「ねえリューバ、ボクの話を聞いてよ!!!」
その頃……
皇宮では、エリーゼの客室で、動揺した声が力なく漏れていた。
誰か……ハニーブロンドの髪、それに赤と青のオッドアイの瞳を持つ少女、というか幼女、ナジェージダ・ウラジーミロヴナだった。
「……そんなことって……ッ!?」
どこから入ったのか、黒いローブを頭からすっぽりと被っている怪しげな人物(?)……を前にナジェージダが動揺を隠せないでいる。
「ヘルマンが倒されたのですか?」
黒いローブは無感動無表情のまま、頷くだけだったが。
「しかもヴォストクブルグの出入り口に置いていたドラゴンと……そればかりか私の昔作った分身のひとつまでもが、一夜にして倒されたっ!?」
それでも頷くばかり。
「あれを倒せるのは、私だけのはず――聖女の力を持つ、この私だけの……」
黒いローブが、漸く重い口を開き声を放つ。
低い抑揚のない声だった。
『より正しく言うなら、聖女の力を持つ者であれば、彼らは誰しもが倒せすことができる……』
聖女の力で作り上げた者は、聖女の力でしか倒せない。
逆に言えば、聖女の力さえあれば、誰にでも倒すことができるということだ。
「私以外に聖女がこの世界に存在する……?」
ナジェージダは焦燥に駆られた。
その昔ズメイを討伐した聖女や、その代わりに作り上げたドラクルを倒した勇者の存在を思い出したからだ。
『……そこは分からない。あまりにも情報が断片的過ぎる』
「私を差し置いてズメイを討伐したあいつ……」
『……それは自分でドラクルに魔族転生させた挙句、討伐された後に魔法使いにして、しかも自分の手で殺したではないか』
「う……」
と声を詰まらせるナジェージダ。
「聖女は、ドラクル、魔法使いと転生させた後、イポニアの王都で自爆させたはずで、その後行方知れずのままで、それでも聖女の力を持ってるはず……やはりあいつ以外に考えられない」
行方が知れないとすれば、今の今になって転生やその他の方法を用いて自分の目的を阻もうということか、と唇を噛み締めるナジェージダ。
「一度二度ならず、一体何度私の邪魔をすれば……」
この世界へと召喚された時には、自分が本来得られるはずだったズメイの討伐に対する賞賛を横から掻っ攫い、魔王としても簡単に勇者に討伐されてしまい、魔法使いとしてパーティに組み込めば途中から反旗を翻す暴挙に打って出たり……
『待て、落ち着け――』
黒いローブが宥めすかした。
『まだあいつと決まった訳ではない。それに異世界人を召喚する術式だって、完全に断絶した訳でもないだろう?』
「……イポニアの王女のこと? だけどあいつは――」
自分の手で魔族に生まれ変わらせたはずだ。
そもそも、記憶をほぼ完全に消して、無能な弓使いに転生させたのに、異世界人の召喚の術式など覚えているのか、と。
『世の中にはふとした瞬間に記憶を蘇らせる人間というのがいる……例えば、昔見た景色とか、同じような状況に陥ったりするとか、そんな場合に前世の記憶が復活することはある』
「……」
『大体だな。お前は問題を増やしすぎなんだよ』
ローブが呆れたように声を漏らす。
『イポニアの王都を地中に埋め立て、ハスとスポットを配置して、残ったイポニアの遺民たちを引き連れて奇跡を演出させおかしな宗教を作ってみたり――』
「……」
『あの時の槍使いの弟だったかを、自分の分身を使って唆してニャポニカを建国させ、あれこれと間違った政策を教え込んで庶民を疲弊させ――』
