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「目を覚ませよ。不老不死なんて、この世にはないんだ」

不老不死って拷問だと思う。


 「何、イェビー教の奥義が知りたいとな?」


 二柱の神、リンガ様とヨニ様を背に、初老の男がわざとらしく驚いてみせた。

 誰を見てかって、銀髪と灰色の目、いかにも盗賊と言った感じの衣装を羽織る幼女、つまりアリカをだ。


 「はい。不老不死という人生の救いがあることを、ボク……いえ、わたしは知ったんです」


 慣れない口調で、アリカが心にもない台詞を口にする。

 二人を挟むように列を成していた、信者たちだろう顔ぶれが、輝かしい笑顔を浮かべている。

 その中には、あの第一皇子エリオの姿もあった。


 「わたし……は、救われたい。わたしだけじゃないく、わたしのお姉ちゃんも、みんなみんな――」


 実際たどたどしく、かなり不自然な喋り方ではあったが、そこは幼い少女(・・・・)の口調、多少訝しくてもあまり気にはされないという利点はあった。

 寧ろ幼女が流暢に滔々と小難しい言葉を口にする方が不自然であり、却って怪しまれる人間の心理を逆手に取った形となる。

 あざとさがそこにはあった。


 「不老不死なんて言葉を、どこで知った?」


 初老の男は問い質す。

 無理もない。

 この世界には天国の概念はあっても、転生や不老不死のそれはない。

 にも拘らず、年端もいかない幼女が「不老不死」の語句を口にすることへ対する不信感や警戒心が、そこにはあったのだろう。

 これについてだが、アリカは既に手を打っていた。


 「ジャーニャから聞きました」


 「ふむぅ……」


 ひとしきり、まるで舐めるようにアリカをジロジロと凝視する初老の男が喉を鳴らす。

 信用がまだない――とアリカが、感づく。

 無理もない。

 だが普通の人間ならば、自分に近い存在を非常に高く評価するのが自然だ。

 或いは必要以上に美化していた相手の実態を知り、却って最も強硬な敵となりえることもある。

 反対に侮蔑していた存在が、実は自分に近かった現実を知ると、手のひらを返したように親密になることだってあるのだ。

 評価とは主観であり、そして比較によって成り立つ。

 だから一芝居打った。


 「もしかして、不老不死なんて存在しないのですか?」


 できるだけ大袈裟に、欲を言えば相手の不快感を若干つつくくらいの感じで。


 「不老不死は存在するぞ?」


 単純な男なのか、それとも演技なのかの判別はつかないが、初老の男が声を荒げる。


 「ひっ!?」


 と嘘くさいが、悲鳴を上げてみるアリカ。

 相手のプライドをくすぐるような形で挑発する、よく使われる手法だった。

 元の性格がどうであれ、それなりに地位のあるであろう立場の人間なら、こういった挑発もある程度有効だろう、と。

 勿論演技だから、適当なところでわざと言い含められる――算段だった。


 「ほ、本当なんですか?」


 目を潤ませながら、アリカがまじまじと男を見上げる。


 「嘘は言っていないぞ」


 「本当に本当、ですか?」


 所謂答えのない質問をやってみせる。

 これ自体には別に答えなどでなくてもいい。

 重要なのは、目の前の宗教者の格好をした犯罪者をその気にさせることなのだから。


 「いいだろう……見せてやろうではないか、リンガ様とヨニ様がこの世に伝えられた真理を」


 初老の男から言質を取ったことで、アリカの口元はほんのりと笑って……いなかった。


 

 (ジェーニャは……)


 彼女の記憶を思い出すアリカが、歯を食いしばった。

 目の前の男に襲われ、最後にはこいつを蹴り飛ばし、危機を脱した――そこまではよかったのだが、結果膨大な負債を負うこととなってしまった。

 要するに慰謝料と言う奴だ。

 当然だが、ジェーニャには払える訳がない。


 (それをこいつは――)


 『ワシはリンガ様、ヨニ様への信仰にのっとり、慰謝料を放棄する――』


 払えるはずもない膨大な慰謝料を吹っかけて、困りきったところで、慰謝料の放棄という「救いの手」を差し伸べる、実によくできたシナリオだ。

 そして代わりに、お布施を人よりも多く払わせる、そうして追い詰めていき、夜の相手をさせようという算段なのだ。

 下水道で見かけた未来の盗賊(チンピラ)たちも、結局は彼らイェビー教の手の者ではないか、と。


 祭壇の後ろには取っ手のない扉があったことにアリカは気づく。


 「ではお前に、不老不死の奥義を授けてやろう――」


 しゃがれ声が響く。


 (同じ手口だな……)


