が何らかの形で国に影響を齎すからだ。
だからこそエリーゼは陰惨な手段で以ってエリーナを葬り去ろうとした。
では、皇族としての、上に立つ者としての債務を背負っているから、この場にいたのか?
大きな疑問が残る。
何故最も帝位に近いであろうエリオがこの場にいないのかだ。
それとも次期皇帝は即位したのか?
(ありえない――)
エリーナが心の中で首を横に振る。
エリオが即位したのであれば、最低でもこの場に姿を現さなければならないはず。
それが出来なければ、兵卒は動かない。
皇族がめいめいの思惑で兵権を乱用したりすれば、徒に彼らの不安を煽り、自分たちに不信を募らせる。
何より、残虐な処刑が三度の食事よりも好物なエリーゼと、実際に手を出すくらいの幼女趣味持ったエリクの二人が、この会議を開いたことへの不気味さがエリーナに違和感を与えていた。
(例えば……)
エリーナが彼らの思惑を、推察していった。
(お兄様もお姉様も、帝位を欲しがっている、皇帝の座に就くことを諦めていない……)
帝位に興味がなければ、第一皇女のように既に帝都を飛び出して旅人の真似事でもやっているだろう。
帝都のそれも宮殿に住まう時点で、帝位への挑戦を諦めていないことは明白。
故に、この戦争が仮にニャポニカの勝利で終わったとしても、いずれ生き残った兄妹は邪魔者となるはずだ。
現状、親征してきた魔王に勝てる戦力が帝都にあるかと訊かれれば、誰がどう見てもあるようには思えないのだけれど――とエリーナが、思い至る。
(つまり、戦争で功績を挙げつつ、邪魔者を消す……?)
方法ならいくらでもある。
自分が安全圏で指揮を執り、いずれ邪魔者になるだろう兄妹を最前線に送る。
それで戦死してしまえば、例えば「弔い合戦だ」などと士気高揚して利用できるし、政敵も消えて一石二鳥。
仮に魔王に占領されたとしても、命を賭して人族を守らんとした皇族としての面子は保たれる。
(会談を開いたのだって、自分が主導権を握るためだと考えれば――)
つまり発言権のないエリーナは最前線へと送られることが、十中八九確実だろう、と。
下手をすれば、兵卒がこれを機会にと、暗殺者に代わる可能性も皆無ではない。
処刑好きと幼女愛好者が主催者なのだから、エリーナにとっては油断出来ない状況だった。
危険ですらある。
(でも……)
それなら、態々開いた会談にエリーナを呼ぶ必要があったのか?
(いや、私には後ろ盾がないからこそ?)
三頭体制は必ず崩壊する。
この場に顔を見せたのは、エリクとエリーゼとエリーナ、そこにエリオやエリヴィラの姿はない。
(私なら……私がお兄様やお姉様の立場なら――)
エリクやエリーゼからすれば、帝都にいないエリヴィラなどは無視していい存在、反対に外戚の力も強く、官僚や宗教などの後ろ盾を持つエリオ目の上のこぶだ。
エリオがこの場にいないのは、二人がともに帝位を簒奪しようとする必要性からしたら尤もな話だろう。
そしてエリーナには力がないために、頭合わせになる。
帝都と国の大事に、それまで顔の見えなかった皇族が現れて、仲違いしていた皇族たちも手を取り合って、魔王に立ち向かった――恐らくそんな物語が今紡がれているのだろう。
(これは……お兄様とお姉様の争い?)
とすれば、どちらが勝っても、または今この場にいないエリオが最終勝利者となったとしても、エリーナの身の安全は保障されえないのではないか?
エリーナだけではない。
アリカも、今も帝都のどこかにいるだろうリュボーフィーも……何よりニャポニカの臣民にとって、彼らによる圧制は続く。
いずれ反乱が起き、族滅されるであろうことは想像に難くない。
(私は、もう逃げられない……)
どの道、殺されるのなら、尤もマシな死に方は何か?
エリーゼなら拷問されてジワジワと殺される。
エリクなら散々弄ばれた上で捨てられることは間違いないだろう。
(どの道お兄様たちが殺し合いにまで至るのなら……)
でも最期に一つくらいはやり返してやりたい――エリーナは、意を決して、二人を前に宣言した。
「お兄様、それにお姉様。私に都を守る許可をいただけませんか?」
土塁壁から外に目を向ければ、どこもかしこも魔族の群れが武装して対峙している。
微かに口角を上げていたのは、淡い金髪と青と赤の瞳を持つ少女、ナジェージダ・ウラジーミロヴナだ。
白地に赤い線の入った修道服にも似た衣装で身を包み、翼を広げた鳥を象った杖を手に、向こうに蠢く魔族の群れに臨んで満足そうにほくそ笑み、すぐに顔を険しくする。
(新しくサルターンを作ったけれど……)
ナジェージダの悩みは三つ。
先ずははこのサルターンが既に倒された魔王の贋作だと知られやしまいかという不安。
次に自分の知らないうちにマンスールや盗賊ギルド、ハスとスポット、ヘルマンを、そしてサルターンまでも倒した謎の人物の存在。
最後にいかにして「帝都を救う」か、という匙加減についてだった。
取りあえず、贋作の不安は後からいくらでも揉み消すことが出来るし、謎の人物の存在にしたって、そいつがサルターンとつるんでいたことにでもすればいい。
が、帝都をどうやって救うかはナジェージダの最大の関心事なのだ。
危機が大きければ大きいほど、人々の絶望は深くなる。
どん底の絶望を味わって、心が壊れそうになった瞬間に、世界を救うであろう自分が颯爽と登場すれば、絶望の分だけ自分が輝けるのだと。
救世主などというのは、それだけの辛酸を味わった人間だからこそ、より強く求めるのだ。
宗教における救済も、世の中の絶望を味わえば味わうほど、輝きを増す。
即ち「これ程までに苦しんだのだから、自分は救われるべきなのだ」と。
問題はタイミングだ。
どの程度魔王に暴れさせるのか、その匙加減がとても難しい。
救済が遅れれば無能扱いだが、早すぎても当然のことで何を言っている、と軽くあしらわれる。
適度の絶望がどの程度のものなのか、ナジェージダは悩んでいた。
「ナージャ?」
と声がかかった。
土を踏む音を立ててこちらへと近づいてくるのは、同じく金髪で青い目をした少女――リュボーフィー・ペトロヴナだ。
白地に青の線が入った、肩がドレスを着ている。
戦場の衣装ではないが、腰に鳥を象った鍔の剣を佩き、心配そうにナジェージダの顔を覗いていた。
「大丈夫、顔色が悪いよ?」
人族にとって明らかに不利な状況で表情に優れないのは、まあ無理もない話しだろう。
魔王の親征、武装した魔族は帝都を守る兵の何倍いるだろうか、その装備にしても誰が見たって向こうの方が上だ。
まともな頭をしていれば勝てる答えなど出てくるはずがない。
(……ずっと昔に、こんなことがあったな)
思い出されるのは、イポニアの王都ヴォストクブルグ包囲戦だろうか?