「……」
『やれ盗賊ギルドだとか、やれパヴェシェンヌイ教だとか、イェビー教だとか、民族問題なんかを持ち込ませ、お前これをどうやって解決するつもりだったんだよ?』
何度も生まれ変わり、且つ分身を使って何百年もかけて作り上げた問題を、一代で解決できる訳がない。
「何の問題もない。重要なのは、世界を救うことではなく、私が賞賛を浴びることのできるタイミングで、元凶たる分身を打ち破り、私自身をより輝かせてこの世界の連中に威光を示すことじゃないの?」
世界の問題を解決するのではない。
自分の問題を解決するために、世界に問題を作り出しているのだ。
「この世界の人間は、私をわざと無能にして召喚した。自分たちのくだらないエゴのために! それに対する償いはまだ終わっていないんですよ?」
『償い……か。償い、ねえ……』
既にイポニアの王女は一度殺し、魔族へと転生させ、彼女の本来なら得るはずだった賞賛を掠め取っただろう聖女にしても、魔王にさせられた挙句、魔法使いに生まれ変わった際に殺したではないか、とローブが首を横に振る。
『まあ、なんだ……』
黒いローブが述べる。
『計画はいくつか変更になるが、それでも不動の賞賛を浴びる術はついえた訳ではない』
「……それは?」
『この街を、ニャポニカの帝都を魔王軍が包囲する――それをナジェージダ・ウラジーミロヴナが打ち破り、魔王を討伐する』
「――!?」
『そして魔王軍の残党たちが旧イポニアの都へと集い――』
「彼らを蹴散らして、封印された王都を復活させる……だけど」
『勿論分かっている』
ローブがナジェージダの苛立ちを宥めながら言った。
『ドラゴンから世界を救った、という事実がほしいことは重々承知している。それは外さない』
「……どうやって? ハスとスポットは肉を削ぎ落とされて、今や骨だけになったって報告なんだよ?」
『だから――』
とローブが口元を歪めながらナジェージダの耳元で囁いた。
『ないなら作ればいいじゃないか』と。
「作るって……材料は」
『私に任せておけ。必ず新しいやつを作り上げてやるから……だが、その前にまずはこの私が……魔王サルターンとして、帝都へと侵攻し、お前に倒されるのが先だ。そうだろ?』
「そ、そうだね……」
と浮かない顔でナジェージダが頷く。
『それじゃあ、私はもう行かなければならない。準備するからな――』
と黒いローブが部屋の壁を叩くと、壁は回転し、ローブの姿は巻き込まれるようにして部屋からいなくなった。
暗い回廊を進むローブが愚痴をこぼす。
『全く……私の気も知らないで……』
何故こうなったと憎々しげに語気を荒げて足音を踏み鳴らしている。
『確かに私はあいつの分身のひとつ……にしたって、人使いがちょっと荒いんじゃないのか?』
聖女の分身として、魔法使いを演じて見せたり、はたまた魔王をやってみたり……だが、何故かいつも途中で邪魔が入る。
ドラクル討伐の際は、誰が召喚したのか斧の勇者が現れ、勇者の権威を貶めようとすれば、魔法使いに反旗を翻され……
『そもそもだ……償いなんて言い方をするなら、それを求めるべきはイポニア王女のあいつにであって、ギリギリ聖女もそうだが、あの勇者に対しては完全にこちらに非があることになってしまうだろうがっ!』
事の発端は王女のやった召喚術師を放逐するための計画に巻き込まれたことにある。