 この手の輩は大抵味をしめると、同様の手口を繰り返し、そして段々と犯行が大胆になっていく。

 そこでボロを出し、周囲へと露見するまでがセオリーではあるが、密室かつ隠匿された出来事は実際証明が難しい。

 仮に露見したところで、法の行き届かない場所では、力のある者が正義となり、周囲もまたそれに順ずる。

 『たかがそんなことくらいであの人を葬るのか――』とか『お前から誘ったんじゃないのか――』なんて声がどこからともなく沸き上がる。

 組織ぐるみの隠蔽、よくある話だが――


 (何が不老不死だ、インチキ野郎……)


 アリカの腹の底では、怒りが滾っていた。


 「では、どこから話そうか?」


 しれっとしている初老の男に、アリカが言った。


 「不老不死とは、どのようなものなのですか? わ、わたしにも分かるように、教えてください」


 「ふむ……」


 あどけなく、未知のものに対する期待を、大袈裟に表現するだけでも、相手の反応はかなり違ったものとなる。


 「リンガ様とヨニ様とは、世界を構成する要素なのだ」


 説明が始まった。


 「世界とは陰と陽、光と闇、有と無、或いは男と女……対立し、或いは相互に補い合う要素によって成り立っている」


 「……はい」


 相槌を打つアリカ。


 「それらの組み合わせで世界は様々な顔を見せる……」


 ここまではまあ、教義的な話だった。


 「生がある、それは死があることなのだよ」


 「……?」


 首を傾げて見せるアリカに、気を良くしたのか男は饒舌になっていく。


 「人は生きているからこそ、死ぬことになる。なら、死なないためにはどうすればいいのか? 生を超えればいい。それはどうやって? そう……対立する二つの要素から脱し、新たな境地へと至るのだ。できるのか? いいや、できる。何故なら、その象徴こそリンガ様であり、ヨニ様であるのだから! 早い話だな――まずは着ているものを脱ぎなさい」