(あの時、私は女勇者を演じていたっけ……)
あくまで勇者の価値を貶めるために。
勇者が魔王を倒した、その事実は覆らないけれども、ならば二度と勇者などという召喚者をこの世界へと連れて来させないために、勇者が無能という観念を植え付けさせるために。
(でも……今回は違う)
邪魔な勇者はいない。
ズメイを倒した聖女の生まれ変わりの魔法使いだって、今は行方知れず。
イポニア王女に至っては、目の前で魔王を演じさせている。
(きっと、上手くいく……)
そう自分へと言い聞かせた。
「おねえちゃん……」
とナジェージダがリュボーフィーへと抱きついた。
「わたしみんなのかたきをとれるかな……?」
復讐者としてのナジェージダ・ウラジーミロヴナを、今は演じなければならない。
「きっと勝てるよ」
リュボーフィーがまだ幼いだろう少女の肩を抱きながら励ます。
「ナージャはハインリヒを呆気なくやっつけたし……」
震える肩を抱きしめながら、リュボーフィーは言った。
「それに魔王だって、サルターンだって、恐らく偽者。だとしたら勝てるはずだよ」
「――ッ!!?」
リュボーフィーの思わぬ発言に、ナジェージダの心に動揺が走った。
(何で……それを!?)
魔王が偽者であることを知っているのか、と。
(まさか――)
色々と解せなかった、いくつかの謎が彼女の言葉をきっかけに、ナジェージダの中で解けていく。
(盗賊ギルドがいくつかなくなったのも……ファーティマやマンスールを倒したのも……)
仮にサルターンを倒せるほどの実力を有していたのなら、彼らを倒すなど難しい話ではない。
(では、ハスとスポットは――)
ドラゴンを倒せるのか?
しかし更に上位の竜、ズメイを倒した者を、ナジェージダは知っている。
が、実力云々は兎も角としてもだ。
(いや、それ以前に――)
リュボーフィーは何者なのか、そんな問いがナジェージダの心に浮かんできた。
最初の出会いは、マンスールから剥ぎ取られたであろう文様を暴走させた時に、偶然その場に現れた少女だ。
(彼女は……まさか……?)
折角分身たちが各地で作り上げただろう、自分が輝くための舞台装置を壊していった未だ姿を現さない奴なのか――が、もう一つの事実がそれを打ち消した。
(いや、そんなはずはない……ヘルマンが倒された時には、既にリュボーフィーは私と行動をともにしていたはずで、ハインリヒを倒した際にも、特殊な力を使ってはいなかった)
記憶の糸を手繰り寄せ、ナジェージダは思い起こす。
(あの聖女の力は空間の操作だったはず……ドラクルに変えても、魔法使いにしても、その力だけは私にはどうすることも出来なかった……)
そしてリュボーフィーは空間の操作をまだ一度もナジェージダの前で見せてはいない。
(私の杞憂?)
そう、考えすぎなのだ、とナジェージダは自分へと言い聞かせた。
心に一抹の疑念を残しつつ。
(仮に……リュボーフィーがあの聖女の生まれ変わりだとしても、それならそれでもう一度『神風招来』を使えば済む話……そんなことよりも……)
今考えるべきことは、いかにして帝都を、ニャポニカを、そして人族存亡の危機を演出するかだろう。
再び、ドラクルを倒した斧の勇者のような番狂わせが起こる可能性も、ゼロではない。
多少拙くとも、問題は速やかに片付けるべきなのだ。
即ち――
(サルターンを出来るだけ早く動かさなければいけない……)
そして邪魔者よりも一足早く、且つ危機を最大限演出して、サルターンを倒す。
それはいつ行われるのか?
(今しかない――)
「おねえちゃん、わたし、こわい……」
ギュッとリュボーフィーに体を寄せて、顔を見られないように抱きつき、赤い方の瞳を薄っすらと開けて、帝都の空を覆う逆五芒星を一瞥した。
パン――と耳を劈く破裂音が響き――それが、帝都包囲戦の合図となったのだ。