なら、わざわざ勇者の権威を貶めなくとも、女勇者を演じた時点で、魔王を討伐したという栄光を手に入れさえすれば、こんなに問題は大きくはならなかった。
(とはいえ……)
聖女が邪竜を討伐する、これを成し遂げることで、本来なら手にできるはずの賞賛を得ることは、かねてよりの悲願、そのためにわざわざ分身を作り汚れ役を引き受けさせたのだから、と。
しかしその都度苛立つ聖女本体の転生者を宥めすかし、ご機嫌を取るのにウンザリしたのだ。
『だが……』
ほくそ笑む。
『あいつのおかげで、復活できそうだ……その算段まで取り付けることができた』
ローブに隠れた目が、怪しく光る。
『後は――』
薄ら笑いを浮かべているローブの耳へと子供の声が飛び込んできた。
誰のって、幼い少女の声だ。
『イルザ……いや違う?』
と――
『――ッ!?』
ローブの足元が突然消えてなくなった。
正しくは、足元の石が一瞬にして消えたというべきだが。
何が起きたのか、石畳は自然に消えるものではないし、トラップが発動したという感じでもない。
要するに狙われている。
『誰だ!?』
威圧するように声を上げるローブ。
だが、今度は体の右側の壁が掻き消された。
『この技は――』
嘗て戦っただろう相手のもの……
『まさか……』
警戒心を研ぎ澄まし、黄色いプラーナがローブの体を覆う。
目に飛び込んできた青く光る双眸には、狂気が宿っていた。
金色の髪が宙に舞う。
次いで僅かに立つ足音、下賜されたのだろう白地に青い線の入ったドレスからは肩を出し、その手には剣を掴んでいた。
即ち、リュボーフィー・ペトロヴナが一瞬姿を現して――
『――ッッッ!!?』
その直後ローブの体が四散した。
まるで鏡でも割ったかのように、砕け散ったのだ。
靴音を鳴らして、リュボーフィーが声を震わせた。
「魔王サルターン……がどうしてこんなところに? まあいいけど……この向こうは確か、ナージャのいる客間の方角……いや、でも何か一仕事終えたみたいな感じだったけど、まさか……?」
「ちょうどこの辺りのはず……」
アリカが壁に添えた手を叩きながら、怪しげな文様の入った石の壁を蹴り上げる。
ガコン――と音が鳴り響き、壁が外れてその無効に続く通路が姿を現した。
エリーナが驚いた顔を見せ、ジェーニャも怪訝な顔をしている。
「やっぱりだ……」
その昔、まだ斧の勇者などと呼ばれていた時代に攻略した魔王城の迷宮。
「この辺りは確か……」
行く手を阻むドラクルの近衛兵たちを蹴散らしていった場所。
「アリカ?」
エリーナが心配になったのか、アリカのチョッキを引っ張った。
と……その時だった。
無効の回廊から足音が響いて、それが近づいてきたのに気づく三人。
「誰か、来たのか?」
この回廊というか迷宮の存在を知っている人間が……アリカの、この素朴な疑問に対する答えは、すぐに出た。
それだけではない。
あの時以来ずっと心に引っ掛かっていた相手が、何よりもこの帝都へと来た目的が、靴音を踏み鳴らし、こちらへと近づいてくる。
長い道のりだったが……目の前にいるのは、言うまでもなく、アリカが探していた相手である、リュボーフィー・ペトロヴナ本人の姿が、今彼女の目の前に姿を現していた。
「リューバ……?」
やはりまだ心に残る強張りは、アリカを自由にはしてくれないらしい。
だが、ここで一歩前に踏み出さなければ、何のために帝都まで来たのか、確実に会えるという根拠は薄かったが、それでも会えたのだ。
(……!?)