 「……?」


 こういう場合雰囲気に飲まれるから、相手の手のひらの上で踊る羽目になる。

 アリカも踊っていた。

 そう……相手を油断させ、撃つために。


 「おっちゃんは、不老不死になったの?」


 「――っ!?」


 おっちゃんの語句に驚いたのではない。

 今まで雰囲気に呑まれ、或いは自分を疑わない信者たちや、予定された問答をこなしてきただけの彼にとって、予期せぬ質問と言うのは調子を狂わせられるものだったからだ。

 男は答えに窮した。

 信者たちもまた、静まり返ってしまっている。

 不老不死であると答えたなら、じゃあ何しても死なないんだよね、と何されるか分かったものではないし、違うと答えれば、全ての権威が瞬時に崩れる。

 まあ、こういう時には証明不可能な返答を口にすればいいのだが、不老不死の奥義を教えるなどと口走った手前、言葉を濁したところで追撃は延々と続くだろう。


 「……不老不死じゃないの?」


 いかにもな、残念そうにしょげてみせるアリカが、沈んだ声で呟く。

 どうすればいいのか――ある考えが、この男の頭に浮かんだ。


 「残念なことに、ワシはまだ不老不死にはなれてはおらん……」


 同様に沈んだ声で言った。


 「だが……嬢ちゃんが協力してくれたら、今度こそは上手くいくかもしれん。ひょとしたら不老不死になれる、そんな気がするぞ」


 「……」


 押し黙るアリカを見て、男がほくそ笑んだ。

 理性がもう大分融解しかけている。

 だが――アリカは言った。


 「今まで、失敗し続けたのですか?」


 「そうだ。だが、今度こそは――」


 「どうして失敗したのですか?」


 男が顔を顰める。

 実に面倒くさい、と。


 「お前は不老不死について知りたいのではないのか?」


 声を荒げる男に、アリカがわざとらしく驚いて見せた。


 「知りたいですよ。でもそれは、おっちゃんが不老不死を体現したと聞いたから教えを求めてきたんです。不老不死でないのなら、敢えて聞く必要はないのではないですか?」


 「ふざけているのですかっ!?」


 痺れを切らせた男が声を張り上げた。


 「……ふざけているのはお前の方だろう?」


 薄気味悪いくらいに低い声だった。

 灰色の目が害意と敵意を放ち光を帯びる。

 演技はもう止めだ、と。


 「お前は不老不死の方法を知らない」


 全身を覆う銀色のプラーナが光を放つ。


 「そもそも、人は不老不死にはなることができない。死なない人間は一人としていない、これは世界の真理だ」


 不老不死であれば、それは人ではない。


 「お前は単に欲望を満たすために、教義を悪用しているだけだ、違うか?」


 宗教ではよくあることだ。


 「陰と陽が交わる時に、不老不死が実現するのはイェビー教の教義だったな?」


 普通であれば、力ずくで言うことを聞かせられるはずなのに、蛇に睨まれた蛙のごとく、男はアリカの前になす術なく身動きが取れないでいた。


 「なら、お前の身を以って証明しろ――」


 アリカの手が、眩く光り――


 「……っ!?」


 男の顔が凍りついた。


 「ひっ!?」


 と悲鳴を上げたのは、アリカでも、勿論だが今ここにいないジェーニャでもなく、怯えた顔で青ざめている初老の男だ。

 何故かって……二柱の神を祀った祭壇から、ナニかが伸びてきたからに他ならない。

 観衆からざわめきの声が上がる。


 「あ……あれは」


 「まさか……」


 「リ、リンガ様っ!?」


 狼狽える信者たちを前に、アリカが宣言した。


 「不老不死になるためには、なり余ったものと、なり足らないものが結合する必要がある――」


 「ま、待ってくれっ!?」


 男の声が裏返っていた。


 「もし、今まで散々試してそれでもなお失敗し続けたのだというなら、もしかすると最初の大前提が間違っていたのかもしれないじゃないですか――」


 「な、何を、言っているっ!?」


 慌てふためき、身をよじりながら後ずさりする男だが、アリカは決して追撃の手を緩めることはない。


 「いや、もしかすると、おっちゃんがなり足らない方(・・・・・・・)かもしれないって、思ってね」


 アリカの意図を察したのか、じたばたともがくも、絡みつくリンガ様が男を捕らえて放さない。


 「ひゃ、ひゃめれ――っ!!!」


 「いや、ボクはどうしても知りたいなぁ……」


 口調が戻っていた。


 「ワ、ワシは、なり足らない方ではないだろうっ!?」


 「ホントかなぁ……」


 とアリカが金縛りに遭いながらも、それを振り切ってアリカを取り押さえようとしている信者たちを目配せして言った。


 「物事って、必ずしも、固定的なものじゃないだろ?」


 その眼光に、微動だにできなくなった信者たちが置物のようになる。


 「有と無にせよ、陰と陽にせよ、それらは相対的なものでしかないんだよ。だから陰にもなれば陽にもなる。そうだろ?」


 そして、耳がはちきれんばかりの悲鳴が周囲へと響き渡った。







 「……」


 リンガ様が姿を消した時には、既に惨状が広がっていた。

 初老の男は勿論、信者の大半がなり足らない者の立場となっていたからだ。


 「流石に……吐きそうだ」


 慣れない物はやっぱり慣れない。

 だが……と、嘔吐感を無理に抑えると、アリカは靴音を響かせて、祭壇の前へと躍り出た。

 まだやるべきことが残っていたからだ。

 何かといえば、彼らの崇拝するリンガ様とヨニ様の破壊……象徴を失った宗教は力を失い滅びる。

 それも態々信者の前で破壊する様を見せ付ければ、更に効果的だ。