あの夜の出来事が脳裏に浮かんでくる。
冷たく光る青い瞳、打ち明けられる悲惨な出来事へ対する怒りと悲しみ……顔を蹴り飛ばされ、手足が外れていった痛み、そして首が絞まっていく恐怖、大嫌いなやつと間違えられてあの日殺された絶望感。
「な……何でここに!?」
動揺していたのはアリカだけではなかったらしい。
リュボーフィーもまた、アリカの姿を前に、体を強張らせていた。
「まさか、殺し損ねた――」
再会を喜ぶでもなく、復讐により心の棘を抜き去ったでもなく、彼女の顔は恐怖の色に染まっていた。
「私を殺すために、わざわざここまで追ってきたのっ!? だけど、私はもうあの時のままじゃないっ!!」
開口一番、リュボーフィーがプラーナを集中させた手を突き出した。
青い光が暗闇を照らし、アリカの足元の石が消えた。
「くっ――」
焦燥が彼女を苛む。
「リューバ、待って!」
あと一歩、もう少しで誤解が解けるのだ。
「どうやって生き返ったのかは知らないけど、今度は何を企んでいるの?」
なのにリュボーフィーは既に聞く耳を持っていなかった。
青い光が立て続けに辺りを照らし、回廊の壁や床、天井などが虫食い状に空いていく。
殆ど音もなしにだ。
「まさか――」
青く光るプラーナの光が揺らめきながら、リュボーフィーが俄然納得のいくといった顔で呟く。
「そうに違いない。だって――」
「ねえリューバ、ボクの話を聞いてよ!!!」
青い光がアリカをかすめ、銀色の髪が数本宙に舞い散らばる。
「どうしてこの城にサルターンがいたのかって疑問がやっと解けたわ」
リュボーフィーの声が震えていた。
「今度はサルターンを使って帝都を攻めるつもりだったんだね? でも残念――サルターンならさっきこの私が滅ぼしておいてやったわよ!」
「サルターン? 帝都を攻める? リュ―バ、本当に何を――!?」
(いや、そうじゃない――)
もっと他に彼女へと言うべき言葉があるはずだ。
あの夜に、体が、心が強張って遂に言い出せなかった言葉を。
殺されかけて、暫く心が麻痺するほどだったあの日々を思い出す。
二頭竜の胃袋の中へ、危険を顧みず飛び込んできてくれたエリーナがいなければ、救われなかっただろう。
言わなければならない。
何より、それを言うためにここまで来て、しかも目の前にはリュボーフィーがいる。
(ボクは、きちんと伝えなくちゃいけないんだっ!)
「リューバ、ボクはリューバを殺した女勇者なんかじゃないんだよ」
言った。
いつになく弱々しい声だったけれど。遂に言うことができた。
しかし……
「お前は――っ!!!」
却って怒りに火をつける結果となった。
「あの時もそう――」
バーナーの火みたくリュボーフィーのプラーナが激しく放たれた。
通路を支えていた石組みにヒビが入り、大きく揺れる。
「ウラジドゥラークで私を助けるように演出したのも――」
回廊が崩壊するも関係なく、崩れた石材がリュボーフィーの頭上へと落下するも、直ちに掻き消えてしまったほどだ。
「そこで分身を使って、孤児院のみんなを召喚したのだって――」
彼女の手に高密度のプラーナの塊が圧縮されていく。
「何より、盗賊を倒した時のあの技は、間違いなくあいつのもの! 私は騙されないんだからっ!!!」
「違う、違うよ――」
だが、聞く耳は持っていなかった。
寧ろアリカの顔を見て、昔の古傷を突かれたのだろう、彼女は恐怖からか混乱しているようだった。
「こ、来ないでっ!?」
明白な拒絶が、今度はアリカを傷つけていく。
「ボクは……」
どうすれば分かってもらえるんだ――
イルザでないことを証明する?
だがこれは悪魔の証明になってしまい、はっきり言うなら証明は不可能に限りなく近い。
「リュ――」
とそれまで口を閉ざしていたエリーナが声を上げた。
「リューバ、アリカはずっとリュ―バのことで悩んでいたんだよ?」
彼女の声に、リュボーフィーの動きと、プラーナの勢いが僅かだが鎮まる。
「もし、アリカがリュ―バを、ぜんせって時代に殺したって人だったとしたら、こんなに悩むと思う?」
リュボーフィーの手が硬く握り締められていた。
「……さい」
「リューバ?」
「うるさい! 私の気持ちなんて、エリーナには分からないよ! それにこれは私とそこの女勇者との問題、関係ないエリーナは口を挟まないでっ!」
「関係なくなんかないよ!」
怒った顔で声を張り上げながら、エリーナが叫んだ。
「だって私たち、一緒に旅を――」
だが、これまでになく巨大な青い光が周囲を覆い尽くして、彼女の叫びは途絶えてしまった。