 「ほらよく見ろ!」


 アリカが叫びながら、リンガ様を小突いた。

 石畳の床へと音を立てて落下した瞬間に、先端の尖がった部分が砕け散る。


 「「「な、なんてことを――」」」


 抵抗する気も失せたのだろう信者たちから無念声が漏れた。

 「リンガ様さえ不老不死ですらないのに、お前らが不老不死になんてなれる訳がないだろうっ!?」

 そしてもうひとつ、今度はヨニ様だ。

 貝みたいな形のそれへと、アリカはジャンビーヤの柄で叩き、ヒビが入ったヨニ様が砕け散ってしまった。

 更に砕け散った破片を手に取って、アリカが叫ぶ。

 「それとも――まだリンガ様もヨニ様も生きている、などと言うつもりか?」

 仮にも不老不死の神が、偶像とはいえ崩れ去ってしまったのだから、信者たちからすれば全てが終わったに等しい。

 復讐を挑もうと考える者すらいなかったところから、彼らは絶望に突き落とされたのかもしれない。

 元々人生に絶望して入信したのだとすれば、彼らには別の希望を与える必要があるのか――と、その時だった。


 「これは……っ!?」


 悲痛な叫びが耳へと飛び込む。

 やっと目を覚ましただろう、ジェーニャの震える声がする。


 「一体何が起きたんだ?」


 干からびた蛙のような格好をしている信者たち、それに砕け散った神像を目の当たりにしたジェーニャが言葉を失った。

 「リンガ様……それに、ヨニ様まで!?」

 仮にも不老不死の神が、偶像とはいえ破壊された事実は、この世に不老不死などという希望がないことを示していることに気づかない彼女ではなかったのだろう。

 代わりの希望を与えられないのであれば、邪教に縋り付くことを是とすべきか――そんなことはないだろう。

 スリに反対するなら、代わりに置き引きや、万引きを提案することは、それでも非であろう。

 同じことだ、と。


 「これは……お前がやった、のか?」


 と言って、他にやれる人間などいない。


 「不老不死は……不老不死は、オレの夢だったんだぞっ!?」


 「目を覚ませよ。不老不死なんて、この世にはないんだ」


 「じゃあ、オレには何の救いもないってのか?」


 わなわなと震える肩が、ジェーニャの動揺を如実に表している。

 世界は理不尽なまま、生まれで全てが決まり、運悪く貧民として生を受けたら、一生理不尽を伴侶としなければならないのか――絶望が、ジェーニャの心を蝕んでいった。

 僅かばかりの希望が残されていたからこそ、それでも理不尽を耐える力となっていたのに、その象徴が自分の知らない間に壊されたという事実に、心が耐え切れなかったのだろう。


 「おい、やめろって――」


 いきなり神像の破片を掴んで、アリカへと振り降ろそうとするジェーニャを躱し――祭壇の壁が音を立てた。


 「な――っ!?」


 「え――っ!?」


 回転式の取っ手のない扉だったのか、壁に描き込まれた二人が壁の向こうへと誘われていった。






 

 ……扉の向こう側は、更に下層の通路となっていた。


 「……どうなってんだ、この通路は」


 「オレが知る訳ないだろ? 知っていたとしても、教えてやるもんか!」


 完全に怒りをあらわにしているジェーニャが怒鳴る。


 「いや、そう怒るなよ……それと、何でこれがいるんだ?」


 アリカの発言に、異議ありげな目をするのは、松明で二人を照らす赤い髪の青年……エリーナの兄で、第一皇子のエリオだった。


 「まあ、そう硬いことを言わずにさ」


 何を考えているのだろう、と言っても王侯貴族の考えることは、アリカの想像や理解を超えている。

 熱心に信仰して、しかも自分の支持団体だったであろう組織を壊滅させたと言うのに、エリオの表情は非常に明るく微笑んでいる。


 「それに不老不死なんて、私は最初から信じてなどいなかったし――」


 「ふぁっ!?」


 「支持団体が壊滅したのは私のとって大損だけど、と言ってエリクやエリーゼに出し抜かれるってほどでもないし、それに――」


 エリオの目が赤く輝いていた。


 「宗教団体って、そのうち邪魔になるからね。ボクがやらなきゃいけなかったことを、キミがやってくれた、感謝感激だね」


 「……」


 エリオの発言に苛立ちを覚えるアリカだが、しかし敢えて無視した。

 こんな何を考えているのか分からない奴の相手より、先ずは脱出を優先したかったのだ。


 (それにしても――ボクが昔攻略した迷宮に、こんな場所はなかった)


 土地勘がない以上むやみに歩き回るのは却ってさ迷うことになる。


 「困っているようだね」


 難しい顔をしていたアリカに、作り笑いを浮かべたエリオが囁いた。


 「……ボクに話しかけ――」


 話しかけるな、と言おうとして、エリオの手にあったものを見逃さない程にはアリカは目ざとく、何故そのようなものをエリオが差し出したのかまでを思い至らないくらいには単純といえる。

 即ち糸玉にアリカが反応した訳だ。


 「迷宮では、これが有ると無いじゃ、全然違うもんね」


 にっこりと微笑むエリオ。


 「……」


 手を伸ばしたアリカだが、リーチの差から、エリオの手元には手が届かなかった。


 「おい、どういうつもりだ?」


 「私はね……」


 エリオが言った。


 「語尾にニャンをつける女性に魅かれ――って、ちょっと待ってくれっ!? 冗談、そう、冗談だよ――」


 「冗談には聞こえなかったが?」


 背筋に怖気を走らせたアリカが、ジト目でエリオを睨みつけるのだった。

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